メディア掲載  グローバルエコノミー  2023.02.21

WTO再生のためのプランA、B、C

一般財団法人 国際経済交流財団 国際経済政策シリーズ1 ルール志向の国際経済システム構築に向けて 第2章に掲載(2022年12月21日発行)

農業・ゲノム

Point

世界貿易機関(WTO)が持っている立法機能と司法機能のいずれも機能不全に陥っている。30年前に作られた協定が修正されることなく、また経済情勢の変化に対応した新協定も作られていない。さらに、紛争処理手続きに不満を持つアメリカは、上級委員会の委員の任命を拒み、裁判的な機能も停止してしまっている。どうしてこのような状況に陥ったのかを関税・貿易一般協定(GATT)時代と比較することにより説明する。根本的には、GATT時代と加盟国の構成が大きく変化したのにコンセンサス方式を採用していることと、文言解釈の名の下に交渉者の意思や経済学的な意味などを考慮しない立法的・創造的な解釈が行われているという問題がある。これを解決するには、WTO自体の改革を行うプランAが望ましいことはもちろんであるが、それができない場合には、新しい経済事情に対応した環太平洋パートナーシップ(TPP)の立法機能を活用することによってWTO改革につなげるプランBWTO改革という意味ではより間接的だが、中国のTPP加入交渉を通じて、中国の補助金政策、国有企業、貿易歪曲的な政策等を是正するプランCを検討すべきである。

2020年、ロベルト・アセベド世界貿易機関(WTO)事務局長が任期半ばで突然辞任を表明した。その背景には、WTOの機能不全がある。

2022年第12回目のWTO閣僚会合では、ロシアのウクライナ侵攻で小麦の輸出が滞り、中東やアフリカ諸国などで深刻化している食料危機への対応が最大のイッシューとなった。この閣僚会合もこれまでと同様、インドなど一部の国が反対して宣言の採択が危ぶまれたが、会議を延長して協議した結果、617日約6年半ぶりに閣僚声明が採択された。

食料の輸出規制に関する声明の内容は、輸出を制限しようとする国に通報させ利害関係国と協議させるというWTO農業協定第12条をほとんど言い換えたに等しいが、今のWTOでは、このような内容に乏しい文書に合意することさえ容易ではない。また、紛争処理手続きに関し、上級委員会が機能を停止している問題については、議論を先送りした。

WTO とメガFTA を巡る現状

1.WTO の果たしてきた役割と機能不全

WTOには二つの柱がある。一つは加盟国で交渉を行うことで、時代の変化に対応した新しい貿易のルールを作ることである。これは立法的な機能である。

もう一つは、加盟国間で貿易を巡る紛争が生じた場合、問題となった措置がWTOのルールに合っているかどうかを判断し、違反している国に対して是正を求めるという紛争処理手続きである。これはいわば裁判や司法的な機能である。この両者とも機能がストップしている。

1)時代遅れのルール――食料の輸出規制を例として

1993年に妥結したGATT(関税・貿易一般協定)・ウルグアイ・ラウンド交渉は、ルールが不十分だった農業や繊維について規律を強化する一方、モノの貿易について規律していたGATTがカバーしてこなかったサービスや知的財産権についても新しいルールを作った。こうしてできたのがWTOである。

しかし、このルールは30年前に作られたものであり、経済の変化に対応したものではないばかりか、不十分な規制を改善できていない。2022年ロシアのウクライナ侵攻を機に世界的な食料危機が叫ばれている中である。農業協定第12条の食料の輸出規制を例にとって説明しよう。

この規定は、GATT・ウルグアイ・ラウンド交渉の最終局面で、日本が提案して導入したものである。そして、私は、この規定の実現に汗をかいた交渉団の一人だった。これを提案したとき、我々は農産物の輸出制限を規制すれば輸入国の食料安全保障は達成できると考えていた。おそらく、2022年閣僚会合に参加した多くの国もそのように考えていたに違いない。しかし、それは大きな間違いだった。

