コラム  グローバルエコノミー  2023.11.08

中国の水産物輸入停止を撤回させるためには(改訂版)

農業・ゲノム 通商政策 中国

福島第一原発の処理水の海洋放出を受けて、中国が日本産水産物の輸入を停止した。さ
らに、ロシアもこれに追随した。これらの動きの背景に、ロシアのウクライナ侵攻以来の
国際政治があることは、多くの人が感じるだろう。
中国やロシアの輸入制限は、関税及び貿易に関する一般協定(GATT:以下、ガット)
及び世界貿易機関(WTO)の規定上、正当化できるのだろうか?WTO違反としても
、WTOに訴えて是正させることはできるのだろうか?それ以外の方法はないのだろうか?


衛生植物検疫措置の適用に関する協定(WTO・SPS協定)が合意された背景
モノの貿易を規律しているガットは、輸入を制限する手段は基本的には関税のみで、輸
入数量制限は認められないとしている(第11条)。ただし、「人、動物または植物の生命
または健康の保護のために必要な措置」については、ガット規定の例外を認めている(第
11条(b))。このため、安全ではない食品輸入によって健康被害が起こらないようにしたり
、動植物を通じてその国・地域にはない病気や害虫が侵入したりしないよう、特定の国や
地域からの輸入、動植物についての特定の病気や食品についての特定の健康被害などを対
象として、輸入数量制限がとられてきた。これを「衛生植物検疫措置(SPS措置)」とい
う。名称は植物に限定的だが、動物の病気についての検疫措置や食の安全のための措置な
ども含まれる。
食品・動植物の輸入を通じた病気や病害虫の侵入を防ぐSPS措置は、国民の生命・身体
の安全や健康を守るための正当な手段である。他方、我々は、貿易によって世界中からさ
まざまな食品を輸入し消費している。ガットが合意された1947年以降、国際交渉によ
って関税が引き下げられるなど、伝統的な産業保護の手段が使いにくくなっている中、こ
れに代わってSPS措置が国内農業の保護のために使われるようになってきた。例えば、リ
ンゴの関税が低く国内農家を保護できないので、病害虫がいると称して特定の国・地域か
らのリンゴ輸入を制限するようなケースである。
なお、最近では、経済的威圧の一環としても、特定の国・地域からの輸入を禁止する目
的でSPS措置がとられるようになってきた。一般的には、特定の国・地域を狙い撃ちにす
る輸入制限はガット違反(第13条)である。しかし、ガットの例外措置であるSPS措置
であれば、病害虫が特定のエリアに存在することを理由に、その国・地域を狙い撃ちにで
きるからである。これによって、中国は台湾産果物の輸入を停止している。
貿易の自由化の観点からは、保護貿易の隠れ蓑となっているSPS措置の制限・撤廃が求
められる。しかし、真に国民の生命・健康の保護を目的としたSPS措置であっても、輸入
制限なので貿易に影響を与える。生命・健康の保護を目的とした真正の措置と、国内産業
保護のための貿易制限を目的とした措置との区分は容易ではない。
したがって、食の安全という利益と、食品の貿易・消費の利益の調和が必要になる。こ
のような2つの要請のバランスを図ろうという試みが、1986年から開始されたガット・ウ
ルグアイ・ラウンド交渉の一環として行われた。その結果1994年に合意された
WTO・SPS協定は、この問題の解決を「科学」に求めた。偽装された貿易制限とならない
よう、「科学的根拠(scientific evidence)」に基づかないSPS措置は認めないとした。つ
まり、生命・健康へのリスク(危険性)が存在すること、そして当該SPS措置によってそ
のリスクが軽減されることについて、科学的根拠が示されないのであれば、その措置は国
内産業を保護するためではないかと判断したのである。これは、ガットに整合的であって
も科学的根拠がないものは認めないという点で、ガット以上の条件を要求しているもので
ある。
また、輸入品を国産品よりも不利に扱わない(内外無差別)や、輸出する複数の国・地
域の扱いを異にしてはいけない(最恵国待遇)などの原則について、ガットの場合は“モノ
”自体で判断されるのに対し、SPS協定では“条件”で判断される。ガットでは、外国産のサ
ケと国産のサケの差別的扱いが問題になるのに対し、SPS協定では、サケの衛生条件とニ
シンの衛生条件の差別的扱いが問題になる。
そのうえで、SPS協定は、貿易の円滑化に資するため、各国・地域のSPS措置を国際基
準と調和(ハーモナイゼーション)することを目指している。


