メディア掲載  グローバルエコノミー  2021.10.06

中国のTPP加入申請、安易な妥協をしてはならない ~なぜこのタイミングで申請したのか~

論座に掲載(2021年9月21日付)

通商政策 中国経済

9月16日、中国がTPPへの加入申請を行った。

既に昨年11月のAPEC首脳会議で習近平国家主席がTPP参加を前向きに検討していると表明しているので、日本政府は予想していたことだろう。

中国のTPP加入の意図

重要なのは、なぜこのタイミングなのかということだろう。そこから中国のTPP加入の狙いや意図が明らかになる。既に加入申請を行うことを決定していた中国は、それを最も効果的に行うタイミングを計っていたのではないだろうか? 中国がさらなる経済発展を実現するためには、国内市場だけでなく海外市場へのアクセスが重要だとする解説もあるが、それなら習近平の発言後もっとはやく加入申請を行ってもよかったはずである。

アジア太平洋地域で、中国はアメリカなどの自由主義諸国と対立している。中国の海洋進出に対しては、イギリスが空母を派遣するなど、ヨーロッパ諸国も懸念を表明している。特にアメリカはアフガンから急いで撤退し、この地域での覇権を狙う中国に対し様々なリソースを集中しようとしている。

中国に対抗するためにアメリカが重視しているのは、日本、アメリカ、オーストラリア、インドの4か国でつくる「クアッド」”Quad”と呼ばれる枠組みである。9月13日、アメリカ・ホワイトハウスは、クアッドで初めての対面での首脳会合を24日首都ワシントンで開くと発表した。日本からは菅総理が出席する。ホワイトハウスのサキ報道官は、「首脳会合はバイデン政権が21世紀の課題に向き合うために新たな多国間の枠組みを通じたインド太平洋地域への関わりを重視していることを示している」という声明を出している。

中国のTPP加入申請は、この3日後に行われた。2016年のアメリカ大統領選挙以降、自由貿易が雇用を奪っているという主張がアメリカでは強い。特に、TPPが問題であるという主張は、民主党のバーニー・サンダース上院議員によって行われ、これを利用して共和党のトランプ候補は2016年の大統領選挙でクリントン候補を破り、大統領就任後直ちにTPPから離脱した。現職のバイデン大統領は、TPPを推進したオバマ政権の副大統領だったが、現状では、アメリカの世論を押し切ってまでTPPに復帰することは難しい。中国は、このような事情を十分認識しているだろう。

2020年11月、中国は、ASEAN諸国と日中韓、オーストラリア、ニュージーランドからなるRCEP(地域包括的経済連携協定)を成立させた。TPP加入の意図表明を行うことで、インド太平洋地域で“多国間の枠組み”を作ろうとしているのはアメリカではなく中国だということを印象付けようとしていると思われる。

加入交渉は開始されるのか?

加入申請すれば、加入できるものではない。今回の特殊な事情として、アメリカ、カナダ、メキシコの自由貿易協定(USMCA)に、アメリカは、カナダ、メキシコが非市場経済国と自由貿易協定を結んだ場合、USMCAの終了を通告できる趣旨の規定がある。カナダ、メキシコにとって、中国市場よりもアメリカ市場の方がはるかに重要である。アメリカが両国に圧力をかけるかもしれない。カナダ、メキシコが、中国との加入交渉入り自体に反対する可能性がある。

USMCAの規定がなくても、問題は簡単ではない。オーストラリアが新型コロナウイルス感染の起源に関する国際調査を公式に求めたことに中国は反発し、大麦やワインの関税を引き上げるなど制裁措置を講じた。クアッドの一員でもあるオーストラリアは中国の参加に難色を示している。これは当然の対応である。政治的な理由で公然と国際ルール(WTO協定)を破るような国を受け入れれば、TPPでもルール破りを行われかねない。

極めて高い中国加入のハードル

そもそも、WTOやEUもそうだが、TPPはクラブのような組織である。加入するためには、その会員(メンバー)にふさわしい条件を備える必要がある。審査するのは、日本など既にTPPに加入している国である。

その際、二つの条件を中国はクリアしなければならない。

一つは、TPP協定に定める規律や義務を中国は守ることができるかというものである。中国との関連で重要なものとしては、国有企業、労働、電子商取引、知的財産権がある。結論から言うと、ハードルは極めて高いと言わざるをえない。

中国市場に進出したり国際市場で活動している企業が、補助金や規制で守られている中国の国有企業と競争しなければならないとすれば、不公平である。国有企業への規律とは、外国の企業が国有企業と共通の土俵で競争できるようにしようというものである。しかし、国有企業は中国経済の中で大きな地位を占めている。中国自身、国有企業の改革は難問である。RCEPには、国有企業の規律はない。WTOにおいて、中国は国有企業に対する規律導入を明確に拒否している。

