メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.05.12

インフレ対策の「減税」が「悪手」である理由:「格差社会」の処方箋として「デジタル政府」化を急げ

Foresigntに掲載(2022年4月25日付)

日本経済にインフレのダメージが蓄積されて行く中で、ガソリン価格高騰に応じた「トリガー条項」の凍結解除や消費税率引き下げなど「減税」を求める声が上がっている。7月の参院選に向け政治問題化の気配が漂うものの、実はインフレ対策としての減税は格差を拡大しかねない。低所得の家計にターゲットを絞った施策が必要だが、そこに立ちはだかるのが「アナログ政府・日本」という問題だ。


「悪い円安」をもたらす「日米金利差」

4月に刊行した『2050 日本再生への25のTODOリスト』(講談社+α新書)でも取り上げたが、目下インフレの懸念が高まっている。原油など資源価格の高騰円安が進み、食料品や電気料金などの値上げも拡大しつつある。

アベノミクスの一環として行われた異次元金融緩和により、政府・日銀は物価2%の目標を目指していた。だが、現在のところ、金融政策だけではその目標を実現できずにいる。

しかし、コロナ危機の収束傾向や、ロシアのウクライナ侵攻などにより、生産コストが上昇し、コストプッシュ型のインフレ圧力が高まってきているのが現状だ。

こうした状況に、別の角度から影響を与える数字がある。それが、アメリカと日本の間の金利差だ。

日本のインフレ率は現時点ではまだ低いが、アメリカでは物価の上昇が収まらない。国民生活に影響を及ぼし始めており、政治問題にもなりつつある。

アメリカのジョー・バイデン大統領は、今年11月に中間選挙を控えている。そのため、何としてもインフレを抑制したいところだろう。

アメリカの連邦準備理事会(FRB)は、すでに実施された3月のフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標の引き上げを含め、今年中に7回もの利上げを想定している。

1回の利上げが0.25ポイントだと仮定すると、年内の7回で1.75ポイントも金利を引き上げる可能性がある。

このように、FRBはインフレ抑制を最も優先する「タカ派」モードの姿勢を示している。

他方、異次元緩和の影響や、財政の問題によって、日銀は身動きがとり難い状況にあり、金利を低位に据え置いたままである。

こうして日米間の金利差が拡大しており、それに対する市場の予測もあって、円安が進んでいる。日本国内に輸入される原油などの資源価格を引き上げ、コストプッシュ型のインフレ圧力が増す状況となっている。

減税は格差問題を助長する

この状況で何よりも懸念されるのが、国民の生活水準の低下である。

物価の上昇に賃金の伸びが追い付かない場合、実質賃金が目減りし、家計の購買力は低下する。つまり、家計の生活は厳しくなる可能性がある。

この対処方法として、減税に期待する声もある。ガソリン税を一時的に減税する「トリガー条項」発動を国民民主党が求め、公明党が同調する動きを見せたことも記憶に新しい。

ただ、所得再分配に及ぼす影響を考慮せず、インフレ対策として減税を実施してしまうと、低所得層と高所得層との間の所得格差が逆に拡大し、低所得層が不利になってしまうケースも考えられる。

この理由は単純なものではあるが、以下、簡単な例を用いて解説してみよう。

まず、議論を単純化するため、国内には、低所得の家計Aと、高所得の家計Bしか存在しないものと仮定する。

また、家計Aの課税前年収は200万円で、家計Bの課税前年収は1000万円とする。やはり単純化のために、税制は20%の比例所得税しか存在しないものとする。

つまり、家計Aは所得税を40万円、家計Bは所得税を200万円支払っており、家計Aの課税後年収は160万円、家計Bの課税後年収は800万円となる。

課税後の年収が160万円ということは、毎月の手取りは約13万円なので、家賃を支払うと、かなり厳しい生活だろう。

このため、家計Aは、課税後の年収160万円のうち、毎年140万円を消費し、残りの20万しか貯蓄できないものとする。

他方、家計Bは生活に若干余裕があり、課税後の年収800万円のうち、毎年600万円を消費し、残りの200万円を貯蓄しているものとする。

このような状況のなか、一時的に政府が減税を行い、比例所得税を20%から10%に引き下げたとする。課税後の年収はどうなるだろうか。

家計Aの所得税は40万円から20万円に、家計Bの所得税は200万円から100万円に減少し、家計Aの課税後年収は180万円、家計Bの課税後年収は900万円となる。

減税により、課税後の年収はどちらの家計も増加するが、減税政策の恩恵をより大きく受けるのは、低所得の家計Aでなく、高所得の家計Bである。実際、家計Aの課税後年収は20万円しか増えないが、家計Bの課税後年収は100万円も増えている。

