メディア掲載 グローバルエコノミー 2023.05.16
消費者を苦しめつつ、食料安保を守れない農政の大問題
PRESIDENT Onlineに掲載(2023年4月22日付)
なぜ「牛乳危機」が起きているのか。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「農業保護という観点から、間違った農業政策が進められてきた帰結といえる。農業を守るには、輸入品に高い関税を課すのではなく、EUのように農地保護を支援するべきだ」という――。
4月某日、あるTV局から私に、「食卓から牛乳がなくなる」という番組を作りたいとして、取材協力の依頼があった。私に「廃業が進み地産地消の牛乳が食卓から消える可能性がある」というコメントを期待していた。
酪農や牛乳・乳製品についての知識がなく、思い付きで結論ありきの番組製作をしようとしていることは明らかだった。また、取材を申し込んでいるのに、酪農について私が書いていることを読んでいないことも明白だった。
地域の酪農家が離農しても、生乳は他の地域から移送されてくるので、牛乳の供給を心配することはない。大分の牛乳も岩手の牛乳も品質に違いはない。牛も(ホルスタイン)、原料(飼料・アメリカ産トウモロコシ)も、同じである。地元産だから優れていることはない。9割の牛乳は、超高温加熱殺菌(UHT処理)するから良い菌も悪い菌も死んでしまっている。普段飲んでいるのはチーズを作れない死んだ牛乳である。
都府県の生乳生産は1990年代後半の500万トン超から330万トン程度に減少しているが、牛乳の消費は影響を受けていない。北海道から年間100万トン程度の生乳・牛乳が都府県に移送されている。もともとかなりのところで牛乳の地産地消なんてしていないのだ。
牛乳からバターと脱脂粉乳を作り、それに水を加えると牛乳(加工乳)ができる。われわれは、牛乳と加工乳を区別しないで飲んでいる。都府県の生乳生産が多かったころは、各地に余乳処理工場があって、冬場に余った生乳をバターと脱脂粉乳に加工し、需要期の夏場はこれを加工乳にしていた。
かりに、国内の酪農が全滅したとしても、バターと脱脂粉乳を輸入すれば、牛乳は飲める。今でもヨーグルトやプロセスチーズなどかなりの乳製品で原料として外国産が使用されている。そもそもアメリカ産トウモロコシをエサとする酪農は、輸入途絶という食料危機の際には壊滅する。これは食料安全保障に全く役に立たない。
これくらいの知識がないと、番組は作れないはずだ。裏を返せば、そうした知識なしに番組は作られているのだ。
これは、このTV局ばかりではない。
新聞各紙も記者の数が減っているため、記者は2年ほどの短い期間で各省庁をくるくる回る。農林水産省だけで100以上も課がある。2年くらいで、農林水産業の現状や問題点、政策の背景などを勉強できるはずがない。酪農だけでも、正しい基礎知識を身に付けようとすると、どんなに頑張っても1カ月はかかる。
結局、記者は、担当する省庁の政策について全くと言っていいほど知識を持たないうちに、次の省庁を担当させられる。知識がないので、政策を批判することなどできない。今回の酪農のように、問題が起きると、付け焼き刃で省庁が用意してくれた資料を勉強し、省庁が言うままを忠実に報道する。
役所は自分に都合の悪い情報は隠そうとするが、記者は気が付かない。資料が偏っているとか間違っているとかを指摘できるだけの専門知識はない。政策の背景に、その省庁の天下りや業界団体との利権関係などが絡んでいそうだなどの嗅覚を発揮することはできない。バター不足の時も、本質的なところを理解しないまま、記事を書いていた。それでも、各紙の記者が同じことを報道するので、自分だけ批判されることはない。“特落ち”がなければよい。
私のような研究者への取材もいい加減になった。20年くらい前は、私のオフィスに出向き、1時間くらい政策の背景にある諸事情や政策の効果や問題点について、角度を変えながら、さまざまな質問をしていた。こうして十分勉強してから報道していた。
