食料・農業・農村基本法の見直しが1年かけて行われることになった。同法に基づく食料・農業・農村政策審議会にこれまでの基本法の運用や問題点を検証する部会を設けて議論する。この部会の委員は、農業団体や消費者団体の代表、食品企業の役員、経済学者、農業経済学者、自治体関係者など20名である。
しかし、最終的な結論は、簡単に予想できる。というより、もう決まっているはずだ。審議会は、これにお墨付けを与えるだけだ。
前身の農業基本法から現行の食料・農業・農村基本法制定に至る歴史的経緯と今回の改正論議の背景を解説した前稿「食料・農業・農村基本法見直しの背景はなにか」(2022年10月11日付)はこちらからお読みいただけます。
世界貿易機関(WTO)が機能不全になり、環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉でもそれほど農産物関税の引き下げを要求されなかったことから、農業界は農産物貿易の自由化はかなり遠のいたと感じている。それなら、国内農業の構造改革を行って価格を引き下げ、国際競争力を上げる必要はない。食料・農業・農村基本法の構造改革路線は転換され、効率の悪い零細な兼業農家も農業の担い手だとして、現状維持的な政策が行われることになろう。既に、2020年に作られた基本計画で、零細農維持への政策転換は行われている。
米や麦などの土地利用型農業では、農業経営体(農家)当たりの規模が大きいほど、効率性が上がり、コストは低下する。しかし、面積が一定で農業経営体の規模が拡大するということは、農業経営体の数が減少するということである。これは農業票が減少するということであり、JA農協や自民党農林族にとっては好ましくない。かれらは農林水産省の一部官僚による構造改革路線に反対してきた。国際的な圧力がなくなった以上、かれらの望む農家戸数維持重視の農政に転換されるだろう。
このため、彼らは、農業従事者や農家戸数が減少すると農業生産が減少して食料安全保障が危うくなるという主張を行うようになっている。米などの土地利用型農業と野菜などの労働利用型農業の違いが分からないマスメディアの素人記者たちは、このウソを信じ込んで報道している。しかし、農業従事者数と農業生産額の推移を検証すると、これがウソだということは簡単にわかる。米などの土地利用型農業で労働力不足という不満は聞かない。むしろ農家戸数が多すぎることが問題なのだ。
また、これまで農業界は、食料安全保障を国内農業保護にすり替えてきた。国民や消費者からすれば、同じ負担をしてコストの高い国産穀物を少量手に入れるよりも、安い外国産穀物を大量に輸入し備蓄する方が、いざというときの食料危機を克服するうえで効果的である。しかし、国産の方が安心できるという非論理的な主張が通ってしまう。
既に、岸田総理は、食料安全保障のためには、麦、大豆、飼料の国産振興が必要だと主張している。もちろん、これは彼の主張ではなく、自民党農林族議員・JA農協・農林水産省の農政トライアングルが決めた既定路線をおうむ返しに言っているに過ぎない。ただし、これは50年以上も実施して効果がなかった政策である。
自民党農林族は、森山裕党選対委員長を中心に食料・農業・農村基本法見直しの議論を行うことを決定している。ここで出されるのは、上のような結論である。
農林水産省の事務方は、自民党農林族が決定した内容を踏まえて、政府の諮問機関である食料・農業・農村審議会の報告(答申)書の原案を作り、これが審議会で軽微な手直しを加えられた後、正式な報告書となる。それを踏まえて、食料・農業・農村基本法が改正される。
これまでの農政の政策形成過程からすれば、このような経過と結果となるだろう。これでは、政府の審議会は農政トライアングルが決めたことにお墨付けを与えるだけで、実質的には何もしないのではないかという疑問を持たれるかもしれない。しかし、その通りである。
それは、審議会委員の選定を行うのは、実質的には農政トライアングルだと言ってもよいからだ。委員を選定するのは、農林水産省である。まず、これまでの農政やこれから行おうとする政策に批判的な識者たちは、選定対象から排除される。今回の場合、農業の構造改革を推進すべきだという意見の人は任命されない。
既に任命された委員が批判的な意見の持ち主であるときにも対策はある。審議会は多数の委員の都合の良いときに開催される。以前、ある農政批判的な委員は、「不思議なことに、いつも私が都合が悪いと伝えた日に開催されるのです」とこぼしていた。また、時間が経つと、その委員の任期は切れる。
農業の既得権者、JA農協のトップであるJA全中会長は、最も重要なメンバーとして必ず任命される。JA農協の意見と自民党農林族の意見はほとんど同じである。彼が農業界を代表する意見だとすると、他の委員の意見はかき消されてしまう。
消費者代表として生協連合会が入っている。生協は農協と同じ協同組合だという理由で、農家が生産するためには農産物価格が高くなければならないという農協の主張に、理解を示し同調してきた。20年ほど前に、高い農産物を買わされるのは問題だとする生協幹部もいたが、今はその声は聞かれない。1960年代までと異なり、今の消費者団体の多くは豊かな主婦の人たちで、貧しい消費者の代表ではいないからだ。食料や農産物の価格よりも、食品の安全性に関心を示す。実際の購買行動は別として、高くても国産を買うべきだと主張する人たちである。
