来週から岸田文雄首相が国賓待遇で訪米する。“国賓訪米”は2015年の安倍晋三元首相以来、9年ぶり。重要な外交日程なのだが、日本マスコミの報道ぶりは相変わらずのようだ。例えばリベラル系は、こんな具合。
《もがく首相、険しさ増す政権浮揚の道》
《米議会演説も念頭に政権浮揚につなげる狙いがある》
《日米外交筋「岸田氏は総裁選を乗り切れるか」と質問》
保守系も意外に手厳しい。
《逆風の中で外交成果を焦れば、国益を損なう事態も》
《国賓待遇で招かれた“お土産”を持っていく心配あり》
しかし、この種の論調を鵜呑みにしてはならない。これらの多くは政治部記者に典型的な「政局目線」記事だと思うからだ。
日本の首相訪米報道は今もワンパターン。首相が訪米する、支持率がどうなる、政権浮揚のために何をアピールして、「お土産」をばら撒く…と分析する。何故こうなるのか、恐らく理由は2つある。
第一は、首相訪米を仕切るのが政治部記者の多い官邸記者クラブだからだ。政治部記者なら当然、内政・政局に関心があるので、どうしても外交も内政に関連付けて報じる傾向がある。外信・国際部の専門記者とはかなり違う視点だが、この傾向は、もしかしたら、明治時代から変わっていないのではないか。
第二の理由は、外交が動的だからだ。個々の外交問題には紆余曲折の歴史があり、それぞれに長い経緯がある。要は、外交は「長編動画」なのだが、一部素人記者は一部の「静止画」だけを拡大して報ずる。もちろん、全ての政治部記者が「素人」ではない。それなりに勉強はしているだろう。でも「静止画」は大きな流れの「動画」の1コマに過ぎないことを理解している書き手は意外に少ないと思う。
筆者の見るところ、1945年以来、日本周辺で今ほど安全保障環境が激変したことはない。しかも、こうした変化は元に戻らない、不可逆的なものである可能性が高い。
内政の流れだけで外交を見ようとすると、今回の訪米も岸田首相が「勝った、負けた」の話になってしまう。だが、そんなことは外交の大局ではない。外交を「静止画」ではなく「動画」で考えれば、今の外交努力は必ず何カ月後、何年後かに活きてくるはず。こうした従来の成果の着実な積み重ねが、内閣ではなく国の利益、つまり国益を増進させる。事の本質は「内閣支持率が上がった」といった話ではないのだ。
少なくとも筆者が外務省現役時代、首相訪米を「政権浮揚」「お土産」といった発想で企画・実行したことはなかった。もちろん、成功すれば内閣支持率は上がるが、それは外交的成果の「副産物」に過ぎない。歴代の首相たちも、一部政治部記者が考えるような「内政視点」だけで、自らの訪米を考えることはなかったと記憶する。内閣総理大臣の外交は日本国そのものを背負っている。この点は岸田首相も同じだろう。
先週、岸田首相は「国際社会が歴史的な転換点を迎える中にあって、法の支配に基づく国際秩序を維持・強化する、自由で開かれたインド太平洋を実現するために、日米比3カ国の連携を今回の訪米において力強く打ち出す、これは大変重要な取り組み」だと述べた。筆者も同感である。内政問題を過小評価するつもりは毛頭ないが、外交と内政を必要以上に関連付けて論じるのは、もうやめたらどうか。首相訪米の記事執筆はそろそろ外信・国際部記者主導にしてはどうだろうか。