アメリカなどの穀物の輸出先進国は輸出を制限しない

当初私は、規制をかけられることになる輸出国アメリカは、日本提案に反対するのではないかと心配した。しかし、あっさりとアメリカは受け入れた。「輸出制限はしない、自由貿易こそが食料安全保障の道だ」というのが、その主張だった。アメリカなどの輸出国は、輸出制限できない事情にあったのである。

コメを除き、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジルなど穀物や大豆の大輸出国は、先進国または中進国である。しかも、これらの国では、生産量の相当部分が輸出に向けられている。小麦の場合、輸出が生産に占める割合は、アメリカ53%、カナダ74%、アルゼンチン52%、オーストラリア72%となっている(図1)。大豆では、ブラジル68%、アメリカ57%、アルゼンチン13%である(2020年)。アルゼンチンの大豆輸出が少ないのは、国内で大豆油に加工し、付加価値を付けてから輸出するため、大豆には輸出税を課して輸出を制限しているからである。

これらの国が輸出を止めると、これまで供給されていた量の倍以上が国内市場に供給され、国内価格は暴落する。逆に、ライバル国の輸出が減少すると国際価格が上昇する。つまり、輸出制限は自国の農業に害を与え、他の輸出国に利益を与える 1)。

次に、これらの輸出国は豊かな先進国だということである。価格が上がっても、消費者は食料を買うことができる。アメリカでも日本でも、食料支出のほとんどは加工・流通・外食の取り分であり、農産物の占める割合は1020%程度にすぎない。穀物などの価格が大幅に上昇しても、全体の食料支出にほとんど影響しない。

なぜ、インドは輸出制限をするのか

トウモロコシをガソリンの代わりとなるエタノールの原料として使用することが増えたため、2008年に穀物や大豆の価格が3倍に上昇した。インドやベトナムはコメの輸出を禁止した。

このときインドなどが不作になったわけではない。しかし、自由な貿易に任せると、コメは価格が低いインド国内から高い価格の国際市場に輸出される。そうなれば、国内の供給が減って、国内の価格も国際価格と同じ水準まで上昇してしまう。収入のほとんどを食費に支出している貧しい人は、食料価格が2倍、3倍になると、食料を買えなくなり、飢餓が発生する。インドはこれを防ごうとしたのである。ベトナムもインドに追随した(1億トン超の小麦生産があるものの93万トン〈2020年〉しか輸出していないインドが、2022年輸出制限を行ったのも、同様の理由からである)。

このようなインドやベトナムの行為は、国際市場への輸出を減少させて、国際価格をさらに押し上げ、フィリピンなどの輸入国の貧しい人に影響を与えた。しかし、国際社会として、国内で飢餓が発生するかもしれないインドなどに、輸出しろとは言えない。しかも国際価格の高騰にインドは何らの責任もない。WTOの規制は機能しない。

アメリカのような大輸出国が輸出制限をすることはないし、インドのような途上国が輸出制限をしても、国内に飢餓が生じてまで輸出しろとは言えない。輸出制限についての農業協定第12 条は、このような限界を持っている。

このような実態も反映して、輸出制限はたびたび行われているにもかかわらず、農業協定第12 条に基づく通報は、ほとんど行われていない。世界の食料安全保障の解決のためには、途上国における貧困の解決、食料生産の拡大がより重要なのである。

それでも、WTOの規律を改善する余地はある。輸入については、関税も数量制限も規律している。関税は約束した上限まで設定できる(GATT2条)が、数量制限は農業協定第42で禁止された。これに対して輸出税については、国際経済学では輸出税も輸入関税も同じ効果を持つ(ラーナーの対称性定理)とされてきたにもかかわらず、WTOでは規制されていない。

1995年から97年にかけて穀物の国際価格が上昇した際、欧州連合(EU)は域内の過剰農産物を国際市場で処分するための輸出補助金の支給を停止し、逆に域内の消費者、加工業者に国際価格よりも安価に穀物を供給するために、輸出税を課した。

輸出税によって、国内価格は国際価格よりも低下する。加工業者は他の国の競争者よりも安い価格で原材料を仕入れることができる。アルゼンチンの大豆と同様、インドネシアやマレーシアなどが丸太に輸出税を課すのは、木材加工品の輸出振興が目的である。輸出税はWTOでは禁止されている輸出補助金と同等の効果を持つ。これに対し、環太平洋パートナーシップ(TPP)では、域内向けの輸出税は禁止・撤廃された。

