メディア掲載 グローバルエコノミー 2023.06.08
「農家が貧しい」というイメージは虚像である
PRESIDENT Onlineに掲載(2023年5月17日付)
「酪農危機」を訴える報道が続いている。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「報道の多くは、実態とかけ離れている。誤った報道がなされるのは、農業団体の利益を代弁する学者の主張をマスコミが鵜呑みにしているからだ。『農家が貧しい』というイメージは虚像にすぎない」という――。
酪農問題についての関心が収まらない。
5月2日、朝日新聞は1、3面で酪農経営が厳しく離農が増えていると報じた。同日、日本経済新聞の経済教室で小林信一氏という酪農問題の専門家が酪農保護を訴えた。先日も、ある百貨店の関係者が、牛乳が廃棄され乳牛がと殺されると報道されているので、なにか協力できないかと、私の事務所を訪ねてきた。
酪農家は国際価格の変動や国の政策によって理不尽な扱いを受けているかわいそうな存在だというのが、かなりの人の理解だろう。しかし、マスメディアが報道していることと実態には乖離がある。このことを百貨店関係者に説明すると、驚いて帰っていった。
具体的にここで挙げていこう。
輸入穀物が高騰し、飼料価格の高騰が酪農経営を圧迫していると報道されている。だが、飼料費がコストに占める割合は、酪農では5割なのに、養豚では7割である。より影響を受けるはずの養豚農家から経営が厳しいという声が聞こえないのは、不思議ではないだろうか?
それは、酪農家も養豚農家も困っていないからだ。穀物価格は2014年から2021年まで低位安定していた。2022年に上昇しただけだ。2008年や2012年も2022年と同水準まで穀物価格は上昇したのに、酪農危機が叫ばれることはなかった。
次は、農林水産省の資料から作った図である(図表1)。2014年はバター不足が起きた年である。
酪農家の所得(※)は、2014年1153万円、2015年1569万円、2016年1670万円、2017年1699万円、以降2020年の1603万円まで1600万円台が続き、2021年に飼料価格の上昇で幾分低下したものの、1316万円となっている。それ以前も2009年、2013年は約900万円という高い水準である。
私の記憶では、2008年以前は酪農家の所得が800万円を上回ることは少なかったと思う。2009年以降、特に2015年から2021年の7年間は、酪農バブルと言われるほど、酪農経営は絶好調だったのである。国民の平均所得が400万円程度なのに、酪農家は15年間もその2~4倍の所得を稼いでいた。農家が貧しいというイメージとは真逆である。
※2014年~2020年は「畜産の動向」(令和5年5月 農林水産省)より。所得は1経営体当たり(家族経営)で、「粗収益」から「生産費総額から家族労働費、自己資本利子、自作地地代を控除した額」を引いたもの。2021年は、この算出方法に従い農林水産省「令和3年畜産物生産費」から算出。図版=筆者作成
酪農経営の活況をもたらした要因は、第一に、輸入飼料価格が低水準で推移したこと、第二に、酪農経営の副産物であるオスの子牛価格が通常は3万円程度であるのに、高水準の牛肉価格を反映して2016年から10万円を超え一時は15万円まで高騰したこと、第三に、デフレなのに、乳価は2006年に比べ現在の5割も高い水準まで上昇したことである(図表2)。乳価が引き上げられたので、雪印メグミルクは7月から、牛乳類で最大13.2%、88品目の価格を引き上げることを公表した。豊かな酪農家救済のための措置が、貧しい消費者の家計を圧迫する。
出所=農林水産省「農業物価統計調査」
2022年は一時的にこの酪農バブルが弾けただけなのである。
穀物相場が変動するのは常識である。2008年、2012年、今回のように時々やりのように突出して上昇する。輸入穀物依存の経営を選択したなら、当然一時的な上昇に備えているべきだ。平均所得400万円の国民が、どうして1600万円を超える所得を長期間稼いでいた酪農家に、自己が収めた税金から補塡(ほてん)しなければならないのか? 物価高騰で食べられなくなった人など、われわれが救うべき人は他にたくさんいる。
酪農団体は離農が増えていると主張する。
