メディア掲載  グローバルエコノミー  2021.05.25

食料安全保障と農地確保

週刊農林 第2447号(5月15日)に掲載

農業・ゲノム 通商政策

長年農林水産省に努めた者として反省することがある。それは、国民全体の経済厚生水準の向上を念頭に置いて政策を推進してきたのだろうかということである。高度成長によって国民生活が向上して以降、農政当局は国民経済というより農業界のために行動してきたように思われる。農業界のためにとは、農家および農業団体の利益向上ということである。しかし、それは、国民経済はもちろん農業を維持・発展させることと同じではなく、むしろそれを損ねている。農地問題について、これを特に強く感じる。

農政の目的は何か?

農業政策の目的として、未だに農家所得の向上が叫ばれる。しかし、既に兼業化、農地の宅地転用、政府の保護・支援で、農家は他産業従事者よりも豊かになっている。半世紀以上も前に農業や農村から貧困は消えた。

農家が豊かになった現実を踏まえて、農水省が農政の目的として掲げるようになったのが、食料安全保障、遅れて多面的機能だった。多面的機能とは、水資源の涵養、洪水防止、景観など農業生産を行うことによる外部経済効果である。農家所得向上では予算は獲得できないと感じたからだ。

しかし、多面的機能や食料安全保障という目的に適う政策を農政は講じてきたのだろうか?水田を水田として利用するからこそ、水資源の涵養や洪水防止などの多面的機能を発揮し、水田を維持して食料安全保障を確保できる。にもかかわらず、水田を水田として利用しないことに補助金を与える米の生産調整(減反)政策は、水資源の涵養や洪水防止という多面的機能を損ない、水田をかい廃して食料安全保障を害してきた。水田面積は100万ヘクタール以上も減少した。半世紀以上も、農政自体が掲げた目的や国民全体の利益とは反する政策が行われてきた。

一体、減反を支持する農水省も農業経済学者たちも、国民の経済厚生水準の向上という観点から、減反政策について費用便益分析を行ったことがあっただろうか?明らかに経済厚生水準を悪化させることは分かっているから、示さなかったのだろうか?食料・農業・農村基本計画の中でもEBPM(Evidence Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)に言及されている。これは、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づいて政策を企画すべきだというものであるが、減反政策についてのエビデンスを示したことがあったのだろうか?

農業界の誰も、多面的機能や食料安全保障という目的から、政策を導いたことはなかった。農業が多面的機能や食料安全保障に役立つことを利用し、実際には多面的機能や食料安全保障を損なう農業政策もこれらに役立つのだとして、国民を欺いてきた。農業が良いものなので、農業の政策も良いものだと誤解させてきたのである。

日本で起こりうる食料危機と農地

所得の高い日本では、穀物価格が高騰しても、食料危機は起きない。日本の輸入先であるアメリカなどの輸出国は、生産に占める輸出の割合が高いので輸出制限はしない。

日本で生じる可能性が高い食料危機とは、東日本大震災で起こったように、お金があっても、物流が途絶して食料が手に入らないという事態である。最も重大なケースは、日本周辺で軍事的な紛争が生じてシーレーンが破壊され、海外から食料を積んだ船が日本に寄港しようとしても近づけないという事態である。

これに対処するために必要となるのは、食料備蓄と食料増産である。食料安全保障とは、食料輸入が途絶したときに、どれだけ自国の農業資源を活用して国民に必要な食料を供給できるかという問題である。

危機時の食料増産には、今の農業生産とは別の考慮が必要となる。石油などの輸入も途絶するので、農業機械は使用できないし、化学肥料や農薬の生産・供給も困難となる。単収は大幅に減少する。

輸入途絶時に、国民に食料を供給するために最も必要なのは、農地などの農業資源である。終戦直後、農林省の深川倉庫には、東京都民の3日分の米しかなかった。加えて、1945年産米は不作だった。国民は小学校の運動場をイモ畑にして飢えを凌いだ。

現在のような単収が期待できない以上、より多くの農地資源が必要である。その農地を確保するため、耕作放棄地の利用や荒廃した農地の再農地化に加え、ゴルフ場、公園や小学校の運動場などを農地に転換しなければならない。この場合にどれだけの農地量を確保する必要があるのか、大きなコストをかけないために、どこからどれだけ農地に転換していくのか、どのようにして土地の所有者や利用者の承諾をえるのかなど、真剣に検討すべきである。

