メディア掲載  グローバルエコノミー  2023.10.02

国民はいつまで農業村の米殺しを放っておくのか?

食料安全保障と国土保全を危うくする食料・農業・農村基本法見直し

金融財政ビジネス (2023年9月11日号)に掲載

農業・ゲノム

〝農業村〟は供給を減らして高米価を維持するため、農家に補助金を出して生産を減少させる減反政策を半世紀も続けてきた。その結果、食料輸入が途絶すると、国民は生存に必要な量の半分しか食べられない。さらに、農政は減反を強化するため、国土保全や生物多様性の機能を持ち、持続可能性の高い水田を畑地に転換しようとしている。JA農協の金融事業を守るために国民の生命を危険にさらす農政は憲法に違反している。危機が起きてから、農林水産省を責めても手遅れである。農政を国民の手に取り戻さなければならない。


農水省は食料安全保障の破壊者

国民は、農業界は農業を振興して食料を供給してくれるはずだと思っている。食料安全保障のためだと言われて、国民は高い関税を負担して国産農産物だけでなく、輸入農産物にも高い価格を支払ってきた。この負担は4兆円を超える上、国民は納税者として2兆円ほどの財政負担を行っている。

実際には、農水省はJA農協の利益のために、食料危機の際に最も頼りになる米の生産を多額の補助金を出して減らしてきた。高米価のための減反(生産調整)政策である。今の米供給量だと、輸入が途絶して半年が経つと、国民全員が餓死する。国民は税金を払って自らの生命を危険にさらしているのである。

食料安全保障は農業保護を獲得するための隠れ蓑だった。彼らに押されて、政府は食料安全保障強化を名目として、食料・農業・農村基本法を見直すと言う。5月末、農水相の諮問機関である食料・農業・農村政策審議会の「中間とりまとめ」が公表され、これに沿って来年の通常国会に同法の改正案が提出される。しかし、国民の食料安全保障はますます危うくなる。

「中間とりまとめ」は、同審議会の委員が書いたものではない。農水省がJA農協や農林関係議員の意向を考慮・忖度して書いた原案に、審議会委員による修文要求を一部入れながら発表されたものである。内容は、ほとんど農水省作成の原案のままである。審議会で真砂靖委員(元財務省事務次官)は米の減反廃止を繰り返し主張したが、「中間とりまとめ」に取り入れることを拒否された。

終戦直後の食料難当時、農家以外の人は空腹を満たすため、タンスから着物が一つずつ食べ物に代わっていくタケノコ生活を余儀なくされた。食料危機が起きると農産物価格は高騰する。利益を得るのは農家を含めた農業界である。その農業界が、食料危機に対処するための食料安全保障や食料自給率向上を消費者団体よりも熱心かつ声高に主張してきた。食料自給率が4割を切ると言われると、国民は農業予算を増加しなければならないと思ってくれる。農業界は食料自給率を農業保護の増加に利用してきたのである。

今回も、「中間とりまとめ」は、日本の経済的地位が低下して穀物等を買い負けるようになっているとして食料危機が起きる可能性を強調し、農産物価格の引き上げや麦などの国内生産の拡大を要求している。

農産物価格引き上げを意図する農業村

「中間とりまとめ」は、「デフレにより生産コストが増加しても価格を上げることができない問題が深刻化しているため、〝適正な価格形成〟が必要だ」としている。食品や農産物の価格を上げようと言うのだ。

しかし、国民は食料品価格の上昇に苦しんでいる。また、輸出の増進を強調しながら、輸出競争力を悪化させる価格引き上げを行うことは矛盾している。国内の農産物価格が上昇すると、高い関税を引き下げることはできなくなるので、わが国の通商交渉はますます困難となる。

他方で、「中間とりまとめ」は経済的理由により十分な食料を入手できない者が増加しているとし、フードバンクやこども食堂等を支援するとしている。価格を上げ、それで困る人に支援するというなら、農水省の仕事を増やすためのマッチポンプである。

OECD(経済協力開発機構)が開発したPSEProducer Support Estimate:生産者支持推定量)という農業保護の指標は、財政負担によって農家の所得を維持している「納税者負担」と、国内価格と国際価格との差(内外価格差)に国内生産量を掛けた「消費者負担」(消費者が安い国際価格ではなく、高い国内価格を農家に払うことで農家に所得移転している額)の合計である(PSE=財政負担+内外価格差×生産量)。

農家受取額に占めるPSEの割合は、米国10.6%、EU17.6%に対し、日本は37.5%と異常に高い。しかも、日本の農業保護は、PSEのうち消費者負担(高い価格支持)の割合が圧倒的に高い。米国4%EU13%、日本76%である(2021年)。欧米が価格支持から直接支払いへ政策を変更しているのに、日本の農業保護は依然価格支持中心だ。これは消費税より逆進的である。

日本の消費者は輸入農産物にも高い価格を払っている。これまで、消費量の14%しかない国産小麦の高い価格を守るために、農政は86%の輸入小麦についても課徴金を課して、消費者に高いパンやうどんを買わせてきた。しかし、国内農産物価格と国際価格との差を財政からの直接支払いで補てんすれば、農業に対する保護は同じで、国産だけでなく輸入農産物の消費者負担までなくなる。高い価格は必要ない。

