メディア掲載  グローバルエコノミー  2023.02.17

もういちど問う「酪農経営は本当に苦しいのか?」

NHK「クローズアップ現代」が伝えなかった不都合な真実

論座に掲載(202323日付)

農業・ゲノム

123日のNHKクローズアップ現代は、「牛乳ショック、値上げの舞台裏で何が」と題して、北海道の酪農家の現状を説明した。NHKのウェブサイトでは、「朝一杯の牛乳が消える!? 酪農危機の知られざる実態」という取材ノートが掲載されていた。

番組は冒頭、キャスターの「牛乳、将来当たり前に飲めなくなるかもしれません」という発言で始まった。「牛乳が消える」というウェブサイトのタイトルと同様、消費者を脅すような印象を受けた。

「舞台裏」とか「知られざる実態」という表現を使っているが、伝えているのは主に酪農家の主張で、根本にある問題に触れていない。それは、北海道酪農にとって不都合な真実だからだ。

番組は何をどう伝えたか

輸入トウモロコシの国際価格が上昇し、また乳価も十分に上げられないので、トウモロコシを主体とする配合飼料をエサとする酪農家の経営は苦しくなっている。副収入のオス子牛の価格も一昨年の1314万円から昨年9月には5千円に下がっている。さらに、国の場当たり的な政策による被害もある。バターが不足したので、国は生乳生産の増加を後押しした。しかし、新型コロナによる需要減少で供給過剰となり、脱脂粉乳の在庫が増加している。このため、生乳が廃棄されている。北海道は14万トンの減産をする予定だが、生乳13.7万トンに当たるバターや脱脂粉乳の輸入を止めれば、減産しなくて済む。これに対して、専門家として出席した農業経済学者は、「政府は13.7万トンを最低輸入義務としている。日本だけが海外の国の顔色を窺いながら、輸入を続けている」とし、「金を出せば買える時代は終わった。国内に農業があることが重要だ」という趣旨の発言をおこなった。

最近まで経営は極めて順調だった

番組は、経営コストの大部分を占める配合飼料の価格がこの2年間で1.5倍になったことやオス子牛価格の暴落を経営悪化の理由として挙げている。

しかし、その前はどうだったのだろうか?

トウモロコシの国際価格は、2014年から2020年までの7年間、低位で安定していた。最近の10年間のうち7年間は底値だったのである。酪農家の副収入であるオス子牛価格は、通常35万円ほどだった。それが牛肉価格の高騰で、2016年から最近まで10万円から15万円と過去最高水準の高値で推移してきた。

生乳の売上高の方はどうだったのだろうか?

生乳価格は2006年以降大きく上昇した。2006年に比べると2022年は45%も高い。

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農林水産省「農業物価統計調査」から。2022年には、さらに100円引き上げられた

苦境はバブルがはじけた結果ではないか

北海道の生乳の生産量は、バター不足が問題となった2014年の381万トンから2021年は427万トンへ増加している。

乳価も生産量も上昇したのだから、価格に生産量を乗じた売上高は増加した。副収入のオス子牛価格も史上最高の水準で、コストのほとんどを占めるエサ価格は底値だった。収益は売上高からコストを引いたものだから、最近まで酪農経営は極めて好調だった。

「酪農家の平均所得(収入からコストを引いたもの)は2015年から2019年まで1000万円を超えて推移している。最も高かった2017年は、酪農家の平均で1602万円である。この年100頭以上の牛の乳を搾っている階層は、北海道で4688万円、都府県で5167万円の所得を上げている(農林水産省「農業経営統計調査」)。国民の平均所得の10倍以上だ。」(論座20221226日付「酪農経営は本当に苦しいのか?」)

つまり、トウモロコシの国際価格が上昇するまでは、酪農経営は数年間バブルだった。そのバブルが昨年はじけただけなのだ。

酪農家の損失は国民が補償すべきなのか

穀物価格は変動する。穀物価格が高騰すれば酪農経営の収益に対してマイナスに、下落すればプラスに働く。酪農だけでなく、価格変動が激しい一次産品を原材料とする産業なら、当たり前のことだろう。(まさかこれまでの高収益がフェラーリに化けたわけではないだろうが)経営が好調な時に、穀物価格が高くなることへの備えをしないのだろうか?

