メディア掲載  グローバルエコノミー  2021.02.25

英国のTPP参加の好機を逃すな~中国の「安易な加入」を防ぐために 加盟国がドミノのように拡大していくTPPの未来

論座に掲載(2021年2月7日付)

通商政策 英国

イギリスがTPP11への加盟を正式に申請した。なぜ、ヨーロッパの国であるイギリスが太平洋地域のTPP11(正式名称は「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」)に参加するのだろうかと思われた人も多いと思われる。本稿では、イギリスのTPP11への参加が持つ意味について検討したい。

ブレグジットと日英自由貿易協定

まず、イギリスにはどのような意味があるのだろうか?

イギリスは2020年1月ブレグジットを達成し、移行期間が終了する2020年末、EUとの間で自由貿易協定を締結した。イギリスにとってブレグジットの大義は主権の回復だった。EUから独立して他の国や地域と通商交渉を行うことは主権回復の大きな柱と位置付けられていた。

日本との自由貿易協定締結は、その一歩だった。日本にとっては、ブレグジットでイギリスがEUから抜けるので、ブレグジットの移行期間終了後の2021年1月以降、日EU自由貿易協定を使って日本車などをイギリス市場に関税なし(一定期間は削減された関税率)で輸出することはできなくなる。イギリスにとっては、日本と自由貿易協定を締結すれば、イギリス市場では日本車には関税がかからなくなるのにEU車には10%の関税が課されEU車のイギリス市場への輸出が困難となるので、EUに対し自由貿易協定を締結するよう圧力をかけることができる。

このように、EUとの関係で、日英の自由貿易協定は両国にとって大きな意味を持つものだった。通常自由貿易協定の交渉には数年かかるのに、日英自由貿易協定交渉は2020年6月開始、10月妥結・署名というスピード交渉だった。イギリスが日本と自由貿易協定を持つEUの加盟国だったことを考慮しても、異例の短期合意だった。

思い付きではないTPP加盟申請

その次に、イギリスが関心を示したのがTPPだった。

私は、トランプが勝利した2016年11月の大統領選前の2016年9月、論座『愚かなアメリカが沈めるTPP』で、アメリカ抜きの新TPP協定を妥結すべきであり、EUから離脱するイギリスにも新TPPに加入するよう声をかけるべきだと主張した。TPP拡大によりTPPから脱退しようとしているアメリカにTPPへの関心を取り戻そうと考えたからである。この記事は安倍政権の中心にいた人たちにもよく読まれ、紆余曲折はあったが、翌2017年5月のTPP11交渉開始、2018年1月の協定妥結につながった。

私は、メイ首相がEUに離脱通知を行った2017年3月28日、まさにその日に、在日英国大使公邸に招かれ、TPPについて同じような意見を述べた。後から振り返って考えると、この直前頃、TPP11に反対していた安倍政権が方針転換を行い、それを察してイギリスはブレグジット後を見据えてTPPに関心を持ち出したのではないかと思われる。

その後、イギリス本国から通商関係の責任者が数回来日した際にも同国大使公邸で、かれらと意見交換を行ったが、イギリス政府は、まずは日本との自由貿易協定、次にはTPP11 への参加を考えていることが、わかるようになった。今回のTPP加盟申請は急に思いついたものではない。

この時、イギリスの交渉団のリーダーがWTOへの元ニュージーランド大使だったことには驚いた。意外なところで旧交を温めることになったが、彼はイギリスとニュージーランドの二重国籍を持っているので、英国国際貿易省の首席貿易交渉顧問に任命されていたのだ。これまで通商交渉はEUに任せてきたので、離脱後のイギリスの交渉能力を危ぶむ見方もあるが、かれはWTO農業交渉議長も務めた人なので、イギリスの交渉団をうまく率いていくだろう。

英米自由貿易協定交渉の困難さ

ブレグジットは主権回復という大義は一応達成したが、イギリスにとって貿易額の5割を占めるEUとの貿易には大きな障害が残るものとなった。それだけではなく、2割を占めるアメリカとの自由貿易協定交渉も難航することが予想される。

