メディア掲載  グローバルエコノミー  2021.11.08

衆院選は、小選挙区制のままでよいのか?  ~世襲の優先、政策通議員の減少…数多い課題を考える~

論座に掲載(2021年10月23日付)

小選挙区制が導入されて25年が経った。金権政治打破と二大政党制の実現が、導入の主な目的だった。達成されたものもあるし、達成されなかったものもある。また、逆に、新たに引き起こした問題もある。今回の衆議院選挙の争点ではないが、改めて小選挙区制の功罪を考えたい。

なぜ小選挙区制が導入されたのか?

小選挙区制導入のきっかけとなったのは、1988年朝日新聞のスクープに端を発したリクルート事件である。この事件で竹下内閣は倒れた。金権政治が問題視され、なかでも当時の選挙制度が政治に金がかかりすぎることの大きな原因だとされた。

当時の中選挙区制は広い選挙区から35人の議員を選出するものだった。例えば、現在は5つの小選挙区が存在する岡山県は、二区に分かれていた。旧岡山一区、二区とも定員5名だった。うち自民党は通常3つの議席を確保していたが、1名が落選し2議席にとどまるときもあった。社会党・民社党・公明党が固定された支持層を持っていると自民党議員たちが考えれば、事実上選挙は、保守票を自民党3議員がいかに取り合うかという争いとなる。自民党はそれ以外の議員を公認しなかった。つまり自民党内の議員同士が23の議席を巡り当落をかけた競争相手になる。野党候補の票が伸びなくても、他の自民党議員が票を取り過ぎれば、落選する可能性がある。

とりわけ、旧岡山二区では、加藤六月と橋本龍太郎による六龍戦争と呼ばれる激しい選挙戦が展開された。二人にとって、単に当落を心配するだけでなく、どちらがトップ当選して自民党内の地位を向上させることができるかも、重要だった。同じく、旧群馬三区における福田赳夫と中曽根康弘という派閥の領袖間の争いは、上州戦争と呼ばれた。このような争いは、多くの選挙区で展開された。

総理総裁を目指している自民党の各派閥の長にとって、自民党が敗北したとしても、自己に属する候補者が当選し、他派閥の候補者が落選すると、総裁選挙で有利となる。中選挙区制の下では、自民党と他党の候補者との争いではなく、自民党内の争いだったのである。これが派閥を中心として激しい金権政治を生んだ。派閥の力となる国会議員のを持つためには、が必要だった。その典型が田中角栄率いる木曜クラブ(田中派)だった。「数は力」だったのだ。

また、多数の有権者の支持がなくても20%程度の票で当選できるので、一部の地元利益団体の固定票を確保することが優先されがちになるし、その見返りに、政権党である自民党議員は地元への利益誘導を図ろうとするという批判も行われた。選挙制度が既得権者に有利に働いていたというのだ。

これに対して、小選挙区制であれば、同じ自民党候補同士の争いは起きず、派閥本位ではなく、政策本位、政党本位の選挙が行われ、金権政治ではなくなるはずだと期待された。また、投票者の半数近くの票を得なければ当選できないので、特定の利益団体の支持だけなく、組織されていない有権者からの支持も必要になる。このため、特定の利益団体より市民全体の利益が優先されるようになると考えられた。

さらに、長期間に及ぶ自民党支配に倦んでいた人たちに対しては、政権交代が容易になるという主張もされた。ただし、当初は、70年代のロッキード事件や三角大福中の争いからリクルート事件まで続く金権政治に終止符を打ちたいという気持ちが強かったように思われる。

小選挙区制導入を後悔する河野洋平氏ら

こうして、1990年代初め、選挙制度改革を含めた政治改革は、最大の政治課題となった。これを巡り、自民党内でも、離党者を出すなど激しい対立が起こった。混乱の末、1993年自民党は下野し、日本新党の細川護熙を総理とする連立政権が成立した。