酪農家が、輸入穀物が安いときは黙って利益を得、高くなると国民(負担するのは納税者)に助けを求めるのは、フェアではない。価格変動がある輸入飼料依存の経営を選択したのは酪農家である。これに補てんするのは、株式投資で失敗した人に損失補てんするのと同じである。

納税者に穀物価格上昇の責任はない

私はアメリカに留学していた1981年、中西部で「農場売ります(Farm for Sale)」という看板を多数目にした。穀物価格が暴落したので、コーンベルト地帯の多数の農家が廃業したのだ。当然農家は救済を求めた。しかし、日本で言うと財務省主計局と内閣人事局を合わせたような組織であるOMBOffice of Management and Budget)の長官だったデビッド・ストックマンは、「利益を上げようとして投資した人が失敗したからと言って、どうして政府が補償しなければならないのか」と言い放った。

私は、農林族議員に牛耳られている日本の農林水産省の役人には発言できない言葉だと思った。しかも、この時農業不況になったのは、ソ連のアフガニスタン侵攻に対する制裁として、カーター政権がソ連への穀物輸出を禁止したため、売り先を失ったアメリカ産穀物の価格が暴落したためだった。農家の責任ではなく、アメリカ政府の政策が引き起こしたものだった。

これに対して、現在の日本の酪農の場合、穀物の国際価格の上昇もオス子牛価格の低下も、国が招いたものではない。それなのに、責任のない納税者(国)がどうして飼料価格に補てんしなければならないのだろうか?

ワープロの出現で廃業した東京下町の印刷業者も大型店の郊外出店でシャッター通り化した商店街の店主も、国に補償を要求したことはない。酪農家だけが特別扱いを受ける根拠や理由はあるのだろうか?

穀物価格は長期的には低落傾向にある

トウモロコシなどの穀物価格が上昇した要因について、クローズアップ現代は、①ウクライナからのトウモロコシ輸出の減少、②中国の畜産業による穀物需要の増大、③アメリカがトウモロコシをエタノールに仕向けることによるエサ用の供給減少、を挙げた。

①は短期的なもので、ずっと続くものではない(と期待する)。②は、以前から続いてきたものである。突然中国人が肉を食べ始めたわけではない。中国の1人当たりの食肉消費量は既に日本の2倍の水準に達しており、その人口は高齢化、減少する。③は、2008年から続いている。今回のトウモロコシ価格は原油価格の上昇に連動した面が強い。原油価格が低下するとエタノールの需要は減少し、トウモロコシ価格も低下する。

つまり、最近の穀物価格上昇は一時的なもので、いずれ穀物価格は低下するだろう。しかも、物価変動を除いた穀物の実質価格は、次のアメリカ農務省のデータが示す通り、長期的低下傾向にある。需要の増加を生産(供給)の増加が上回ったためだ。国際機関のFAO(国連食糧農業機関)とOECD(経済協力開発機構)や日本の農林水産省も、穀物の実質価格は将来的にも低下すると予測している。今後はゲノム編集など新しい技術も本格化する。もちろん、穀物の国際価格は一時的、突発的に大きく上昇するが、このような高い水準が継続することはない。

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物価調整した、トウモロコシ(茶色)、小麦(緑色)、大豆(青色)の1912年から2018年までの価格推移(アメリカ農務省経済調査局作成)

欧米の3倍もする日本の乳価

番組では、乳価が低いことが強調されていた。

しかし、「日本にも大地に根差した酪農がある!」(論座20230105日付)で紹介したように、2016年当時、日本の乳価は欧米の3倍もしている。世界最高水準と言ってもよい。高い牛乳や乳製品の価格を負担しているのは、日本の消費者だ。