食品企業は安い農産物原料を欲しがるのではないかと思われるだろうが、そこは農林水産省である。委員となっているのは、キリンとキッコーマンである。確かに日本を代表する食品企業かもしれないが、既に海外原料の比重を多くしたり、農産物生産国のアメリカに進出したりしているので、国産原料の価格や農業の構造改革に切実な関心を持たない。
審議会に参加している学者や研究者は自由に意見が言えるのではないかと思われるかもしれないが、ここでも人選しているのは農林水産省である。会長も経済学者だが、委員たちは具体的な農業政策について十分な知識を持っているわけではない。また、JA農協、自民党農林族や農林水産省の意見に逆らっても、自分たちの研究業績には何のプラスにならない。かつてのようなマスメディアや経済界による厳しい農政批判はないので、経済学的に見て明らかにおかしい政策をサポートすることになっても、世間から批判されることはない。
彼らが喜んで政府の審議会等の委員になるのは、大学や研究所でそれが出世のための大きな評価材料とされるからである(大学のポストに公募する際には、審議会委員であることを記入する欄がある)。審議会の会長となれば、なおさらである。農林水産省の意見に従わないと、次から審議会の委員にはなれなくなる。せっかく手に入れた委員のポストを手放せば、大学内での出世にひびく。こうして既得権益グループの農政トライアングルと大学等の研究者は、持ちつ持たれつの関係になる。福島の原発事故の際に批判された“原子力村”と同じである。
それでも、農政について、経済学を利用した“科学的な行政”が行われていた時はあった。
1961年に農業基本法を作った際には、農林漁業基本問題調査会という総理の諮問機関(審議会)で真剣な議論が行われた。会長は、シュンペーターの高弟である東畑精一・東京大学教授だった。役所側の同調査会事務局長には、後に16年間政府税制調査会会長を務め「ミスター税調」と呼ばれた小倉武一・前食糧庁長官が就任した。東畑、小倉という、当時の学界、官界を代表する最高の人材が基本法の検討に当たった。彼らは、政治家や既得権者の意見は無視して議論した。当時、経済学は、まさに「経世済民」の学問だった。
しかし、農業の構造改革を推進して農家の所得向上と消費者への安価な農産物の供給を実現しようとする、この立派な農業基本法は、自民党にも戦後最大の圧力団体であるJA農協にも、最後は基本法を作った農林省自身にも、見放されることになった。“科学的な行政”は、既得権を重視した現状維持的な政治に屈服させられたのである。農地面積が一定で農家当たりの規模を拡大しようとすると、農家戸数を減らさなければならない。政治家からすれば農業票が、JA農協からすれば組合員数が、減少することになる。農林省も彼らの政治力をバックに予算を獲得できなくなる。農業基本法を葬ったのは、農政トライアングルである。
今の国民は、農業や農村の実態をほとんど知らない。農業保護を高めたい人たちは、農家は貧しいなど国民の間に定着している昔ながらのイメージや誤った知識を利用する。しかも、その保護の方法は、農業や国民の利益になるのではなく、特定の利益集団にとって都合の良いものとなる。
「経済学を勉強するのは経済学者に騙されないようにするためだ」というケンブリッジ大学ジョーン・ロビンソン教授の有名な言葉がある。特に、農業については、うそやフェイクだらけと言ってもいいほどである。農業について出版される本の多くは、そうである。ほとんどの農業経済学者は、農家は貧しくて保護すべき対象だという誤った固定観念に囚われている。大学教育を通じて、このような農業経済学者が再生産される。農業や経済学に素人である一般の国民は、専門家と言われる人や特定の利益集団の主張のウソを見分けられない。ほとんどの人が正しいと信じている。
少数派の農業経済学者も同僚が書いている農政に関する本のいかがわしさがわかるはずだと思うのに、波風を立てても自分の研究業績にはプラスにならないと判断して、批判することはない。例えば、経済協力開発機構(OECD)の保護の指標である「生産者支持推定量」(PSE=関税や補助金などの政策が農家収入に与える効果)からすれば、日本の農業保護はEUの倍以上、アメリカの4倍弱であり、また日本の保護は財政からの補助が少なく高い価格による消費者負担の部分が大きい(8割を占める)ことは、農業経済学者として当然知っているべき常識のはずである。それなのに、財政からの補助の部分だけを比較して、日本の農業保護はEUやアメリカよりも少ないという某農業経済学者の主張が堂々と通用している。
農業経済学界に自浄作用はないようだ。ある農業経済学の泰斗は、最晩年、私に「日本の農業をおかしくしたのは農業経済学者だ。山下さん、何とかしてほしい」と語っていた。
経済学者、アラン・ブラインダー・米プリンストン大学教授の次の言葉は、日本の農政に最も当てはまりそうだ。
「経済学のABCの知識の普及が不十分であること、神話やスローガンの類に人々が無節操に飛びつくこと、そして政治が利益集団に牛耳られていることが、何百万人もの人々の生活を改善するはずの、有意義な経済政策の施行を妨げる障害なのである」