国際労働機関(ILO)参加国の義務として、TPP協定では、(1)結社の自由や団体交渉権の承認、(2)強制労働の撤廃、(3)児童労働の禁止などを要求しているが、中国は(1)と(2)を批准していない。中国がこれらを認めることは、体制の根幹にかかわりかねないことになり、相当難しいのではないかと思われる。RCEPには労働に関する章はない。

電子商取引について、TPPでは、ソフトウェアの設計図となる「ソースコード」の開示要求を禁止しているが、中国が参加するRCEPでは規定できなかった。また、RCEPでは、TPPと同様、電子的な情報の越境移転を認める義務や自国内にコンピューター等の設備を設置することを義務付けることの禁止を規定したが、公共政策の理由から例外措置を講じることが認められており、実効性は期待できない。

もう一つの条件は、貿易や投資の面で、中国の市場や経済を開放することである。加盟国は、中国に対し、関税などの貿易障壁を即時撤廃するよう要求することも可能である。どのような要求をするかも、それに中国が答えていないと判断すれば、加入を認めないことも、加盟国の自由である。

それでも心配な安易な中国のTPP加入

心配なのは、中国が政治的・経済的な力や市場の巨大さを武器に、加盟国に大幅な妥協を要求することである。

私は、1995年前後に農水省の担当室長として中国のWTO加入交渉に参加したことがあった。その際、日本国内で、良好な日中関係の維持が必要だとする立場の人から、中国への要求をトーンダウンしてはどうかとか、日本がガットに加盟する際アメリカに助けてもらったように、中国の代わりに日本が関税を下げてアメリカ産農産物の日本市場へのアクセスを拡大してやってはどうかという話をされたことがあった。

いずれも本気で主張していたとは思われず、聞き流しておいたが、実際の交渉では、理屈や筋論とは異なるさまざまな力が働きやすい。特に、今の中国は当時とは格段に経済規模を拡大し、政治的経済的な力を強めている。経済的にも政治的にも中国の要求を聞かざるをえない一部のTPP加盟国に中国が働きかけを行い、切り崩しを行おうとする可能性は否定できない。こうした国は、中国の加入が認められないなら、TPPからの脱退を迫られるかもしれない。

加入交渉で、中国は、国有企業などのルールについて大幅な適用除外を要求するだろう。ベトナムには多くの適用除外が認められている。しかし、これを認めると、中国には先進的なTPPの規律はほとんど課されなくなる。

約束したことを実行するか?

さらに問題となるのは、中国が約束したことを実行しないことである。

WTOでは、中国はWTO協定や加入議定書で要求されたことも十分に守ってこなかった。中国の鉄鋼業への補助金は、世界的な鉄鋼過剰を招いたと批判されているが、中国は補助金のWTO通報義務さえ履行してこなかった。内容がわからないのでは、是正要求はできない。農産物輸入についての関税割当てでは、国有企業のほか民間会社の輸入も認めるはずだったが、実行されていない。このような状況がTPPでも起こるとすれば、加盟国は何のために中国を加入させたのか分からなくなる。他の加盟国が規律を守る中で、中国は一方的な受益者となる。

オーストラリアに対する制裁は明白なWTO違反である。陰に陽に、中国は政治的な意図を実現するために、貿易措置を使用してきた。国際ルールよりも政治的な意思が優先するおそれがある。

WTOでは違反行為を是正するための紛争処理手続きがある。アメリカによる上級委員の不承認によって、これは停止状態にあるが、数百ページにのぼる法律文書を作成する事務局が存在する。しかし、TPPの事務局機能はほとんどないに等しい。約束させても履行させることができないのでは、TPP協定は単なる紳士協定(gentlemen's agreement)に過ぎなくなる。中国が紳士のようにふるまうという保証はない。

TPPの意義

そもそもTPPはどのような意義を持つものなのだろうか?

英国のTPP参加の好機を逃すな~中国の「安易な加入」を防ぐために 加盟国がドミノのように拡大していくTPPの未来」(2021年2月7日付論座)の一部を再度掲載したい。

「TPPはアメリカのオバマ政権が中国を取り込もうとした仕組みだった。」

WTOでは、中国の参加以来自由貿易推進に反対する途上国の主張が強まり、新しい経済の状況に応じた協定作りは困難となっている。新しく作ったマイナーな協定はあるが、基本的には4半世紀以上前の1993年に合意したWTOの諸協定が未だに適用されている。