SPS協定の基本的な枠組み
措置国・地域には、科学的根拠として、特定の危害(ハザード)の摂取量と発病率の関
係を科学的に明らかにする“リスクアセスメント”が求められる。発病率は、10万人に1人死
亡するか、100万人に1人死亡するかというリスクの水準としてとらえることもできる。ど
のようなリスクの水準を設定するかは、各国・地域の主権的な権利である。これをSPS協
定では、公衆衛生上適切な保護の水準(Appropriate Level of Protection:ALOP)という。
これについては、科学的根拠は必要ない。各国が、さまざまなステークホールダーと協議
して(リスクコミュニケーション)政治的、行政的に決定することがらである。そのリス
クの水準を決めれば、リスクアセスメントによる摂取量と発病率の対応関係(下図のRA)
から、ハザードについて許容摂取量が決定される。一定のハザード摂取量以下に抑えるこ
とはSPS措置に他ならない。
ALOPとして100万人に1人死亡するリスクしか認めない(下図のALOP②)とすれば
、10万人に1人死亡するというリスクの水準(下図のALOP①)よりも(リスクの水準が図
の原点に近づくことになるので)、少ないハザード摂取量(下図の措置②)しか許容しな
いことになる。リスクの水準(ALOP)を厳しく(低く)すれば、厳しいSPS措置が採ら
れるということである。多くの食品からハザードを摂取する際には、食品ごとに許容され
る摂取量が割り振られる。これが個々の食品における安全性の基準となる。
 なお、ALOPの設定やSPS措置の決定などの政治的・行政的行為はリスクマネージメン
トと呼ばれる。リスクアセスメント、リスクマネージメント、リスクコミュニケーション
を合わせてリスクアナリシスという。我が国でも、BSE発生を契機として、食の安全等の
分野でリスクアナリシスの考えが採用された。ただし、SPS協定では、リスクアセスメン
ト以外の言葉は使われていない。

図2.jpg


出所:筆者作成


SPS協定は、安全性について国際基準がある場合には、各国・地域の基準はその国際基
準に「基づく」よう求めている。各国・地域が同じ基準を採用すれば、基準がまちまちの
場合よりも貿易は促進されるからである。ハーモナイゼーションである。食品についてそ
れを定めているのは、国際連合食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)合同のコ
ーデックス(Codex:食品の国際規格)委員会である。ただし、「基づく」とは、「合致
する」とは異なるので100%国際基準と同じでなくてもよいとするのがWTOの判例である
。基づいていないことの挙証責任は申し立て国・地域(日本が提訴する場合は日本)にあ
る。
他方で、SPS協定は、ALOPを決定するのは各国・地域の主権的権利であることを認め
ている。上の図が示すように、国際基準を定める際のリスクの水準(例えば、10万人に1
人死亡するリスク)よりも、ある国や地域が安全性の高いリスク水準(例えば、100万人
に1人死亡するリスク)を設定すれば、コーデックスと同じリスクアセスメントを行った
としても、その国・地域はコーデックスよりも高い食品の安全性基準(より少ないハザー
ド摂取量)を定めることができる。実際にも、国際基準より厳しい基準を設けているケー
スが少なくない。