2)状況変化に応じたルールが作れない理由

以上のように、WTO成立後、立法的な機能はほとんど停止している。

GATT時代と現在のWTOとでは、意思決定の方法にどのような違いがあるのだろうか。どちらも、加盟国全てが同意しない限り決定されないというコンセンサス方式を採っている点では同じである。

先進国と途上国の利益が対立するのは、GATTの時代もあった。ウルグアイ・ラウンド交渉では交渉を立ち上げること自体、競争力のないサービス分野の自由化が行われることを恐れたブラジルやインドが反対した。また、先進国の中でも、EUは農業を交渉の対象に含めるのに消極的だった。このため、アメリカがウルグアイ・ラウンド交渉を提案してから4年後に、ようやく交渉は開始された。アメリカとEUが大きな影響力を持っていたGATT時代でもコンセンサスを得るのは容易ではなかった。

ウルグアイ・ラウンド交渉の行方を左右したのは、アメリカとEU間の農業問題だったと言って過言ではない。1992 年末アメリカとEUが農業補助金について合意したことにより、翌年交渉は妥結した。同交渉では、アメリカ、EU、日本およびカナダ(農業についてはカナダに代わりオーストラリア)の4か国で交渉を行い、それで合意したものを、7か国、13か国、21か国と参加国を広げていくことで、最終合意に至るという意思決定の方法が採られた。実際には、100を超える国が参加したが、ほとんどの国は交渉に関与していたとは言えなかった。

WTO設立後の2001年開始されたドーハ・ラウンド交渉は、農業、鉱工業品、サービス、ルール、貿易円滑化、開発、環境、知的財産権の8分野を対象とした。この交渉においても、アメリカとEUは農業問題について合意すれば、全体の交渉が妥結するはずだと考えた。中間的な合意を目指した2003年のカンクン閣僚会議の直前、アメリカとEU100%以上の農業関税は認めないとする上限関税率に合意した。しかし、これに対して、ブラジル、中国やインドを中心とした途上国は、先進国の農業補助金の大幅削減を要求した。両者は激しく対立し、カンクン閣僚会議は決裂した。

ドーハ・ラウンド交渉の開始と同時に、中国がWTOに加盟した。ドーハ・ラウンドではコアのメンバーに中国、インド、ブラジルという途上国が加わることにより、先進国対途上国の対立の構図が持ち込まれ、合意形成が出来なくなってしまっている。特に、インドがささいな問題にも反対し、これに他の途上国が同調することで、コンセンサス方式をとるWTOでは合意が難しくなっている。インドはコンセンサス方式を利用して、自国の要求を実現するという手法を見つけたようである。ドーハ・ラウンド交渉では、少数の国が集まって合意に至るというGATT時代の交渉方法も、途上国から反対された。しかし、たくさんの国が集まる会合で意思決定を行うことは民主的ではあるが、合意形成を行うことは容易ではなくなった。

小さな前進はあるものの、交渉によって新しい協定を作るという立法的な機能はほとんど停止してしまっている。1993年に作られたルールが今でも変更なく適用されている。モノの関税引き下げやサービスの自由化も進まず、電子商取引など新しい貿易の形態に適合したルールが作れなくなっている。

3WTOの裁判的な機能も停止――世界の食料安全保障を損ないかねない法律解釈

WTOの紛争処理手続きは、GATT時代に比べ格段に強化された。GATT時代は一国でも反対するとパネル(紛争解決のための裁判的な小委員会)の判断はGATT加盟国によって採択されないという問題があった。アメリカがEUの農産物輸出補助金をGATTに提訴して勝利しても、ことごとくEUにブロックされた。このため、一国でも賛成すると採択されるという仕組みに変更した。さらに、パネルの上に上級委員会を加え、二審制にした。

