メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.09.16

支離滅裂な物価対策がまかり通るのはなぜか?

麦の政府売り渡し価格据え置き決定が映し出す農政の矛盾

論座に掲載(2022年9月2日付)

農業・ゲノム

原油や農産物の国際価格の上昇や円安によって、消費者物価が上昇している。政府は、物価対策として、これまでの価格決定のルールからすれば本来20%上がるはずの麦の政府売り渡し価格を据え置くことを決定した。

小麦が重要というなら大豆はどうなのか

輸入麦の売買は、民間ではなく政府が行っている。長年、米、麦は、農林水産省自身が、乳製品は、農林水産省所管の独立行政法人・農畜産業振興機構が、独占的に輸入・売却している。これらを「国家貿易」と言う。農林水産省は、これらは重要な物資なので、国家が輸入を管理する必要があるというだろうが、カロリー源としてもタンパク源としても重要だと思われる大豆は、国家貿易品目ではない。逆に、奢侈品と言ってもよい牛肉は、1991年に輸入が自由化されるまで国家貿易品目だった。

実際のところは、国家貿易は、同省の組織維持のためと国内農業保護のために行われている。巨額の牛肉の輸入差益は、畜産団体や畜産農家のために使われた。国内の乳製品需給の緩和とこれによる乳価の下落を恐れて、農畜産業振興機構が必要な量を輸入しなかったため、2014年深刻なバター不足を起した。

この制度の下で、農林水産省は輸入小麦に一定の課徴金を加えて製粉メーカーに売り渡している。今回は、小麦価格抑制のため、この課徴金を徴収しないことになるのだろう。農林水産省はこの課徴金収入を財源として国内の小麦農家に補助金を交付してきた。課徴金収入がなくなれば、国庫から補助金を支出しなければならなくなる。財政負担は半年で350億円かかると言われている。仮に、国際価格上昇が長引くようだと、より多くの財政負担が必要となる。

麦、特に小麦は、パンやラーメンなどの原料となる重要な物資だからと岸田総理は言うかもしれないが、油、豆腐、味噌、醤油、納豆の原料となる大豆も、小麦に劣らず重要である。小麦同様、大豆の国際価格も上昇している。対前年同月比でみると、小麦製品である食パンは12.6%上昇しているのに対し、食料油は40.3%も増加している。それなのに、大豆を物価対策の対象としないのは、政府が操作する国家貿易品目でないからだろう。

物価対策とはいえない農家向け対策

しかし、国家貿易品目でなくても、輸入大豆に補助して価格を下げる方法もある。終戦後は、輸入価格が高いので、このような政策を採っていた。トウモロコシは家畜の飼料として輸入されている。これは国家貿易品目でないのに、畜産農家に対する飼料価格高騰対策として、補てん金が農家に交付される。農林水産省にとって産業規模が拡大している畜産は重要だし、畜産議員の政治力もある。

しかし、これで生産される牛肉などの畜産物は、大豆や主食である米などと異なり、嗜好品で基礎的な食料とは言えない。また、飼料の価格を抑制するなら、牛乳・乳製品や牛肉・豚肉などの畜産物価格も抑制すべきだが、そのような対策はとられない。むしろ、畜産農家がコスト上昇を価格転嫁しやすい方策が検討されるだろう。現に、飼料価格の上昇を理由として、酪農家が販売する生乳の価格が11月から8.3%引き上げられることが7月、酪農団体と乳業メーカーの間で合意された。これで牛乳や乳製品の価格は上昇する。飼料価格補てんは、消費者(物価)対策ではなく農家対策である。

麦の政府売り渡し価格据え置きの矛盾

そもそもなぜ物価対策を行うのだろうか? 貧しい人が困るからではないのか?

高度経済成長が始まる前までは、米は高級財で、麦が劣等財だった。コッペパンもロウケンパン(1929年倉敷労働科学研究所で米が食べられない貧しい労働者や学生などのために開発)も、低所得層のための食材だった。しかし、今では小麦の方が高級財になっている。

高度成長以前は食べることもなかったスパゲッティが、カナダ産のデュラム小麦を原料として一般家庭の食卓にも供されるようになった。パンでも、食パンだけでなく、クロワッサン、デニッシュ、多種多様な調理パンが販売されている。うどんやラーメンの消費も好調である。2021年の家計支出で、米は17千円、パンは25千円、麺類も16千円となっている(88日付「貧乏人は『米』を食え! 小麦の政府売り渡し価格改定を前に 池田勇人ならなんと言う?」参照)。米よりも小麦の製品に消費者は多くの支出をしているのである。私の感覚では、町でおにぎりを買っている人よりも調理パンを買っている人のほうが裕福に見える。

小麦価格が上昇すれば、パンなどの値段が上る。それでも、所得の高い人は、今までとおりクロワッサンやデニッシュを食べるだろう。他方、消費者物価指数では、パンの価格は12.6%上昇しているのに、米の価格は6.1%下がっている。高級調理パンなどへの支出を負担に感じるようになる人は、安くなった米の消費量を増やすだろう。所得の低い人は、パンが食べられなくなっても、自宅でご飯を炊くとか、おにぎりやごはん付きの定食を食べれば、食料品の価格上昇をしのげる。

