コラム  エネルギー・環境  2023.10.26

脱炭素と中東、地政学 ー欧州の見方ー

エネルギー・環境

現在、「脱炭素と中東エネルギー地政学研究会」における検討が進んでいる。中間報告がとりまとまり、当研究所のウエッブサイトに掲載されているが、この研究会は、近年世界的に加速する脱炭素へ向けた動きが世界にどのような影響を与えるのか、特にエネルギー地政学の観点から化石燃料の一大産出地域である中東産油国はどのように変化していくのか、またその中東地域の変化は世界にどのような影響を与えるのか、などについて検討し、その中で、原油輸入のほぼ100%を中東に依存し、海外の情勢から直接的な影響を被る日本は何を行うべきか、どういう準備が必要なのかを明らかにすることを目的とするものである。

今回、欧州の国際機関や研究機関等がこういったテーマについてどのように取り組んでいるのか、あるいは関連する分野における研究の状況はどうなっているのかについて意見交換するため、欧州の英国、フランスおよびベルギーを訪問した。相手先は、欧州委員会や政府、北大西洋条約機構(NATO)などの国際機関、王立国際問題研究所(Chatham House)やオックスフォード大学等シンクタンクや学術機関である。

欧州での議論は様々な課題やテーマに及んだが、研究会のテーマに関連して興味深かった点を整理すると次のとおりである。

1.サウジアラビアは本当に変わりつつあるのか?

意見が大きく分かれたのが、湾岸産油国の代表たるサウジアラビアに対する見方だ。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子のリーダーシップの下で、サウジアラビアやサウジ社会は変わりつつあるのか、という点である。この点についていえば、一つの有力な見方は、例えば、若年層、特に女性のあり方や働き方の変化を強調する。すなわち若い世代の意識構造が、最近大きく変化してきている、欧米化もしくは普遍化してきているというのである。その一例として、これまではサウジの女性は家にこもり、外に出て働く女性は限られていたが、ここにきて女性労働者の数が格段に増加し、しかも男性と同じように働き始めている。その背景には一般的な勤労意欲の増加ということがあるが、その根底にはサウジの女性を取り巻く状況に対する若い女性の高い問題意識がある。のみならず、こうした女性の変化を受け入れる男性の意識の変化も忘れてはならない。サウジアラビアの地方のある工場では、職員の休憩所はもともと男女別に分かれていたが、今は男性の休憩所に女性が入ってきて男性と一緒に休憩しているといった現象が認められるようである。そして、こうした社会の変化は現在の実質的なリーダーであるムハンマド・ビン・サルマン皇太子による一連の施策によりもたらされたものだというのである。

以上のような見方に対して、中東諸国特にサウジアラビアは、基本的にはこれまでもこれからもまったく変化していないし、変化するとしても非常にゆっくりであろうという根強い意見があった。

こうした「不変論」はサウジアラビアなどの湾岸諸国における政治体制、つまり君主独裁型の権威主義体制が、これまで維持されてきた説明として展開される「レンティア国家」論に関わると思われる。「レンティア国家」とは石油・ガスなど豊富な天然資源から得られる所得(レント)を原資として、国民生活に必要な費用を国家が無償で補い、財政をそのレントに大きく依存している国家のことであるが、基本的に税金はなく、したがって国民の意向を聞く必要がないため、民主化への動きを抑えることに繋がっている[1]。こういったシステムが変わっていない以上、意識だけで社会が変わることはない、というのがその背景にある考えかたである。

2.湾岸産油国の脱炭素への取り組み

湾岸産油国の脱炭素への取り組みの見方についても見方が分かれた。20222月に開始されたロシアのウクライナ侵攻から続くエネルギー危機下にあって、世界の石油・ガスの一大供給基地としての湾岸諸国に世界の注目が集まっているのは周知の事実である。また、エネルギー価格の高騰にともなって巨額の資金が域内に流れ込み、それが引き金となってこの地域では様々な変化が起きているとも言われている。域内において現在の脱炭素の時代へのエネルギーシフトをけん引するのは、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)であるが、以下サウジアラビアの内情について詳しい専門家との議論の一端を紹介する。

湾岸諸国は化石燃料の一大産出地というだけでなく、その地理的な条件から太陽光、太陽熱などによる発電にも適している。また天然ガスが豊富に存在することから、水素やアンモニアといった新しいエネルギー源の供給地としての高い可能性も持っている。ここではこうした再生可能エネルギーに関する湾岸諸国の取り組みについて詳しく述べることはできないが、特にサウジアラビアについて、どのくらい本気で再生可能エネルギーへのシフト、脱炭素を考えているのか、については意見が分かれた。

