メディア掲載 グローバルエコノミー 2023.06.23
いまこそ選挙制度を見直すべき
PRESIDENT Onlineに掲載(2023年6月15日付)
なぜ日本は世襲議員ばかりになったのか。山下一仁研究主幹は「小選挙区になってから現職優先の下で地盤、看板を引き継げる世襲議員以外の新人が党の公認を受けるのは困難になった。一度公認になると党内で政策論を戦わせる機会もなく、政治家の劣化を生んでいる。有権者は、いまこそ選挙制度改革について声を上げていくべきではないか」という――。
永田町では通常国会閉会後に岸田文雄総理が衆議院を解散するという臆測の下、各党で公認候補の調整が急ピッチで行われている。区割り変更で定員が5つ増えた東京では、公認候補選びで自民党と公明党が対立。24年間続いた連立政権がついに終わりを迎えるのではないかと報道をにぎわせているが、有権者不在の政党間の駆け引きに過ぎず、私は白けた思いで見つめている。
近年、国政選挙の投票率は右肩下がりだ。80年代には70%以上あった投票率が前回の衆議院選挙(2021年10月)では55.9%まで下がっている。これは有権者の政治への失望を表しているのではあるまいか。
衆議院議員総選挙における投票率の推移(グラフ=総務省HPより)
私は、「三角大福中」と呼ばれた派閥戦争が盛んな頃に学生時代を送り、その後農林水産省に30年ほど勤め、多くの政治家と付き合った。その頃と比べて今の政治家について総体としての印象を言うと、「小粒になったな」ということだ。
以前は迫力を感じる政治家が多かった。鹿児島県選出の衆議院議員、故山中貞則が通産大臣になったとき、ある通産官僚は「風圧を感じる」と言った。
自分たちが優秀だと思っている通産官僚が、政策論で気圧されたのだ。私も山中に言われて難しい仕事をこなした。有力な政治家だが総理になるという野心を持たない山中を私は「高士」だと思っていた。かれは後継を山中家から出さないと遺言し、身内からの議員世襲を当然としていた自民党鹿児島県連を混乱させた。
ひるがえって現在はどうだろう。
どこを見ても世襲議員だらけだ。しかも政治家としての能力が高いとは思えない。中には、就職活動は大変なので、手っ取り早く家業の政治家を継いだとしか思えない人もいる。ごく限られた人を除いて、私には、今の世襲議員が欧米の政治リーダーに伍してディベートする姿を想像できないのだ。
岸田総理の長男で総理秘書官のポストにあった翔太郎氏が、公邸内で忘年会を行う不祥事で更迭されたことをきっかけに、世襲政治への批判は高まっている。岸田総理が長男を総理秘書官に任継したのは、いずれ政治家として跡を継がせようとする意図が明白だったからである。2世議員どころか4世議員となるそうだ。
世襲についての批判をかわすため、形式上〝公募〟が採られているが、それは形式であって、公募した後、どのような理由で特定の候補者を選定したかは、明瞭ではなく透明性を欠く。公募という名のブラックボックスの中で、前の国会議員の後援会幹部が後継者を指名しているのが実態だ。
政治家が世襲議員ばかりになってしまう原因は、世襲議員を当選させてしまう有権者にあるという意見もある。しかし、有権者には選択肢が与えられていないのだ。問題は選挙制度そのものにあり、ここにメスを入れなくては政治の劣化は止まらないだろう。
実際、世襲議員だからといって全員が無能だったわけではない。
総理大臣になった橋本龍太郎は2世議員だったが、政策についても勉強した努力家だった。彼は、通商交渉でアメリカのカンター通商代表と渡り合った。小泉純一郎も郵政民営化を旗印に掲げ、既得権力と対峙(たいじ)し、国民の中から大きな政治力を引き出し、それを動員した。かれらが政治家となったとき、選挙制度は中選挙区制だった。
当時の中選挙区制は広い選挙区から3~5人の議員を選出するものだった。例えば、現在は4つの小選挙区が存在する岡山県は、2区に分かれていた。旧岡山1区、2区とも定員5名だった。うち自民党は通常3つの議席を確保していたが、1名が落選し2議席にとどまるときもあった。他の社会党、民社党、公明党が、固定された支持層を持っていると自民党議員が考えれば、事実上選挙は、保守票を自民党3議員がいかに取り合うかという争いとなる。自民党はそれ以外の議員を公認しなかった。つまり自民党内の議員同士が2~3の議席を巡り当落をかけた競争相手になる。野党候補の票が伸びなくても、他の自民党議員が票を取り過ぎれば、落選する可能性がある。
とりわけ、旧岡山2区では、加藤六月と橋本龍太郎によって〝六龍戦争〟と呼ばれる激しい選挙戦が展開された。二人にとって、単に当落を心配するだけでなく、どちらがトップ当選して自民党内の地位を向上させることができるかも、重要だった。旧群馬3区における福田赳夫と中曽根康弘という派閥の領袖間の争いは、上州戦争と呼ばれた。派閥の領袖だった中曽根を君付けで呼んだ山中貞則も、田中角栄の番頭格だった二階堂進と激しく競り合った。