しかし、経営が極めて良好だったときでも4~5%の酪農家は離農していた。離農の主な原因は、子供が跡を継ぎたがらない、高齢化で牛の世話が大変になった、自分が病気をしたなどである。これが6.8%(2023年1月)に増えたのは、酪農バブル時期の巨額の利益が減少しないようにする(つまり利益確定行為)という理由が多いのではないか。
なお、酪農家戸数は1962年の43万戸から2022年の1万3000戸まで大幅に減少したが、生乳生産は200万トン程度から2021年の765万トンまで拡大している。戸数は減っても生産は拡大してきた。ピークだった1996年の866万トンから100万トンほど減少したのは離農のせいではなく、お茶のペットボトルの出現で飲用牛乳の需要が大きく減少したからである。
エサである輸入穀物の価格高騰によって酪農危機が起きていると言われている。
反芻動物の牛は草を食べてきた。牧草やワラなど繊維質の多いエサを“粗飼料”という。ニュージーランドは、牧草だけをエサにしている。これに対して、日本の飼料の多くは、アメリカから輸入したトウモロコシなどの穀物に他の補助的な栄養素(飼料添加物)を加えた“配合飼料”である。粗飼料に比べ栄養価の高い配合飼料は乳量を増やす効果がある。しかし、本来草を食べていた動物に穀物等を給与すれば、ルーメンアシドーシス、蹄葉病などの発症リスクを高める。
また、配合飼料を与えるため、放牧ではなく繋ぎなどの牛舎飼いとなる。牛舎飼いでは、かなりの牛が自分の体がようやく入るほどの狭いスペースに首輪で繋がれ、歩くことも許されず、エサを食べて乳を搾られるだけの一生を送る。子牛は生んでくれた母牛とは生後すぐに引き離され、輸入された脱脂粉乳を飲まされる。多くの酪農家は牛を生乳生産の機械としか見ない。日頃ひどい扱いを受けていると感じる牛が、酪農家を蹴ったり畜舎の壁に押し付けたりするなど反抗的な行動をすることによって酪農家がケガをするという事件も起きている。アニマルウェルフェアを論ずるどころではない。
農政は、主食用の米や小麦などを高い関税などで保護する一方、エサ用の穀物は、関税をかけないで安価な輸入に依存してきた。そのほうが草地開発より安上がりだったからである。土地資源に比較的恵まれている北海道でも、飼っている頭数が多くなるにつれ、配合飼料をエサとして使うようになってきている。酪農も含め、日本の畜産は輸入穀物の加工品だ。輸入飼料に依存する酪農・畜産は、輸入が途切れる食料危機の際には壊滅し、国民への食料供給という役割を果たせない。
また、放牧では、糞尿を草地に還元することで、牧草生産のための肥料代を節約すると同時に、窒素分を牧草に吸収させることで環境にマイナスの効果を与えないようにできる。しかし、牛舎飼いの酪農では、多くの酪農家が糞尿を穀物栽培に還元することなく、野積みなどをすることによって国土に大量の窒素分を蓄積させている。これは深刻な地下水汚染を起す恐れがある。欧米では、窒素分によって乳児が酸欠状態となり死亡するブルーベビー症候群が発生している。
これらは畜産公害である。経済学の基本原則からも、OECDの汚染者負担の原則(PPP:Polluter Pays Principleの略)からも、税金を課して、生産を縮小させるべきである。家畜の糞尿や牛のゲップは、温暖化ガスのメタンや亜酸化窒素を発生させる。地球温暖化への対応が求められている中、世界で検討されているのは、植物活用による代替肉、細胞増殖による肉生産など、畜産の縮小だ。穀物肥育の酪農・畜産を保護することは、公害企業に補助金を出して公害を増加させることと同じである。
なぜ、酪農について実態に即した報道がされないのか。
それはJA農協などの農業団体の利益を代弁するために活動する学者や農水省の主張に、ウソを見破る知識や能力がないマスメディアが追従しているからだ。真偽を判断する手段を持たない多くの国民は、農業ムラ、酪農ムラが発信する情報、特に、大学農学部の教授の主張は、客観的で公正なものだと思うだろう。彼らが農業ムラや酪農ムラの利益を代弁するために活動しているとは、夢にも思わない。
その代表格が、東京大学大学院教授の鈴木宣弘氏だ。
彼が『文藝春秋』2023年4月号に書いた「日本の食が危ない!」については、『農業経営者』5月号「おいおい鈴木君 鈴木宣弘東大教授の放言を検証する」で検証した。本稿でもあらためて鈴木教授の主張の誤りの一部を紹介したい。