WTOの紛争処理手続きは、新しいルールが作られない中でも、しっかり機能してきた。しかし、ルールが古いままなので、解釈によって、ルールが作られないことを補おうとする動きがみられるようになった。法律を創造するような解釈を行ったのである。また、法律家による協定の文言に従った解釈と、交渉に当たった国の意図が、一致しないような場合もみられるようになった。ブラジルがアメリカの農業補助金を訴えたアメリカ綿花事件について見てみよう。農業協定第1条(e)では、輸出補助金とは「第9条第1項にリストされている輸出補助金を含め輸出を条件に交付される補助金をいう」と定義されている。第9条第1項の輸出補助金は削減対象の輸出補助金であり、各国が譲許表に記載・約束したものである。交渉者が意図した代表的なものはEUの輸出補助金である。すなわち、輸出補助金については、第9条第1項の削減対象のものと、第1条(e)には該当するが第9条第1項には該当せず削減対象とならない補助金の2種類がある。

さらに、第9条第1項以外の輸出補助金について、第10条は次のように規定している。①(第9条第1項の)輸出補助金についての約束の回避をもたらし又はもたらすおそれのある方法で用いてはならない。また、非商業的取引(援助等)は、輸出補助金についての約束を回避するために用いてはならない(第10条第1項)、②輸出信用については、国際的な規律の作成に向けて努力する。そのような規律について合意が得られた後は、当該規律に適合する場合に限って輸出信用を供与することを約束する(第10条第2項)。

10条の規制はゆるやかなものであると、交渉当事者間では理解されていた。例えば、輸出信用の規律について同条第2項は国際的な合意が得られるよう努めるとしているだけであり、ウルグアイ・ラウンド交渉で結論を出すのではなく、経済協力開発機構(OECD)での協議を待って規律することで交渉者は合意していた。

しかし、アメリカ綿花事件のパネル及び上級委員会は、交渉経緯に関するアメリカの主張を退け、第10条第2項があるからといって第10条第1項の規律を免れるものではないとした。輸出信用についても農業協定で規律されているという判断を下した。さらに、綿花のようにアメリカの譲許表に記載されていない作物に対する輸出信用は、交付すること自体で現実の回避が生じ、第10条第1項に違反するので、補助金協定3条の禁止補助金となる。また、譲許表に記載された作物に対する輸出信用については、譲許表の上限を超えた場合に第10条第1項に違反し補助金協定3条の禁止補助金であると判断した。

これは交渉者の意図に反するばかりか、著しく均衡を欠く判断である。ウルグアイ・ラウンド交渉でも現在でも貿易歪曲性が強いと考えられている第9条第1項の輸出補助金が削減約束さえ守っていれば禁止の補助金ではないのに、その回避をしてはならないとするより貿易歪曲性が少ない他の輸出補助金が禁止の補助金であると言っているのだ。つまり、貿易歪曲性が強い輸出補助金の方が緩やかな規律に服することになる。また、輸出信用は現状では禁止の補助金なのに、第10条第2項で輸出信用についての規律が作られれば、禁止の補助金ではなくなってしまう。

食料援助についても、第10条第1項は「非商業取引は、輸出補助金に関する約束を回避するために用いてはならない」と規定している。他方、第10条第4項で一定の規律のもとで食料援助は供与できるとしている。上級委員会は、第10条第4項は食料援助を第10条第1項の規律から免除するものではないとし、食料援助には第10条第1項と第10条第4項の規律がかかるとしている。しかし、第10条第1項をパネル・上級委員会のように解釈すると、非譲許品目については一切、譲許品目についても第9条第1項についての輸出補助金が譲許額・量に達すると、食料援助は供与できないことにならないだろうか。第3条第1項の譲許をしていない日本は一切食料援助ができないことになる(山下[2005b]参照)。

このような解釈は、世界の食料危機に対処する上でも著しく不当である。これは条約法に関するウィーン条約(条約法条約)第31 条の文言解釈に従った結果だと上級委員会は主張するのかもしれないが、文言に従ってもこのような解釈がなされるのか甚だしく疑問である。

条約法条約自体、文言だけを基準にして解釈すべきだとは規定していない。条約法条約第31条第1項では、「文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈する」と定められた。「用語の通常の意味」とは文法的な分析のみから理解されるものではなく、条約の文脈における用語の検討と条約の趣旨・目的から得られるものであるとされる。具体的には条約の文言だけでなく、条約締結の際になされた当事国の関係合意や、当事国による解釈宣言の中で他の当事国も認めたものなどの「文脈」によって解釈される(条約法条約第31 条第2項)。