また、これは高い関税で維持されている。このため、国産の乳製品だけでなく、海外からの輸入品にも消費者は高いお金を払っている。300%超のバター関税があるため、フランスのエシレバターを日本で買うとパリのスーパーの6倍もする。

生乳価格だけでなく、乳牛1頭当たりの乳量も世界最高水準である。価格に生産量(乳量)をかけた売上高も世界最高のはずである。

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エサである輸入トウモロコシの価格は世界共通である。アメリカより高いトウモロコシ価格を日本が払っているわけではない。それならコストに違いはないはずである。

売上高が高くてコストが同じなら、日本の酪農経営は欧米よりはるかに良いはずだ。それなのに、なぜ日本の酪農経営は厳しいのだろうか?逆に、乳価も乳量も低いヨーロッパの酪農家は、どうして廃業しないのだろうか?

供給責任を果たしてこなかった酪農界

クローズアップ現代の主張のように、トウモロコシをエサにしている酪農家が廃業したら、牛乳は飲めなくなるのだろうか?

酪農は国民である納税者・消費者の負担で多くの支援を受けたのに、供給責任を果たしてきたとは言えない。生乳生産量は1996年の866万トンから2021年は765万トンへ100万トン減少し、牛乳・乳製品の自給率は1960年の約90%から60%程度に低下している。

 輸入より国内生産の方が、国民に安定的に供給できると考えるのは間違いだ。2014年、バターが足りなくなった。しかし、世界では余っていた。バターの貿易量は平均的には100万トン程度だが、このときは113万トンに増加していた。日本国内のバター生産は67万トンに過ぎない。国内の不足分を輸入しようと思えばいくらでも輸入できた。

それが輸入されなかったのは、制度的にバター輸入を独占している農林水産省管轄の独立行政法人農畜産業振興機構(ALIC)が、国内の酪農生産(乳価)への影響を心配した農林水産省の指示により、必要な量を輸入しなかったからである。乳製品の輸入に反対し続けてきた酪農界が、バターの安定供給を妨害した。自由な民間貿易に任せれば、バター不足は起きなかった。

“国産のチーズも原料の8割は輸入品

牛乳・乳製品の消費量に占める輸入の比率は、1960年の1割から4割に増加した。国産の乳製品の価格が高いため、安い外国産が関税という高いハードルを乗り越えて輸入される。輸入が増えたのは、酪農界が内外価格差縮小に努力しなかったからだ。国の保護が少ないからではない。

プロセスチーズは、国産の生乳を使用した高コストのナチュラルチーズと、特別に無税で輸入した安価な豪州やニュージーランド産のナチュラルチーズを同時に使って、生産されている。消費者は国産と思って食べているのかもしれないが、原料の8割は輸入物である。

輸入品より国産の方が品質的に優れているというのも、誤りである。多くの消費者はエシレバターの方が国産より品質は良いと評価している。関税がなくなれば、フランスの6倍で売られているエシレバターの価格は下がり、輸入も増える。国民は保護がなくなることで、納税者としても消費者としても、利益を受ける。輸入飼料に依存する生乳生産が減少すれば、環境も改善する。

バター+脱脂粉乳+水=加工乳

牛乳は面白い商品で、水を抜くとバターと脱脂粉乳ができる。できたバターと脱脂粉乳に水を加えると、牛乳に戻る。これは「加工乳」と表示されているが、牛乳と成分に違いがあるわけではない。

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夏場に、牛乳の需要が高まるが、牛はバテて乳の出が悪くなる。冬場は逆である。このため冬に余った生乳(これを余乳と言った)をバターと脱脂粉乳に加工して、夏に牛乳に戻すというやり方をしていた。都府県の生乳生産が多かった時代は、全国各地に余乳処理工場があった。トウモロコシをエサにしている酪農家が廃業しても、輸入のバターと脱脂粉乳から牛乳(加工乳)を作ることができる。(論座202215日付「わずか数年で、牛乳が不足から過剰になった仕組み」参照)