トランプ政権下では、アメリカとの交渉はほとんど進まなかった。バイデン政権になっても、バイデン大統領が「労働者や教育などへの国内投資を拡大するまで、新たな貿易協定を結ばない」としており、日英自由貿易協定のように早期に妥結することは考えられない。また、イギリスにとってアメリカは重要な通商相手であるが、逆は必ずしも真ではない。

さらに困難な問題がある。アメリカとEUは、長年塩素消毒したアメリカ産の鶏肉の輸入を認めるかどうかで対立してきた。英米の自由貿易協定交渉では、アメリカは必ずこの問題を解決するよう、イギリス政府に要求するだろう。しかし、イギリス国内でも、このような鶏肉に対しては、消費者の反発がある。EUとの関係でも問題がある。イギリスを通じてアメリカ産鶏肉が流入することをEUは懸念するだろう。EUがイギリスに対する検疫体制を強化すると、さらに物流の停滞を招きかねない。

この経済的に小さな問題が、なぜ通商交渉の障害になるのか、疑問に思われる人も多いだろう。しかし、経済的に小さくても政治的には大きな問題となる。これまでの日本の通商交渉で常に問題となったのはGDPの1%程度の農業だった。ブレグジットの自由貿易協定交渉で最後まで残ったのは、イギリス水域での漁業問題だった。日英の自由貿易協定交渉でも、イギリス産ブルーチーズの扱いが最終決着に持ち越された。

アメリカとの交渉はなかなか進まないだろう。その中で、イギリスにとって貿易額としてアメリカの半分にしか過ぎないものの、TPP参加によって成長する太平洋地域の諸国との貿易を促進することは、ブレグジットや新型コロナウイルスの蔓延で影響を受けるイギリス国民に明るい話題を提供できると、イギリス政府の担当者は考えているのだろう。

TPPを通じたアメリカ市場へのアクセス

TPPはアメリカのオバマ政権が中国を取り込もうとした仕組みだった。

WTOでは、中国の参加以来自由貿易推進に反対する途上国の主張が強まり、新しい経済の状況に応じた協定作りは困難となっている。新しく作ったマイナーな協定はあるが、基本的には4半世紀以上前の1993年に合意したWTOの諸協定が未だに適用されている。

WTOに失望し21世紀にふさわしい通商協定作りを望んだアメリカが注目したのがTPPだ。まず中国がいないTPPで高いレベルのルールを作る。中国はTPP交渉に参加していないが、幸い、TPP参加国の中に、社会主義国でかつ国有企業を多く持つベトナムがいた。アメリカはベトナムを仮想中国として、国有企業についての規律を交渉した。知的財産権の保護、国有企業への規律など、トランプ政権下でアメリカが行った中国への要求は既にTPPに書かれている。電子商取引について、TPPでは、ソフトウェアの設計図となる「ソースコード」の開示要求を禁止しているが、中国が参加するRCEPでは規定できなかった。

アメリカが参加するTPPのような広大な自由貿易圏については、参加しないと排除されるという不利益を受けるので、どんどん参加国が増える。TPPが拡大すると、中国もTPPに入らざるを得なくなる。その時に中国にこれらの規律を課そうとしたのだ。オバマ政権にとって、TPPは中国を排除するものではなく、新しい通商ルールに中国を取り込むための仕組みだった。

アメリカはTPPから脱退したものの、TPPを主導した国であり、アメリカ国内で高まっている中国に対する対抗関係の重要性やアジア太平洋地域における中国のプレゼンスの増大を考えると、オバマ政権の副大統領だったバイデン大統領が、2022年の中間選挙後にTPPに復帰しようとすることも十分考えられる。

そうなると、イギリスは英米自由貿易協定なしでも、TPPによってアメリカ市場にアクセスできる。先にTPPに参加していると、アメリカに対して注文を付けるだけで、自国の動植物検疫制度などの規律について、アメリカから要求されることはない。イギリスにとっては、英米自由貿易協定よりも、TPPに参加する方が問題もなく利益は大きい。

