メディア掲載 グローバルエコノミー 2022.10.28
米価の値下げは、強力な物価対策になるのに…
PRESIDENT Onlineに掲載(2022年10月22日付)
食料品の値上がりには、どんな対策が有効なのか。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「政府は物価対策の目玉として、輸入麦の政府売渡価格を据え置いた。だがこれは、税金で海外生産者を支援するようなもの。それよりも主食である米の減反政策を廃止し、米価を下げるべきだ」という――。
輸入麦の売買は、民間ではなく政府が行っている。政府は、物価対策として、これまでの価格決定のルールからすれば本来20%上がるはずの輸入小麦の政府売渡価格を据え置いた。このために必要な財政負担は、半年で350億円と言われている。
消費者は、パンやスパゲッティの値段が上がらなくて喜ぶかもしれない。
しかし、輸入麦を生産しているのは、アメリカ、カナダ、オーストラリアである。彼らからすれば、日本政府は日本の納税者の金で、自分たちが輸出する小麦の需要量が減少しないようにしてくれている。つまり、日本はアメリカ等の生産者に補助金を出しているも同然なのだ。
小麦価格が上昇して、パンなどの値段が上ると、国民は飢えて死ぬのだろうか? パンがなくても日本には米がある。所得の低い人は、自宅でご飯を炊くとか、おにぎりやごはん付きの定食を食べれば、食料品の価格上昇をしのぐことができる。
パンの価格が上がれば代替品である米の消費は増加する。これは、国内の米生産者にとってもよいはずだ。しかも、小麦と違って、米はグルテンフリーである。
しかし、農林水産省が行ってきたのは、その逆である。
1995年まで、食糧管理制度によって、政府が米を買い入れていた。その時の価格が農民運動の一大争点となった。
JA農協は、「米価は農家の賃金だ」とか、「米価闘争は農民の春闘だ」として、自民党政府に対して大変な政治運動を行った。自民党は地方を基盤とする政党だった。その地方で、最も影響力を持っていたのは、多くの農民票を組織するJA農協だった。選挙で支援を受ける自民党は、米価でJA農協に報いた。こうして1960年代米価は大幅に引き上げられた。
この米価は市場で需給が均衡する水準として決まる価格ではない。政府が人為的に決める価格である。
意図的に価格を高くすると、需要は減って供給は増える。結果として過剰が生じた。政府は膨大な過剰米を3兆円も使って処分した。1970年からは、生産を減少させて政府が買い入れる量を少なくしようとして、農家に補助金を与えるようになった。これが減反政策の始まりである。
当時の農林省の担当者も、これがとんでもない政策だと認識していた。食糧管理制度を守るため、過剰回避のやむを得ない臨時緊急措置だと考えたのである。
1995年食糧管理制度は廃止された。米の政府買い入れ制度がなくなったので、減反政策は廃止してもよいはずなのに、そうはならなかった。
食糧管理制度の政府買入れ米価がなくなった代わりに、減反政策を高米価維持のために使うようになったのである。農家に補助金を与えて生産(供給)量を減らせば、米価は本来市場で決まるはずの価格よりも高くできる。今は減反政策が唯一の高米価維持手段である。
食料自給率が低下した大きな原因は、国産の米の価格を大幅に引き上げてその消費を減少させ、輸入麦の価格を長期間据え置いてその消費を増加させたことだ。
1960年ごろは米の消費量は小麦の3倍以上もあったのに、今では両者の消費量はほぼ同じ程度になってしまった。大・はだか麦を入れると、米麦の消費量は逆転した。日本人の主食は米ではなく輸入麦となったのかもしれない。
国産の米をイジメて外国産の麦を優遇したのだ。
今では500万トンの米を減産して800万トンの麦を輸入している。小麦価格の据え置きは食料自給率向上に反する。食料自給率向上のためには、もっと小麦価格を上げなければならない。
減反を廃止して米価を下げれば、国内の米を助けるばかりでなく、貧しい消費者も助けることになる。食料分野では、減反廃止に勝る物価対策はない。それなのに、政府(農林水産省)・JA農協は、減反政策を強化してさらに米生産を減少させ、米価を上げようとしている。小麦よりも基礎的な食料だと思われる主食の米について、物価対策とは逆のことを行っているのだ。
農家の所得を保証するのは価格だけではない。
アメリカもEUも、価格は市場に任せ、財政からの直接支払いによって、農家所得を確保している。日本でも、小麦、牛乳や牛肉などについても、同様な政策がとられ、農業保護によって消費が減らないような対策が講じられてきた。わが国では、米だけに高価格支持が残っている。
直接支払いの方が価格支持より優れた政策であることは、世界中の経済学者のコンセンサスである。
しかも、医療のように、本来財政負担が行われれば、国民は安く財やサービスの提供を受けられるはずなのに、減反は補助金(納税者負担)を出して米価を上げる(消費者負担増加)という異常な政策である。