それが、簡単な電話取材に代わり、「コメントだけください」という記者も出てくるようになった。また、事実関係を確認したり政策の評価を聴いたりするために、私にコンタクトする記者の数も少なくなっている。農政については、私が書いた本が一番参考になると思うのだが、読んでいる感じはしない。
農業の経済に占める位置や農業者の就業人口に占める割合が著しく低下したため、国民の農業への関心が低下している。そうでなくても、国民は農業について間違ったイメージを持っている。酪農については、実際に放牧されている牛は2割に過ぎないのに、ほとんどの人が大地で草を食む乳牛から牛乳は作られていると思っている。
多くの国民は、戦前までの貧農のイメージから、農家は保護しなければならないと、漠然と思っている。酪農経営が苦しいと主張されると、かわいそうな酪農家を国の力で助けるべきだと思う。しかし、農家の車庫に3台も車があるのを知らないだろうし、まして、ポルシェに乗っている農家がいるとは思いもつかないだろう(※参考 酪農バブルの実態)。
1960年代から80年代には、6~7月にかけてJA農協が主導した米価闘争が毎日のように新聞に大きく取り上げられていた。これは自民党の農林族議員を巻き込んで大変な政治闘争となっていた。しかし、食管制度による政府買い入れがなくなった現在、国民がJA農協の政治活動をテレビや新聞で見聞きすることは少なくなった。
選挙の際、各政党の農政上の主張が一般紙に載ることはない。載るのは、JA農協の機関紙の日本農業新聞だけで、一部の農家にしか読まれない。仮に載ったとしても、与野党とも農業保護を高めようという主張ばかりで、大差はない。どの政党も農家票が欲しいのだ。
正しい情報や知識が報道されないことは、農林水産省、農業団体、農林族議員などの思うツボだ。国民は自分たちがどのような影響を被るか考える機会が与えられず、農業村の内々の議論だけで食料・農業政策が作られるままにしている。その挙げ句、減反政策でコメ生産が大幅に減少させられ、食料危機が起きると国民の半分以上が餓死するかもしれないという事態に陥っている。
TPP交渉が妥結する前、農林水産省の大先輩から会いたいという申し入れがあった。TPP交渉が日本の農業にどんな影響を与えるのかと聞かれたので、ほとんど影響はないでしょうと答えた。それを聞いて、彼は残念がった。影響があれば、農林水産省は大掛かりな対策費を講じる。その一部が彼の団体にくれば、彼を含めた職員の給料を増やせることができると言うのだ。
貿易を自由化すると、農業に影響が出るので生産性向上を図る必要があるとして、予算措置を講じて、農林水産省OBのいる団体へ、国からお金を出す。しかし、生産性は向上しない。また、次の通商交渉で自由化を迫られると、同じことが繰り返される。牛肉の輸入自由化以降、4半世紀にわたり、3兆円もの巨額の財政資金を投下してきたが、畜産の生産性は、全くと言っていいほど上がっていない。乳価も牛肉の価格も下がるどころか大きく上昇した。
農業予算や関税などの政策で生計を立てている農林水産省、農業団体、農林族議員、農学者など農政共同体の人たちと、自立できなく農政共同体の助けを求める農家の人たちの“共生”とも言うべき関係が、農業政策を作ってきた。
では、大学などの研究者が、農業や農業政策について正しい意見を言ってくれるのかというと、逆だ。
一般の公務員は兼業を厳に禁じられている。講演も自由にできない。しかし、国立大学の教授には兼業禁止義務が課されていない。国公立、私立を問わず、農学部の教授に主に講演依頼をするのはJA農協である。スポンサーであるJA農協の批判はできない。また、JA農協を批判すると、学生の就職を拒否される。JA農協のアメとムチによって、農業経済学者はJA農協を中心とする農業村の一員となる。
「日本の農業保護は少ない」という東京大学農学部教授の珍説がある。こんなものは誰も信じないと思っていたのに、農業経済学者の間では広く引用され信じられているのにあぜんとした。
この教授は、日本が世界10位の農業生産額を達成していることを評価している。しかし、なぜ食料自給率38%の国が、フランス、カナダ、オーストラリアなど自給率が100%を超える大農業国を凌駕する生産額を実現する(実にカナダ、オーストラリアの倍以上)ことが可能なのか、考えたことがあるのだろうか。