野党の自民党総裁として連立政権の細川護熙総理とのトップ会談で小選挙区制の導入を行った河野洋平元衆議院議員は、導入から20年後の2015年、「自民党が変質した理由の一つに『小選挙区制』の問題がある。私は小選挙区制の導入に関わった人間ですが、贖罪の意味を込めて、小選挙区制度の導入が悪かったのではないかという気持ちを持ち続けているんです」と述べている。後悔しているのは、河野洋平氏だけではない。ある有力議員は、「私は小選挙区制がよいと思っていったん自民党を離党までしたが、今となっては本当によかったのだろうか」と、私に率直な感想を述べている。

小選挙区をめぐる河北新報の秀逸な特集

今回の衆議院選を前に、宮城県の河北新報は、中選挙区時代から東北で衆院選を戦った自民の閣僚経験者ら5氏にインタビューしている。その発言は、次のように、「現状への危機感がにじむ示唆に富む内容だった」と言う。

「政党トップの人気にすがる『風頼み』の議員が増え、主体性が消えた」「意見をぶつけ合う切磋琢磨(せっさたくま)がなくなり、人が育っていない」。政治家としての質の低下を指摘し、「改革は大失敗だった。政治のスケールが小さくなった」と後悔の言葉も漏れた。(2021年9月27日付け河北新報社説

河北新報のインタビューから、参考になる発言を取り上げたい。5氏の中には、私が存じ上げている人もいる。もっと早く言ってもらいたかったという気がしないでもないが、河北新報の特集は秀逸だ。

防衛大臣・農水大臣を務めた玉沢徳一郎氏は、今の小選挙区制の下では「(候補者は)よほどまじめでなければ政策を勉強しない」とする。「風」がどこに吹くかで無党派層の支持が決まるためだ。(「政党の助成、見直し必要」8月24日付け

環境庁長官・防衛庁長官を務めた愛知和男氏は、中選挙区制が抱えていた「政治とカネ」をめぐる問題を認め、小選挙区制になってからそれがかなり改善したと評価した上で、「党公認の後ろ盾がないと、立候補することさえ難しい」という新たな課題を指摘、次のように述べる。

「(党の)公認までのプロセスが明瞭でない。批判をかわすために公募という手法も採られているが、効果は上がっていない。公認権も選挙資金の差配も党本部が全て握っているため、党内で物が言えない。公認権がいわば脅しとなり、党本部の言うことを聞かざるを得なくなった。政治家のスケールを小さくしている要因だ。議員一人一人の面白みがなくなっている」(「政治家のスケール小さく」8月27日付け

愛知氏は、小選挙区制は「日本の社会になじまない」として、「戻せるなら(中選挙区制に)戻した方がいい」とまで語っている。戻せないのであれば、米国のように予備選を導入し、幅広い人材を募れるようにすることを提案している。これは後述するように重要な提言だ。

衆議院・参議院それぞれで議員を務めた荒井広幸氏は政党助成金の問題を取り上げている。

「小選挙区では政党助成金を党が配るため、党の代表や幹事長に権限が集中しがちだ。機嫌を損ねると公認やポストがもらえないかもしれないと、意見が違っても反対しにくくなる。それが1強と言われる安倍晋三政権のような形に表れる」(「政治改革、制度に矮小化」8月27日付け

さらに、菅前首相をはじめ、中選挙区を経験していない議員が増えたことによって議員同士の切磋琢磨がなくなったため、「政党と政治家は劣化する」とまで言い切る。

 「政策で意見をぶつけ合う経験をしていない。公認をもらえば党首の顔で勝てるから、人が育たない。『○○チルドレン』がいい例だ」

公明党副代表の井上義久氏は、中選挙区制下では議員と選挙区の有権者のつながりが密だったと振り返りつつ、小選挙区制の問題点を次のように指摘する。

「(中選挙区制では)専門分野を磨き、『自分の足で立てる』政治家も育った。小選挙区では党の候補者が1人だけで、公認さえ得られれば自動的に党が全面支援してくれる。政治家が自分の足で立つ意識は薄れた」(「民意反映に制度改革を」8月28日付け

