メディア掲載 グローバルエコノミー 2023.11.07
PRESIDENT Online(2023年10月31日)に掲載
日本の食料自給率は38%だ。このままでいいのだろうか。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「日本の食料供給は輸入に依存している。このままでは台湾有事などでシーレーンが破壊され、輸入が途絶した時に深刻な食料危機が起こる。食料自給率を上げるために、いますぐ減反政策を廃止すべきだ」という――。
輸入途絶で起こる深刻な食料危機
ロシアがウクライナに侵攻し、またイスラエルとパレスチナ武装勢力が戦争状態となり、世界は第三次世界大戦に発展するのを食い止められるかの瀬戸際にある。アジアでも中国が攻撃的な態度を強めている。日本にとっても対岸の火事ではない。
台湾有事で専門家が危惧している最悪のシナリオがある。中国軍が台湾に上陸しようとしても、米軍に制空権を握られていれば、空爆されるので上陸できない。中国がこれを避けようとすると、沖縄だけでなく三沢までの在日米軍基地を叩くというのだ。
こうなれば、日本の周辺全てが戦争に巻き込まれる。台湾周辺のシーレーンだけでなく、日本への全てのシーレーンが破壊されることになる。これまでの事態とならなくても、船主は巻き添えを怖がって日本への輸送を控えるようになる。
輸入が途絶すると、食料自給率38%のわが国では深刻な食料危機が起きる。小麦も牛肉も輸入できない。輸入穀物に依存する日本の畜産はほぼ壊滅する。米主体の終戦直後の食生活に戻る。
当時の米の一人一日当たりの配給は2合3勺だった。今はこれだけの米を食べる人はいない。しかし、肉、牛乳、卵などがなく、米しか食べられなかったので、2合3勺でも国民は飢えに苦しんだ。
米の供給量は必要量のわずか半分
1億2000万人に2合3勺の米を配給するためには、玄米で1600万トンの供給が必要となる。しかし、現在の米の生産量は670万トンしかない。今の供給量は、備蓄等も入れて800万トン程度しかない。輸入小麦の備蓄も2、3カ月分しかない。危機が起きて半年後には国民全員が餓死する。
米の備蓄は100万トンだが、通常時の米の消費量が減少していることと年間500億円もの膨大な財政負担がかかるので、農林水産省は備蓄量の引き下げを検討している。農林水産省は食料安全保障強化を唱えながら逆のことをしようとしている。
1960年から比べて、世界の米生産は3.5倍に増加したのに、日本は4割の減少である。なぜか。それは農林水産省が、減反(生産調整)政策を行ったからだ。
減反とは、農家に補助金を与えて米の供給(生産)を減少することで、市場で決まる米価よりも高い米価を実現しようとするものである。これは1970年以来半世紀以上も続けられている。減反を始める前は350万ヘクタールあった水田は、今では235万ヘクタールしかない。
戦前農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。減反は安全保障と相容れない。我々の食料安全保障を脅かしているのは、輸入リスクではなく農政リスクである。
農林水産省が主張する「食料安全保障」のウソ
国民は、農林水産省は農業を振興して食料を供給してくれるはずだと思っているだろうが、それは大きな誤解だ。農政は、食料増産という目的を達成した1960年代以降一貫してJA農協を中心とする農業村の利益を確保するために運営されてきた。最近では、以前は自粛していた農林水産省からJA農協への天下りが増えるなど、これがますますひどくなっている。一部の奉仕者であって全体の奉仕者ではない農林水産省は、憲法第15条に違反している。
食料危機が起きると農産物価格は高騰する。最も利益を得るのは農家を含めた農業界である。その農業界が、食料危機に対処するための食料安全保障や食料自給率向上を消費者団体よりも熱心かつ声高に主張してきた。
それは「食料自給率が4割を切る」と言われると、国民は「農業予算を増加しなければならない」と思ってくれるからだ。農業界は食料自給率等を農業保護の強化に利用してきたのである。水資源の涵養(かんよう)や洪水防止などの多面的機能の主張も同じだ。多面的機能が必要と言いながら、どうして減反で水田を大量に潰すのだ。
