メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.08.23

貧乏人は「米」を食え!

小麦の政府売り渡し価格改定を前に 池田勇人ならなんと言う?

論座に掲載(2022年8月8日付)

農業・ゲノム

タイトルを読んで、「貧乏人は麦を食え」というセリフを連想された人は、かなりの年配の方だろう。所得倍増論で有名な故池田勇人は、大蔵(現在の財務)大臣だった1950年、「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と国会で答弁した。これが「貧乏人は麦を食え」と報道され、批判を浴びた。

このセリフを思い出したのは、小麦の国際価格の高騰によって、パンなどの小麦製品の価格が上昇しているため、10月に予定されている小麦の政府売り渡し価格の改定では、政府はこれまでのルールに沿った引き上げを行うべきではないという主張が強くなっているからだ。現在、池田勇人がいたなら、別の主張をしただろうと思ったからである。

なお、小麦の政府売り渡し価格と聞いて、どうして政府が輸入された小麦を製粉メーカーに売り渡すのだろうかと意外に思われた人も多かったはずだ。実は、制度的には、米、麦は、農林水産省自身が、乳製品は、農林水産省所管の独立行政法人・農畜産業振興機構が輸入している。これらを「国家貿易」と言う。農林水産省は、これらは重要な物資なので、国家が輸入を管理する必要があるというだろうが、実際には、同省の組織維持のためと国内農業保護のために使っている。バター不足が生じたのは、国内の乳製品需給の緩和とこれによる乳価の下落を恐れて、農畜産業振興機構が必要な量を輸入しなかったからである。

配給制度には金がかかった

まず、池田の発言の時代背景を説明しよう。戦時中も米麦等の食料は不足していたが、特に終戦後は米等の不作も加わり大変な飢餓が生じた。米麦等の食糧の流通は厳しく統制された。

具体的には、政府(農林省)は農家に米麦等の農産物を安い価格で政府に売り渡すよう義務付けた。これを「供出制度」という。指示された量を売り渡さなければ、懲役刑が課されることになっていたのである。そして、政府は、供出された農産物を、貧しい人も買えるように安い価格で消費者に均等に売却した。消費者は購入通帳を持っていかなければ、決められた量を購入できなかった。裕福な者でも決められた量以上を購入することは許されなかった。これを「配給制度」と言う。

これらは、1942年制定の戦時統制立法である食糧管理法によって実施された。食糧管理法は生産者保護の法制として1995年まで存続するが、本来は消費者保護の立法だった。

戦時中は極めて強い統制経済の下にあったので、政府が指定したルート以外の流通は、厳に禁じられていた。ところが、戦後になると、政府の力が弱まったため、ヤミ市場が横行するようになった。農家としては、政府に安い価格で売るよりはヤミ市場で高い価格で売る方が利益になる。また、配給物資だけでは飢えを満たすことができない都市住民は、汽車に乗って農家に直接農産物を売ってくれるように頼んだ。


しかし、このようなことが横行すると、国民消費者に安く売り渡す食料を政府は入手できなくなる。このため、政府は占領軍の力を借りてまで強制的に農家から農産物を売り渡させた。これは「ジープ供出」と言われる。また、運よく買い出しに成功した都市住民も、帰りの駅で待ち伏せた警察官によりせっかく買えた農産物を没収された。

貧しい消費者にとっては、配給制度はなくてはならないものだった。しかし、安い価格で供出させられる農家にとっては、極めて評判の悪いものだった。農家は政治家を使って統制解除を働きかけた。農民票が欲しい与党・自由党は、いったんは麦だけでなく米についても統制解除を決定した(しかし、連合国軍総司令部=GHQ=や農林省の反対により、結局これは見送られた)。

大蔵省にとっても、農家から供出させるためには、ある程度の価格や補助金を支払わなければならないが、配給制度を実施するためには消費者価格を低くする必要がある。このコストは財政負担で賄うことになるので、できれば統制を解除して政府が関与しない民間の自由市場としたい。当時は輸入農産物についても、政府が価格差補給金を交付して国民に安く供給していた。国内の農産物価格が輸入価格よりも安かったのである。関税で国際価格よりも高い農産物価格を維持している現在とは逆の状況だった。

