メディア掲載  外交・安全保障  2023.01.13

習近平政権の「三期目」を解剖する

Voiceに掲載(202212月号)

国際政治・外交 中国

1016日より行なわれた中国共産党大会。習近平国家主席はいよいよ「三期目」を迎えるが、ゼロコロナ政策の「失敗」や一強体制への加速は、習政権にどのように影響しているのか。

中国の内情に精通するジャーナリストが、その行方を紐解く


苦言を呈した胡錦涛

1016日、中国共産党の第20回党大会が北京の人民大会堂で始まった。会場には、習近平国家主席に続いて、胡錦濤・前国家主席が入ってきた。現役時代の黒髪はほぼ白くなっていたが、介添人の力を借りずに歩き、習氏の左横に着席した。その際、習氏は、胡氏の背中に手を添え、気遣いをみせた。習氏が1時間45分の演説を終えて席に戻ると、胡氏と軽く言葉を交わした。

この位置に前回大会まで鎮座していた江沢民・元国家主席は、姿をみせなかった。胡氏が江氏に代わり、引退幹部の代表格としての存在感を示したかたちだ。

2013年の引退後、公の場にはあまり姿をみせなかった胡氏だったが、今年8月に開かれた、ある内部会合での発言が党内で話題となったようだ。

北京から東へ約280㎞離れた河北省の避暑地、北戴河(ほくたいが)。海沿いの小高い森のなかに白壁の洋館風の建物が立ち並ぶ一角がある。毎夏になると、立ち入りが厳しく制限され、沖合では艦船が警戒にあたる。

8月上旬、習近平国家主席を始めとする共産党や政府の高官らに加え、引退幹部らが一堂に集まった。通称「北戴河会議」と呼ばれる会合に参加するためだ。党の重要な政策や人事について議論が交わされる。とくに党大会が開かれる年の北戴河会議は、新政権の人事が話し合われるので、その動向を探ることは極めて重要だ。

ただ、会議の内容や期間はおろか、開かれたことすら公表されない秘密会合だ。毎年、厚いベールのわずかな隙間から覗きみるように、関係者の証言をつなぎ合わせて会議の概要をおぼろげながら組み立てていく。

会議の出席者を親族にもつ二人の党関係者から、ほぼ同じ証言を得た。

「習同志に意見がある。わが国は平和的発展の道を揺るぎなく歩み続け、改革開放政策は基本国策であり、堅持しなければならない」

会議の席で、習氏に対し、こう苦言を呈したのは、胡錦濤氏だった。

習近平政権の後ろ盾

胡氏は20133月までに、党総書記と国家主席に加え、軍トップである中央軍事委員会主席の三つすべての重要なポストから退き、習氏に譲った。

三権のうちもっとも重要なのは、中央軍事委主席のポストだ。毛沢東の「政権は銃口から生まれる」という言葉の通り、中国共産党においては軍を把握することが権力掌握において不可欠だ。

鄧小平は長年、このポストを手放さなかったことで、「最高実力者」として君臨し続けた。後任の江沢民氏は2002年に総書記を退いてから約2年間、中央軍事委主席に留任した。引退後も「党の重要事項は江氏に報告する」という内部規定をつくり、人事や重要政策に決定権をもち、後継の胡錦濤政権でも影響力をもち続けた。

一方、胡氏はみずから身を引く代わりに、党内人事のルールを厳格化し、「院政」を敷いてきた江氏の影響力の排除を図った。複数の党関係者によると、胡氏はこのとき、「完全引退」と合わせて、(1)いかなる党高官も引退後は政治に関与をしない、(2)中央軍事委主席も含めて引退期限を巡る人事での例外を認めない、という内部規定を定めたという。

これによって、胡氏からすべてのポストを譲り受けた習氏は、「院政」の影響を受けずに、権力基盤を急速に固めることができた。2021年には、毛沢東、鄧小平に続く「歴史決議」を採択し、三期目続投に道を開いた。

胡氏は、習氏にとっていわば恩人といえる存在なのだ。さらに、それを裏付けるエピソードがある。

2018年、対中強硬政策を掲げたトランプ米政権(当時)が、中国製品に対して関税を引き上げる貿易戦争を仕掛けた。これに対し、習近平指導部も「奉陪到底(とことんまで戦う)」を合言葉に、米国製品に報復関税をかけたことで、米中対立は決定的となった。対米輸出に頼る中国企業を中心に業績が悪くなり、中国経済にも影響が出た。

中国外交にとって最重要課題である対米関係を悪化させたことに、中国政府・共産党内では、習指導部への批判が高まった。同年12月、党の経済政策を決める重要会議、中央経済工作会議の開催が遅れるほど、習政権への風当たりは強かった。

この際、胡氏は、みずからの出身母体である党青年組織の共産主義青年団(共青団)の幹部らに対して、次のような指示を出したと共青団関係者は証言する。

「いまは国難であり、党が一致団結しなければならない。そして、指導部批判もしてはならない」

一部の日本メディアや専門家がしばしば指摘する「習近平系vs.共青団系」という構図が、必ずしも当てはまらないことがわかる。胡氏は引退後、表舞台にはほとんど姿をみせず、習氏の政権運営を一貫して陰ながら支えてきたといっていいだろう。