このような競争は、多くの選挙区で展開された。私にとって印象に残るのが酪農が盛んだった旧北海道5区の政治家である。5名の定員だったが、伝統的に社会党が強く、1983年の選挙まで社会党は2~3議席を占めていた。こここでは、北村直人、鈴木宗男、中川昭一、武部勤の自民党議員が、競争した。
総理総裁を目指している自民党の各派閥の長にとって、自民党が敗北したとしても、自己に属する候補者が当選し、他派閥の候補者が落選すると、総裁選挙で有利となる。中選挙区制の下では、自民党と他党の候補者との争いではなく、自民党内の候補者同士の争いだったのである。これが派閥を中心として激しい金権政治を生んだ。派閥の力となる国会議員の“数”を持つためには、〝金〟が必要だった。その典型が田中角栄率いる木曜クラブ(田中派)だった。「数は力」だった。
また、多数の有権者の支持がなくても20%程度の票で当選できるので、一部の地元利益団体の固定票を確保することが優先されがちになるし、その見返りに、政権党である自民党議員は地元への利益誘導を図ろうとするという批判も行われた。選挙制度が既得権者に有利に働いていたというのだ。
これに対して、小選挙区制であれば、同じ自民党候補同士の争いは起きず、派閥本位ではなく、政策本位、政党本位の選挙が行われ、金権政治ではなくなるはずだとされた。また、投票者の半数近くの票を得なければ当選できないので、特定の利益団体の支持だけなく、組織されていない有権者からの支持も必要になる。このため、特定の利益団体より市民全体の利益が優先されるようになると考えられた。
しかし、激しい金権政治はなくなったが、それ以外の点では失敗した。
二人の候補が対立する小選挙区制では、JA農協のような特定の利益団体が組織する票がキャスティングボードを握るようになり、利益団体の力は排除できなかった。なにより、民主党政権の失敗により野党の当選力が低下し、自民党の独り勝ちとなる中で、いったん自民党から当選してしまえば、よほどのことがない限り国会議員としての地位は安泰となる。現職優先の原則では、自民党から新しい候補者が出てくる恐れはない。
現職優先の下で、新人が党の公認を受けるのは難しい。ところが、世襲候補の場合、現職である親などから地盤を引き継ぐので、新人でも党の公認を受けられる。しかも、世襲候補は、地盤、看板、カバン(金)の三バンを引き継ぐので、当選の確率はさらに高まる。しかも、世襲議員となれば、新人候補であっても当選する確率は6割以上に跳ね上がる。
こうして自民党は世襲議員だらけとなった。そもそも親が国会議員だというわけで能力や適性があるか分からない人が国会議員となり、またその後も選挙区に競争者がいないので真面目に政策などを勉強することもない。これは極めて不幸なことである。本来国民全体の中から候補者や国会議員は選出されるべきなのに、現職議員の家族の中からしか、リクルートできないことになってしまうからである。
自民党に世襲候補が多くなる中で、非世襲候補は野党からの立候補を模索することになる。野党は非世襲候補の受け皿になるが、与党と主義主張が異なる人が野党候補になるわけではなくなる。野党は第2自民党となる。
今の政治では、個々の政治家が素質や能力を磨かなくても済むシステムになっている。この問題を解決するためには、与野党の公認候補選びに、アメリカの政党の候補者選びのような予備選挙を導入すべきである。党員の投票で決まるので、今の公募制とことなり、候補者選びの透明性は格段に高まる。地方政治のボスの力は弱まる。
現職であっても、支持を失えば、次の国政選挙の際の予備選挙で敗れ、党の公認候補となれない。ボーッとしていては議席を維持できないとすれば、必死で政策の勉強などを行うだろう。非世襲候補であっても、能力、魅力があれば、現職に代わり、公認候補となれる。
もう一つの方法は、党議拘束を緩めることである。
アメリカの政党では、党議拘束はない。与党議員でも大統領が望む法案に反対する。各議員へのロビー活動は活発になるが、議員の政策への理解度は高まる。日本と同じ議院内閣制をとるイギリスでも、はっきりと党議拘束をかけるのは予算案だけで、ブレグジット法案の採決に見られるように、党議拘束は緩やかである。
今の自民党議員は、党が決めた方針通りに投票する。党議拘束がなければ、各議員は議会での投票行動を選挙民に説明しなければならない。「党が決めたから」という言い訳は通じない。支持者を説得できるだけの説明能力が求められることになる。議員の質の向上につながる。
このような改革を行う上での最大の障害は、世襲議員を含め現在公認を得ている人たちから、改革の声が上がらないことである。彼らが既得権者なのだ。結局、政治を動かすのは世論である。いまこそ有権者は選挙制度改革について、声を上げていくべきではないだろうか。