メディア掲載  グローバルエコノミー  2023.01.27

日本にも大地に根差した酪農がある!

山地酪農こそ酪農の王道だ

論座に掲載(2023年1月5日付)

農業・ゲノム

20221123日付け朝日新聞(朝刊)は、「酪農 今のままでいいの?」と題して、飼料高騰に影響を受けない「山地酪農」に取り組んでいる農家(中洞正氏)へのインタビューと山地酪農に批判的な農業経済学者の意見を紹介した。さらに、121日の同紙(夕刊)は神奈川県西部で山地酪農に取り組んでいる女性酪農家の記事を掲載している。

農林水産省や農業団体の言っていることを批判なく伝えたり、輸入飼料の価格上昇で酪農経営が苦しいと述べるだけの報道が目立つ中で、出色の記事だった。日本の酪農や畜産のあるべき姿に関する判断材料を国民に提供したことを評価したい。

酪農家が使う2種類のエサ

山地酪農とは何かを説明する前に、前回の記事「酪農経営は本当に苦しいのか?」(20221226日付)と重複するが、酪農家は2種類のエサを使っていることを説明したい。山地酪農と一般の酪農の大きな違いは、エサの違いと言ってもよいからである。

反芻動物の牛は草を食べてきた。牧草やワラなど繊維質の多いエサを「粗飼料」という。ニュージーランドは、牧草だけをエサにしている。粗飼料は、牛乳の中の乳脂肪分を上げる効果がある。

これに対して、トウモロコシや大麦といった穀物、魚粉、大豆かすなど、タンパク質、炭水化物、脂肪などを多く含む飼料を「濃厚飼料」という。日本の飼料産業は、アメリカなどから輸入したトウモロコシなどの濃厚飼料に他の補助的な栄養素(飼料添加物)を加えた「配合飼料」を製造し、畜産とともに大きく発展した。土地資源に乏しい都府県の酪農は、これを牛に与えている。濃厚飼料は乳量を増やす効果がある。

国産の米や小麦などを高い関税などで保護する一方、エサ用の穀物は、国内生産をあきらめ、すべて安価な輸入に依存してきた。畜産経営にとって、そのほうが安上がりだったからである。都府県の酪農は、粗飼料さえも輸入に依存している。

日本の畜産物の原産地はアメリカだ

土地資源に比較的恵まれている北海道でも、飼っている頭数が多くなるにつれ、濃厚飼料や配合飼料をエサとして使うようになってきている。本来ならば、草地を用意してから、それに見合う牛を飼養すべきなのに、日本の酪農は発想が逆転している。

夏場は草地で牛を放牧し、冬は刈り取った牧草を発酵・貯蔵したエサ(「サイレージ」という)を給与すれば、生産コストは低くなる。また、糞尿を草地に還元することで、牧草生産のための肥料代を節約すると同時に、窒素分を牧草に吸収させることで環境にマイナスの効果を与えないようにできる。

輸入トウモロコシの加工品と言ってよい日本の牛乳乳製品や牛肉などの畜産物は、その生産の過程で糞尿とその窒素分を国土に滞留させるだけで、環境に大きな負荷を与えている。日本の酪農・畜産のほとんどは、農地とはまったく縁のない産業である。これを農業と言えるのかどうか疑問である。農地と関係があるとしても、それは日本ではなくアメリカの農地である。豚肉や卵も含めて、日本の畜産物の原産地はアメリカだと言ってもよい。原産地が日本という稀少な例外が山地酪農である。

山地酪農とは何か?

1123日のインタビュー記事を参考にして、一般の酪農と対比させながら、山地酪農の特徴をまとめてみよう。

「山地酪農」の山地とは、山林で牛を年中昼夜放牧するという意味である。牛は自然に生える野シバを食べ、冬場はサイレージを食べる。濃厚飼料はおやつ程度に与えるだけで、ほとんど食べさせない。