さらに、第31条第4項は、「用語は、当事国がこれに特別の意味を与えることを意図していたと認められる場合には、当該特別の意味を有する」と規定している。また、第32条は、「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。

a)前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合、(b)前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」としている。

解釈に当たり、ウェブスター辞典だけをよりどころにすべきではない。また、GATT時代のパネルでは、GATTの元となったハバナ憲章での立法(交渉)過程が参照されて報告書が作成されていた。WTOでは立法過程が考慮されることなく、パネリストや上級委員による立法的かつ創造的な解釈が行われている。

アメリカは、こうした判断によって思ったような結論が出されないことに、いらだつようになった。また、最終的な判断が出されるまで時間がかかり過ぎることにもアメリカは不満を持った。こうしてアメリカは上級委員会の委員の任命を拒むようになった。以上からすれば、アメリカが一方的に非難されるべきではない。

こうして、WTO全体が機能不全・停止に陥ってしまっている。

2.アメリカ・オバマ政権によるTPP を活用した新ルール創設の試み

WTOに失望し21 世紀にふさわしい通商協定作りを望んだアメリカのオバマ政権が注目したのがTPPである。しかも、オバマ政権にとって、TPPは中国を排除するものではなく、新しい通商ルールに取り込むための仕組みだった。

中国のいないTPPという場でレベルの高い通商や投資のルールを作る。特に、オバマ政権が重視したのは国有企業だった。アメリカの企業が中国に進出しても、補助金や規制によって保護されている国有企業とは競争できない。TPP参加国の中に、社会主義国でかつ国有企業を多く持つベトナムがいた。アメリカはベトナムを仮想中国として、国有企業についての規律を交渉した。

自由貿易協定の本質は“差別”である。入ると有利だが、入らないと不利益を被る。特に、アメリカが参加するTPPのような広大な自由貿易圏については、参加しないと排除されるという不利益を受けるので、どんどん参加国が増える。TPPが拡大すると、中国もTPPに入らざるを得なくなる。そのときに中国にこれらの規律を課そうとしたのだ。

これを理解しないトランプ大統領はTPPから脱退した。しかし、偽造品の取引防止など知的財産権の保護、投資に際しての技術移転要求の禁止、国有企業と海外企業との間の同一の競争条件の確保という、トランプ政権が米中貿易戦争で中国に要求した項目は、すべてTPPに規定されている。

3.中国・台湾のTPP 加入申請

2021916 日、中国がTPPへの加入申請を行った。間髪を入れず922日、台湾がTPP加入申請を行った。新規加入申請国は既加盟国の了承が必要となるので、中国が先に加入すると、台湾が加入できなくなることを恐れたからだと言われている。これに対して、中国は「一つの中国」原則に基づき台湾のTPP加盟を認めないと主張した。

加入申請国は二つの条件をクリアしなければならない。

一つは、TPP協定に定める規律や義務の遵守である。中国との関連で重要なものとしては、国有企業、労働、電子商取引、知的財産権がある。しかし、いずれも中国にとって高いハードルである 2)。

もう一つの条件は、貿易や投資の面で、その市場や経済を開放することである。加盟国は、加入申請国に対し、関税などの貿易障壁を即時撤廃するよう要求することも可能である。どのような要求をするかも、それに加入申請国が答えていないと判断すれば、加入を認めないことも、加盟国の自由である。

さらに、中国が約束したことを実行しないことへの対処である。WTOでは、中国はWTO協定や加入議定書で要求されたことも十分に守ってこなかった。中国の鉄鋼業への補助金は、世界的な鉄鋼過剰を招いたと批判されているが、中国は補助金のWTO通報義務さえ履行してこなかった。このような状況がTPPでも起こるとすれば、他の加盟国が規律を守る中で、中国は一方的な受益者となる。

陰に陽に、中国は政治的な意図を実現するために、貿易措置を他国に圧力をかける手段として使用してきた3)。国際ルールよりも政治的な意思が優先する恐れがある。このような態度が改まらない限り、TPP に中国を受け入れることは好ましくない。