輸入飼料に依存しきった体質こそ問題

番組は、この問題を引き起こした根本的な問題に触れようとはしなかった。それは、本来草地に立脚するはずの酪農を、アメリカのトウモロコシに依存する酪農に変えたことの酪農界の責任である。

北海道酪農を発展させたのは、農林省畜産局の発案による1965年の加工原料乳生産者補給金等暫定措置法(不足払い法)だった。これは、都府県の酪農が縮小し、北海道が飲用牛乳(市乳)供給地帯となるまで、北海道酪農を発展させようとするための暫定的な措置として、導入された。

これによって、北海道の生乳生産は1966年度の71万トンから2021年度には431万トンに拡大した。当初、北海道の生乳生産拡大は草地面積の拡大を伴ったものだった。不足払い法が将来の生乳供給基地を北海道と定めたのは、広大な土地を持つ北海道なら土地利用型の農業を展開できると考えたからだ。

ところが、1980年代後半以降、北海道酪農は、草地面積の拡大ではなく、輸入トウモロコシを原料とする配合飼料の使用量を増やすことで、飼養頭数を拡大した。手っ取り早く収益を上げられるからだった。これによって、北海道の酪農収益も、トウモロコシ価格と連動するようになってしまった。

輸入飼料に依存する酪農は、飼料の輸入が途切れる食料危機の際には壊滅し、国民への食料供給という役割を果たせない。食料安全保障から保護する理由はない。また、糞尿を穀物栽培に還元することなく、国土に大量の窒素分を蓄積させる。環境にマイナスの影響を持つ酪農を、高い関税で保護したり補助金を交付したりすることは、経済学的に正当化できない。税金を課して、生産を縮小させるべきなのだ。

農林水産省が行うべきなのは、輸入穀物依存の酪農から草地に立脚した酪農への転換である。今放牧されている乳牛は全体の2割程度である。輸入穀物依存の酪農家が廃業しても、牧草地で草を食む乳牛から絞られる牛乳はなくならない。足りなければ、輸入したバターと脱脂粉乳から加工乳を作ればよい。クローズアップ現代が提起すべきだったのは、北海道酪農の輸入穀物依存体質である。

番組に出席した農業経済学者が主張するように「(穀物価格高騰で)金を払えば買える時代は終わった」のであれば、乳牛のエサのトウモロコシもアメリカから買うことを止めるべきではないか。エサも国産の牧草にすべきだ。もちろん、納税者にトウモロコシを買う10倍もの負担をさせて、米を家畜のエサに使用するという世界のどこもやってないことをしてはいけない。

酪農保護のための輸入枠をなくせという矛盾

番組を見ていて、少々憤りを感じた部分がある。それは14万トンの生乳を減産するのではなく、137千トンの輸入枠をなくせばよいという酪農家と専門家の主張である。

この輸入枠は、ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の結果設定したものである。コメと異なり、バターなどの乳製品は、関税化(輸入数量制限などの関税以外の障壁を関税に置き換えること)したことで有利な条件を勝ち取った。

乳製品の輸入制限は、本来アメリカにガット提訴されて負けており(1987年農産物12品目問題パネル報告)、脱脂粉乳などは、30%前後の低い関税で自由化しなければならなかった。アメリカと交渉して当面自由化しないことを了承させたうえで、ウルグアイ・ラウンド交渉まで持ち込んで、200%を超える関税を設定した。ウルグアイ・ラウンド交渉の関税化の方法を記した文書では、内外価格差(国内価格マイナス国際価格)を関税にするとされた。その際、国内農業を保護するため、できる限り大きな数値を計算し、これを輸出国に認めさせたのである。

高関税の代償として認めさせた輸入枠

同文書では、高い関税を設定する代償として輸入枠の設定が求められた。乳製品については198688年の輸入量を生乳に換算して137千トンの輸入枠を設定した。交渉で、オーストラリアやニュージーランドはバターや脱脂粉乳などの個別の乳製品ごとに輸入枠を設定することを要求した。