山地酪農では、牛は等高線に沿って爪で山を削りながら草を食べ歩く。一般の酪農家に飼われている牛には、このような自由はない。規模の小さい酪農家では、牛は「スタンチョン」という首輪やひもで一日中牛舎の狭い場所につながれている。歩くことさえ許されない。鶏が狭い籠の中に閉じ込められて卵を産んでいるのと同じである。規模の大きな農家では、ある程度のスペースがある所で繋がれずにまとめて飼育される(「フリーストール」という)が、山地酪農の牛のような自由度はない。また、コンクリートの上におがくずやもみなどの敷料を薄くまいただけの場所で寝ている。アスファルトの道路の上で、人が寝るようなものである。かなりの牛は足を痛め、歩行が困難となる。山地酪農の場合は、山の土という、人に例えればマットの上で牛は安眠できる。

山の土が牛の排泄物を循環させる

通常の場合、こまめに洗浄しなければ、牛が大量に排出する糞が牛体にも牛舎にもこびりついて取れなくなる。大量の糞尿の処理に畜産農家は苦慮し、これに大きな設備投資が必要となる(もっとも農林水産省からの手厚い補助があるので、農家は一部の負担で済む)。山地酪農の場合は、山の土が糞尿を自然に分解して、たい肥にしてくれる。それを栄養にして野シバが生え、牛のエサになる。前回紹介した、ニュージーランドの「集約放牧」と同じである。

牛も出産しないと乳を出さない。一般には、人工授精して妊娠・出産させる。しかし、山地酪農では、牛は自然交配を行い、林の中で23月に出産し、子牛は5月に母牛から離れる。通常の酪農家の場合は、栄養価に富んだ「初乳」を生まれたばかりの子に飲ませるだけで、その後すぐ、子牛は母牛から引き離される。母牛は牛乳を生産しなければならないからである。引き離された子牛は脱脂粉乳を飲まされる。山地酪農のように、23カ月も母乳を飲めないのである。この子牛に飲ませる脱脂粉乳も輸入物である。輸入のほうが安いからである。

大地に根差した本来の姿を実践

山地酪農の最大の長所は、エサとしての野シバの利用、糞尿の土地への還元とたい肥化など、大地に根差した本来の酪農の姿を実践していることだろう。

また、アニマルウェルフェアの観点からも優れている。山地酪農に批判的な農業経済学者は、「放牧だからいいとか牛舎で飼うから悪いとかいう話ではない」と主張している。しかし、搾乳されるために、極めて劣悪な環境の中で、ただ生かされている牛が多いという実態を知らないのではないだろうか? これについては、稿を改めて論じたい。

私が注目したいのは、自然交配、自然分娩である。牛は乳を搾り続けてもらわないと乳房炎という病気に罹ってしまう。このため、酪農家は毎日搾乳しなければならないので、休みが取れないという問題があった。これを解消するために、酪農ヘルパーという制度が導入され、今では酪農家も休みが取れるようになっている。しかし、通常のサラリーマンのように、海外旅行するほどの長期の休暇は難しい。

酪農家の働き方改革にもつながる

しかし、牛もずっと乳を出し続けるわけにはいかない。乳を出すためには妊娠・出産が必要である。今でも、乳を出しながら妊娠させて、できる限り乳の出ない期間(乾乳期)を短くしているが、乾乳期をまったくなくしてしまえば、牛がつぶれてしまう。もし、酪農家が飼っているすべての牛の分娩時期を合わせることができれば、乾乳期も揃えることができる。そうすれば、酪農家は乾乳期にまとまった休みが取れる。これはニュージーランドで実際に行われている(季節分娩:seasonal breedingという)。

以前私は、休みが取れないという酪農家に、季節分娩を勧めてみた。しかし、やってみようという酪農家はいなかった。「やってみたけど、できなかった」という酪農家が1人いたくらいだった。おそらく、濃厚飼料や人工授精という自然の摂理に反する酪農では、季節分娩はできないのだろう。しかし、山地酪農は、これを実現しているのだ。

山地酪農批判を批判する

朝日新聞の記事に出ていた批判をわかりやすく要約すると次の通りになるだろう。

①世界の牛乳生産がメタン削減などの制約を受けているので、日本は現在輸入している450万トン(現在の国内生産は750万トン)さえも自給するほど生産を増加しなければならない。乳量の少ない粗飼料主体の山地酪農では、それは期待できない。牛乳乳製品を自給するためには、現在以上に牛舎で多くの頭数の牛を飼い、栄養の高い濃厚飼料を食べさせなければならない。輸入穀物への依存はもっと高まるだろう。