WTO 再生の方法

1.プランA

最も直接的な方法は、WTO自体で改革が行われることである。現状からすれば、改革は相当困難なように思われるが、方法がないわけではない。

現在進行しているのは、全ての国の参加を諦めて、希望する国のみが特定の協定に参加するというプルリ協定である。WTOの枠組みの中で、情報技術協定(ITA)が成立している。

しかし、プルリ協定には、次の問題がある。

第一に、知的財産権とか国有企業などのイッシューごとに参加国が異なることになる。実際に東京ラウンドでは、イッシューごとに参加国がまちまちとなり混乱したことから、その反省として、ウルグアイ・ラウンド交渉では全ての国が全ての協定を一括採択(参加)するシングル・アンダーテイキング(一括受諾方式)という合意方法が取られた。

第二に、アメリカや日本などが関心を持つ知的財産権や国有企業などのプルリ協定に、中国が参加しない限り、中国に規律を課すことはできない。

第三に、モノの関税の引き下げのプルリ協定では、参加しない国も参加国の関税引き下げの恩恵を受ける。このフリーライダーの問題があるので、最小限必要だと思われるある程度の数の国が参加しない限り合意しないというクリティカル・マス(多数の国。ITAでは参加国が全貿易量の90%を占める)という交渉方法が取られた。プルリ協定だから簡単にできるというものでは、必ずしもない。

根本的な改革案は、GATT時代からのコンセンサス方式の修正である。主権国家が義務や規律を受け入れるためには、その同意が必要となることは、理解できる。他方で、クリティカル・マスが同意した協定の効果が、WTOのその他の非同意国にも最恵国待遇によって均きん霑てんしていけば、非同意国は利益を享受することになる。このため、クリティカル・マスとして、例えば貿易量の8割以上を占める国の同意があれば、全てのWTO加盟国に協定の効果が及ぶという方法を検討できないだろうか。この際、途上国の場合わずかな利益を受ける代わりに大きな義務を負わされる可能性があるので、貿易量の少ない国については、特別の差異のある待遇(special and differential treatment)やルールに対する例外措置を適用するなどの救済を行えばよい。これによって、インドだけの反対によって全体の合意がブロックされるという現状を解決することができる。

次は、紛争処理手続きについての改革である。アメリカ綿花事件で見たような法律家による独善的な文言解釈ではなく、交渉過程も踏まえた立法意思や協定全体の構造などの確認を行い、それを解釈に反映することをルール化できないだろうか。これは条約法条約に反するものではない。また、WTOは貿易自由化の組織であるにもかかわらず、紛争処理手続きで中心的な役割を果たしてきたのは、法律家である。このため、経済学的な意味や効果を無視した文言解釈が行われる可能性がある。上級委員会のうち1名を経済学のバックグラウンドを持つものとする改革を行えば、経済や貿易の利益や実態から乖かい離り した判断を行うことを回避することができる。

2.プランB

WTOで新しいルール作りが困難となっている現在、TPPにより多くの国や地域が参加するようになれば、TPPで作ったルールをWTOのルールにすることが可能となる。単なる先進国だけの提案ではなく、アジア太平洋地域の途上国も合意したTPPの協定をWTOに持ち込むことについては、中国もインドも反対しにくい。これがプランBである。

しかし、その前提は、アメリカがTPPに復帰することだった。しかし、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)でアメリカ産農産物の日本市場へのアクセスを困難にしたものの日米自由貿易協定(FTA)合意でアメリカの利益を回復させたこと、および民主・共和両党とも反自由貿易主義が大勢を占めていることにより、アメリカのTPP復帰は望み薄となっている。