政府は農業界に押されて、食料安全保障強化を名目として、「食料・農業・農村基本法」を見直すと言う。今年5月末、農林水産大臣の諮問機関である食料・農業・農村政策審議会が「中間取りまとめ」を公表し、これに沿って来年の通常国会に同法の改正案が提出される。これを見ても、農業予算の増加という狙いは明らかだ。
「中間取りまとめ」は、日本の経済的地位が低下して穀物等を買い負けるようになっているとして食料危機が起きる可能性を強調し、農産物価格の引き上げや麦などの国内生産の拡大を要求している。
輸入途絶のシミュレーションがない
経済力が低下し輸入リスクが高まったと言うが、我が国の輸入額全体に占める穀物や大豆の割合は1~1.5%程度に過ぎない。穀物等の価格がいくら高騰しても輸入できなくなることはない。だが、シーレーンが破壊されたら、お金があっても輸入はできない。
安全保障が目的なら、食料自給率を上げるために減反政策をやめるべきだが、「中間取りまとめ」は減反の問題から逃げている。審議会の委員の一人で、元財務事務次官の真砂靖氏が減反廃止を再三主張したのだが、取り上げられなかった。真砂氏は、財務省主計局で農林係主査、主計官を務めた農業・農政問題のプロである。それでも、JA農協の政治団体であるJA全中の会長が委員となっている審議会で、真砂氏の意見が通るはずもなかった。
審議会というと中立的なイメージを受けるかもしれないが、既得権者の息がかかっている人や農政についてほとんど知識を持っていない人ばかりなので、国民のために必要な政策が議論されるはずがない。JA農協や農林水産省の言うがままだ。なによりメンバーを選んでいるのは農林水産省なのだ。
そもそも輸入途絶が起こった時、1億2500万人が餓死しないために、どれだけの食料が必要なのかも、「中間取りまとめ」には提示されていない。これがないとどれだけ農業生産を拡大しなければならないのか、必要な農地資源、石油や肥料等の生産要素、穀物備蓄の規模などを検討できないはずだ。
提示しないのは、農林水産省がどれだけ食の安全保障を脅かしてきたか明るみになるからだろう。国民は、農林水産省が主張する食料安全保障のウソに騙されてはいけない。
減反にこだわるのは農協の利益になるから
しかし、読者は不思議に思うのではないだろうか。減反が高い米価を維持して、農家の収入を保障するのが目的なら、生産量を増やして米価が下がった分だけ直接払いで補塡(ほてん)すればいい。一時アメリカもEUも減反を実施したことがあるが、今はしていないし、なにより50年以上も続けているのは日本だけだ。
なぜ、日本の農政は減反政策にこだわるのだろうか。
それは、欧米になくて日本にあるものがあるからである。JA農協である。
アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。しかし、これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済活動も行っていることである。このような組織に政治活動を行わせれば、農家の利益より自らの経済活動や組織の利益を実現しようとするのは明らかだ。
JA農協の収入源は銀行(信用)事業である。米価を上げたので兼業農家が滞留した。兼業農家によって兼業収入や農地の売却益を預金されたJAバンクは、100兆円を超える預金額を持つ日本トップレベルの銀行となった。JAバンクはそれをウォールストリートで運用して巨額の利益を得た。JA農協は銀行事業の利益を活用して地域の葬祭業者などを駆逐し、独占的な地位を獲得している。農業の世界でも、この利益を利用して採算度外視の価格で肥料を販売し、肥料商の経営を圧迫している。かれらを廃業に追い込んだ後に、独占的な価格で農家に肥料を売りつけようと考えているのだろう。
高米価で維持してきたコストの高い零細な兼業農家が、農業を止めて組合員でなくなれば、この利益はなくなる。また、農家戸数が減少すれば農協は政治的にも基盤を失う。JA農協が減反による高米価に固執するのは、JA銀行事業の利益を守りたいからである。これが「国消国産」を唱えるJA農協の裏の顔だ。