かつて食料輸入が途絶した際に、十分なカロリーを供給できるかどうかという試算を農水省が行なったことがある。イモだけ作れば、当時の農地で十分だというものだった。しかし、農地面積は当時より減少しているうえ、石油が使用できないという前提で試算したものではない。

この場合、農地面積を増加していけば、総便益は増加するが、追加面積あたりに得られる限界便益は減少していく。他方、農地面積を増やそうとすれば、追加農地面積あたりの限界費用は増加する。限界便益と限界費用が一致する農地面積で純便益は最大になる。

なお、農地資源の確保だけではなく備蓄も考慮する必要がある。十分な備蓄を行えるのであれば、無理に農地の開発を行う必要はなく、農地確保の便益は少なくなる。米の減反をしながら食料自給率を向上させるという名目で、水田での麦や大豆の生産に3千5百億円もの税金を投入しているが、これで作られる麦は約60万トン、大豆は約20万トンに過ぎない。同じ税金で2千万トンの輸入麦を国内備蓄できる。

いずれにしても、抽象的に多面的機能や食料安全保障を主張するのではなく、これらの外部経済効果のために、どれだけの水田や畑の面積が必要なのか費用便益分析を行って国民に示すべきである。

農地転用は誰の利益になったか?

食料危機のことを考えると、今の農地でも十分ではないと思われるのに、農業界はその農地も改廃してきた。

宅地などに転用することで得られる莫大な利益がある。転用価格(2013年)は、都市計画区域外で10a(1千平方メートル)1,389万円、農家の平均的な規模である1ha(1万平方メートル)で1億4千万円の利益である。市街化区域なら1haで5億1千万円となる。兼業農家にとって、農地は農業のための生産要素というよりは資産である。退職金を上回るお金が、農地転用で手に入る。転用で、農家は毎年1~2兆円ほどの利益を得た。

農地面積は1961年に609万haに達し、その後公共事業などで約120万ha新たに造成している。730万haほど農地があるはずなのに、440万haしかない。日本国民は、造成した面積の倍以上、現在の水田面積240万haをはるかに凌駕する290万haを、半分は宅地等への転用、半分は農業収益の低下による耕作放棄で喪失した。

戦後の農地改革は、10aの農地を長靴一足の値段で地主から強制的に買収して小作人に譲渡するという革命的な措置をとった。しかし、それで小作人に解放した194万haをはるかに上回る農地が、これまで農業界によって潰されてしまった。農地を農地として利用するからこそ農地改革は実施されたのであって、小作人に転用させて莫大な利益を得させるために行ったのではないはずである。これを見た旧地主階級から農地買収の違憲訴訟が相次いだ。農地改革から約20年が経過した1965年「農地被買収者に対する給付金の交付に関する法律」が成立し、補償問題はようやく決着した。農林省は農地改革の事後処理に苦しんだのである。

農業界は、株式会社の農地取得に反対する理由として、株式会社は農地を転用するとか耕作放棄すると主張する。しかし、これだけの農地を潰して大きな転用利益を得たのは、他ならぬ農家である。

農水省も十分な対策を講じてこなかった。高度成長時代、日本三大ザル法という言葉があった。公職選挙法、食糧管理法、そして農地法である。3つのうち2つが農水省所管だった。農地法の転用規制は厳格に運用されなかった。違反転用しても後で追認された。農振法の農用地区域の線引きも毎年変更された。ザル法を二つ重ねたとしても、水は通り抜けてしまう。

農地資源をかい廃して日本の食料安全保障を危うくしたのに、農業界からは反省の言葉は聞かれない。本来なら農地を潰したことを国民に謝罪するとともに、これまでもらった補助金は全て返納すべきである。

JA農協が農地面積の確保を真剣に要請したり運動したりしたことはない。逆に、水田のかい廃につながる減反を熱心に推進しているし、転用利益を運用して大きな利益を得てきた。農地転用反対を農水省に真剣に要請してきたのは、地方の商工会議所である。市街地の郊外にある農地が転用され、そこに大型店舗が出店し、客を奪われた地元商店街は「シャッター通り化」した。農家、農協栄えて、地域が滅んだ。

はっきりしていることは、農業界に農業政策を任せていては、国民の食料安全保障は確保できないということである。