以上の発言を踏まえながら、小選挙区制の功罪を評価したい。

目的としながら実現できなかった「二大政党制」

小選挙区制で政権交代は2回起こった。しかし、二大政党制は実現できなかった。「コロナとコメと選挙 〜立憲民主党がたどる日本社会党の道」で述べたように、自民党が大失政をしたり分裂でもしない限り、当分の間、55年体制と同様、1.5大政党制が続くだろう。

そもそも、日本の政党は、アメリカの民主党と共和党、イギリスの保守党と労働党のように、大きな考え方の点で対立する二大政党というものではなかった。アメリカの共和党は現在トランプ党と呼ばれるくらい変容し、通商政策では、どちらの党も保護主義を主張している。しかし、大きな政府か小さな政府か、中絶を認めるかどうか、コロナ・ワクチンやマスクを強制するかどうか、移民をどこまで認めるか、公的な医療保険をどこまで進めるか、などの点で、民主党と共和党には、はっきりした政策の違いがある。党名を聞けば、推進しようとする政策はある程度想像がつくくらい、両党の思想・考えに差がある。

日本の自民党と立憲民主党の間に、そのような違いはない。一億総中流社会という言葉があったくらい、英米と異なり、国民の間に人種や階級などによる分断が少ない(と思っている)社会が背景にあるからだろう。また、今回の総選挙がバラマキ合戦と批判されるように、政党も同じベクトルの強弱・大小を競うだけで、逆ベクトルとなるような、はっきりと対立する政策を示してこなかった。農政についても、納税者負担で高米価を維持する減反政策に対し、野党はもっと米価を高くしろと言うばかりで、貧しい消費者のためには減反を廃止して米価を下げ農家には直接支払いをすべきだという政策を提案することはなかった。

政権交代を唱え、新党を立ち上げては潰すということを繰り返した政治家もいる。しかし、私には、かれが政権交代でどのような政治や政策を目指すのか、さっぱりわからない。今回の選挙で立憲民主党は共産党と候補者の一本化はしたが、選挙後共産党と連立政権を組むことは考えないというのでは、自民党の議席減を狙っているだけで、真剣に政権交代を考えているとは思えない。民主党政権のツマヅキもあったが、実体がない中で、選挙制度によって二大政党制や政権交代を実現しようとすることに、最初から無理があった。

結局、二大政党制は実現せず、政権交代は、選挙ではなく、自民党の総裁選挙によって、実現されることになる。これでは、1.5大政党制の下で、かつての派閥政治に逆戻りすることにならないだろうか? 小選挙区制で、党執行部の力が強くなると、派閥の力は弱まると言われた。しかし、党執行部の主要ポストを獲得するために、派閥が活動するようになるかもしれない。今回の総裁選挙で、安倍・甘利・麻生のトリプルAが党執行部を掌握した。逆に、幹事長職を追われた二階派の凋落は気の毒なほどである。

金権政治打破という目的は、一応達成された。派閥の長や個人政治家に巨額の金が流れるという、かつてのロッキード事件やリクルート事件のような事件は起こっていない。愛知和男氏の言う通り、これは政治改革の成果である。しかし、それは小選挙区制への移行だけではなく、政党交付金による効果も大きかったように思われる。

もちろん、選挙や政治に金がかからなくなったわけではない。最近でも、河井夫妻による参院広島選挙区の買収事件と自民党からの15000万円の提供、秋元司前衆院議員によるカジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐる汚職事件が起こっている。1017日付け日本経済新聞は、過去の小選挙区制による衆議院選を分析した結果、「資金を投じるほど強さを発揮する」としている。形を変えた金権政治が起きる可能性は否定できない。

既得権政治は終わらなかった

少数の利益集団ではなく多数の意見を聞く政治が実現できるとするメリットは、どうなったのだろうか?

