カブール陥落は大方の予想以上に急だった。筆者は米出張から帰国後の自主隔離期間中だったので、幸い自宅で多くの報道や記事に目を通せた。巷(ちまた)の関心は米軍撤退時期の是非、取り残された米国人・外国人やアフガン人協力者の悲劇と脱出作戦の成否、さらには米国バイデン政権の責任論に集中している。それが間違いだとは言わないが、こうした議論だけでは、米外交の優先順位が中東からインド太平洋へ移りつつある国際情勢の大局が見えない。
カブール陥落は一体何を意味するのか。今回は久しぶりに外務省研修時代、エジプトで先輩指導官から学んだ国際情勢分析の「三つの同心円」手法を用い、関係国や当事者の細かな言動とは別の次元で動く国際情勢を、戦略的かつ地政学的見地から分析してみる。
同手法では、ある国の外交政策を3つの同心円に因数分解する。その国を中心に、グローバルな国際関係たる第一同心円、その国が属する地域国際関係である第二同心円と、その国内情勢や特定国との2国間関係である第三同心円に分けた上で、これら大中小の同心円それぞれの政治力学的ベクトルを比較分析し、その国をめぐる国際情勢の方向性を探る。具体的にはこうだ。
ここでのプレーヤーは米中露だが、流れの起点は中国の台頭だ。インド太平洋での対中覇権競争優先に舵(かじ)を切った米国は、中東でのプレゼンスと介入レベルを低下させ、その結果生じた「力の真空」を中露が埋めようとしているのが現状だ。ただし、中露とも一国では米国に対抗できないので、中露の共通利益は米国の国力をできるだけ中東で浪費させ、その余力が自国に向かわないよう画策することだ。その意味で、中露連携はあくまで戦術的なものにとどまる。
この地域を地政学的に見れば、アフガニスタンはパキスタンの西側に位置しており、インドと東で対(たい)峙(じ)するパキスタンの「戦略的縦深」拡大を可能にする唯一の「後背地」になり得ることが分かる。されば、アフガン駐留米軍の撤退後の「力の真空」を埋める新たな地域ゲームには、第一同心円内の中露だけでなく、アフガニスタンの独占を狙うパキスタン、それを阻止したいイラン、中央アジアでの勢力拡大を狙うトルコ、さらにはパキスタンと対峙するインドなどの地域大国も参加することになる。いま起きていることは、その始まりを意味すると見るべきだろう。
これら地域大国の中でも筆者が特に懸念するのはイランの動向だ。シーア派イスラムの守護者であるイランとタリバンの関係はこれまでも微妙だったが、イランとアフガニスタンの経済関係も無視できない額に上っている。イランはアフガニスタンを「使える時に使う」つもりだろう。
この同心円は最も複雑である。アフガニスタンはユーラシア大陸中央で東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東に中国と国境を接する山岳国家だ。国内にはパシュトゥン人以外にタジク人、ハザラ人、ウズベク人などがおり、タリバンとて容易に全国支配などできない特異な地域である。されば、歴史が示すとおり、近い将来この国に強力な中央政府ができる可能性は低い。
要するに、大中小どの同心円のベクトルも、安定に向け確固とした方向性を示していないのだ。されば、米外交のインド太平洋へのシフトが円滑に進むとは到底思えない。米国は当分、中東の蟻(あり)地獄から脱出できないのではないか。