国民は納税者として消費者として二重の負担をしている。主食の米の価格を上げることは、消費税以上に逆進的だ。「経世済民」とは対極にある減反は、経済学的には最悪の政策である。
減反を廃止して米価を下げれば、貧しい人のための物価対策になるし、財政的にも3500億円の減反補助金を廃止できる。
米価が下がって困る主業農家への補塡(ほてん)(直接支払い)は1500億円くらいで済む。サラリーマン収入に依存している兼業農家には、所得補償となる直接支払いは不要である。小麦価格据え置きには財政負担が必要だが、この政策は財政負担を軽減する。
さらに減反廃止は、食料自給率の改善にもつながる。
2000年から20年以上も食料自給率を45%に引き上げる目標を掲げているにもかかわらず、2000年の40%から逆に減り続け、2021年の食料自給率は38%である。ところが、1960年の食料自給率79%も、今の38%も、その過半は米である。つまり、食料自給率の低下は、米の生産が減少してきたことが原因なのである。
最も効果的な食糧安全保障政策は、減反廃止による米の増産とこれによる輸出である。平時には米を輸出し、危機時には輸出に回していた米を食べるのである。
日本政府は、財政負担を行って米や輸入麦などの備蓄を行っている。しかし、輸出は財政負担の要らない無償の備蓄の役割を果たす。輸出とは国内の消費以上に生産することなので、食料自給率は向上する。
現在の水田面積全てにカリフォルニア米程度の単収の米を生産すれば、1700万トンの生産は難しくはない。国内生産が1700万トンで、国内消費分700万トン、輸出1000万トンとする。米の自給率は243%となる。
現在、食料自給率のうち米は20%、残りが18%であるので、米の作付け拡大で他作物が減少する分を3%とすると、この場合の食料自給率は64%(20%×243%+18%-3%)となり、目標としてきた45%を大きく超える。
米価維持のための減反政策には、隠れた目的がある。
通常、銀行は他の業務の兼業を認められていない。この中で、JA農協は金融事業を兼業できる日本で唯一の法人である。
高米価で米に兼業農家等が多く滞留して、これらの農家の兼業・年金収入や農地転用益がJAバンクへ預金された。JAバンクは預金総額100兆円を超える日本トップクラスのメガバンクとなり、その全国団体である農林中金はこれをウォールストリートで運用して巨額の利益を得た。この利益を背景に、JA農協は葬祭事業等にも進出し、地域で独占的に活動している。高米価はJA農協の発展の基礎となった。
政治はどうか?
与野党とも選挙を考えると敵は作れない。特に、小選挙区や参議院の一人区では、少数でも組織化された票が、どちらの候補者に行くかどうかで当落は決まる。JA農協のような既得権者が組織する固定票は無視できない。こうして自民党から共産党まで全党が減反維持に染まる。
貧しい消費者のことや食料自給率向上を真剣に考えている政党などない。減反・高米価政策が消費者家計を圧迫し食料自給率を下げてきたことなど、彼らにはどうでもよいことなのだ。
農林水産省も、本音では、減反がなくなり米価が下がって零細な農家が農業をやめるのは好ましくない。農業界の政治力がなくなれば、財務省に予算を要求できなくなる。予算が獲得できなければ、天下りに影響する。
では、既得権益を離れ、まっとうな意見を述べるグループはいないのか?
1961年に農業基本法を作った際には、農林漁業基本問題調査会という総理の諮問機関(審議会)で真剣な議論が行われた。会長は、シュンペーターの高弟である東畑精一・東京大学教授だった。役所側の同調査会事務局長には、後に16年間政府税制調査会会長を務め「ミスター税調」と呼ばれた小倉武一・前食糧庁長官が就任した。東畑、小倉という、当時の学界、官界を代表する最高の人材が基本法の検討に当たった。彼らは、政治家や既得権者の意見は無視して議論した。当時、経済学は、まさに「経世済民」の学問だった。
今でも、食料・農業・農村基本法に基づく審議会はある。会長は経済学者である。同法の見直しも、この審議会で行われる。しかし、この審議会が減反・高米価政策に異を唱えたことは、これまで一度もなかった。自民党農林族議員・JA農協・農林水産省の農政トライアングルが決めた政策を、そのまま了承してきたのである。
理由は簡単である。
政府の審議会の委員になることは、大学内の出世のための大きな評価材料となる。会長ともなれば、なおさらである。農政トライアングルが決めた政策に反論したりすると、委員に再任されなくなる。農林水産省サイドからすると、政府与党が決めた政策に異論を出すような筋の通った人はそもそも任命しない。審議会は政府にお墨付きを与えるだけの中身のない機関となっている。
こうして経済学の費用便益分析をすれば、だれが考えても国民の経済厚生の観点からは最悪の減反政策が、半永久的に続く。
減反政策は50年以上も続いている。悲しいことに、学界にも、官界にも、東畑や小倉はいない。国民のためなら、むしろ大学経済学部の1年生を委員・会長に任命した方がよいと思うが、どうだろうか?