政権の基盤を揺るがした「ゼロコロナ政策」

そんな胡氏が今回、習氏の政権運営を批判したのは筆者が知るかぎり、引退後初めてのことだった。

しかも、「平和的発展」と「改革開放政策」という鄧小平が提唱した中国政府の基本路線をあらためて習氏に提起したのはなぜだろうか。

外資を導入して民間企業の育成を支援し、経済発展を最優先で推し進めたのが「改革開放政策」だ。こうした経済成長を続ける環境づくりのため、外交面では、覇権を求めず各国と協調する「平和的発展」を維持した。

一方、習近平政権は、発足した2012年、「中華民族の偉大な復興」をめざす「中国の夢」を掲(かか)げた。対外政策では「大国外交」を旗印に、南シナ海の自国が主張する管轄海域内には人工島を造り、領土問題を抱えるインドや日本に対しても圧力を強めるようになった。

経済面でも、「国進民退(国有企業を優遇して民間企業を抑制する)」の方針のもと、ネット通販大手「アリババ集団」などプラットフォーム事業者や、不動産最大手の「恒大集団」といった中国経済の牽引役だった民間企業への引き締めを強めた。

また、2019年末に中国・武漢から感染が広がった新型コロナに対しては、「ゼロコロナ」政策を打ち出し、大規模なロックダウン(都市封鎖)を実施した。2020年半ばには、中国国内の新型コロナ新規感染者はほぼいなくなったとされる。

こうした感染抑制を「中国共産党の指導の成果」と自画自賛する一方、感染拡大が止まらない欧米諸国を尻目に、中国の体制の「優位性」を強調するプロパガンダ(宣伝工作)を内外で展開した。

ところが2021年末になると、各国において新型コロナの感染が収束するのと反比例するように、中国国内の各地で新規感染者が増加し、ふたたび感染が拡大した。感染力の強いオミクロン株の出現が原因だった。「ゼロコロナ」政策を続けたことによって、「集団免疫」を十分にもっていないことや、中国製ワクチンの効果の低さを指摘する専門家もいる。

それでも習近平政権は、「ゼロコロナ」政策の看板は下ろさず、各地でロックダウンや大規模なPCR検査を実施した。市民の外出は極端に制限され、公共交通機関も止まり、大混乱となった。

なかでも深刻なのが、中国最大の人口約2500万人を抱える商業都市、上海市だった。2022328日から事実上のロックダウンが始まったものの、感染は広がった。生活物資の配送は滞り、感染者を隔離する施設も不足し、市民から不満と戸惑いの声が噴出した。

その影響は、国際経済にも及んだ。上海には自動車を始めとする部品産業が集積しており、日本企業のサプライチェーン(供給網)の中核だ。日系の自動車メーカー各社は、中国からの部品供給が滞り、日本国内の生産ラインの一部が停止に追い込まれた。

ロックダウンは61日まで続き、消費やサプライチェーン、雇用にも打撃を及ぼした。

こうした批判の矛先は、上海市トップの李強(りきょう)・市共産党委員会書記に向けられた。李氏は411日、ロックダウン中の住宅地を視察した際、市民から「何とかしてほしい」と、激しく言い寄られる動画がSNS上で拡散され、求心力を落とした。危機感を抱いた習指導部は衛生政策担当の孫春蘭(そんしゅんらん)副首相を上海市に派遣し、李氏らを直接指導した。上海市政府で勤務したことがある共産党関係者が振り返る。

「明らかに李強氏の指導力の問題でした。上海市は全国に先駆けてコロナ規制を緩めた結果、感染が再拡大してロックダウンの期間が延びてしまった。市当局内でも不満が出ており、六月に李氏が市書記に再任される際には、多くの反対票が投じられました」

李氏は、習氏が2002年から約5年間、浙江省書記を務めた際に側近として仕え、2004年に同省党委員会秘書長に登用された。江蘇省書記だった2017年に中央委員候補から「二階級特進」で政治局員に抜擢され、上海市書記に就いた。

かつての習氏がそうだったように、上海市書記のポストは、党最高指導部の常務委員への「登竜門」といえた。李氏も党大会を経て首相に抜擢されるという見方もあった。ところが、コロナ対策の失政で窮地に立たされることとなった。前出の北戴河会議の参加者を親族にもつ党関係者の一人は次のように予測する。

「わが国の経済と国際的なイメージを失墜させた責任は重く、一時は李氏を更迭する動きもありましたが、習主席が同意しなかったため免れました。指導部が北戴河会議で示した次期最高指導部の人事案には、李氏が入っていましたが、胡氏ら引退幹部らは異議を唱えたそうです。習氏が描いていた人事案が実現するかどうかは流動的といえます」