農業政策を企画・立案するうえで必要なのは、簡単な需要と供給の経済分析である。
以前、JA農協系の研究所である農林中金総合研究所の幹部研究者が、私の主張を批判するために、わざわざ主要紙の農業関係の論説委員等を招集したことがあった。その批判というのは、私が使っているのは古い経済学だというのである。
しかし、新しい経済分析を使って、どんな立派な農業政策を彼が提案したのかを私は承知しない。これに対しては、私に代わって著名な若手経済学者が確立された理論の有用性を主張してくれた。また、私の「国民のための『食と農』の授業」(日本経済新聞出版、2022年)を読んでいただいた日本を代表する経済学者の人からは、「ミクロ経済学入門程度の知識でここまで深掘りなさっておられる山下さんの手腕に驚くと共に脱帽です。」というコメントをいただいた。需要と供給の経済分析は経済学の初歩だが、農業政策分析についての強力な武器なのである。問題は、多くの人が、これを使いこなせていないことである。
しかし、この簡単な経済学でさえ、農林水産省で理解している人は少ない。政策を議論しようとしても、コミュニケーションが成立しないときがあるのだ。私は農林水産省時代、なんども、苦労した。
典型的な主張は、「米の消費(需要)は価格と関係しない。価格を下げても需要は増えない」というものだ。これが、農林水産省内で多くの人に信じられている。
価格(縦軸)と需要量(横軸)の関係をプロットした需要曲線は、通常は右下がりである。価格が上がると需要は減り、下がると需要は増える。農林水産省内の認識は、これが逆で需要曲線は右上がりだというのである。確かに表面的なデータを見れば、米の消費=生産量は減少し続けているのに価格は低下傾向にある。
農林水産省内の認識が真実なら、米価を上げれば上げるほど消費は増えることになる。しかし、米を販売しているJA農協や卸・小売り業者だって、こんなバカなことは信じていない。減反とは、生産を減少させて米価を市場で決まる価格より高くするためである。これが本当なら、減反ではなく増産すれば価格が上がることになる。
もちろん、審議会に参加している経済学者でも、こんなことは信じていない。農林水産省の認識が間違っているのは、需要に影響するのは価格だけではなく、人口、所得など色々な要因があることを知らないからだ。米の消費が減少してきたのは、嗜好の変化(畜産物消費の増加による米消費の代替)と小麦との相対価格の変化(小麦価格が安いので需要が米から小麦製品にシフト)に大きな原因がある(需要曲線のグラフでは、米の価格と消費量しかプロットできないので、経済学では、価格以外の要因で消費量が変化するときは、需要曲線をシフトさせることによって分析する)。つまり、価格以外の要因で消費量が減少して価格が低下してきたので、消費の減少と米価の低下が同時に観察されることになってしまったのである。しかし、価格と消費量の関係だけをとれば、需要曲線は右下がりであることは言うまでもない。
この私でも、農林水産省の間違いを正したことがある。以前農林水産省は、食料需給表という資料に食料自給率と各品目の需要弾性値を示していた。需要弾性値とは1%の価格変化に対して需要量が何%変化するかというもので、%を使うのは計測される単位に影響されないようにするためである。需要曲線が右下がりであれば、価格が上がると需要量は下がるので需要弾性値はマイナスとなる。
食糧庁総務課長だった私のところに食料需給表の公表に関する決裁文書が回ってきた際、私は他の農産物の需要弾性値がマイナスなのに米だけがプラスだったことのおかしさを指摘した。これだと米の需要曲線は右上がりとなるからだ。これは、当時の審議会の委員である農業経済学者たちも目を通していたはずだが、間違いに気づかなかったようだ。以降、農林水産省は品目ごとの需要弾性値を公表していない(原因は、供給曲線が変化しないときに、需要曲線がシフトすると市場の均衡点は供給曲線上を動くことになる。つまり需要弾性値を測ろうとして供給の弾力性を測っていたのだ。これは計量経済学で“identification problem(識別問題)”と呼ばれるものである(詳しくは「国民のための『食と農』の授業」108ページ参照)。
大きな問題は、財政負担をして農家に米生産減少の補助金を与え、米価を高く維持して消費者負担を高めるという、経済政策の中でも極めて異常な減反政策を半世紀以上も続けていることだ。それこそ古い経済学の簡単な費用便益分析を応用すれば、減反が国民の経済厚生の観点からは最悪の政策であることは、誰の目にも明らかである。しかし、経済学者が会長を務める食料・農業・農村審議会が減反・高米価政策に異を唱えたことは、これまで一度もなかった。自民党農林族議員・JA農協・農林水産省の農政トライアングルが決めた政策を、そのまま了承してきたのだ。学者としての保身である。
今回の見直しでも、減反政策を廃止すべきだという意見は審議会では出されないだろう。こうして「経世済民」の学であるはずの経済学からすれば、最悪の政策が半永久的に続くことになる。国民のためなら、いっそのこと大学経済学部の1年生を委員・会長に任命した方がよいと思うが、どうだろうか?