TPP参加の対中国という政治的意味

イギリスは、中国が香港国家安全維持法を制定し香港の民主化運動を抑圧していることに対して、中国と合意した一国二制度を否定するものだと反発している。

イギリス政府は、中国に対する対応を「協調」から「対抗」に転換している。2021年年9月から第5世代(5G)通信網への中国通信機器大手ファーウェイ製機器の新規導入を禁止し、2027年までに5G通信網からファーウェイ製機器を全て排除することとしている。さらに、空母「クイーン・エリザベス」を沖縄県など南西諸島を含む西太平洋に向けて派遣する。イギリスは中国への対抗措置を強めているのである。

TPP11の加盟国の過半数は旧英連邦の国である。また、オーストラリアやベトナムなど中国から圧迫を受けている国もある。TPPへの加盟には、これらの国と共同して中国に対抗しようとする狙いもあるのだろう。

世界の自由貿易推進のための意義

イギリスは、TPP11が発効してからの初めての加入申請国となる。

これからTPP11の既加盟国との加入交渉を経て参加が決定されることになる。イギリスは、TPP11のメンバー国である日本が自由貿易協定を締結したEUの加盟国だったし、既に日本と自由貿易協定を締結している。また、先進国でもあるので、先進的なルール受け入れや関税撤廃率を含め、参加に大きな障害はないものと思われる。

これは、韓国やタイなど次に加盟申請を行う諸国への先例となるだろう。イギリスが高い規律を受け入れてTPPに参加すれば、これらの国にも同様のことを要求できる。

加盟国が増えることは自由貿易圏が広がることだけを意味するのではない。

TPPの原産地規則は、原産品を判定する際に、付加価値率の累積を認めている。自国の付加価値率だけではなく、TPP加盟国すべての付加価値率を合算できるということである。二国間の自由貿易協定では、累積が認められても、イギリスとEUの自由貿易協定のように、自国と相手国の付加価値率しか合算できない。TPPの加盟国が増えるということは、合算できる付加価値率が増えるということである。自国の付加価値率が小さくてもTPP原産品と見なされ、TPP 域内に関税なしで輸出することが可能となる。

しかもTPP 域内という自由貿易圏は拡大する。TPPの拡大は、関税なしでの貿易を一層拡大することになる。参加することがますます有利となる。TPPはドミノのように加盟国を拡大する。

どれだけ真剣かわからないが、中国もTPPへの参加を意図表明している。しかし、今加入しようとすると、投資や国有企業などのルールについて大幅な適用除外が中国から要求されるだろう。これを認めると、中国には先進的なTPPの規律はほとんど課されなくなる。WTOにおいて、中国は国有企業に対する規律導入を明確に拒否している。

さらに、中国はWTO協定や加入議定書で要求されたことも十分に守ってこなかった。中国の鉄鋼業への補助金は、世界的な鉄鋼過剰を招いたと批判されているが、中国は補助金のWTO通報義務を履行してこなかった。内容がわからないのでは、是正要求はできない。このような状況がTPPでも起こるとすれば、加盟国は何のために中国を加入させたのか分からなくなる。他の加盟国が規律を守る中で、中国は一方的な受益者となる。

加入交渉において、既加盟国は加入申請国に自由貿易推進やTPP協定遵守のため必要なことを要求する交渉の当事者である。全ての既加盟国が納得しない限り交渉は終わらない。中国の制度などがTPP協定に整合的かどうかを判断するだけではない。中国の活動が問題であると判断するなら、既加盟国はTPP協定プラスのことも要求できるはずである。

中国のWTO加入交渉では、加入議定書で農業補助金の上限をWTO農業協定で定める農業生産額の10%ではなく8.5%に抑制した(しかし、補助金が通報されないのでは、履行しているのかもわからない)。中国のWTO加入交渉の失敗は繰り返すべきではない。中国に安易な条件でTPP加入を認めるとすれば、中国の国内改革にもマイナスとなるだろう。

我々はアメリカに代わって中国と交渉するのではない。我々のため、ひいては世界の自由貿易の推進のためである。TPPのルールや大義を世界貿易のルールや大義にするのである。イギリスのTPP加入交渉がその良い先例となることを期待したい。