日本で起きる食料危機への適切な対応策

「中間とりまとめ」は、わが国の経済力が低下し、輸入リスクが高まったと言うが、日本の輸入額全体に占める穀物や大豆の割合は11.5%程度にすぎない。穀物等の価格がいくら高騰しても輸入できなくなることはない。

ところが、台湾有事などでシーレーンが破壊され輸入が途絶すると、深刻な食料危機が起きる。小麦も牛肉も輸入できない。輸入穀物に依存する日本の畜産はほぼ壊滅する。米主体の終戦直後の食生活に戻る。

当時の米の11日当たりの配給は23勺だった。今はこれだけの米を食べる人はいない。しかし、肉、牛乳、卵などがなく、米しか食べられなかったので、23勺でも国民は飢えに苦しんだ。12千万人に23勺の米を配給するためには、玄米で1600万トンの供給が必要となる。しかし、減反のせいで備蓄等も入れて800万トン程度しか米の国内供給量がない。危機が起きて半年後には国民全員が餓死する。

1960年から世界の米生産は3.5倍に増加したのに、日本は補助金を出して4割も減少させた。戦前、農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。減反は安全保障と相いれない。我々の食料安全保障を脅かしているのは輸入リスクではなく農政リスクである。

米の輸出が増えている。今ではカリフォルニア米との価格差はほとんどなくなり、日本米の方が安くなる時も生じている。減反を廃止すれば価格はさらに低下し、輸出は増える。

現在の水田面積全てにカリフォルニア米程度の単収の米を作付ければ、1700万トンの生産は難しくはない。国内で700万トン消費し、高品質と評価の高い日本の米を1千万トン輸出すれば、輸出額は2兆円となる。現在の穀物等の輸入額1.5兆円を上回り、穀物貿易は黒字となる。米の輸出で小麦等を輸入して、なお釣りがくる。買い負けの心配はない。

国内の消費以上に生産して輸出すれば、その作物の食料自給率は100%を超える。上記の場合、米の自給率は243%となり、全体の食料自給率は60%以上に上がる。

最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止による米の増産と輸出である。平時には米を輸出し、危機時には輸出に回していた米を食べるのである。平時の輸出は、財政負担の必要がない無償の備蓄の役割を果たす。1700万トンあれば、危機時に必要量を確保できる。

二毛作がなくなったこともあり、国産麦の生産は、1960年の383万トンから、わずか15年後の75年に46万トンへ減少した。現在は2000億円以上の財政負担をして生産を振興しているが、123万トンの生産にすぎない。減反を廃止すれば、米の生産を1千万トン増やして、なお、国民は3500億円の減反補助金の支払いをしなくても済む。米価が下がって困る主業農家への補てん(直接支払い)は1000億円くらいで済む。

持続的な水田農業を潰す農政

20世紀初めに東アジアを訪問したウィスコンシン大学の土壌学者、F・キング教授は、わずか数十年の間に激しい土壌浸食が生じた米国農業に比べ、数千年もの間、多数の人々を養ってきた水田農業に驚嘆し、「東亜四千年の農民」という書を著した。

畑作農業では、同じ農地に毎年同じ作物を栽培すると収量が落ちる連作障害がある。さらに、世界の畑作地域の一部では、〝土壌流出〟〝地下水枯渇〟〝塩害〟などにより、生産の持続が懸念されている。

植物が生育するために、土壌には植物が水を吸収できる保水性と呼吸できる通気性という相矛盾する機能が要求される。このような構造を持つ土壌は、表面から30センチ程度の深さ以内の「表土」に限られる。表土は雨や風によって流出する。1930年代、米国の大平原地帯では、開拓された農地から強風により表土が吹き飛ばされ、シカゴやニューヨーク等まで飛来するダストボウルという現象が発生した。

かんがいのための過剰な取水により、米国大平原の地下水資源オガララ帯水層の5分の1が消滅している。中央アジアのアラル海にそそぐ二つの川の水をソ連が綿花生産に大量に使用したため、アラル海は干上がってしまった。

十分に排水しないと、土の中に貯まったかんがい水に土壌中の塩分が溶ける。さらにかんがいを行うと、地表から土の中に浸透する水と、塩分を貯めた土の中の水が毛細管現象でつながってしまい、塩が地表に持ち上げられ堆積する。

「水田」は、これらの問題を極めて上手に解決した。水田は水の働きによって森林から養分を導入するとともに、有害な物質を洗い流すことによって、窒素などの地下水への流亡、連作障害、塩害を防ぐ。水に流してきたのである。また、水田は雨水を止め、表土を水で覆うことによって、雑草を防止し、土壌流出を防ぐ。

しかも、1粒の小麦は55粒にしかならないのに対し、1粒の米は400粒にもなる。米は小麦の7倍以上の生産量をあげる。少ない投入で、より多く生産できる世界に誇るべき〝持続的農業〟である。