しかし、我々は生乳に換算して一括の輸入枠を設定し、この枠の中でどの乳製品を輸入するかどうかは、それぞれの乳製品の国内需給状況を見ながら、国家貿易企業である農畜産業振興機構(ALIC)が、自由に判断して決定できるようにした。これだと、すべてバターで輸入することも可能となる。交渉文書中の「少なくとも現行条件で」約束するという文言を盾にとって、これが日本の現在の輸入制度(つまり現行条件)だと主張して、譲らなかったのだ。

この点は、オーストラリアやニュージーランドが納得したかどうか、最後まで不安だった。小さな交渉でも合意していないと主張されれば、農業ばかりかウルグアイ・ラウンド交渉の全てのプロセスが白紙に戻ってしまう。私の上司は交渉の最終日までオーストラリアなどが反対の意思を表明していないか確認していた。

“国家貿易維持のためにひねり出した理屈

関税化の対象には、「国家貿易企業を通じて維持される非関税措置」も含まれているので、乳製品についてのALICによる独占的な輸入も、認められないはずだった。しかし、我が国が輸入制限をおこなってきたのは輸入数量制限によってであり、国家貿易によってではないと主張し、コメ、麦、乳製品の輸入枠の部分について国家貿易を継続した。私が考えてアメリカ等に認めさせた理屈だった。国家貿易の維持は、農林水産省にとっては組織維持のために必要だった。

国家貿易による輸入は、国家が約束したものを国家が輸入することになる。したがって、「購入約束」をしたものという扱いになり、100%輸入枠どおり輸入している。

国家貿易を廃止すれば、現行の輸入枠はすべて輸入されないかもしれない。コメでは内外価格差が逆転すると、一部輸入枠が未消化になることもある(未消化分は他の輸入枠を拡大して100%輸入している)。しかし、乳製品のように内外価格差が大きいままの状態では、安く輸入して高く売れば必ず儲かるので、民間貿易に移行しても137千トンの輸入枠は100%消化される。137千トンの輸入が嫌なら、コストを削減し内外価格差をなくすしかない。

このほか、自由化品目だった70%がバターだという調整品についても、関税化してバター並みの高関税を設定した。

農水省が総力を挙げた手強い交渉

私は、19894月から913月まで農林水産省畜産局の牛乳乳製品課の総括課長補佐、914月から933月まで同局の政策・予算を統括する畜政課の総括課長補佐となり、934月から同省国際部の交渉調整官としてウルグアイ・ラウンド交渉に参加した。乳製品の交渉方針については、牛乳乳製品課にいた時から、ウルグアイ・ラウンドの交渉文書を何度も読み返しながら準備していた。手強い交渉相手だったが、おおむね達成できた。

ウルグアイ・ラウンドは、戦後の農林水産省にとって最も重要な交渉だった。これに対応するため、省内から優れた人が集められたと思う。我々のチームは全力を挙げてアメリカ、EU, オーストラリアなどと交渉した。私自身934月以降何度も海外出張をしたし、最終局面では、1015日にスイス・ジュネーブに入り、交渉妥結の1215日まで、一度も日本に帰らず交渉した。当時は、気力、知力、体力とも充実していた。今もういちど交渉をやれと言われても、同じような成果を上げることができるかどうか確信は持てない。

高関税と輸入枠は切り離せない

乳製品の高関税も輸入枠も全部一つのパッケージである。酪農家が「137千トンの輸入枠をなくせばよい」というのなら、「関税化などしないで、ガット・パネルで敗訴したまま、関税30%で自由化すればよかった」と言いたくなる。137千トンどころか、北海道の生乳生産の約半分の200万トンはなくなるだろう。イソップ童話の欲張りな犬のようだ。

北海道の酪農が発展したのは、酪農家だけの力ではない。不足払い法や乳製品の貿易制度などの保護があるのを当然のように思っているのかもしれないが、それがなかった時の北海道酪農を想像してもらいたい。酪農家に我々の努力が評価されないのは、残念というより無念である。