狭い道かもしれないが、次によってアメリカのTPP 復帰を模索すべきである。

a.コメの日本市場開放をトランプ大統領は要求しなかった。共和党にとって重要な牛肉と異なり、コメは民主党が多数を占めるカリフォルニアから輸出されるからである。日米貿易協定よりTPPの方が有利な部分はないか? 日本市場だけではなくTPPの他の市場でアメリカの利益が回復されないでいるものはないか? これらを検討して、該当するアメリカ国内の業界に働きかけをしてはどうだろうか。

b.自由貿易に反対しているのは、鉄や自動車などアメリカの一部の業界である。世論調査でみると、国民全体としては、必ずしも反自由貿易ではない。TPPの“貿易と環境”を改善するとして、環境に関心あるグループ(若者世代など)へのTPP認識を高められないか? アメリカが要望するのであれば、アメリカが希望するようにTPPの環境章や労働章を見直してもよい。

c.中国台頭への懸念は超党派で共有されている。議会対中強硬派へTPPの戦略的重要性を説得してはどうか。

d.アメリカが主導しているインド太平洋経済枠組み(IPEF)への参加国を増やしていくためには、これらの国に実体的な利益を感じさせることが必要である。そのためには、アメリカ市場へのアクセスが大きな求心力を果たすのであり、アメリカのTPP復帰が効果的となる。

3.プランC

当面の通商上の利益が、中国の貿易歪曲的な行動等を是正することにあるとすれば、中国のTPP加入交渉を通じてこれを実現することができる。

第一は、安易な妥協をしないことである。

将来の中国との交渉を念頭に置いて、イギリスのTPP加入交渉において、イギリスにはTPP協定の例外を認めず、また貿易や投資について高いレベルの自由化を認めさせることが重要である。同時に、台湾との交渉も開始すべきである。台湾が高いレベルの協定を受け入れて中国ができないということになれば、中国のメンツは保てない。

第二は、中国がTPP協定や加盟国の要求を満たすまで、いくら時間をかけても構わないということである。中国のWTO加入交渉は15年を要した。

仮に5年くらいかかるとすれば、その間にアメリカのTPP復帰も期待できるかもしれない。それが中国の加入より先になれば、アメリカは中国に対してTPP加入に拒否権を発動できる。現行のTPPでは、アメリカが復帰するまで、アメリカが要求した規定を停止している。アメリカが復帰すると中国の加入へのハードルがさらに高まる。対中関係ばかりではなく、アメリカが参加するTPP協定はWTO改革につながるプランBとしての魅力を増す。

第三は、TPP協定自体を経済の変化に合わせて、修正・進化させることである。中国にとってはゴールポストが動くことになるが、中国の交渉に合わせて、TPP協定の進化を遅らせるべきではない。

最後に、中国のTPP加入交渉を積極的に活用することである。

我が国にとって食料危機への対応として最も効果的な政策は、減反廃止によるコメの増産とこれによる輸出である。平時にはコメを輸出し、輸入が途絶えた危機時には輸出に回していたコメを食べるのである。平時の自由貿易が、危機時の食料安全保障の確保につながる。

輸出市場として有望なのは中国である。コメの市場規模は日本の20倍である。しかも、中国では、ジャポニカ米の消費・生産はこの15年ほどの間にゼロから4割までシェアを増やしている。中国国有企業が流通を独占し高額のマージンを徴収しているためであるが、日本では1キロ当たり500円で買える日本産米が、中国では1,700円で売られている。これは高くても日本産米を購入する消費者が存在することを示している。

しかし、中国はカツオブシムシという害虫がいるという検疫上の理由で、輸入を禁止した。20074月に輸入を解禁したが、依然として中国が指定した施設で精米・薫蒸が行われるという厳しい検疫条件が要求されており、自由な輸出は認められていない。

コメについては、532万トンの関税割り当て(関税率1%、ジャポニカ米、インディカ米が半々)の下で国家貿易企業が輸入しているが、2001年から2010年までは50万トンに達しない年がほとんどである。近年輸入量が大幅に増加しているものの、2020年の輸入量は290 万トンであり、大幅な枠の未消化がある。また、WTOへの加入の際の約束では、輸入枠の半分は民間企業で輸入することになっているが、輸入許可申請は国家貿易企業に限定している。また、上記の高額のマージンは、WTOで約束した関税の上限を超えている。

さらに、コシヒカリなど日本の品種名が中国で商標登録されているので、日本の生産者がこれらを中国では使用できないという問題がある。農業以外でも、知的財産権など中国に是正を要求する事項は多いだろう。