中国の輸入停止措置のWTO整合性
以上SPS協定の枠組みを説明した。以下ではSPS協定の具体的な規定から、中国の輸入
禁止措置のWTO整合性を検討しよう。


福島第一原子力発電所の処理水は、WHOの飲料水水質ガイドラインで定められたトリチ
ウム濃度の基準の7分の1(1,500Bq/L)に希釈されて放出される。このことから、日本は
国際基準を順守しており、中国の輸入停止措置は妥当ではないと主張している人もいる。
しかし、これは正確ではない。あくまで中国の輸入停止の対象は水ではなく日本産水産物
だからである。
トリチウムは生物の体内に取り込まれてもほとんどが排出されるといわれている。今回
中国がリスクアセスメントを行おうとすれば、魚介類の体内に取り込まれた海洋でのトリ
チウムの一部が体内の有機物と結合して残存し、それを摂取した人の健康被害(被爆)が
どれだけのものになるかを明らかにしなければならない。
中国がALOPを高く(例えば、1億人に1人死亡するリスク)設定すれば、ハザード(こ
の場合はトリチウム)摂取量の水準を極めて低く設定することは可能である。
しかし、トリチウムは自然界にも存在する。排出口で1,500Bq/Lに希釈されて放出され
た処理水がさらに海洋で2,000倍に希釈されると、ほとんど環境中にあるトリチウムと区
別できなくなるとされる(鳥養祐二・茨城大学教授)。このような場合において、ハザー
ドが特定できないのにリスクアセスメントができるのかという疑問がある。WTO上級委員
会の判断によれば、リスクは確認できるものでなければならず、単なる仮説的な可能性、
理論的な不確実性であってはならないとされる。トリチウムを摂取した日本産水産物、さ
らにはそれを摂取した人について、トリチウムというハザードや、それによる被害が現実
には存在しないと評価されれば、中国の輸入停止の根拠がなくなる。
リスクアセスメントができたとしても、SPS協定は、異なる状況で異なるALOPを設定
することは可能だが、それは恣意的または不当な差別であってはならず、貿易に対する差
別または偽装された制限であってはならない(第5条5)。中国はALOPを明らかにして
いないが、同じくトリチウムによる健康被害を問題にするなら、基本的には日本産のみに
高い水準のALOPを設定することはできない。異なる扱いをするのであれば、それは“恣意
的または不当な差別”ではないことを示さなければならない。また、同じくALOPを達成で
きる複数の措置があるときに、とられた措置が他の措置と比べて(ある程度は貿易制限的
であっても)相当に貿易制限的なものであってはならない(第5条6)。
SPS措置についても、同一または同様の条件にある加盟国・地域間において、恣意的ま
たは不当な差別となってはならない(第2条3)。(同一の条件にあるとは思えない)福
島周辺の水域とそれ以外の日本の海域を含めた水産物全てを輸入禁止する根拠があるのか
、福島周辺の水域以外の日本の海域と接する韓国や台湾など、同一の条件にあると思われ
る水域からの輸入を制限しない理由は何なのか、(日本と比較可能と思われる条件におい
て)日本より多量のトリチウムを排出している中国の原子力発電所周辺でとれた水産物の
流通を禁止しないのはなぜか、輸入禁止という相当に貿易制限的な措置をとらなければ
ALOPは達成できないのかという点を、中国は説明しなければならない。中国の分が悪い
のは事実だろう。
しかし、日本がWTOに提訴しても決着するまで時間がかかる。近年中国が経済的威圧と
して採った、オーストラリア産ワインや大麦の輸入制限と異なり、日本産水産物が健康被
害を与えることを理由にしていることから、中国も振り上げたこぶしをなかなか下せない
。中国は日本と同時に多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)に参加しているので、
紛争処理の上級委員会が機能を停止している現在でも、パネル(紛争処理小委員会)で勝
てば、履行を求めて仲裁手続きに進むことはできる。しかし、日本が勝っても中国は代償
を払うことで履行を免れる可能性もある。


WTO以外の道を探ろう
一見回り道に見えるかもしれないが、中国の人たちに、国際社会は日本産水産物を危険
視していないことを示し、中国政府が輸入停止を解除できるような環境を作ることが必要
だ。9月にASEANやG20の会合で首相が安全性について訴え、かなりの国から評価された
のは大きな前進である。10月大阪で開かれたG7貿易相会合でも、中国などによる日本産
水産物の輸入規制を念頭に「不必要に貿易を制限する、いかなる措置も直ちに撤廃される
ことを強く求める」とする共同声明を採択された。
また、WTOの紛争処理手続きより法的な拘束力は弱いが、WTOのSPS委員会や
RCEP(地域的な包括的経済連携)協定を利用して、中国や他のメンバー国へ働きかけ
ることも有効だろう。WTOに訴えないまでも、WTOの紛争処理手続きで負けるとメンツ
がつぶれるし、中国の国民にウソをついたと言われますよという説得をする手もあろう。
もう一つの手段がある。中国はCPTPPへの加入を申請している。これを認めるかどうか
は、日本を含めた既加盟国次第である。日本が拒否すれば中国は加入できない。日本は、
中国が貿易ルールを守らないと主張して、その加入申請を拒否できる。他にも中国の
CPTPP加入には大きなハードルがあるので、日本産水産物の輸入停止を撤回すれば、中国
のCPTPP加入の道が開かれるというものではない。しかし、中国に対して、わざわざ
WTOルールに違反して、自ら加入へのハードルをさらに高めるようなことはすべきではな
いという説得はできるのではないだろうか。
さらに、中国の措置が経済的威圧としての効果を持たなくする方法を検討すべきである
。中国が経済的威圧を行うのは、相手国が中国市場に依存していると認識しているからで
ある。我が国が他の市場を開拓することに成功すれば、中国の経済的威圧は効果がなくな
る。これは水産物に限らない。アメリカは軍が日本産水産物の購入を開始した。逆に、日
本産水産物が入手できなくなる中国の消費者は政府への不満を持つようになるかもしれな
い。
WTO提訴というガチンコ勝負に持ち込めば、中国も引っ込みがつかなくなる。中国が政
策変更をしやすくなるような環境整備を行えば、いずれ中国政府は、ほとぼりが冷めたこ
ろを狙って、めだたない形で輸入停止を解除するのではないだろうか。直接的なアプロー
チよりも間接的なアプローチの方が効果的なこともある。日本には「急がば回れ」という
ことわざもある。


(参考文献)
山下一仁「食の安全と貿易─WTO・SPS協定の法と経済分析」日本評論社2008年