なお、図表2で信用(銀行)事業と並んで利益を上げている共済事業とは、生命保険と損害保険の事業のことで、JA農協職員が上からのノルマ達成のために知人や自分に掛けた保険料を自らの給料で負担する“自爆”行為が暴露されている。これは長年行われてきたものである。
減反は税金を払って生命を危険にさらす政策
医療のように、財政負担が行われれば、国民は安く財やサービスの提供を受けられる。しかし、米の減反は補助金(納税者負担)を出して米価を上げる(消費者負担増加)という異常な政策である。
国民は納税者として消費者として二重の負担をしている。主食の米の価格を上げることは、消費税以上に逆進的だ。農林水産省は、JA農協の利益のために、食料危機の際に最も頼りになる米の生産を減らしてきた。国民は税金を払って自らの生命を危険にさらしているのである。
本当に効果的な食料安全保障政策
どうすれば、いま迫る食料危機に対応できるのか。
生産減少を目的とする減反で、単収(面積当たりの収量)向上は抑制された。1960年には日本の半分しかなかった中国にも抜かれてしまっている。現在の水田面積全てにカリフォルニア米程度の単収の米を作付ければ、1700万トンの生産は難しくはない。国内で700万トン消費し、高品質と評価の高い日本の米を1000万トン輸出すれば、輸出額は2兆円となる。現在の穀物等の輸入額1.5兆円を上回り、穀物貿易は黒字となる。米の輸出で小麦等を輸入して、なおおつりがくる。買い負けの心配はない。
最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止による米の増産と輸出である。平時には米を輸出し、危機時には輸出に回していた米を食べるのである。平時の輸出は、財政負担の必要がない無償の備蓄の役割を果たす。1700万トンあれば、危機時に必要量を確保できる。
かつては、6月に麦を収穫してから田植えをしていた。しかし、ほとんどが兼業(サラリーマン)農家となり、まとまった休みがとれる5月初めに田植えを行うようになって、二毛作は消えた。国産麦の生産は、1960年の383万トンから、わずか15年後の75年に46万トンへと、8分の1に減少した。現在は2000億円もの財政負担をして生産を振興しているが、115万トンの生産にすぎない。
減反を廃止すれば、米の生産を1000万トン増やして、なお、国民は3500億円の減反補助金の支払いをしなくても済む。米価が下がって困る主業農家への補塡(直接支払い)は最大でも1000億円くらいで済む。
国内の消費以上に生産して輸出すれば、その作物の食料自給率は100%を超える。上の場合、米の自給率は243%となる。構造改革を行い、兼業農家ではなく主業農家主体の農業となれば、二毛作による麦生産が復活する。減反廃止と二毛作復活により、全体の食料自給率は今の38%から70%を超える。
二毛作は気候変動対策にもなる
二毛作を行えば、農地を2倍に利用できるだけでなく、光合成による酸素の生産量は熱帯雨林に迫る。
そればかりではない。二毛作は、無酸素の湛水状態と酸化的な畑の状態を繰り返す。これによって、雑草の発生が激減する、土壌病害の発生が低下する、少ない窒素施肥量で収量を増加できる、畑状態にすることで土壌の団粒化などの物理性が改善される、などを実現できる。これは、米単作の場合よりも、肥料、農薬の投入量をさらに大きく減少させる。水田がさらに環境にやさしくなるばかりか、輸入途絶の危機に備えて海外への化学肥料等の依存を減少することができる。
まさにいいことずくめなのだ。
食料を自由に輸入できるという前提では、国民はJA農協や農林水産省が行っていることに関心を払う必要がなかった。
しかし、シーレーンの途絶という事態が現実味を帯びてきている。食料が輸入できなくなって多くの国民が餓死してから農林水産省を責めても手遅れである。今の農林水産省はないほうがよい。というより国家のために有害である。国民は農林水産省を解体して自らの手に食料・農業政策を取り戻すべきだ。