メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.04.12

真の農村振興策

『週刊農林』第2476号(3月25日)掲載

農業・ゲノム

報告書の読後感想

農林水産省の農村政策に関する報告書を読んだ率直な感想を述べよう。

半農半Xや農村マルチワーカーという兼業農家育成策が成功するとは考えられない。これが経済的に引き合うなら、既に多数の者が出現しているはずだからである。一部にそのような人が出たとしても、日本の農村がこれで活性化するようなことは考えられない。

関係人口の増加も同じである。“にぎやかな過疎”というキャッチコピーは面白いが、過疎集落のほとんどを“にぎやか”にするために、どれだけの人が関係人口として参加しなければならないのだろうか?今どれだけの関係人口がいるのか、どれだけのにぎやかな過疎があるのか、調べてもいないだろう。田舎や家庭菜園が好きな都市住民がいないではないが、極めて少数派である。温泉などの観光地は別として、かなりの都会人が田舎に行くと、1日、もって2~3日で都会に帰りたいと言い出す。

農林水産省は、優良事例を紹介したがる。このようにすれば、全ての地方が活性化すると考えているようだ。しかし、なぜ他の地域が成功しないのか、真面目に考えたことはない。大谷翔平と同じ練習をしても大谷翔平にはなれないことが判らない。

市場経済で成立しないことを強引に実現しようとすると、多額の公的資金が必要となる。農林水産省が行いそうなことは、“多額の財政負担を行って半農半Xや関係人口の育成事業(内容は、田舎のPR、希望者と自治体とのマッチング等)を行う。それに必要な団体を作って事務局に農林水産省OBが天下る。10年くらいして、やはり効果がなかったとして、費用対効果の検証もしないで事業を廃止する。”ということではないだろうか?

鳴り物入りで始めたA-Five という農業ファンドが120億円もの損失を出して廃止されたことを思い出してもらえばよい。農林水産省・農村振興局が行った“農道空港”も同じだった。過去の事業と同様、農村振興局の当面の“飯のタネ”になるだけで、失敗しても誰も責任を取らない。その一方で、自治体には、半農半Xや関係人口の促進センターというハコモノが残され、住民には地方債償還のための負担が増加する。農村はますます疲弊する。

サービス産業が中心となっている産業構造の中で、人口密度が低い地方から高い都市圏に人は流れる。報告書の「地方への人の流れを加速する」ことは著しく困難である。まして、地方の中の農村で人口を増やすことは、農林水産省の単なる願望でしかない。半農半X等で流入する人がいたとしても、流出人口を上回ることはない。日本経済の特徴を認識していない農林水産省の作文だ。

産業振興と地方振興

前回、地方振興の基礎は産業振興だと述べた。仕事がないと人が集まらないからだ。

人口減少に対処するためには輸出が必要だ。輸出なら、人口が少ない地方にも製造業が立地することができる。しかし、サプライチェーンのグローバル化が進む中で、企業は労働などのコストの低いところを選んで、世界中に進出している。日本の地方がベトナムより企業誘致に有利だとは考えられない。

サービス産業には人口集積が必要だ。この点、人口が少ない地方は東京に比べて圧倒的に不利だ。しかし、ピッツバーグのように、特徴ある産業を基に人口集積を図り、サービス産業を育成する方法がないわけではない。地域の中核都市にサービス産業を集積し、周辺の小都市はベッドタウン化し住民は中核都市に通勤・通学する。同時に小都市には周辺の農村人口を集め、コンパクトシティとして、介護・医療・居住施設を提供する。ある程度の人口が集まれば、小都市にもサービス産業が伸長する。

農村にあった産業は何か?

では、農村はどうするのか?