日本の農産物価格は高い関税で国際価格の何倍もしている。その高い価格で農業生産を評価する(生産額は生産量×価格)と、生産額が高くなるのは当然だ。つまり、日本の農業生産額が異常に高いのは、消費者が高い価格を払って農業を保護している証しなのだ。
報道機関がコメントを求めるのは、このような大学教授たちである。
上記の教授は、農業予算(納税者負担)だけを比較して日本の農業保護は少ない、EUの農業保護は農家所得と同じくらいある、と主張する。しかし、これは日本の農業保護のほとんどが関税で守られた高い価格(消費者負担)であることを無視している。
OECD(経済協力開発機構)が開発したPSE(Producer Support Estimate:生産者支持推定量)という農業保護の指標がある。これは、財政負担によって農家の所得を維持している「納税者負担」と、国内価格と国際価格との差(内外価格差)に国内生産量をかけた「消費者負担」(消費者が安い国際価格ではなく高い国内価格を農家に払うことで農家に所得移転している額)の合計である。
農業保護の指標の計算方法
PSE(Producer Support Estimate)=財政負担+内外価格差×生産量
農家受取額に占める農業保護PSEの割合(%PSEという)は、2021年時点でアメリカ10.6%、EU17.6%に対し、日本は37.5%と高くなっている。日本では、農家収入の4割は農業保護だということである。日本の農業保護が低いというなら、世界中の農業経済学者に笑われるだけだ。
図表=筆者作成
しかも、日本の農業保護は、消費者負担の割合が圧倒的に高いという特徴がある。
各国のPSEの内訳をみると、農業保護のうち消費者負担の部分の割合は、2021年ではアメリカ4%、EU13%、日本76%(約4兆円)となっている。欧米が価格支持から直接支払いへ政策を変更しているのに、日本の農業保護は依然価格支持中心だ。国内価格が国際価格を大きく上回るため、輸入品にも高関税をかけなければならなくなる。
図表=OECD “Agricultural Policy Monitoring and Evaluation 2020”より筆者作成
最近の食料品価格の上昇で、生活困窮者の人たちのためのフードバンクに食料が集まらなくなっている。今の食料品価格では満足に食料を買えない人たちがいる。それなのに、牛乳の値段をもっと上げろという酪農家の声の方が強く響く。
生乳を廃棄したり減産したりしている。しかし、過剰なら価格が下がるはずなのに、乳価は上がる一方で、2006年に比べ5割も高い。今年も、欧米の3倍もする乳価をさらに上げようとしている。脱脂粉乳の過剰在庫が増加しているというが、過剰なのに価格は下がらない。下げると脱脂粉乳を原料とする加工乳の価格が下がって、飲用乳や乳価も下がるからだ。国民は納税者として多額の補助金を酪農に支払っているのに、消費者として価格低下の利益を受けることはない。円安になった今でも、日本の飲用牛乳の値段はアメリカの倍もしている。
日本の場合は、消費者は国産農産物の高い価格を維持するために、輸入農産物に対して高い関税を負担している(小麦や牛肉など)。
これまで、消費量の14%しかない国産小麦の高い価格を守るために、86%の外国産小麦についても関税(正確には農林水産省が徴収する課徴金)を課して、消費者に高いパンやうどんを買わせてきた。
これを国内農産物価格と国際価格との差を財政からの直接支払いで補塡(ほてん)するという政策変更を行えば、消費者にとっては、国内産だけでなく外国産農産物の消費者負担までなくなるという大きなメリットが生じる。農業に対する保護は同じで国民消費者の負担を減ずることができるのだ。
図版=筆者作成
先述の農業経済学者は、日本の保護の2割に過ぎない財政による保護(直接支払い)の部分を欧米の保護の8割以上を占める財政による保護の部分と比較して、日本の方が小さいと言っているのだ。これに多くの農業経済学者が同調する。