②他国に比べ、日本は公的補助が少なすぎる。EUは酪農家の所得の40~60%が補助金だが、日本は10~30%に過ぎない。もっと、酪農家を保護し、後継者を増やすべきだ。

中洞氏に代わって、私がこの農業経済学者に反論しよう。

①が言っていることは、輸入トウモロコシに依存し、家畜糞尿に含まれる窒素分を草地生産で回収することなく大量に国土に沈殿させる、環境負荷の高い酪農を拡大しようというのである。450万トン増やすということは、糞尿も6割増やすということである。国土環境はさらに悪化する。

また、多額の公的な補助を受ける酪農家が牛乳乳製品の供給責任を果たすようにするなら、勝手に離農など認めてはならない。それは補助の対価として当然の責務である。牛乳乳製品の完全自給を達成するためには、大幅な生産拡大を義務付ける必要がある、ところが、実際に行われているのは、米と同じく、乳価維持のための減産である。ベクトルは450万トン増産とは逆方向を向いている。なお、輸入飼料に依存する牛乳乳製品の生産をいくら増やしても、38%の食料自給率は上がらない。

食料危機を救う国内資源立脚の酪農

食料安全保障の観点からは、平時において、穀物を大量に輸入しながら牛乳乳製品を自給する意味は全くない。輸入する方が安いのなら、国民消費者のためにも国土環境のためにも、牛乳乳製品も輸入したほうがよい。現に、飼料穀物も子牛用の脱脂粉乳も輸入する方が安いから、輸入してきたのではないか。チーズもほとんどが輸入である。

食料安全保障とは、シーレーンの破壊などにより輸入が途絶したときに、どれだけ食料を供給できるかということである。輸入が途絶すると、輸入穀物に依存してきた酪農は壊滅する。おそらく、今の全国の生乳生産量750万トンのうち500万トンは消えてなくなるだろう。食料危機時に残るのは、山地酪農や道東の酪農など国内資源に立脚した酪農である。

輸入途絶時には、和牛もチーズも食べている今の食生活は維持できなくなる。終戦直後の米とイモの生活に戻るしかない。その時わずかでも栄養の高い牛乳を届けてくれる山地酪農の意義は高い。高度成長期まで、日本人は病気になったときでないと牛乳を飲んでいなかったのだ。

日本の農業保護は極めて高水準

②は、フェイクである。ある農業経済学者が作ったウソを多くの農業経済学者が信じているのだ。あるいは、農業村の人たちはウソと知りつつも信じたいのかもしれない。「農業を国民に取り戻すための6個の提言」(論座20221209日付)で、日本の農業保護は欧米に比べ極めて高い水準にある(アメリカ11.0%、EU19.3%に対し、日本は40.9%)ばかりか、その保護の8割は、高い価格支持によるものだと説明した。

この農業経済学者は、日本の保護の2割に過ぎない財政による保護(直接支払い)の部分を欧米の保護の8割以上を占める財政による保護の部分と比較して小さいと言っているのだ。OECD(経済協力開発機構)のPSE(生産者支持推定量=各国の農業者がどのような補助をどのくらい受けているかの分析)についてさえ知らないようでは、日本の農業経済学者は世界の研究者と議論できない。日本の公的補助が少ないと主張したら、かれらにあきれられるだけだろう。

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筆者作成

日本とEUの具体的な保護の姿を上の図で示す。

価格支持ではなく直接支払いの比重が高いEUで、直接支払いと農家所得の比率が高くなるのは当然だ。しかも、日本の農家所得は高いので、所得に占める直接支払いの割合は、日本の方がさらに小さくなる。日本は直接支払いではなく高い価格で支持している部分が大きく、トータルの保護は農家所得を上回る。

日本の酪農は200500%の高関税で保護されている。高い関税を払っているのは国民消費者だ。フランスのスーパーマーケットで250グラム450円程度で買えるエシレのバターが、日本ではその6倍の値段を払わないと買えない。会社員がパリに出張する際には、夫人からエシレバターを買ってきてほしいと注文が出るほどだ。日本の公的補助が少ないというなら、関税を撤廃してから主張してはどうか。