昭和初期まで農家も米を食べられなかった

当時は、米は高級財で、麦が劣等財だった。市場経済であれば、裕福な人は米を食べ、貧しい人は麦を食べる。安い価格の米の配給制度を維持して、貧しい人にも米を食べさせる必要はない。池田勇人の発言の趣旨は、大蔵大臣としては金のかかる統制制度は廃止して自由な市場経済に移行すべきだというものだった。この発言の2年後の1952年、麦については、政府に売っても売らなくてもよいという緩やかな統制制度(間接統制)に移行した。

欧米に、「麦」という概念はない。小麦(wheat)、大麦(barley)、ライムギ(rye)は全く別の穀物と認識されている。日本や中国では、冬作物としてこれらを麦と総称している。「貧乏人は麦を食え」と言う場合の麦とは、大麦・はだか麦を指すものと思われる。戦前、米を食べられるのは裕福な家庭に限られていた。米は「銀シャリ」と呼ばれ、一般人のあこがれだった。日本人がすべて米を食べられるようになったのは戦後のことである。

明治から昭和の初期にかけて、かなりの農家は米を食べていなかった。小農は、作った米を売って肥料代や生活費を捻出し、自分たちは麦やアワ、ヒエといった雑穀に大根などの野菜を加えて増量した雑炊を食べて、飢えをしのいでいたのである。小農にとって、米はめったに食べられない高級品だった。米を食べても、それは通常の商品としては流通しない屑(くず)米だった。柳田國男は、明治時代の農民は、ハレの日以外、米を食べていなかったと書いている。

「今言われるように、米を食わなかったという事実だけでも、多くの人は知らない。日本は昔から米の国だから食わないわけはないけれども、正月に一ぺん、お盆に一ぺん、お祭の時に一ぺん、法事か何かあれば一ぺん、一年に四回とか五回とかは真白な粒のそろった米を食っている。そのほかに食うのは屑米ですね。だから、そんなに普段の日に食うべきものと思っていないから不幸でもなんでもない。米を食わなければ日本人になれないというような考えはない。白米の白さのごときものは、われわれが憶えてから白くなったんです。」(「柳田國男対談集」P102、1992年、筑摩書房)

農家が自分で作っている米を食べられないのである。彼らは、枕元で米粒が入った竹の筒を鳴らしてもらい、その音を聞きながら、来世では米を食べられるようにと願いながら、死出の旅に立って行ったという話が伝えられている。

これより高級な食事に麦飯があった。これは大麦・はだか麦だけか、これに米を混ぜたものを調理したものである。今では、麦飯は健康食品となっているが、高度成長以前はできれば卒業したい食事だった。今(2020年)では、国内生産では、小麦(95万トン)の方が大麦・はだか麦(22万トン)より圧倒的に多いが、1960年では大麦・はだか麦(230万トン)の生産が小麦(153万トン)を大きく上回っていた。高度成長が始まった1960年でも、かなりの国民は麦飯を食べていたのである。

なお、小麦も当時は高級品だったわけではない。国産小麦から作られるうどんは庶民のたべものだった。学校給食に供されるコッペパンも戦時中からの配給物資だった。岡山を発祥の地として全国に展開した小麦製品に、「ロウケンパン」または「労研饅頭(ろうけんまんとう)」と呼ばれる蒸しパンがあった。これは、倉敷紡績(クラボウ)社長・大原孫三郎が作った倉敷労働科学研究所で、米が食べられない貧しい労働者や学生などのために、1929年に開発されたものである。国産の小麦粉はうどん粉、より白い輸入小麦は「メリケン粉」(「メリケン」とは「アメリカン」のことで、他に「メリケン波止場」などがある)と呼ばれた。ロウケンパン等の原料もメリケン粉であり、小麦製品も劣等財だった。高級な調理パンなどはなかった。

池田勇人は、所得の高い人は米を、低い人は麦を食べるという、当たり前のことを言っただけのように思われる。しかし、白米に憧れる国民感情を忖度したマスメディアによって、貧困層を侮蔑したセリフとして取り上げられたのだろう。