サウジアラビア(およびその周辺国)は、脱炭素が大きな世界の潮流になる以前から、石油収入に依存しない、脱石油依存経済、経済の多角化を目指してきた。この流れからすると、21世紀に入ってから本格化した同国の脱炭素への動きは、この経済の多角化戦略と密接に関係している。つまりクリーンエネルギーへのシフトと経済の多角化を一挙両得に達成しようという考え方である。すなわち、豊富な石油・ガスなどの化石燃料と再生可能エネルギーを最大限に利用して、国の利益を追求するというパターンである。例えば、中東湾岸諸国は冷房と海水の淡水化に大量の電力が必要で、発電のためには従来主に石油が使われてきたが、今後はこれを再生可能エネルギーで賄い、石油を輸出用に振り替える計画を持っている。したがって再生可能エネルギーの導入は、石油輸出の増加という側面も持っていることになる。このようなやり方は、エネルギーシフトというより、異なるエネルギーをうまく利用しながら、依然石油経済を中心とする経済構造を維持することが本意であるように見えなくもない。世界の石油需要のピークがこれから数年以内に来ることも予想されているなか、再生可能エネルギーへの移行には、その過程で石油・ガスの一定供給が継続して必要であることはよく知られている。サウジアラビアを始め湾岸諸国の化石燃料は安価で安定した供給が見込まれるため、他の供給者との競争においても優位に立ち、最後の需要まで当てにできることは想像に難くない。また再生可能エネルギーの潜在的な生産能力に秀でているとは言っても、石油・ガスからの収入を完全に代替えすることは難しいという事実も、再生可能エネルギーへの移行は限られたものなるという考え方の一因であろう。

3.中東湾岸地域と米国

中東湾岸諸国と米国の関係についても意見が分かれたポイントである。本出張前から我々は、米国の中東地域における影響力はここ15年ほど著しく減少しているという言説が定着していると考えていた。第2次大戦後、豊富な石油資源を持つこの地域の戦略的な重要性に則り、米国は一貫して湾岸産油国との間で緊密な軍事関係を築いてきた。しかし湾岸戦争(1990)以降、こうした政策に大きな変化が現れる。それは、この地域の不安定さは地域の特性であり、軍事力による平和(Pax Americana)はコストがかかりすぎるという認識に基づいている[2]。トランプ大統領の「アメリカ第一主義」(America First)はこの米国内の見方の変化を如実に表している。

さらに近年、米国の原油産出量が中東地域を超えて世界第一位となり、中東地域からのエネルギー供給に依存する必要がなくなった。またロシアのウクライナ侵攻という欧州における一大事件、台頭する中国の野心的な動きへの警戒、さらにはアジア・太平洋地域における安全保障問題など喫緊の問題を抱えた米国は、中東への関与を最小限にしていることは行動的にも事実と言える。

今回の出張においてもほとんどの人は米国の中東地域からの撤退という言葉に対して反論は述べなかった。しかし、少数派ではあるが米国と中東地域の関係について少し違う見方をしている人もあった。その反論は特に、中東湾岸地域と米国の緊密な軍事関係に着目したものであった。米国は地対空ミサイルなどを大量の武器を中東諸国に供給しており、そうした武器輸出を全くゼロにするということは時間がかかる上、現実的ではない。こうした武器の輸出は、操作技術やその武器を使った軍事訓練などこれまで培ったノウハウを伴っている。これらをまたゼロから積み上げるのは大変なことである。サウジアラビアの近年の外交ファクターから、米国が関与するものは極端に少なくなっていることは否めないが、自国の安全保障が脅かされるときには米国を頼ることしかないということを、サウジアラビアはよく理解している。

また、米国の撤退とともに中国がその間隙を埋めるかのごとく中東地域に進出している。それは貿易関係だけでなく、投資や人、モノ、資金などにまで広いがり、地域における中国の存在感がますます増大している。しかし、米国を凌ぐような包括的な外交パッケージを中国は持っていないし、中東諸国側は中国に対する警戒心も持っていることから、中国と湾岸諸国はある一定以上の関係にはならない。米国に取って替わる国は今のところ日本ぐらいしかない。

4.脱炭素と中東湾岸地域における日本の役割

今回の出張では、上記も含めて多くの面談者が、脱炭素の時代の中東地域における日本の新たな役割、あるいは期待について言及があった。それは米国の当地域への関与が確実に縮小される中、中国さらに言えばロシアがこの地域に積極的に進出している現状に鑑み、米国の補完として、また中国の現在以上の進出を抑える観点からも、日本にもっと大きな働きを期待するというものである。なぜ日本かと言えば、まず日本は、中東地域において負の遺産というべき、侵略や軍事的介入の歴史を持たない。また非資源国日本の対中東政策がエネルギー供給の安定化を目指し、常に湾岸産油国との対話路線を重視する方針を採ってきたことも挙げられるだろう[3]

しかし、脱炭素の時代に日本は中東地域において何ができるかということを考えるとき、それは従来型の経済協力の枠に止まらない、これまでにない視点を持って臨まなければならない。昨今、日本における中東地域への関心の低下とそれに呼応するような中東諸国の日本への関心の低下がみられるのも事実である。地球温暖化に対する国家間の協力が求められる時代にあって、日本の強みともいえる先端技術協力分野の拡大、例えば低炭素化や新しいエネルギーである水素、アンモンニアの生産技術における協調など、また、将来の課題に向けた支援、例えば、気候変動への対応ビジネス創設支援、ノウハウに関する実地訓練や技術トレーニングなど、中・長期的な視点から現地に根付く支援の在り方を改めて模索する必要があるだろう。

[1] 末近浩太「中東政治入門」pp.80-88

[2] Matteo Legrenzi, “The International Politics of the Gulf” in International Relations of the Middle East, fifth edition, ed. By Louise Fawcett, Oxford University Press 2016 pp.317-338.

[3] 池上萬奈「エネルギー資源と日本外交:化石燃料政策の変容を通して」、慶應義塾大学法学研究会、2021