それだけではない。EUの公的補助は直接支払いだけである。しかし、日本の場合、直接支払いだけではなく、家畜の導入、畜舎整備、搾乳機械の導入など、ありとあらゆる場合に、高率の補助事業がある。農林水産省畜産局のホームページには、これらの補助事業が満載である。日本とEUの何を比較して、日本の公的補助が低いというのだろうか。

山地酪農普及を阻む乳脂率3.5%の壁

中洞氏は山地酪農が普及しなかった原因を、1987年に生乳取引の基準が乳脂率3.5%に改定されたため、放牧ではその基準を満たすことができなかったためだと説明している(粗飼料なら乳脂率は上がるはずだが、山地酪農の野シバの場合はよくわからない)。

生乳から水分を除けば、バターと脱脂粉乳ができる。1987年当時は、今と異なり、バターが過剰で脱脂粉乳が不足気味だった。脱脂粉乳に合わせて生乳生産を行うと、バターが余る。しかも、乳業メーカーは、平均すれば3.5%の乳脂率があった生乳からバター分を少しとって3.2%の牛乳として販売していたのだ。この抜き取ったバター(脂肪)分もバターとして販売したので、さらにバターが過剰になった。

そこで、酪農・乳業界は一計を案じた。バターが余るなら、乳脂率3.5%の牛乳として消費者に飲ませればよい。これは功を奏した。バターの供給は減少し、過剰は解消されたのである。1987年の生乳取引基準改定の背景には、バターの過剰対策があった。

ところが、今は、バターと脱脂粉乳の需給関係が逆転している。2000年に汚染された脱脂粉乳を使った雪印の集団食中毒事件が発生して以来、脱脂粉乳の需要が減少し、余り始めた。これに合わせて生乳を生産すると、今度はバターが足りなくなる。2014年のバター不足は、根本的には、この需給関係が引き起こしたものである。

それなら、今度は生乳取引基準を乳脂率3.2%に戻せばよい。バターの生産は増え、バター不足が起きることはない。山地酪農も被害を受けない。

私はいま後悔している

私は1990年頃、酪農政策に関わったことがあった。そのとき、山地酪農の話は聞いたが、特殊な形態、あるいは異端の酪農だと考えて、それほど気に留めなかった。これを発展・振興しようとする考えは持たなかった。

当時はガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の真っ最中で、自由化や関税削減に酪農が耐えられるようにするために、大規模・効率的な酪農をどのように実現するかで、私の頭は一杯だった。フリーストール、ミルキングパーラー方式は、大きな投資を必要とするものの、これを導入できれば、ニュージーランドやオーストラリアにも対抗できると考えた。酪農が環境に悪い影響を及ぼしていることについて、見て見ぬふりをした。しかし、フリーストール、ミルキングパーラー方式は、その後農林水産省の高率補助事業で実現したが、価格は下がらなかった。

次のグラフは、生乳価格の国際比較(2016年)である。日本の生乳価格は、アメリカやヨーロッパの約3倍もしている。酪農は政府から関税や補助事業などの手厚い保護や助成を受けているのに、内外価格差が縮小する兆しはない。生乳価格が3倍なら牛乳乳製品の内外価格差も(それ以上の)大きなものとなる。農林水産省も内外価格差の縮小をあきらめているようだ。TPP(環太平洋パートナーシップ)などの通商交渉で、内外価格差を維持するために必要となる高関税を各国から責められても、農林族議員が政治力を発揮して守ってくれるからである。結局、国民は酪農のために税を負担しながら、消費者として高い牛乳乳製品価格を払わされることになる。

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IDF “the World dairy Situation 2017”より筆者作成

農林水産省の政策は間違っていた。顧みれば、私も、先の農業経済学者と同じく、産官学政の農業村の一員だったのだ。当時から30年余り経ってしまったが。中洞氏をはじめとする山地酪農家の皆さんに、不明をお詫びしたい。食料危機の時に、国民が頼りにできるのは、あなた方だ。