日本の農業が少ない保護でやっていけるなら、関税を撤廃できるはずだ。しかし、彼らはTPPなどの貿易自由化には真っ先に反対する。関税を撤廃すると、農家への価格補塡のため膨大な財政負担が必要だという。現在消費者が行っている負担は膨大な財政負担に置き換わる(同値である)ことを認めているのだ。
日本とEUの具体的な保護の姿と農家所得の関係を図で示す。
価格支持ではなく直接支払いの比重が高いEUで、直接支払いと農家所得の比率が高くなるのは当然だ。しかも、日本の農家所得は高いので、所得に占める直接支払いの割合は、日本の方がさらに小さくなる。日本は直接支払いではなく高い価格で支持している部分が大きく、トータルの保護は農家所得を上回る。
図版=筆者作成
(注)図中の、18%、38%は、それぞれ、EU、日本の%PSEである。
それだけではない。EUの公的補助は直接支払いだけである。しかし、日本の場合、畜産を例にとると、直接支払いだけではなく、家畜の導入、畜舎整備、搾乳機械の導入など、ありとあらゆる場合に、高率の補助事業がある。酪農家は納税者の負担によって設備投資をしているのである。農林水産省畜産局のホームページには、これらの補助事業が満載である。日本とEUの何を比較して、日本の公的補助が低いというのだろうか。
農業について国民はどれだけの負担をしているのか、酪農を例にとろう。
生乳生産額は2021年で7861億円である。これは米作の6割にも達する。酪農家戸数は1万3000戸でコメ農家60万戸の45分の1(販売額が小さい小規模なコメ農家まで入れると、おそらく100分の1)に過ぎないことを考えると、個々の酪農経営の生産規模の大きさ(コメの小ささ)がわかる。
所得率(生産額のうちの所得の比率)を1~2割として、酪農全体の所得は800億~1600億円(中央値は1200億円)である。これは、酪農が生み出す付加価値である。
畜産局が一般会計に計上した予算のうち、明らかに酪農向けだけだとわかる予算として、加工原料乳生産者補給金等の酪農経営安定対策406億円、生乳需給対策57億円、チーズ対策53億円、これだけで516億円である(消費拡大対策は除いた)。
他の畜産と共通の予算のうち生産額の比率などから酪農分を推計すると(都道府県の負担分を除いても)約600億円に上る(畜産局の畜産クラスター対策等の非公共事業400億円、草地整備等の公共事業200億円)。これで畜産局が一般会計に計上した予算の合計は約1100億円となる。
この他に、牛肉の関税収入等を活用して農畜産業振興機構(ALIC)が行う事業がある。このうち、畜産物価格関連対策として公表されているものだけで、160億円ほど(酪農ヘルパーなど経営支援46億円、酪農緊急パワーアップ事業65億円等)ある。以上を合計すると約1260億円となる。
これは上の酪農の付加価値に等しい。つまり、酪農は財政(納税者)負担を考慮すると、ほとんど価値を生み出していないことになる。
それだけではない。日本の乳価は欧米の3倍である。つまり、酪農の生産額の3分の2、5240億円は消費者が国際価格に比べて高い価格を負担している部分である。これ以外に、日本の酪農・畜産は国土に大量の糞尿を蓄積しているという環境負荷がある。また、酪農については、牛のゲップによるメタン、糞尿によるメタンと亜酸化窒素、という温暖化ガスを排出しているという環境負荷がある。
総合すると、国民は酪農のために6500億円および数値化されていない環境悪化の負担をしながら、酪農は1200億円の価値しか生み出していないことになる。国民経済学的には、酪農はマイナスの価値しか生まない産業なのだ。酪農生産を止めて牛乳乳製品を輸入した方が国民経済にプラスである。
われわれの経済は市場経済と言われる。基本的には市場が適正な資源配分をしてくれる。
しかし、時々市場では、不都合な財が多く生産され過ぎたり、望ましい財が十分に生産されないなどの場合が生じる。いわゆる“市場の失敗”である。市場では発揮されない効果を、“外部(不)経済効果”という。このときに、政府は市場に介入すべきだというのが、経済学の教えるところだ。望ましい財には、補助を与えて生産を増加させ、望ましくない財には課税して生産を縮小すべきだ。