鈴木氏は、「脱脂粉乳の在庫が増大し、生乳生産を減少しなければならなくなったのは、2014年のバター不足で国が生乳を増産する政策をしたことが原因なので、国が酪農家に補償すべきだ」という。
近年、農水省が推進した「畜産クラスター事業」で補助金を得て、バター不足解消の要請に応えて増産するために、多額の負債を抱えてまで機械や設備を購入した農家もある。ただでさえ借金を背負った上に、輸入飼料の高騰とコロナ禍での牛乳あまりも追い打ちをかけた。
(中略)
かつてない異常事態が起きているのに、政府は一向に買い上げなどの財政出動に踏み切らない。(『文藝春秋』4月号 107ページ)
この主張は事実と異なる。需給調整のための生乳の生産(出荷)目標数量の設定(計画生産という)は、1979年から中央酪農会議という酪農団体が行っている。当時も生乳生産が過剰になったからである。生乳の増産や減産を決定し実行する主体は、酪農団体で国ではない。
生乳からバターと脱脂粉乳が同時にできる。2000年に汚染された脱脂粉乳を使った雪印の集団食中毒事件が発生して以来、脱脂粉乳の需要が減少し、余り始めた。これに合わせて生乳を生産すると、バターが足りなくなる。2014年のバター不足はこれが原因だ。脱脂粉乳が過剰にならないようにすれば、国産で不足する分を輸入すればよい。
しかし、酪農団体がバターを全て国産で供給できるよう生乳生産を増加した結果、今度は脱脂粉乳が過剰になったのである。これは酪農団体の責任であり、国が補償すべきものではない。仮に国がそのような方針を打ち出したとしても、民間事業者の酪農家や団体は嫌なら従わなければよい。脱脂粉乳の過剰在庫に伴う費用は乳業メーカーが負担している。酪農家が乳業メーカーに補償すべきである。
鈴木氏は、また「農林水産省が『畜産クラスター事業』で生乳増産の大型投資を推進した」と主張している。しかし、この事業はTPP対策としてバター不足後の2016年に開始されたもので、規模拡大などの生産性向上を図り、関税削減にも耐えられるようにしようとしたものであって、増産とは関係ない。しかも、この事業を利用して設備投資をしたのは、酪農家の一部に過ぎない。
なお、2014年当時、世界ではバターが余って価格も低迷していた。国内の不足分を輸入しようと思えば、安い価格でいくらでも輸入できた。それが輸入されなかったのは、バター輸入を独占している農林水産省管轄の独立行政法人農畜産業振興機構(ALIC)が、国内の酪農生産(乳価)への影響を心配した農林水産省の指示により、必要な量を輸入しなかったからである。
鈴木氏は「アメリカやEUに日本より手厚い政策がある」と主張している。
アメリカ、カナダ、EUでは設定された最低限の価格で政府が穀物や乳製品を買い上げ、国内外の援助に回す仕組みを維持している。(『文藝春秋』4月号 107ページ)
アメリカの酪農政策の柱は、酪農家の収益が一定のマージンを下回ったら補塡するという保険制度(DMC “Dairy Margin Coverage”)である。これで酪農家の所得は保障されている。鈴木氏が主張するような制度は確認できない。
EUは、1993年以降の改革(乳製品は2003年)で、支持価格を大幅に引き下げて直接支払いを導入した。支持価格の水準が下がったので、政府による農産物買い入れはほとんどなくなった。
かつてEUは買い入れた農産物に補助金をつけてダンピング輸出していたが、EUは2015年のWTO閣僚会議で輸出補助金即時撤廃に合意した。EUは実質的に価格支持を廃止したと言ってよい。また、EUは補助金付き輸出で処分していたのであって、援助していたのではない。過剰農産物の援助は、途上国にとって好きでもない農産物を押し付けられることになる。また、過剰でなくなれば援助はストップする。先進国の身勝手な政策である。
さらに援助物資がただで流通すれば、途上国の農業者は売り先が減少する。日本の豊かな酪農家のために途上国の貧しい酪農家が被害を受ける。このため、国連世界食糧計画(WFP)は物資ではなくお金で援助するよう方針を転換している。
日本の加工原料乳については、一定の価格を下回ると補塡するものと価格に関係なく支払われる直接支払いがある。日本は、アメリカのDMC的な政策とEUの直接支払いの両方を持っているのだ。極めて手厚い保護である(日本の農業保護 参考)。