結論から言うと、改善されなかった。それは選挙の争点が多数存在するからである。有権者は多数の争点のうち納得できそうな政策をより多く掲げる政党や候補者を選んでいる。

例えば、TPP交渉に参加するかどうかを巡って、国民の多くはTPP参加を支持した。しかし、農協は12百万人近い反対署名を集めるなど、一大反対運動を展開した。二人の候補が競り合う小選挙区では、数は少なくても、組織された農家票が、キャスティングボードを握る。農業票は減少している。しかし、候補者が5050で競っているときに、2%の農協組織票でも相手側に行くと4%の差が生じてしまう。農協は当選させる力はなくても落選させる力はある。候補者は、これに怯えて、農協が望むような政策しか示さない。TPP参加の是非が主要争点の一つとなった2012年の衆議院選挙では、二大政党の候補者とも、農業票欲しさにTPP反対を公約に掲げた。

ところが、TPPに農業関係者ほどの利害関係を持たない人は、候補者がTPP反対という自分の意見に反対する公約を掲げていても、それ以外の政策で賛成できるなら、その人に投票した。有権者多数の利害関心が薄い争点については、候補者は、その争点について強い関心を持つ既得権者が望む政策を掲げる。その結果、自民党議員に投票した有権者の多くはTPP賛成なのに、当選した自民党議員の多くはTPPに反対するという結果になった。

国民の多数は、主食である米の価格が下がることを望む。しかし、農協が組織する少数の農業票欲しさに、与野党問わず、どの政党も減反や政府の市場介入による米価維持を公約に掲げる。

小選挙区制の下でも、特定の政策については、多数の意見を代表するのではなく、特定の利益集団の意見を反映したものになりやすい。

民意はより反映されにくくなった

矢野財務次官が各党の公約を「財政再建を考慮しないばらまき」としたことが物議を醸した。政治家には、選挙の洗礼を受けない公務員の越権行為だとする反発が強い。しかし、選挙で選ばれた政治家が民意を体現しているのだろうか。

そもそも今回の新型コロナのように過去の選挙で民意が示されていない問題もあるし、既存の問題についても選挙後に状況が変われば民意も変わる。さらに、国の借金を払わされる将来世代は、今の選挙に参加できない。

選挙で選ばれた議員が多くの問題について民意を反映しているというのは、代議制民主主義のフィクションである。世論調査や国民投票で個々の問題についての民意を確かめるとしても、将来世代の民意は反映できない。

小選挙区制では、さらに問題がある。制度上小選挙区制の下では一位なら30%の得票でも当選するので、残りの多数の票は無視される。多数の死票が出ることは、制度導入以前から指摘されたことである。

第一党(多くは自民党)は半数以下の得票で6割の議席を獲得している。政権の安定には貢献しているが、民意を反映した政権交代は、この制度でより遠のいたようだ。

元議員たちが指摘する政治家の劣化

河北新報がインタビューした元議員のほとんどが指摘するのが、政治家の質が低下したことである。私も同感である。小選挙区制導入以後に当選した議員に、かつての三角大福中のような迫力ある人物を見つけられない。元議員が指摘するように、政治家は小粒になっている。これが小選挙区制が生んだ最大のデメリットかもしれない。

中選挙区制では、個々の自民党議員が政策を学び切磋琢磨した。利益誘導という批判はあったが、旧岡山二区でも、加藤六月は運輸族、橋本龍太郎は厚労族として、政策についても詳しく勉強していた。

役人も舌を巻く専門知識と知恵を持っていたのは、鹿児島選出の山中貞則元通産大臣だった。かれも、旧鹿児島三区で田中派の大番頭、二階堂進元自民党副総裁と争った。自民党の税制調査会長を長年務め、党税調のドンと呼ばれたかれの前では、大蔵、農水、通産等の官僚たちも、その迫力に気圧された(ある通産官僚は風圧を感じたとさえ言った)。消費税はかれがいなければ導入できなかったのではないだろうか? 政治家のあり方として、かれは他にも重要な姿勢を遺した(この論考の後段のテーマになる)。

