メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.11.25

次代を見据えて、農業も政治も大転換を

今こそ柳田國男の思想に学べ

産業新潮(2022年11月号) 「21世紀インタビュー」に登場のリーダーが教えるもの に掲載

自国主義が進む世界情勢。世界の協調体制はどうなっていくのか。また、わが国は何を改革し、未来を構築していくべきなのか。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁氏に提言をいただく。


まず国民が農業に持っているイメージと、今の現実の農業は全く違う。国民が農業に持っているイメージというのは基本的には戦前の農業で、農家は貧しいとか、農村はほとんどが農家だとか、米は手間暇のかかる産業だと。しかし、終戦直後の時代は農家が闇で農産物を売っていたので、ものすごく農家の所得が高かった。その後、経済が復興するにつれて工場労働者の所得が上がって、1960年頃には逆転したわけです。ところが1960年以降、食糧管理制度の下で、政府が買い入れている米価が上げられた。もう一方で何より大きく変わったのは、農村の近くに工場ができたことです。それまでは、工場は大阪とか東京とか名古屋にあったわけですが、1965年頃から新産業都市というものを全国につくって、工場を地方に分散することで地方の所得を上げようという政策をとった。農家の人たちも近くに工場ができて雇用の場ができたので、農家所得が上がったわけです。それで1965年以降、農家の所得がサラリーマン所得を上回って推移するという状況になっています。もう専業農家はごくわずかで、ほとんどが兼業農家、特に米の兼業農家です。「米+サラリーマン」という兼業形態の複合経営をやったわけです。ですから今の農家所得のうちの、本当の農業所得はごくわずかで、特に米はそうですね。一方、専業でやっている養豚農家の所得は一家当たり1200万円です。酪農は1500万円。規模の大きいところは4000万円ぐらいの所得があります(2018年)。でも国民は、食料自給率が40%を切って6割以上を外国に依存していると言ったら、「それは大変だ」とパニックになって、農業保護の予算をさらに増やすべきだという議論を支持してくれます。それを実は農林省は期待していたわけです。食料自給率は国内生産を国内消費で割ったものです。今は消費が多くて生産が少ないから、自給率38%と言っていますが、終戦直後は輸入がないから食料自給率100%です。だから終戦の時のほうが今よりもいいのかと言うと、あの時には飢餓で何人も死んだわけです。食料自給率は、農林省が作った標語の中で最も成功したスローガンです。そして、最もまやかしに満ちたものです。

今の日本の農業で特に問題なのは、米です。米作りにおいて零細農家は相対的にコストがかかるのですが、米価が高ければ、コストが高くてもまだ農業をやったほうが有利なのです。1960年代以降、米価を上げる政策が続いたために、農業を続けてしまった。近くに兼業先がありますから所得も稼げるので、小さな田んぼだけではほとんど所得が上がらないにもかかわらず、兼業農家としてやり続けるわけです。酪農の場合には、やめた農家の土地を、周りの残った農家が集めて規模拡大していったのですが、米作の場合には、零細の兼業農家が耕作をやめないから、農地が出てこない。だから米で生きていこうとする専業農家の人たちが、規模を拡大してコストを下げて所得を上げようとしても、それができないわけです。米価を上げたことが諸悪の根源です。減反による高米価で守られるのは農協です。米作所得が低い兼業農家を維持して、農協の預金を確保する。農業が衰退しても兼業農家が維持できれば、農協は栄える。

本当の食料安全保障に必要なのは、農地の確保です。しかし現実は、農地資源はどんどん転用されてしまっています。ピークは1964年の609万ヘクタールでした。その後、110万ヘクタール以上新規に農地造成しているのに、現在の農地は440万ヘクタールしかない。280万ヘクタールの農地がなくなっている。半分は耕作放棄されたものですが、半分は転用です。特に東京などの都市周辺では、農家が農地改革で地主からタダ同然でもらった農地を転売してしまった。農地を農地として利用するから農地改革をしたのに、小作人たちは農地を宅地に転用して莫大な財産を得ていたわけです。日本は高米価政策と農協制度、そして農地制度、この3つがずっと改革できない。農水省や農協、農林族議員から農業関係の学者、いわゆる農業ムラという人たちが、そこでメシを食っているからです。

私は『いま蘇る柳田國男の農政改革』という本を出しました。民俗学者になる前、柳田國男は、誰もが考えなかった優れた農政学を一人で発想して作り上げた。柳田國男は、「国民というのは、今の国民だけが国民じゃない」「ましてや利益集団の利益の集合が国益ではない」「今後、生まれてくる将来の国民も国民だ」と言っている。つまり、今さえよければ、ということではなく、それが将来どういう影響を与えるのか、ということも考えながら政策をやらないとダメだ、ということなんですね。柳田國男の思想は、今こそ必要なのだと思います。