中国に対しては、以上の点を是正しなければ加入を認めない、加入後も是正措置が講じられない場合には中国に対する譲許(中国がTPPから受ける利益)を停止するとすれば、中国のさまざまな行動を是正する大きなチャンスとなる。

  1. 過去、アメリカが輸出制限をした例が2回ある。1973年、家畜のエサとして利用していたペルー沖のアンチョビーが不漁になったため、アメリカでは、その代替品として「大豆かす」への需要が増大した。当時、アメリカは世界の大豆輸出量のほとんどを占めていた。そのアメリカが国内の畜産農家への大豆供給を優先するため、わずか2か月間だったが大豆の輸出を禁止した。このため、大豆製品の消費が多く、アメリカの大豆供給への依存度の高い日本は混乱した。将来の供給不安を覚えた日本は、ブラジルのセラードと呼ばれる広大なサバンナ地域の農地開発を援助した。以来ブラジルの大豆生産は急激に増加した。世界の大豆生産に占めるブラジルとアメリカのシェアは、1961年は0%対68.7%と圧倒的な差があったものが、2020年ではブラジルが逆転し、37.2%対28.8%となっている。ブラジルは、瞬く間に大豆輸出を独占してきたアメリカを凌駕する大輸出国になってしまった。

    次に、1979年アフガニスタンに侵攻したソ連(当時)を制裁するため、アメリカはソ連への穀物輸出を禁止した。しかし、ソ連はアルゼンチンなど他の国から穀物を調達し、アメリカ農業はソ連市場を失った。あわてたアメリカは、翌1980年禁輸を解除したが、深刻な農業不況に陥り、農家の倒産・離農が相次いだ。独占的な輸出国でない限り、外交・政治的観点から戦略的に穀物を利用することはできない。2度の失敗に懲りたアメリカは、もう輸出制限をしようとはしない。

  1. 中国市場に進出したり国際市場で活動したりしている企業が、補助金や規制で守られている中国の国有企業と競争しなければならないとすれば、不公平である。しかし、中国にとっても、経済の中で大きな地位を占める国有企業の改革は難問である。地域包括的経済連携(RCEP)には、国有企業の規律はない。WTOにおいて、中国は国有企業に対する規律導入を明確に拒否している。

    国際労働機関(ILO)参加国の義務として、TPP協定では、①結社の自由や団体交渉権の承認、②強制労働の撤廃、③児童労働の禁止などを要求しているが、中国は①と②を批准していない。中国がこれらを認めることは、体制の根幹にかかわりかねないことになり、相当難しいのではないかと思われる。

    電子商取引について、TPPでは、ソフトウェアの設計図となる「ソースコード」の開示要求を禁止しているが、中国が参加するRCEPでは規定できなかった。また、RCEPでは、TPPと同様、電子的な情報の越境移転を認める義務や自国内にコンピューターなどの設備を設置することを義務付けることの禁止を規定したが、公共政策の理由から例外措置を講じることが認められており、実効性は期待できない。

  1. オーストラリアが新型コロナウイルス感染の起源に関する国際調査を公式に求めたことに中国は反発し、大麦やワインの関税を引き上げるなど制裁措置を講じた。これは明白なWTO違反である。台湾産の果物について、害虫を発見したという理由で、2021 3月にパイナップル、9月にバンレイシとレンブを、それぞれ輸入禁止にした。


参考文献

小寺彰、岩沢雄司、森田章夫編 [2006]『講義国際法』有斐閣

山下一仁[2000]『詳解 WTOと農政改革』食料・農業政策研究センター

山下一仁[2005a]『WTO農業協定の問題点と交渉の現状・展望―ウルグァイ・ラウンド交渉参加者の視点―』RIETI discussion paper 2005/05 05-J-020

山下一仁[2005b]『WTO農業協定の問題点とDDA交渉の現状・展望』日本国際経済法学会2005年年報、第14

山下一仁[2022a]『国民のための「食と農」の授業 ファクツとロジックで考える』日経BP 日本経済新聞出版本部

山下一仁[2022b]『日本が飢える! 世界食料危機の真実』幻冬舎新書__