メディア掲載  グローバルエコノミー  2023.01.23

食料・農業・農村基本法見直しの背景にあるもの

『週刊農林』第2501号(1月5日)掲載

農業・ゲノム

食料安全保障の強化や一次産業の成長産業化などを理由に、食料・農業・農村基本法が見直される。これまで農政は、国内政治と圧力団体、国際事情に左右されてきた。自民党農林族、JA農協、農林水産省の農政トライアングルは、食料危機を利用して基本法を見直そうとしているが、それを可能としている背景に国際事情の変化がある。

戦後農政を規定した農地改革と農業協同組合の設立

農地改革は、戦前から小作人解放のために努力した農林官僚の執念が実現したものだった。しかし、これによって自作農=小地主が多数発生し、戦前からの零細農業構造が固定されてしまった。

農政官僚は、農地改革の後に零細な農業構造改善のために“農業改革”を行おうとしていた。1948年の農林省「農業政策の大綱」は「今において農業が将来国際競争に堪えるため必要な生産力向上の基本条件を整備することを怠るならば、我が国農業の前途は救いがたい困難に陥るであろう。」と述べている。この時、既に国際競争が意識されていたのだ。

終戦直後、小作人の解放を唱えて燃え盛った農村の社会主義運動は、農地改革で小地主となった旧小作人が保守化したため、急速にしぼんだ。これを見たGHQと後に総理大臣となる池田勇人は、保守化した農村を共産主義からの防波堤にしようとして、農政官僚の意図とは逆に、零細農業構造という農地改革の成果を固定することを目的とした農地法(1952年)の制定を農林省に命じた。

著しい食糧難となった戦後、農家は価格の良いヤミ市場に米を販売してしまうので、配給制度を実施していた政府に米が集まらない。このため、農林省は食糧の供出団体として活用するため、1948年戦時中の統制団体だった「農業会」を農業協同組合に改組した。

農協には、他の法人には禁止されている銀行業務と他の業務の兼業が認められた。1960年代以降の高米価で滞留した兼業農家は、そのサラリーマン収入等をJAバンクに預金し、JAバンクは預金量100兆円を超える日本有数のメガバンクに発展した。JA農協が高米価・減反政策を推進する理由はここにある。

また、政治活動を行っていた「農会」と経済活動を行っていた「産業組合」を統合した農業会を引き継いだ農協は、万能の経済活動を行うとともに政治活動も行う団体となった。ここに、戦後政治を規定する最大の圧力団体が出現した。マッカーサーと池田勇人が想定した通り、JA農協は保守化した農村を組織し自民党の強力な支持基盤となった

数奇な運命をたどった農業基本法

農業基本法が作られたのは1961年だった。きっかけは、農村地域出身の国会議員が、米等が増産され食糧難が解消されると農業予算が縮小されるのではないかと危機感を持ったことだった。彼らは、ドイツで基本法が作られ農業予算が拡大したことに着目し、農林省に基本法の制定を迫った。

政府・農林省は、1959年農林漁業基本問題調査会法を制定し、同調査会を総理の諮問機関として設置した。会長は、シュンペーターの高弟である東畑精一・東京大学教授、同調査会事務局長には、後に16年間政府税制調査会会長を務め「ミスター税調」と呼ばれた小倉武一・前食糧庁長官が就任した。東畑、小倉という、当時の学界、官界を代表する最高の人材が基本法の検討に当たった。

農業所得が工場勤労者の所得を下回るようになったため、農業基本法は“農工間の所得格差の是正”を目的に掲げた。農業所得は、農産物価格に生産量を乗じた売上額からコストを引いたものである。価格または生産量を上げるか、コストを下げれば、所得は上昇する。しかし、価格を上げれば消費者家計に影響する。このため、基本法は農家規模を拡大してコストを下げる方法を選択した。農政は、戦前の二大農業問題のうち残る“零細農業構造の改善”を実現しようとしたのである。

しかし、基本法は実施されなかった。組合員を丸抱えしたいJA農協は、基本法の構造改革を選別政策だと非難して協力しなかった。JA農協の強力な政治運動を受けて、自民党政府は、農家所得向上のため、食糧管理法の下で政府買入れ価格(生産者米価)を大幅に引き上げた。