米と麦の立場が逆転した

ところが、所得が増加するにつれ、嗜好が変化し、米の消費が減少し、麦、特に小麦の消費が増加した。麦の価格を抑制し、米の価格を大幅に引き上げるという農林水産省の政策も、この傾向を助長した(論座2022323日付「日本の農業政策は有事に国民を飢餓に導く〜ウクライナ危機の教訓」)。

麦の消費量は1960年の600万トンから今では850万トンに増加した。その一方で、麦の生産者価格も抑制されたので、国産麦の生産は激減した。これは、「麦の安楽死政策」と呼ばれた。ところが、1973年の穀物危機以降、麦作奨励が唱えられ、麦の生産者価格も大幅に引き上げられた。この結果、麦の生産は2021年には133万トンに回復している。しかし、それでも1960年の3分の1に過ぎない。また、いったん外麦(外国産麦)に移った需要は戻らなかった。国産小麦の主たる用途はうどんであるが、さぬきうどんの原料はASWというオーストラリア産小麦になった。国産麦の生産減少により、麦供給の9割はアメリカ、カナダ、オーストラリアからの輸入麦となっている。

米麦あわせた生産量は60年の1669万トンから2021年には889万トンへとほぼ半減した。1960年当時米の消費量は小麦の3倍以上もあったのに、今では同じ量まで接近している。こうして食料自給率は低下した。

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我々日本人は、外国産の麦から作られる食品をたくさん食べるようになり、国産の米を食べなくなった。米については、国内の消費が減少しても、輸出を行って生産を維持・拡大すれば、食料自給率は上がる。しかし、国内市場しか見ることのできない農林水産省やJA農協は、米価維持のために懸命になって米の生産を減少させてきた(論座20220629日付「食料自給率は上げられます。簡単なことのはずですが……それでもできないのはなぜ?」)。JA農協の機関紙・日本農業新聞は、米作を継続するために米価を高く維持すべきだと主張する(2022728日)が、米価維持のために米作を縮小していることの矛盾に気が付かない。

他方で、高度成長以前は食べることもなかったスパゲッティが、カナダ産のデュラム小麦を原料として一般家庭の食卓にも供されるようになった。パンでも、食パンだけでなく、クロワッサン、デニッシュ、多種多様な調理パンが販売されている。うどんやラーメンの消費も好調である。

2021年の家計支出で、米は17千円、パンは25千円、麺類も16千円となっている。米よりも小麦の製品に消費者は多くの支出をしているのである。

小麦の輸入価格が上昇して、パンなどの値段が上昇する。それで所得の低い人が困るというのであれば、米価は上がっていないので、自宅でご飯を炊くとか、おにぎりやごはん付きの定食を食べるという方法がある。

つまり、池田勇人的に言うと、「貧乏人は米を食べればよい」のである。所得の高い人のほうがパンなどの小麦製品を食べているなら、国際価格(輸入価格)が上昇しているのに政府が小麦の政府売り渡し価格を上げなければ、所得の高い人に補助金を与えていることになる。また、輸入麦の消費を支援することになるので、政府が目標としている食料自給率向上とは逆の効果を生じることになる。

小麦価格高騰で池田勇人ならどうする?

1970年以来、政府は農家に減反(転作)補助金を与えて米の生産(供給)を減らして、米価を高く維持してきた。日本の食料自給率が低下したのは、米生産を減少させてきたからである。所得の低い人が食料品価格の上昇で困るというなら、減反を廃止して米の価格を下げればよい。米の消費は増え、輸入麦の消費を抑えることができるので、食料自給率は向上する。財政的にも、3000億円もの減反補助金がなくなる。米価が下がって主業農家が困るというのであれば、主業農家に限って直接支払いを行えばよい。今の減反補助金の額の半分もかからない。

池田勇人が財務大臣なら、小麦の政府売り渡し価格はルール通り引き上げて、他方で減反を廃止して、米価を下げるとともに財政負担を軽減するだろう。消費者としても納税者としても、国民の負担は減少するうえ、食料自給率も向上する。

不思議なことは、なぜ、こんな簡単な政策を提言する国の職員や研究者がいないのだろうかということである。