生乳廃棄、減産の原因は酪農家にもある

最後に、酪農界に言いたいことがある。

脱脂粉乳の在庫が増大し、生乳を廃棄したり、生乳生産を減少したりしなければならなかったことを、番組では酪農家の言うまま、国の場当たり的な政策のせいだとした。

生乳からバターと脱脂粉乳が同時にできる。2000年に汚染された脱脂粉乳を使った雪印の集団食中毒事件が発生して以来、脱脂粉乳の需要が減少し、余り始めた。これに合わせて生乳を生産すると、バターが足りなくなる。2014年のバター不足は、この需給関係が引き起こした。

その後、農林水産省は、バターの供給が足りなくならないよう、生乳生産を拡大させた。その結果、脱脂粉乳が過剰になり在庫が増大した。そこで今度は減産を指導している。

しかし、脱脂粉乳が過剰にならないようにすれば、国産ではバターすべてを供給できないので、不足分を輸入すればよい。しかし、137千トンの輸入枠を超えた輸入には酪農団体が反対する。このため、農林水産省がバターをできる限り国産で供給できるよう生乳生産を増加した結果、脱脂粉乳が過剰になったのである。

酪農家なら、乳製品の需給関係も理解すべきである。生乳を作るだけで、後は乳業と国の責任だというのはあまりにも勝手ではないか? 増産と減産を繰り返したくないなら、一定量のバターの輸入を認めるしかない。農林水産省が悪いのではなく、自らの政治活動が生乳廃棄、減産を招いたのだ。

自由貿易のルールに反する酪農界の主張

今回、政府、酪農団体、乳業メーカーが基金を作って、「乳業会社が安値の海外産の脱脂粉乳を国産に切り替えたり、国産の脱脂粉乳を安く輸出したりする際には、それらの取り組みによって生じる海外品との値差を基金から補填するようにした」(121日付け日本経済新聞)。この記事を読んで、私は驚いた。農林水産省はここまで劣化したのかと感じた。さらに、外務省、経済産業省、財務省の各省が、これに異を唱えないのかと不思議に思った。

これは明らかに、WTO(世界貿易機関)が禁じている国産優遇補助金と輸出補助金である(WTO補助金協定及び農業協定)。アメリカやオーストラリアなどがWTOに提訴すれば、報復措置として日本からの輸入車に高関税を課すことが可能である(これを「クロス・リタリエイション」という)。大手の自動車メーカーが被害を受ければ、そのしわ寄せは下請けの中小事業者に及ぶ。日本は自由貿易のルールを守るよう世界に呼びかけているに、酪農界は、それに違反することを政府にさせようとしている。これは、国益に反しないのだろうか?

酪農団体に限らず、農業界には苦しくなれば政治家や国に救済を求めるという体質が定着している。それが、さまざまな影響を生じることを認識しないのは残念だ。

農業者の自立・自助の精神はどこへ

そのような中でも、一筋の光がある。2014年米価が下がり、JA農協が政治活動を活発化させる中で、ある女性農業者は、「弱音を吐いて誰かに助けを求めているようでは、農業は人から憧れられるような職業にはならない。」と言い切った。このような自立・自助の農業者が増えるのだろうか?それとも体質は変わらないのだろうか?

若き農政学者・柳田國男は次のように主張した。

「世に小慈善家なる者ありて、しばしば叫びて曰く、小民救済せざるべからずと。予を以て見れば是れ甚だしく彼等を侮蔑するの語なり。予は乃ち答えて曰わんとす。何ぞ彼等をして自ら済わしめざると。自力、進歩協同相助これ、実に産業組合の大主眼なり」(『最新産業組合通解』定本第28130ページ)


酪農についての筆者の最近の記事は次の通りです。
ある酪農従事者の告発~この国で乳牛はどう扱われているのか」(20230120日)
日本にも大地に根差した酪農がある!」(20230105日)
酪農経営は本当に苦しいのか?」(20221226日)
税金の無駄遣いがやまない畜産基金とはなにか」(20220927日)