WTOに失望し21世紀にふさわしい通商協定作りを望んだアメリカが注目したのがTPPだ。まず中国がいないTPPで高いレベルのルールを作る。中国はTPP交渉に参加していないが、幸い、TPP参加国の中に、社会主義国でかつ国有企業を多く持つベトナムがいた。アメリカはベトナムを仮想中国として、国有企業についての規律を交渉した。知的財産権の保護、国有企業への規律など、トランプ政権下でアメリカが行った中国への要求は既にTPPに書かれている。

アメリカが参加するTPPのような広大な自由貿易圏については、参加しないと排除されるという不利益を受けるので、どんどん参加国が増える。TPPが拡大すると、中国もTPPに入らざるを得なくなる。その時に中国にこれらの規律を課そうとしたのだ。オバマ政権にとって、TPPは中国を排除するものではなく、新しい通商ルールに中国を取り込むための仕組みだった。」

TPP交渉で影の交渉参加国は中国だったのだ。

WTOで新しいルール作りが困難となっている現在、TPPにより多くの国や地域が参加するようになれば、TPPで作ったルールをWTOのルールにすることが可能となる。WTOで新ルールを作ることがプランAなら、TPPの活用はプランBである。

安易な条件での中国のTPP加入はプランBを否定しかねない。

中国のTPP加入の対処方針は?

第一の基本原則は、安易な妥協をしないことに尽きる。

そのための一つの方法として、これから本格的に始まるイギリスのTPP加入交渉において、イギリスにはTPP協定の例外を認めず、また貿易や投資について高いレベルの自由化を認めさせることである。中国のTPP加入についての先例とすることができる。

イギリスだけでなく、韓国、台湾、タイ、フィリピンなどTPP参加を希望する国は少なくない。これらの国が加入申請すると、中国も例外要求をしにくくなるだろう。WTO加入交渉では、台湾との間の交渉は終わっていたのに、中国との交渉が終わるまで、台湾のWTO加入を長期間待たせるという対応を行った。TPPについては、そのような配慮は不要だろう。台湾はTPP協定を熱心に勉強している。加入交渉に時間はかからないだろう。台湾が高いレベルの協定を受け入れて中国ができないということになれば、中国のメンツは保てない。

さらに、加入交渉において、中国の制度などがTPP協定に整合的かどうかを判断するだけではない。中国の活動が問題であると判断するなら、既加盟国はTPP協定プラスのことも要求できる。中国のWTO加入交渉では、加入議定書で農業補助金の上限をWTO農業協定で定める農業生産額の10%ではなく8.5%に抑制した(しかし、補助金が通報されないのでは、履行しているのかもわからない)。

第二の基本原則は、中国がTPP協定や加盟国の要求を満たすまで、いくら時間をかけても構わないということである。中国のWTO加入交渉は15年を要した。中国にとっては、先進国から過大な要求をされたと思ったかもしれないが、中国の非妥協的な交渉態度もその一因だった。

仮に5年くらいかかるとすれば、その間にアメリカのTPP復帰も期待できるかもしれない。それが中国の加入より先になれば、アメリカは中国に対してTPP加入に拒否権を発動できる。現行のTPPでは、アメリカが復帰するまで、アメリカが要求した規定を停止している。アメリカが復帰すると中国の加入へのハードルがさらに高まる。対中関係ばかりではなく、アメリカが参加するTPP協定はプランBとしての魅力を増すだろう。

第三の基本原則は、TPP協定自体を経済の変化に合わせて、修正・進化させることである。中国にとってはゴールポストが動くことになるかもしれないが、中国の交渉に合わせて、TPP協定の進化を遅らせるべきではない。

第四の基本原則は、中国との関係だけではなく、紛争処理手続きを行うことができるよう事務局機能を整備することである。これがなければ、いくら立派な協定を作っても、空文に終わってしまう。

最後に、中国のTPP加入交渉を積極的に活用することである。日本の米を輸出しようとする場合、中国は最も有望な市場である。しかし、中国はカツオブシムシという害虫がいるという検疫上の理由で、日本からの輸入を一定の精米工場に限定している。これは非関税障壁である。また、日本では㎏当たり500円で買える日本米が、中国では1,700円で売られている。国有企業が流通を独占し高額のマージンを徴収しているためだが、これは、WTOで約束した関税の上限を超えており、WTO違反である。また、コシヒカリなど日本の品種名が中国で商標登録されているので、中国では使用できないという問題がある。農業以外でも、知的財産権など中国に是正を要求する事項は多いだろう。これらを是正しなければ加入を認めないとすればよい。中国のさまざまな行動を是正する大きなチャンスである。受け身ではなく、加入交渉を逆手にとってうまく利用するのである。

以上は中国イジメではない。中国にとって、先進的な国際規律を受け入れ、これを誠実に履行することは、経済制度を改革し、新しい発展を実現することに貢献するだろう。