切磋琢磨という点で印象に残るのが、旧北海道5区の政治家の人たちである。5名の定員だったが、伝統的に社会党が強く、1983年の選挙まで社会党は23議席を占めていた。こここでは、北村直人、鈴木宗男、武部勤、中川昭一の4人の自民党議員が、競り合った。選挙区の酪農家の利益のため、かれらは酪農政策について農水省の官僚たちと激しくやりあった。

これに対して、今の自民党議員は党の公認を受ければ、ほぼ当選できる。次の選挙でも、党の公認は現職優先なので、間違いなく当選を重ねることができる。個々の政治家は政策を勉強したり検討しなくてもよい。中選挙区制では個人が重要だったが、小選挙区制では党が重要になっている。

世襲優先になる現行の制度

現職優先の下で、新人が党の公認を受けるのは難しい。ところが、世襲候補の場合、現職である親などから地盤を引き継ぐので、新人でも党の公認を受けられる。しかも、世襲候補は、地盤、看板、カバン(金)の3バンを引き継ぐので、当選の確率はさらに高まる。「新人候補の当選率は非世襲で1割ほどだが、世襲は6割に達する」(10月17日付け日本経済新聞)。世襲が起こるのは、世襲候補が望むためだけではない。後援会組織のメンバーも、選挙区における自己の利益や利権の維持のために、世襲を要求するからだ。こうして、領主に対してセビリアの理髪師フィガロが言う「生まれる苦労をしただけ」の人が政治家になっていく。逆に、河井夫妻のように3バンのない人たちは、無理をしてしまう。

今の自民党は世襲議員だらけだ。江戸時代の大名家のように、政治家という職業が相続されている。中には優れた人もいないわけではないが、政治家の子供よりも、高い志と広く深い知識を持つ人はいるはずなのに、その人たちには立候補のチャンスが与えられない。国民も政治家の子供からしかリーダーを選べないのでは、日本の将来はどうなるのだろうか?こうした人たちに、たたき上げで百戦錬磨の外国首脳と交渉することを任せられるのだろうか? 前述した山中貞則は高士だった。かれは後継を山中家から出さないと遺言し、身内からの議員世襲を当然としていた自民党鹿児島県連を混乱させた。

自民党に世襲候補が多くなる中で、非世襲候補は野党からの立候補を模索することになる。野党は非世襲候補の受け皿になるが、与党と主義主張が異なる人が野党候補になるわけではなくなる。野党第一党は第二自民党となる。

この問題を解決するためには、愛知和男氏の主張するように、与野党の公認候補選びに予備選挙を導入すべきである。現職であっても、支持を失えば、公認候補となれない。ボーッとしていては議席を維持できないとすれば、必死で政策の勉強等を行うだろう。非世襲候補であっても、能力、魅力があれば、現職に代わり、公認候補となれる。

もう一つの方法は、党議拘束を緩めることである。アメリカの政党では、党議拘束はない。与党議員でも大統領が望む法案に反対する。各議員へのロビー活動は活発になるが、議員の政策への理解度は高まる。日本と同じ議院内閣制をとるイギリスでも、はっきりと党議拘束をかけるのは予算案だけで、ブレグジット法案の採決に見られるように、党議拘束は緩やかである。

今の自民党議員は、党が決めた方針通りに投票する。党議拘束がなければ、各議員は議会での投票行動を選挙民に説明しなければならない。「党が決めたから」という言い訳は通じない。支持者を説得できるだけの説明能力が求められることになる。議員の質の向上につながるだろう。

最後に──政治を動かす世論の形成を

小選挙区制は、バラ色の制度ではなかった。しかし、これで政治家が小粒になったと言っても、三角大福中の時代から日本人の素質や能力が低下しているのではない。政治家になるチャネルが細くなり、かつ素質や能力を磨かなくても済むシステムになっていることが問題なのだ。世襲議員を含め今公認を得ている人たちからは、改革の声は上がらないだろう。選挙制度の再検討に向けて、政治を動かす世論の形成が望まれる。