メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.04.08

農村振興政策の根本的間違い

『週刊農林』第2472号(2月15日)掲載

農業・ゲノム

地域政策と産業政策は車の両輪?

農政について、産業政策の部分(農業の大規模・効率化)を重視し過ぎていたという批判がある。地域政策も重視すべきだというのである。農村を研究対象とする人たちにとっては、当然の指摘だろう。しかし、そうなのだろうか?

農村地域での観光や農泊、二地域居住、関係人口の増加などが、主張される。農村を東京のセミ・ベッドタウン化しようというのだろう。しかし、今まで効果は上がらなかったし、これがどれだけ進んでも農村地域は活性化しない。いずれ就農につなげたいというのだが、大量の就農は期待できないし、仮に成功したとしても農業人口が多ければ、農業で十分な収益を上げられない。

地域人口を維持しようとすると、仕事・雇用を確保しなければならない。農林水産省の報告書は「地方への人の流れを加速化させる」と言うが、今地方へ人が流れているのだろうか?仕事がないところに人が流れるはずがない。地域の基礎には、産業が必要である。つまり、地域振興には産業政策が必要なのだ。産業政策がなければ地域政策も存在しない。地域政策は産業政策の従たる存在である。

農林水産省に産業政策を語らせると、農業を中心として、その加工業、あるいは6次産業化しか発想しないが、農業はとっくの昔に地域経済の中心ではなくなっている。国全体のGDPに占める農業の割合は、1960年の9%から今では1%へ減少している。北海道、東北、南九州の農業県といわれる地域においても、その経済に占める農業の割合はせいぜい5%程度に過ぎない。

農業に人口吸収力はない。いわゆる農業集落の中で、農家戸数の比率が30%以下の集落は1970年には12%しかなかったのに、2015年では57%に拡大している。農村地域で農家はマイノリティになっているのだ。しかも、農業人口が増えることは、農業の振興と相いれない。農林水産省に農村振興は無理なのである。

地域の再生・活性化は、高度成長期以降繰り返し取り上げられてきたテーマである。しかし、我々がその課題に失敗したのかというと、そうではない。中国では、都市と農村の一人当たり所得格差が3倍以上に拡がっているという「三農問題」が内政上の最重要課題になっている。都市や工業の発展を図るために、農産物価格を抑制して食料品価格を抑え労働費を安くするなど、農業搾取政策をとってきた結果である。共産主義国家の中国が、格差の是正に無関心だった。

成功した日本の地域政策

農業基本法と同時期に作成された1960年の「国民所得倍増計画」は、単に所得を倍増しようというだけではなく、日本に存在する様々な格差に対しても、政策的対応を行おうとするものだった。この頃、農業と工業だけではなく、東京などの大都市圏と地方との発展の不均衡、つまり格差も、問題となった。地域間の均衡ある発展を目指そうとして、1962年に作られた全国総合開発計画は、東京などの特定地域への企業の集中という問題が生じた大きな要因は、経済発展の原動力である工業の配置の偏りにあるとして、地方への工業の分散を主張した。その具体的手段として、1964年ころから全国各地に“新産業都市”という名称の工業地域が建設されるようになった。これにともなって、あとつぎや世帯主までも農家・農村から「通勤」することが可能となった。農村が工業化したのである。農業から工業への労働移動は、昭和30年代には、農村からの人の流出を伴ったのに対して、昭和40年代以降は、農村にいながらの移動となった。在村の工場労働者が増えていったのである。

農業内部の事情変化も兼業化を推進した。機械化による農作業の片手間化・簡便化である。米作の労働時間は10アール当たり1951年の201時間から2019年には22時間へと、大幅に減少した。平日は工場等に勤務し、週末だけ農作業を行う兼業農家という形態が可能となった。さらに、食管制度による政府買入れ価格の引上げで、コストが高い零細な兼業農家も米作を継続した。

こうして、農家は工場や役場等に勤める勤労者となった。兼業農家の規模は小さいので、農業から得られる所得はわずかである。農家所得のほとんどは、農外(兼業)所得となった。所得源は、兼業が主で農業が従である。農家所得は、1965年には勤労者世帯の所得とほぼ均衡化し、それ以後はこれを大きく上回るようになる。農村から貧困は消えた。高度成長期、いわゆる“三種の神器”の普及率は都市部と農村部で数ポイントの違いしかなかった。自動車の普及率については、むしろ農村部が都市部を上回った。これが昭和の半農半Xである。