減反廃止に勝る物価対策はない

モノの消費には代替性がある。パンの価格が上がれば代替品である米の消費は増加する。これは経済学の基礎だ。小麦価格の高騰に苦しむアフリカ諸国では、小麦に代わりキャッサバ(イモの一種)の消費を増やしている。

米の価格低下は、クロワッサンではなくおにぎりを食べている所得の低い人にとって朗報である。しかも、今の米価は減反政策で高く維持されている水準である。減反を廃止して米価を下げれば、貧しい人をさらに助けることになる。しかも、米はグルテンフリーである。食料・農産物分野では、減反廃止に勝る物価対策はない。

それなのに、政府(農林水産省)・JA農協は、減反政策を強化してさらに米生産を減少させ、米価を上げようとしている。小麦よりも基礎的な食料だと思われる主食の米について、物価対策とは逆のことを行っているのだ。

岸田総理も、農林水産省の動きを制止しようとはしない。小麦価格の抑制は、おにぎりを食べている人よりも高級な調理パンを食べている人を優遇する。マリー・アントワネットを揶揄した話になぞらえると、庶民はお菓子が食べられないのに、パンの値段を上げてお菓子の値段を下げるようなものだ。利益を得るのは、貴族階級だ。

ガソリン価格も補助金で抑制される。これも、電車を利用する人よりも高級車を持っている人を優遇する。

パンやラーメンの値段が上がると報道されると小麦の価格抑制策を講じる。食料品全体の価格抑制を考慮して決定されたものとは、考えられない。一連の物価対策とアンチ物価対策は、金持ちを優遇する。貧しい人が困るというなら、所得補助をすべきではないだろうか。

ちぐはぐな物価対策をいつまで続けるのか

ロシアの黒海閉鎖により、世界第5位の小麦輸出国ウクライナの輸出が困難になり、同国産小麦への依存度が高い中東やアフリカの貧しい地域では飢餓が生じている。国連を交えた合意が成立したが、完全な再開までにはほど遠い。ウクライナからの供給が減少することは、国際価格の上昇要因となる。

また、トウモロコシからガソリンの代替品であるエタノールが作られるので、昨年からの原油・ガソリンの価格上昇は、トウモロコシ価格だけでなく、その代替品である他の穀物や大豆の価格も引き上げている。穀物や大豆の国際価格が上がると、パンなどの小麦製品、食料油、穀物や大豆を飼料として生産される肉、卵や乳製品の価格も上昇する。石油価格が上がると農産物の生産コストも上昇するし、物流コストも上昇する。

2007年にアメリカがエタノール生産を拡大して以来、原油と食料の価格は連動するようになった。消費者家計に大きな割合を占める石油と食料の二つが同時に上昇していることが、世界的なインフレの原因となっている。

国土が戦闘状態になっているウクライナについては、輸送だけでなく、生産面でも戦争による影響は避けられない。ウクライナはトウモロコシでも世界第4位の輸出国である。価格高騰に応じて世界の小麦等の生産が増加すれば飢餓は回避できるが、中国、ロシア、ベラルーシからの肥料の輸出も減少している。

異常気象も穀物価格上昇に追い打ち

さらに、世界の穀倉地帯であるアメリカでは50州のうち42州で干ばつの被害が出ている。特に、西部の小麦生産地帯では、ダムの水位が大幅に低下している。また、世界第2位の小麦輸出地域であるEU、特にEU内で最大の小麦生産国であるフランスが、深刻な干ばつに見舞われている。米や小麦の生産量では世界第1位の中国も干ばつの被害を受けている。中国は輸出国ではないが、その生産が減少すると、輸入量が増加して、これも穀物価格の上昇要因になる。米の輸出国である、インドやベトナムも熱波や干ばつの影響を受けている。

ウクライナ侵攻に終わりが見えないので、原油や穀物価格も高止まりする。そのうえ、異常気象で世界の穀物生産が減少すると、穀物価格の上昇は短期的なものではなく、少なくとも1年以上は続くものと思われる。

となると、半年で350億円といわれる小麦の物価対策の財政負担が膨らんでいくことが懸念される。同時に、減反を強化していけば、減反の補助金も増加していく。

ほかの政策目的とも矛盾する物価対策

ガソリン価格の上昇は炭素税を導入したのと同じ効果を持つ。電車の利用も増えるだろうし、ガソリン節約的な車の技術開発も促進される。しかし、ガソリンへの補助金はガソリンの消費を維持・増加させ、脱炭素化と矛盾する。原油価格が下がらなければ、この補助金も常態化する。この間、脱炭素化は足踏みする。脱炭素化を進めながらガソリンに補助するのは、アクセルとブレーキを同時に踏むようなものだ。