次の図表3は、酪農の付加価値と酪農保護に支払っている国民負担を示している。
国民は消費者として国際価格より高い価格を負担して酪農家に所得移転を行い、納税者としてほぼ付加価値に近い額を負担している。これ以外に飼料用の米に1000億円ほどの財政負担をしている。さらに数字に出ないものとして、畜産公害というマイナスの外部経済効果がある。こうしたことをトータルで考えると国民負担は酪農が生み出した付加価値(1800億円)を大幅に上回る。酪農はマイナスの価値しか生んでいない。
国民は穀物依存型の酪農を存続させるべきかを議論すべきだ。
図版=筆者作成
鈴木氏はメディアの取材でたびたび「酪農危機で牛乳が飲めなくなる可能性」について言及している。恫喝めいた主張である。
そもそも輸入が途絶する食料危機の時には、輸入穀物に依存する酪農は壊滅し、その生乳は飲めなくなる。
次に、乳牛の2割は放牧されているのでフレッシュな牛乳はなくならない。また、牛乳を加工するとバターと脱脂粉乳が作られ、それに水を加えると牛乳(加工乳)ができる。われわれは、冬場に加工したバターと脱脂粉乳を需要期の夏場に加工乳にして飲んできた。今でも加工乳の原料として輸入されたバターと脱脂粉乳が使われている。足りなければ、加工乳を飲めばよい。
輸送技術の進展により、飲用牛乳が貿易できない財であるという常識も否定されつつある。国内でも北海道から都府県へ、飲用牛乳と生乳で年間100万トン近く輸送されている。関東の人が飲んでいる北海道牛乳のかなりは生乳で根室港から日立港に移送されたものを関東で飲用牛乳にパッキングしたものだ。ドイツ、ポーランド、ニュージーランドから中国への飲用(LL)牛乳の輸出が近年急増している。また、日本から飲用牛乳を中国へ輸出するための技術開発が進められている。
国産が安全で品質が良いというのは誤りだ。パンやラーメンの原料は輸入小麦だ。国産の小麦は品質が悪くパン等には向かない。国産にこだわると、パンもラーメンも食べられなくなる。高い関税でパリのスーパーの数倍の値段を払わされても、エシレバターを使った菓子店には消費者の長い行列ができる。輸入チーズは、日本の全ての牛乳乳製品消費量の3割を占めている。日本の乳製品は、価格でも品質でも劣っている。
戦後の生乳生産は30万トンほどだった。われわれが牛乳や乳製品を摂取しだしたのは、それほど古い話ではない。長年牛乳や乳製品を食べてきた欧米の人に比べ、日本人は乳糖を消化できない人が多い(乳糖不耐症)。
また、われわれがフレッシュな牛乳を飲んでいるのかも不確かである。飲用牛乳の9割は超高温瞬間殺菌(UHT)法で処理されている。これはおいしい牛乳とは言えないという人もいる。よい菌も悪い菌も死んでしまう、チーズが作れない牛乳である。日本には学校給食の脱脂粉乳から消費が始まったという不幸な歴史がある。
農林水産省が行うべきなのは、輸入穀物依存の酪農から草地に立脚した酪農への転換である。
NASAは今後数十年の間にアメリカのコーンベルト地域でトウモロコシの生産が小麦に代わると予想している。さらに、国民の環境意識の高まり、アニマルウェルフェアへの対応、200~300%を超える乳製品関税の削減などを考えると、輸入飼料依存で牛舎飼いの酪農はいずれ維持できなくなる。
輸入飼料依存の酪農家にあえて対策を行うとすれば、希望する農家が、円滑に草地立脚型の酪農に転換するか、酪農業から退出できるようにするための産業調整政策である。このようなものとして、エネルギー流体革命により斜陽産業化した石炭産業対策、日米繊維交渉を受けての繊維産業対策、200海里導入による北洋減船対策、日米牛肉かんきつ交渉を受けてのミカンの伐採対策など、さまざまな対策が講じられてきた。
草地資源に立脚した酪農を維持振興するために必要な政策は、面積当たりの直接支払いである。食料安全保障も多面的機能も、農地資源を維持してこそ達成できる。そうであれば、農地面積確保のため、農業の種類にかかわらず、農地面積当たりいくらという単一の直接支払いを行えばよい。このような単一の直接支払いは、EUが長年の改革の末到達した農業保護の姿である。外国の真似をするなら、いい制度や政策を真似てはどうだろうか。