冷静に考えれば、これは自明なことである。元々、低所得の家計Aよりも高所得の家計Bの方がより多くの税金を支払っていたので、減税の効果は所得の高い家計ほど大きくなる。

しかも、家計Aと家計Bの所得格差は拡大している。減税前は、家計Aの課税後年収は160万円、家計Bの課税後年収は800万円と、家計Aと家計Bの課税後年収の違いは640万円であった。

だが、減税後では、家計Aの課税後年収は180万円、家計Bの課税後年収は900万円である。家計Aと家計Bの課税後年収の違いは720万円となり、640万円から拡大してしまっている。

すなわち、所得の高低によらず一律に実施する減税政策は、高所得層ほど恩恵を受け、低所得層と高所得層との間の所得格差を拡大する可能性があるのだ。

消費減税の恩恵を受けるのは高所得層

これと似た問題は、消費税の減税時にも発生する。

上記の設定に加えて、10%の消費税率を導入するケースを考えてみよう。

議論を単純化するため、食料品等に対する軽減税率制度は存在しないものとする。また、消費税を導入しても、家計の消費額は変わらず、家計A140万円、家計B600万円の消費をすると仮定する。

このとき、家計Aが負担する年間の消費税額は14万円であり、家計Aの貯蓄は20万円から6万円に減少する。同様に、家計Bが負担する年間の消費税額は60万円であるから、家計Bの貯蓄は200万円から140万円に減少する。

では、減税政策により、消費税率を10%から5%に引き下げると何が起こるのか。

家計Aが負担する年間の消費税額は14万円から7万円に、家計Bが負担する年間の消費税額は60万円から30万円に減少する。

この結果、家計Aの貯蓄は6万円から13万円に、家計Bの貯蓄は140万円から170万円に増加する。ただ、家計Aと家計Bの資産格差(貯蓄格差)は拡大してしまう。

減税ではインフレ分に足りない

そもそも、理論的には、インフレとは逆進的な税である。インフレに賃金上昇が追い付かない場合、低所得の家計ほどインフレのダメージを受ける恐れがある。

しかも、インフレになれば、金融資産や不動産などの資産価格も上昇していく可能性がある。そのため、こうした資産を保有する高所得層の方が、インフレの影響を緩和できる可能性が高い。

このような状況で、インフレ対策として、減税政策を実行すると、格差がより拡大する可能性がある。

先ほどの家計Aと家計Bを使って、賃金が伸びないにもかかわらず、インフレで物価が1.3倍になったケースを検討してみよう。

インフレ前の家計Aの消費は140万円、家計Bの消費は600万円であるから、インフレ後にインフレ前と同じ水準の消費をするためには、それぞれ1.3倍の消費支出を行う必要がある。つまり、家計A182万円、家計B780万円の消費が必要になる。

インフレで余分に負担することになった消費支出額は、家計A42万円、家計B180万円である。

このとき、低所得の家計Aの比例所得税を20%から0%に減税しても、家計Aの課税前年収は200万円、所得税の減税額は40万円しかないので、インフレによって発生した負担を帳消しにすることはできない。

さらに、現実には、税を負担していない低所得者も多いため、インフレ対策として減税しても、その恩恵を低所得層が得られるとは限らない。

「一律給付」はなぜ非効率的なのか

ちなみに、コロナ禍では、「全国民一律での現金給付」が実施されている。

ただ、「一律給付」よりも「所得が落ち込んだ人だけに現金給付」するほうが効率的だという議論もある。

経済学的にみると、「所得が落ち込んだ人だけに給付」は「負の所得税(NIT)」、「一律給付」は「ベーシックインカム(BI)」の考え方に近い。

「負の所得税(NIT)」とは、ミルトン・フリードマンが提唱したもので、基本的に世帯単位、個人単位での給付となる。

現金給付の対象は、「ベーシックインカム」では全国民だが、「負の所得税」では低所得層に限られる。そのため、財源は「負の所得税」の方が遥かに少ない。

現金給付の財源はもちろん「課税」であるが、課税による経済的損失は税率の2乗に比例する。

つまり、必要な財源が大きく、課税も大規模になる「ベーシックインカム」は、「負の所得税」よりも非効率だということになる。

人口1億人に年間100万円のベーシックインカムを給付すると、100兆円の財源が必要だ。これを消費税で賄うとすると、必要な増税幅は40%となる(1%の消費増税で2.5兆円の税収増を仮定)。その場合の経済的損失は「定数×40%の2乗」になる。