食料自給率が低下した大きな原因は、70年代以降国産の米の価格を2倍以上にしてその消費を減少させ、輸入麦の価格を長期間据え置いてその消費を増加させたことだ。国産の米をイジメて外国産の麦を優遇したのだ。今では500万トンの米を減産して800万トンの麦を輸入している。小麦価格の据え置きは食料自給率向上に反する。食料自給率向上のためには、もっと小麦価格を上げなければならない。

食料の場合、価格が半分に下がったからといって、胃袋は変わらないので、倍の量を食べるわけにはいかない。逆に、価格が上がったからといって、食べなくてすむということにはならない。食料の場合、価格が変化しても消費量がそれほど変化しないという特徴がある。

これを供給側から見ると、食料(農産物)の供給が少し増えただけでも、これを市場で販売するためには、価格を大幅に下げなければならない。天候が良くて野菜が獲れ過ぎると、野菜の価格が暴落して豊作貧乏と言われる現象が起こる。逆に長雨などで不作になると野菜の価格は高騰する。

これを利用しているのが、米の減反政策である。農家に補助金を出して米生産を減少させ、価格を引き上げれば、農家の売上高は増加する。売上高に比例して販売手数料収入が決まるJA農協も利益を受ける。

それだけではない。

減反を廃止できない農政自体が矛盾の塊

JA農協は金融事業を兼業できる日本で唯一の法人である。高米価で米に兼業農家等が多く滞留して、これらの農家の兼業・年金収入や農地転用益がJAバンクへ預金された。JAバンクは預金総額100兆円を超える日本トップクラスのメガバンクとなり、その全国団体である農林中金はこれをウォールストリートで運用して巨額の利益を得た。この利益を背景に、JA農協は葬祭事業等にも進出し、地域で独占的に活動している。高米価はJA農協の発展の基礎となった。

だから減反は廃止できない。もちろん、米価を上げるので、消費者は困る。そればかりか、相対的に安くなった小麦製品の消費が増加し、米の消費は減少し、米産業は衰退した。

コストの高い兼業農家の米生産を維持するためには高い米価が必要だとして、米生産を減少するために補助金を支払うのは矛盾してないか? 終戦の食料難を克服するために、農家は米の増産に努め、1967年には1,445万トンの生産を実現した。

それ以降は、減反でどんどん米生産を減少させてきた。今年産米について農林水産省が示した生産の上限値は675万トンである。1967年の半分以下である。JA農協は、最近「国産国消」を宣伝している。しかし、これまでJA農協がやってきたことは、国産の米殺しだ。

しかし、農家の所得を維持するのは価格だけではない。アメリカもEUも、価格は市場に任せ、財政からの直接支払いによって、農家所得を確保している。日本でも、小麦については、輸入麦の課徴金収入を利用して農家に直接支払いをすることで、国産麦の価格を抑えてきた。牛乳や牛肉などについても、同様な政策がとられ、農業保護によって消費が減らないような対策が講じられてきた。我が国では、米だけに高価格支持が残っていると言ってよい。物価対策だけではなく、農政自体が矛盾の塊なのである。

日本の農業経済学者を除いて、直接支払いの方が価格支持より優れた政策であることは、世界中の経済学者のコンセンサスがある。しかも、減反は補助金を出して米価を上げるという政策である。国民消費者は納税者として消費者として二重の負担をしている。主食の米の価格を上げることは、消費税以上に逆進的だ。「経世済民」とは対極にある減反は、経済学的には最悪の政策である。

減反を廃止して米価を下げれば、貧しい人のための物価対策になるし、米の消費・輸出が増えて、食料自給率も向上する。財政的にも3500億円の減反補助金を廃止できる。米価が下がって困る主業農家への補てん(直接支払い)は1500億円くらいで済む。サラリーマン収入に依存している兼業農家には、所得補償となる直接支払いは不要である。小麦価格据え置きには財政負担が必要だが、この政策は財政負担を軽減する。

なぜ場当たり的な政策が実施されるのか?

しかし、このような主張を行う政党はない。問題提起さえ行われない。野党も政府与党と同じ方向を向いている。車を持っている人からすればガソリン価格が上がらない方がよいし、農業への依存度が低い兼業農家でも米価は高い方がよい。

与野党とも選挙を考えると敵は作れない。特に、小選挙区や参議院の一人区では、少数でも組織化された票が、どちらの候補者に行くかどうかで当落は決まる。JA農協のような既得権者が組織する票は無視できない。こうして全党がポピュリズムに染まる。政治主導では、特定のグループには最適でも、国家として整合性のとれた政策は採用されにくい。各省も既得権者を見て政策を作っている。残念だが、豊かになった農家の利益を主張する組織はあっても、貧しい消費者の利益を代弁する組織はない。

小泉内閣の経済財政諮問会議は、それなりに機能した。政党や省庁から離れて、大局的な見地から政策を提言する政府内組織を作れないだろうか? それとも、「経世済民」の学問である経済学の研究者からも、以上のような問題提起が行われないのであれば、このような組織を作っても機能しないのだろうか?