農水省が農業保護の目的として掲げている外部経済効果が、食料安全保障であり多面的機能だ。これは、コメを念頭に置いて思いついた理由だった。ガット・ウルグアイ・ラウンドで、私も含め日本政府の交渉団は、コメの関税化の特例措置の実現に全力を挙げた。
そのときアメリカ等を説得する理由として使ったのが食料安全保障だった。「食料危機が起きても、国内でコメを生産できれば、飢餓は回避できる、国内生産の維持のためには関税化はできない」という理屈だった。水資源の涵養(かんよう)、洪水の防止、景観の維持などの多面的機能も、コメや水田から考えたものだった。
しかし、食料安全保障や多面的機能から、酪農・畜産を保護する理由はない。
そもそも反芻動物である牛に穀物を食べさせることは、牛の生理に反する。しかも、日本の問題はエサとして使われる穀物が輸入されたものだということである。
輸入穀物に依存する畜産は、輸入途絶という食料危機時には壊滅する。かろうじて国内の草地資源に依存する、山地酪農、道東の酪農、阿蘇の褐牛、岩手の短角牛などが残るくらいだろう。765万トンの生乳生産は100万トン程度に減少する。豚肉、鶏肉、卵は、全く食べられなくなる。
国内で穀物を生産していれば、穀物で育った家畜の糞尿は農地に還元されて、穀物生産に利用される。ところが、日本ではこうした糞尿と穀物生産の循環的利用はほとんどない。糞尿を有効利用せず国土に滞留させる日本の酪農・畜産は、多面的機能どころか、マイナスの外部経済効果を生じさせている。
これは畜産による公害である。公害を生じさせる企業には、課税などによって生産を縮小させるべきなのに、畜産の場合には、関税や補助金などの支援を行って、生産を増大させてきた。
もちろん、こう言ったからといって、日本の酪農・畜産をなくしてしまえと言っているのではない。政府が保護する理由はないというだけだ。
では、どのような酪農なら保護に値するのだろうか?
食料安全保障の見地からは、輸入穀物に依存しない酪農、多面的機能の観点からは、家畜の排せつ物を国土に滞留させないで作物のために利用・還元する酪農を支援することである。それは、草地を利用する放牧型の酪農である。
しかし、わが国の酪農は、輸入穀物を原料とする配合飼料依存の道をたどった。酪農が急速に規模拡大できたのには理由がある。酪農もコメも戦後の農地改革からスタートした。農地面積は1ヘクタールほどの小農である。コメ農家が規模拡大をしようとすると、農地を買ったり借りたりしなければならない。しかし、高米価でコストの高い零細兼業農家が滞留したので、米作の規模は拡大できなかった。これに対して、本来酪農も農地を拡大して頭数規模を拡大すべきだったのだが、輸入飼料の使用を増加させることで規模を拡大した。農地(草地)なき牛の頭数だけの規模拡大が可能になった。
国民の環境意識の高まり、アニマルウェルフェアへの対応、200%を超える乳製品関税の削減などを考えると、輸入飼料依存で牛舎飼いの酪農はいずれ維持できなくなる。輸入飼料依存の酪農に飼料価格の補塡を行うことは、ゾンビ企業を延命させるのと同じである。国民の負担は増大し続ける。
輸入飼料依存の酪農家にあえて対策を行うとすれば、希望する農家が、円滑に草地立脚型の酪農に転換するか酪農業から退出できるようにするための産業調整政策である。このようなものとして、エネルギー流体革命により斜陽産業化した石炭産業対策、日米繊維交渉を受けての繊維産業対策、200海里導入による北洋減船対策、日米牛肉・かんきつ交渉を受けてのミカンの伐採対策など、さまざまな対策が講じられてきた。
草地資源に立脚した酪農を維持振興するために必要な政策は、面積当たりの直接支払いである。食料安全保障も多面的機能も、農地資源を維持してこそ達成できる。そうであれば、農地面積確保のため、農業の種類にかかわらず、農地面積当たりいくらという単一の直接支払いを行えばよい。このような単一の直接支払いは、EUが長年の改革の末に到達した農業保護の姿である。
農政を国民や消費者の手に取り戻すために、われわれは何をすればよいのだろうか? 国民や消費者が食料の安定供給や国土の保全は自分たちの問題だという意識に目覚めるしかないのではないだろうか?