メディア掲載  グローバルエコノミー  2024.05.10

農政退行を示す基本法見直し

農業経営者4月号(2024327日発行)に掲載

農業・ゲノム

輸入リスクより農政リスク

食料安全保障強化のために基本法を見直すと言う。農水省は買い負けの輸入リスクを強調する。しかし、カロリー摂取上重要な穀物と大豆の輸入額は日本の全輸入額の11.5%に過ぎない。価格が10倍になっても大丈夫だ。

しかし、輸入が途絶すると、国民は必要な米の半分しか供給されない。半年後に国民全員が餓死する。1960年以来世界の米生産は3.5倍に拡大したのに、国際交渉の場で食料安全保障を最も強く主張してきた日本が、補助金を出して4割も減産した。農水省が食料安全保障を真剣に考えたことはない。戦前農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。国民は税金を払って生命を危険にさらしている。

減反補助金を負担する納税者、高い食料価格を払う消費者、取扱量減少で廃業した中小米卸売業者、零細農家滞留で規模拡大できない主業農家、輸入途絶時に食料供給を絶たれる国民、全て農政の犠牲者だ。農水省は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とする日本国憲法に違反している。

誰のための食料安全保障か?

農水省は、本当の食料危機が起こった場合にどのような対策が必要なのか示していない。それは農水省にとってどうでもよいことだからだ。前回食料自給率の向上を規定したように、本音は、食料安全保障を国内生産拡大や農産物価格引上げという農業保護増加に利用したいのだ。

これまで巨額の財政資金(現在は毎年2千億円超)を投下しながら全く効果がなかった麦や大豆を増産しようとしている。同じ金額を使うだけでも国産小麦生産量の6倍の量の小麦を輸入・備蓄できる。わずかな国産しか食べられないで餓死するのと十分な輸入小麦を食べて生きながらえるのと、どちらを国民は選ぶのか?食料安全保障というのは作る側ではなく食べる側の問題だ。戦後の食糧難の時代、吉田首相はマッカーサー連合国軍最高司令官にアメリカからの食料輸入を懇請した。国民を飢餓から救ったのは輸入食料だった。国産の方が頼れると言うのはウソだ。

国産ならなぜ米の増産を検討しないのか?米は過剰だからと言う。しかし、農産物の市場では、価格が変動して需要と供給は常に均衡する。見る立場によって価格が高いか低いかの評価が分かれるだけだ。市場価格より政治が価格を高く維持しようとすると供給が過剰となるので減反が必要となる。

減反を止めれば、35百億円の納税者負担がなくなるうえ、現在の倍以上の米を生産できる。価格低下で消費者は利益を受ける。影響を受ける主業農家への直接支払いは1千5百億円で済む。平時は米を輸出して、輸入途絶という危機時には輸出に回していた米を食べれば、飢えを凌げる。備蓄米に使っている5百億円の財政負担も不要になる。加えて主業農家中心の農業にして二毛作を復活すれば、食料自給率は70%を超える。しかし、米による国産拡大は論外である。米価低下をJA農協が嫌うからだ。

矛盾の体系となった農政

逆に、農政は水田の畑地化を言い出した。JA農協にとっては米価を維持できるし、財務省は減反補助金をケチられる。農政の目的である水田の多面的機能を損なうえ二毛作が否定される。二毛作は化学肥料、農薬を節減するうえ食料を増産する。水田畑地化は、みどり戦略や食料危機時の対応と矛盾する。

これは水田が余っているという珍説を根拠としている。しかし、食料輸入が途絶する際は肥料も石油も利用できない。米だけで必要な熱量を賄おうとすると水田は960万ヘクタール、イモを3分の2としても810万ヘクタールの農地が必要となる。国産をいくら頑張っても足りない。かなりを輸入穀物の備蓄に頼るしかない。国民が餓死しないためにどれだけの食料や農地が必要となるのか、農水省は国民に示すべきだ。

先祖帰りの適正な価格形成論

フランスの立法の一部をつまみ食いして、適正な価格形成を主張する。これは、コストを反映しようとした食糧管理制度下の米価・生産費所得補償方式への先祖帰りである。農産物価格が上がればJA農協の販売手数料が増加する。未だに農家は貧しくて哀れな存在だと信じている多数の農業経済学者も支持している。しかし、市場の需給状況を伝えるという価格の機能は失われる。世界の農政は価格支持から直接支払いに移行しているのに、退行も甚だしい。

小麦、バター、牛肉のように、消費者は国産品の高い価格を維持するために、輸入品に対しても高い関税を負担している。国産品価格と国際価格との差を財政からの直接支払いで補てんすれば、消費者は、国産品だけでなく輸入品の消費者負担までなくなるというメリットを受ける。少ない国民負担で価格支持と同様の保護を行える。

直接支払いが価格支持より優れていることは、世界中の経済学者のコンセンサスである。市場価格より高い価格を農家に保証することで過剰が生じる。それを処理するために、無駄な財政負担が必要となる。これに気付いたEU1993年価格支持から直接支払いに移行した。

食料安全保障も多面的機能も、農地を維持してこそ達成できる。それなら、雑多な補助事業は全て廃止して、EUのように農地面積当たりいくらという直接支払いを行えばよい。米の先物を認めれば、ヘッジ機能が働いて収入保険やナラシなどを廃止できる。農政は大幅に簡素化、スリム化できる。

明るい農村は構造改革がつれてくる

兼業農家も農業の担い手だと言う。これは農家丸抱えを主張し構造改革に反対してきたJA農協の軍門に農林水産省が下ることを意味する。

他方で規模拡大は推進すると言うが、農地バンクが機能しないのは減反で米価を高いままにしているため農地が出てこないからだ。減反を廃止して主業農家に限って直接支払いすれば農地は主業農家に集積する。農家以外の若い人が株式会社を作って農業へ参入することを否定している農地法は廃止して、フランスのように農地はゾーニングで守ればよい。

1ha未満の米農家が農業から得ている所得は、ゼロかマイナスである。ゼロの所得に何戸をかけようがゼロはゼロだ。しかし、1人の農業者に30haの農地を任せて耕作してもらうと、1,600万円の所得を稼いでくれる。これをみんなで分け合った方が、集落全体のためになる。

家賃がビルの維持管理の対価であるのと同様、農地への地代は、地主が農地や水路等の維持管理を行うことへの対価である。健全な店子(担い手農家)がいるから、家賃(地代)でビルの大家(地主)も補修や修繕ができる。このような関係を築かないから農村は衰退する。農村振興のためにも構造改革が必要なのだ。

農業者に自助を

農政学者柳田國男に次の言葉がある。「世に小慈善家なる者ありて、しばしば叫びて曰く、小民救済せざるべからずと。予を以て見れば是れ甚だしく彼等を侮蔑するの語なり。予は乃ち答えて曰わんとす。何ぞ彼等をして自ら済わしめざると。自力、進歩協同相助これ、実に産業組合(協同組合)の大主眼なり」

農家を保護するというのは彼らをバカにすることだというのだ。オランダ農業の発展の根拠を問われて、私は「農業省を廃止したからです」と答えた。保護は有害ですらある。しかし、時が経って農家自身が政府の保護を当然と思うようになってきた。

ところが、柳田に呼応するような農業者が出てきた。2014年米価が下がったとき、ある女性農業者は、本紙において「弱音を吐いて誰かに助けを求めているようでは、農業は人から憧れられるような職業にはならない。」と言い切った。基本法は、保護の拡充ではなく、このような人たちを育成する方向で見直すべきではないだろうか。