地方に工場が積極的に誘致された結果、農村に居ながら工場に勤務できるようになった。米価の引上げはコストの高い零細な農家の米作継続を可能とした。また、機械化の進展で米作への投下労働時間が大幅に減少し、工場等に勤務するサラリーマンが週末労働するだけで米は作られるようになった。以上の結果、農村に零細な兼業農家が大量に滞留してしまい、主業農家の規模拡大は実現しなかった。1965年以降サラリーマン収入と農業所得を合わせた農家所得は、勤労者世帯を上回るようになった。農工間の所得格差の是正は、農業の構造改革ではなく、農家の兼業化(サラリーマン収入)が実現した。

さらに、日本ではフランスのような厳格な土地利用規制(ゾーニング)がないため、農地が宅地や工場用地の価格と連動して上昇した。この結果、農地価格は農業の収益還元価格を大幅に上回るようになり、農地の売買による規模拡大も困難となった。農地法は、賃借(小作)権を強く保護したので、所有者は貸したら返してもらえないと思い、賃借による規模拡大も進まなかった。

農業基本法は、制定後10年も経たないうちに、農林省からも顧みられなくなった。零細農業構造を改善して規模を拡大しようとすると、農家戸数を減少させなければならない。そうなると農業の政治力が低下して農業予算を獲得できなくなるからだ。

農業基本法から食料・農業・農村基本法へ

しかし、米価引上げで60年代後半から米が過剰となり、3兆円もかけて過剰米をエサや援助用等に処理するとともに、1970年からは減反政策を本格的に実施するようになった。米から他の作物へ転作することに対して補助金を払うことで食料自給率を高めるのだと主張された。しかし、麦や大豆の生産機械や技術を持たない兼業農家は、転作補助金をもらうため、種まきをするだけで収穫しない“捨て作り”という対応をした。食料自給率は上が

らなかった。

1980年代に入ると、日本の大幅な貿易黒字がアメリカから問題視され、日本に対して農産物自由化の要求が高まった。経済界やマスコミからも農政批判の声が高まった。特に、1986年のJA農協による強引な生産者米価据置きは大きな農政バッシングを招き、これを見た全米精米業者協会はUSTRに日本の米市場開放を提訴した。これがガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の米の部分開放につながった。米のミニマムアクセスはJA農協の身から出た錆だ。同交渉で成立したWTO農業協定には、さらなる交渉が規定されていた。

貿易自由化に対応できるよう、日本農業の国際競争力を高めるためには、規模拡大等の構造改革が必要となる。1993年には認定農業者制度が創設され、1999年の食料・農業・農村基本法では、「国は、効率的かつ安定的な農業経営を育成し、これらの農業経営が農業生産の相当部分を担う農業構造を確立するため、(中略)農業経営の規模の拡大その他農業経営基盤の強化の促進に必要な政策を講ずるものとする。」(第21条)と規定された。

今回の食料・農業・農村基本法見直しの背景~再度の揺り戻し

しかし、WTOが機能不全になり、TPP交渉でもそれほど農産物関税の引下げを要求されなかったことから、農業界は農産物貿易の自由化はかなり遠のいたと感じている。食料・農業・農村基本法の構造改革路線は転換され、効率の悪い零細な兼業農家も農業の担い手だとして、現状維持的な政策が行われることになろう。既に、2020年に作られた基本計画で、「経営規模や家族・法人など経営形態の別にかかわらず、担い手の育成・確保を進める」とし、零細農維持への政策転換は行われている。

農政トライアングルは、農業従事者や農家戸数が減少すると農業生産が減少して食料安全保障が危うくなるという主張を行うようになっている。しかし、農業従事者数と農業生産額の推移を検証すると、これがウソだということは簡単にわかる。この60年間で酪農家戸数は40万戸から1万3千戸へ30分の1に減少したにもかかわらず、生乳生産は200万トンから760万トンに4倍弱も増加した。依然米などの土地利用型農業では農家戸数が多すぎることが問題なのだ。

土地利用型農業では、農家当たりの規模が大きいほど、効率性が上がり、コストは低下する。しかし、面積が一定で規模が拡大するということは、農家の数が減少するということだ。農業票が減少することは、JA農協や自民党農林族にとっては好ましくない。国際的な圧力がなくなった以上、かれらの望む農家戸数維持、零細農重視の農政に転換されるだろう。

また、国民からすれば、同じ負担をしてコストの高い国産穀物を少量手に入れるよりも、安い外国産穀物を大量に輸入し備蓄する方が、食料危機を克服するうえで効果的である。しかし、これまで農業界は、食料安全保障を国内農業保護にすり替えてきた。50年以上も実施して効果がなかった麦、大豆の国産振興が再び唱えられている。