習近平政権の威信と体制の優位性を内外にアピールするはずの「ゼロコロナ」政策だったが、結果として世界の潮流に逆行するかたちで、中国国内の新型コロナの再拡大を許し、政権の基盤を揺るがす事態へと発展したのだ。それは、習氏が描いていた新たな指導部の人事構想をも狂わし、3期目の船出に暗雲が立ち込めることとなった。

加速する個人崇拝への懸念

もう一つ、習氏の政権運営に対し、胡氏らが懸念する問題があった。習氏が「個人崇拝」と受け止められる動きを加速させていることだ。

習氏は2018年、210年と定めた国家主席の任期を撤廃する憲法改正に踏み切った。この規定は1982年の憲法改正時に盛り込まれた。毛沢東の独裁がもたらした文化大革命などの社会・経済の混乱の反省から、鄧小平が中南海の事務を取り仕切る中央書記処書記だった習氏の父、習仲勲(しゅうちゅうくん)氏に憲法改正を指示した。毛沢東が、共産党の支配を強めて独裁を進める根拠の一つとなった各条文に盛り込まれていた「共産党による指導」という文言を削除したうえで、国家主席に新たに210年の任期を設けた。

習近平氏は、父が設けた独裁を食い止める規定をあえて覆すかたちで、任期撤廃に踏み切ったのだ。憲法改正によって、鄧小平以降続いていた「集団指導体制」から「一強体制」への動きを加速させ、毛沢東に回帰するような個人崇拝の動きを進めた。

こうした習氏の一連の政策を胡錦濤氏が批判した理由について、前出の北戴河会議の参加者を親族にもつ党関係者は次のように解説する。

「胡錦濤氏は鄧小平によって国家主席に抜擢された後継者です。『平和的発展』『改革開放政策』『集団指導体制』という鄧の3大方針を、習氏が一気に覆したことに危機感を抱き、バランスをとるためにあえて政権運営に苦言を呈したのでしょう」

習政権が3期目になると、党内対立や路線闘争が再燃する可能性があるのだろうか。この党関係者が続ける。

「習主席の続投と核心としての地位は、揺らぐことはありません。ただ、新体制人事や政策について、胡錦濤氏の意向を反映したものになるとみています。習氏は今後、胡氏やそれに連なる共青団系の幹部らとの調整を余儀なくされるでしょう。それによって、3期目の経済・外交運営は、これまでよりも柔軟な対応になると分析しています」

「台湾問題だけは例外」

この証言を裏付けるような動きが北戴河会議の終了後に現れた。

816日、胡氏直系の李克強(りこっきょう)首相は、南部の広東省・深圳の視察に向かった。深圳は、鄧小平が改革開放政策を進めるための経済特区を設けた拠点だ。この地で李氏は、南部の六省の幹部らを集めてこう強調した。

「中国の改革開放路線は今後も続いていく。黄河や揚子江の流れは決して後戻りしない」

李氏は、鄧小平の銅像に献花もし、その様子を中国メディアも大々的に報じた。李氏は序列2位の首相でありながら、これまで権力掌握を進める習氏の陰に隠れていたが、210年の首相の任期が終わるぎりぎりのタイミングで、存在感を残したかたちだ。後任の首相にも、改革開放政策を続けていくよう、あらためて内外に示す意味があったのだろう。

一方の習氏はこの日、東北部の遼寧省錦州市にある「遼瀋戦役革命記念館」を視察した。1948年、毛沢東率いる人民解放軍が国民党を打ち破って、満州全域を支配するきっかけとなった戦いを記念した博物館だ。これを機に優勢となった人民解放軍は南下し、翌1949年の中華人民共和国の樹立につながった。敗北した国民党は約200万人の兵士と民間人とともに、台湾に撤退を余儀なくされた。

習氏が、3期目が内定した北戴河会議後の初仕事として、国民党との内戦の転換点となった地を選んだことは、「台湾問題の解決」に向けた意気込みを表明したといっていいだろう。

習氏の党大会の政治報告の演説は、5年前の前回大会の半分ほどの1時間45分だった。ほとんどの政策は、これまでの路線の踏襲にとどまっていたが、台湾政策には力が入っていた。

「台湾問題を解決するのは中国人であり、中国人が決める。台湾の平和的統一に最大限の努力を尽くすが、武力の使用を放棄する約束は絶対にしない。それは、外部勢力や台湾独立勢力に対するものであり、決して大半の台湾同胞に対するものではない。祖国の完全統一は必ず実現せねばならず、必ず実現できる」

こう宣言すると、会場からはこの日もっとも長い約30秒間にわたる大きな拍手が響いた。

政治報告では、初めて台湾併合における「武力行使」の可能性に言及した。習氏の演説の真意について、前出の党関係者は次のように分析する。

「わが党にとってもっとも重要な会議で、『祖国の完全統一』を内外に公約として宣言した意義は小さくありません。党内にどのような考え方の違いがあっても、台湾問題だけは例外です。『祖国の統一』は全党の総意であり、習政権の3期目の最優先の課題なのです」