しかし、「負の所得税」方式で、人口の1割にだけ100万円を給付する場合、財源は10兆円程度で済む。この場合の増税幅は4%となり、経済的損失は「定数×4%の2乗」に留まる。

「ベーシックインカム」方式の場合の経済的損失は、「負の所得税」方式の場合の100倍もあるため、理論的には「負の所得税」方式の方が効率的となる。

しかしながら、「負の所得税」方式で給付するには、正確な所得情報を把握する必要がある。そのため、従来型の「アナログ」政府では限界があった。

日本は各家計の所得を適切に把握できていない

では、このような問題を含め、解決する方法は何か存在しないのか。

まず、効率的な1つの方法は、高所得の家計に対する課税を強化し、それを財源にして、低所得の家計に再分配することである。

しかし、現在のところ、この政策を実行することは容易ではない。なぜならば、政府はどの家計が低所得で、どの家計が高所得なのか、適切に把握できていないためである。

この問題を解決するためには、拙著『2050 日本再生への25のTODOリスト』でも解説しているとおり、「デジタル政府の構築」や「税務執行のデジタル化」を促進する必要がある。

世界ではこうした取り組みが進んでいる。

イギリスは「税のデジタル化(Making Tax Digital)」を進めており、2014年以降、給与所得者の所得税に関する「リアルタイムの情報(RTI)」の取得を実現している。

イギリスには日本の源泉徴収制度に類似した「PAYE」と呼ばれる仕組みがあるが、雇用主は、各従業員の「給与支払報告」(例:給与支払額や源泉徴収額・保険料に関する情報)を、給与支払い時ごとに、歳入関税庁(日本の国税庁に相当)に伝達することになっている。伝達には歳入関税庁公認のソフトウェアが用いられている。

オーストラリアでも、給与支払のリアルタイム情報を取得する「STP」(従業員20名以上で強制適用)を2018年から導入している。今後は全雇用主への義務化も検討中という。

STPはオーストラリア国税庁の発案で、ソフトウェア産業と協力関係を築きながらオーストラリア政府が開発したものだ。公平な負担のために必要不可欠の制度だが、タイムリーな所得情報は課税以外の再分配政策などでも威力を発揮している。

こうした取り組みの結果、オーストラリアではコロナ禍での現金給付をスピーディーに実施することが可能になった。

「プッシュ型行政サービス」で公平な再分配を

政府がタイムリーな所得情報をもっていれば、様々な理由で急激に所得が落ち込んだ人々を対象に効率的な形で現金給付することができる。だが、この情報が無ければ政府としては一律給付をするしかない。

近年、ギグワーカー(ネット上のプラットフォームサービスを介して単発の仕事を請け負う労働者)が増加している。ギグワーカーの多くは企業に属さないフリーランスや個人事業主だが、副業として取り組む人々もいる。

現在の仕組みでは、こうした人々の状況を把握することは難しい。

また日本では、所得が500万円以下の場合、サラリーマンの源泉徴収額などの所得情報は国税庁には集まらないルールになっている。

だが、「デジタル政府」化が進み、RTISTPのような仕組みが整えば、そうした状況は一変する。

政府がタイムリーな所得情報を取得できれば、支援が必要な人々に対する「確実な給付」を効率的に行うことができる。

日本で、そうした行政サービスを可能にするためには、まずは「マイナポータル」に必要な情報を登録してもらう必要がある。

その際、銀行口座を含む個人情報とマイナンバーを紐付けすることも必要だ。その登録をしなければ、現金給付が受けられない、といった措置も重要になるだろう。

この登録作業を重荷に感じる国民もいるかもしれない。ただ、本来、これは国民に行政サービスを届けるための措置にほかならない。

現状、受け取れるはずの給付や減税に気づかず、もらい損ねているケースも多い。

しかし、「マイナポータル」への登録によって、「プッシュ型」の行政サービスが可能になれば、社会保障関係の給付や、税制上の還付などを、確実に届けることができるようになる。

こうした「プッシュ型」の行政サービスの仕組みや基盤は、インフレ対策としても利用でき、その他の分野でも益々重要になるだろう。