作付け地を水平にして畦で水を留める水田は、水資源の涵養、洪水防止等の機能を持つ〝緑のダム〟である。大雨が降っても水田に貯めることで土砂災害を防止できる。高温多湿で熱帯並みの日本の夏で、畑では土壌有機物の分解が進む。しかし、水田では湛水することで無酸素状態となるので、土壌有機物の分解は抑制される。

水田は、メダカ、ドジョウ、トンボなどの貴重な生息場所として生物多様性にも貢献している。フナやドジョウなどは泳ぎ回ることで、土を粉砕し根付き始めた雑草を除去するとともに、土を巻き上げることで太陽光が届かないようにして雑草の光合成を妨げる。

しかし、農水省は、減反政策によって1千万トンの米を減産して持続性と生産性の高い水田農業を圧迫し、8百万トンの麦を輸入して米国等の持続性に問題がある農業を振興している。減反を始める前は350万ヘクタールあった水田は、今では235万ヘクタールしかない。農家は水田を宅地等に転用して莫大な利益を得た。 

1960年ころまで、裏作の麦を6月に収穫した後に田植えをしていた。二毛作である。このため、60年の耕地利用率は135%程度だった。しかし、サラリーマン(兼業)農家が増え、まとまって休みがとれるゴールデンウイークにしか田植えを行えなくなってから、裏作の麦は作られなくなった。さらに減反で利用されない水田が増加したため、耕地利用率は92%まで低下している。

減反を廃止すれば米価は下がる。高コストの零細な兼業農家が退出して主業農家中心の米農業となれば、二毛作は復活し、麦の生産も増大する。乾田と湿田の繰り返しで、肥料や農薬をさらに節減できる。水田二毛作は、湿潤熱帯的な夏と乾燥冷涼な冬が交代するという気象条件で実現するもので、日本以外では中国の四川、江蘇・浙江の一部でしか見られない生産技術である。

ところが、政府は減反を推進するため水田を畑地化しようとしている。畑にしてしまえば、減反補助金を払わなくて済むからである。減反を推進したいJA農協・農水省と補助金を削減したい財務省の思惑が一致したのである。しかし、水田二毛作の可能性はなくなる。これは、化学肥料・農薬を削減するという「みどりの食料システム戦略」(農水省)とも矛盾する。

〈図表〉農協の部門別当期利益(2021、単位:億円)

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(出所)農林水産省「総合農協統計表」より筆者作成

 

なぜ農業村は米と水田を殺すのか?

減反を廃止して米価を下げると、コストが高い零細な兼業農家は耕作を止めて主業農家に農地を貸し出す。主業農家に直接支払いを交付すれば、これは地代補助となり、農地は主業農家に集積する。規模拡大で主業農家のコストが下がると、その収益は増加し、元兼業農家である地主に払う地代も上昇する。現在の高米価の下でも、都府県の平均的な規模の1ヘクタール以下の農家の所得はマイナスである。兼業農家は農業を止めて農地を貸し出す方が利益になる。主業農家も兼業農家も利益を得る。

そもそも、農家にとっては、価格でも直接支払いでも、収入には変わりはない。それなのに、なぜ日本の農政は米価・減反に固執するのだろうか? それは、欧米になくて日本にあるものがあるからである。JA農協である。

米国にもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。しかし、これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済活動も行っていることである。このような組織に政治活動を行わせれば、農家の利益より自らの経済活動の利益を実現しようとする。

JA農協の収入源は銀行(信用)事業である。米価を上げることで滞留した兼業農家の兼業収入や農地の売却益を預金されたJAバンクは、100兆円を超える預金額を持つ日本トップレベルの銀行となった。JAバンクはそれをウォールストリートで運用して巨額の利益を得た。JA農協は銀行事業の利益を背景に地域の葬祭業者などを駆逐し、独占的な地位を獲得している。米価が下がり零細兼業農家が農業をやめて組合員でなくなれば、こうした利益はなくなる。JA農協が減反による高米価に固執するのは、JA銀行事業の利益を守りたいからである。

医療のように、財政負担が行われれば、国民は安く財やサービスの提供を受けられる。しかし、米の減反は補助金(納税者負担)を出して米価を上げる(消費者負担増加)という異常な政策である。国民は納税者として、消費者として二重の負担をしている。主食の米の価格を上げることは消費税以上に逆進的だ。

現状のままでは、莫大な減反補助金を負担する納税者、高米価を強いられる貧しい消費者、取扱量が減少して廃業した中小の米卸売業者、零細農家が滞留して規模拡大できなかった主業農家、何より輸入途絶時に十分な食料を供給されない国民、JA農協を除いて、全てが農政の犠牲者だ。

農政は特定の利益集団のために運営されてきた。農水省は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とする日本国憲法第15条第2項に違反している。

おわりに

食料を自由に輸入できるという前提では、国民は農業村が行っていることに関心を払う必要がなかった。しかし、シーレーンの途絶という事態が現実味を帯びてきている。食料が輸入できなくなって多くの国民が餓死してから農水省を責めても手遅れである。国民は自らの手に食料・農業政策を取り戻さなければならない。