しかし、大きな副作用が残った。零細な兼業農家が滞留したため、主業農家が農地を集めて規模拡大することはできず、農業、特に米農業の国際競争力は低下した。兼業農家が田植えのためにまとまった休みを取れるのはゴールデンウィークに限られたため、田植えの時期は6月から大幅に前倒しされた。これによって裏作の麦作も麦秋もなくなり、耕地利用率は1960年の134%から2019年には91%に大幅に低下した。米麦の複合経営は、米と兼業の複合経営となった。“農家”や“農村”の経済的地位の向上は、日本では“農業”を犠牲にしながら進んだ。

成功パターンが通じない

しかし、状況は変化した。第一に、人口が増加していた時には、多少都市圏へ人口が移動しても、地方の人口は維持できた。地域で生産した商品を地域で消費できる需要が存在した。今後は人口減少が本格化する。しかし、海外の人口は増加する。人口減少問題に対応する最大の方法は輸出である。地域の人口が減少しても輸出すれば、仕事量を維持・拡大できる。

第二に、日本の産業構造が変化した。製造業の地位はGDP2割を切るまで低下し、逆にサービス産業はGDP7割を占めるようになっている。工場の地域分散という格差是正策はもう使えない。

しかし、サービス産業で地域振興を果たすことには、大きな課題がある。それは、サービス産業が都市化や人口集積と密接に関連しているからである。サービス産業の特徴は“生産と消費の同時性”である。レストランで調理された料理は、その場でお客に提供される。つまり、サービス産業を振興して大きなものとするためには、そこに消費者としてたくさんの人がいなければならない。

人はたくさん消費することだけではなく、いろいろな種類のものを消費することでも高い効用を得る。都市にはさまざまな財やサービスが集まり、それを消費しようとして、ますます多くの人が都市に集まる。都市の成長とともに、サービス産業の生産性も向上し、発展する。サービス産業が立地している市町村の人口密度が2倍だと、生産性は715%高いという計測結果がある(森川正之『サービス産業の生産性分析』82ページ参照)。製造業と異なり、サービス産業は人口が少ない地方には向かない。GDPの大部分を占めるようになったサービス産業の生産性を向上させ、経済を成長させようとすると、東京などの都市圏への集中をますます高めなければならないことになる。これは地域振興と対立する。“半農半X”と言っても、今ではXが見当たらないのだ。

対策はないのか?~アメリカに学べ

サービス産業の振興と地域創生を同時に行っているお手本はアメリカである。ニューヨークだけでなく、全米各地に多数の人口集積地域があり、繁栄している。このような地域は特徴ある産業を抱えている。

自動車産業で発展したデトロイトは、自動車産業の衰退とともに、2013年市自体が破産した。他方、鉄鋼業で栄えたピッツバーグは、医療、教育、金融を中心とした産業構造に転換し、ピッツバーグ大学医療センターを従業員55千人、売上1兆円超の世界最大級の医療機関の集積地とすることなどによって、活気を取り戻している。

特徴のある産業を中心に人口を集積し、そこにサービス産業を定着させることが、地域の活性化や再生につながっている。中小都市が産業誘致を競いあっては、共倒れである。道府県で一つ程度の都市に産業と人口を集積させるといった、広域的な調整が必要となる。ある県で “能”を地域振興に使おうとしたのだが、多くの自治体が能舞台を作ってしまったため、共倒れになってしまったという例がある。限られた資源を集中するためにも、道府県庁が中心となった調整が必要である。

サービス産業は人の集積、密度の経済が必要であるのに対し、農業では、少ない農家による農場当たりの規模の大きさが重要である。これまで農業の後継者を農家の後継者からしか選ばなかったことが、後継者不足と高齢化を招いた。広く集落外から後継者を選び、限界集落に新規就農させれば20ヘクタール規模の農業を展開できる。こうした人が出資を募りベンチャー株式会社を作って農地を所有することができるよう、農地法の規制緩和も必要である。すぐにできないとしても、兵庫県養父市のように特区制度を活用すればよい。広域の経済圏で中心となる都市に産業を集中するとともに、その周辺の小さな地域にはコンパクトシティが介護・医療・居住施設を提供する。沖縄県の農家は那覇市に住み、必要な時に離島に通い大規模農業を展開している。少数の農家はコンパクトシティに住みながら、農場に通作し、農作物の一部は輸出する。広域的な地域で考えないと農村の振興もできない。これが、人口減少と産業構造の変化に対応した、ひとつの新しい地域像ではないか?