人がいなくなり、土地が豊富にある農村で、産業として成立するのは農業である。当たり前すぎるかもしれないが、農村では農業を振興するのだ。もちろん半農半Xなどではない、世界に通用する本格的な農業だ。

高齢化して胃袋が小さくなり一人当たりの消費が減少し、さらに人口も減少すると、国内の農産物需要は大きく減少する。農業は輸出を考えなければならない。

製造業の地方立地は難しいと述べた。しかし、農業は製造業と異なる。農業は土と結びついているからである。トヨタのカローラは、日本で作ってもアメリカで作ってもカローラである。しかし、農業は違う。同じコシヒカリを栽培しても、新潟県魚沼産と一般産地では大きな品質・価格差が生じる。ある農業グループの調査によると、香港では、同じコシヒカリ(一キロ当たり)が、日本産380円、カリフォルニア産240円、中国産150円で売られていた。ブドウもおなじだ。カバルネ・ソービニオン、ピノ・ノワールなど多数の品種があるが、同じ品種を栽培しても、できるワインには地域によって差がある。農業の場合は、同じものを植えても、気候・風土によって異なる品質のものが作られる。製造業は日本に立地できなくても農業は立地できる。日本は最も良質の農産物を生産できる気候・風土を持っている。

輸出しようとすると、品質だけではなく価格でも競争力を持たなければならない。トヨタもレクサスのコスト削減に絶え間ない努力を傾注している。日本農業の構造改革を行わなければならない。アメリカやオーストラリアも、いかにコストを削減して農産物の競争力を上げるかを真剣に議論している。

では、輸出可能性のある農産物は何か?野菜や果物も少量輸出されているが、日持ちの面で難点がある。保存がきき、大量の輸出が可能な作物。国内の需要を大幅に上回る生産能力を持つため、生産調整が行われており、それがなければ大量の生産と輸出が可能な作物。日本が何千年も育ててきた作物で、国際市場でも評価の高い作物。つまり米なのだ。

農業界は、タイやベトナムの低級米の価格と比較して、日本米は競争できないと主張する。しかし、ベンツのような高級車は軽自動車のコストでは生産できない。高品質の製品がコストも価格も高いのは当然だ。しかし、ベンツもレクサスなどの競合車の価格は意識している。日本米はカリフォルニア米に対する競争力を向上させなければならない。

米の輸出市場として有望なのは、市場規模が日本の20倍の中国だ。中国が三農問題と言われる都市と農村の大幅な所得格差を解決していくにつれ、中国農村部の労働コストは上昇し、農産物価格も上昇する。日本の農産物の価格競争力が向上するのだ。さらに、中国では、電子炊飯器の普及で、これに向いているジャポニカ米の消費・生産はこの15年ほどの間にゼロから4割までシェアを増やしている。

アメリカもEUも減反を廃止した。輸出するために米を増産する必要があるとすれば、減反は当然廃止となる。これまで国内市場しか見ない内向きの思考により、競争力強化とは逆方向の高価格維持政策を推進してきた。世界に冠たる品質の米が、減反廃止に加えて、生産性向上と直接支払いで価格競争力を持つようになると、鬼に金棒だ。農村振興のためにも、減反は廃止すべきなのだ。

真の農村振興政策

図のように、都府県の平均的な農家である1ha未満の農家が農業から得ている所得は、トントンかマイナスである。ゼロの米作所得に、20戸をかけようが40戸をかけようが、ゼロはゼロである。しかし、30haの農地がある集落なら、1人の農業者に全ての農地を任せて耕作してもらうと、1,500万円の所得を稼いでくれる。これをみんなで分け合った方が、集落全体のためになる。

大家への家賃が、ビルの補修や修繕の対価であるのと同様、農地に払われる地代は、地主が農地や水路等の維持管理を行うことへの対価である。地代を受けた人は、その対価として、農業のインフラ整備にあたる農地や水路の維持管理の作業を行う。地主には地主の役割がある。健全な店子(担い手農家)がいるから、家賃でビルの大家(地主)も補修や修繕ができる。このような関係を築かなければ、農村集落は衰退するしかない。農村振興のためにも、農業の構造改革が必要なのだ。実は、2011年農協も「農業復権に向けたJAグループの提言」で、これと同旨の主張を行っている。

農協も農林水産省も本音では構造改革は好きではない。農地面積が一定で規模を拡大するためには、農業人口を減らさなければならない。しかし、そうなれば農協に預金が集まらなくなるし、政治力がなくなった農林水産省は予算を獲得できなくなる。予算に裏打ちされた農村振興の諸事業の最大の既得権者は農林水産省である。農業や農村のためには、農林水産省にメスを入れなければならない。

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