メディア掲載  グローバルエコノミー  2021.02.19

英国「ブレグジット」の損得勘定~関税なしでも貿易は損なわれる  「EUからの独立」の代償は大きかった

論座に掲載(2021年2月4日付)

通商政策 英国

主権回復の主張と経済的な代償

EUに加盟した後も、イギリスは、EU統合やその深化からは一歩引いた態度を採っていた。財政的には、EUからの受取額よりも拠出額の方が多いことを問題視してきた。同じような立場にあっても、ドイツなどは一度も不満を述べることはなかった。

イギリスはまた、統一通貨ユーロにも参加しなかった。EU統合の中心にいたドイツやフランスと異なり、EUの周辺にとどまっていたのである。

イギリスにとって、ブレグジットの大義はブリュッセル(EU)からの主権の回復だった。ブレグジット派の人たちは、EUの関税同盟や単一市場から受ける経済的な利益を損なっても実現する価値があると主張した、主権回復とはEUからの独立である。それには、イギリスが独自に法律や規則を制定することや、EUとは別に他国と通商交渉を行い自由貿易協定を締結するということが含まれていた。

しかし、その代償として、ブレグジットはイギリスにもEUにも大きな経済的マイナスを生じるものとなった。


関税なしでも貿易は損なわれる(1)原産地規則

昨年末の自由貿易協定の成立で、イギリス・EU間の関税は撤廃されることになった。ブレグジット前の関税同盟では、イギリスはEUの中の一つの県または州と同じ扱いを受けるものだった。これに対して、ブレグジット後のイギリスは、EUから完全に独立した国となる。これは、どのような違いを生むのだろうか?

関税同盟の場合、他の国(例えば日本)からイギリスに自動車部品を輸出し現地の日系企業がこれを組み立てて他のEU諸国に輸出する場合、完成車に占める輸入自動車部品の比率がどうであれ、完成車自体には関税はかからない。もちろん自動車部品の輸入には関税がかかるので、その分コストアップとなる。自動車部品への関税が10%、完成車に占める輸入自動車部品の比率が70%の時、イギリスから他のEU諸国への輸出は7%コストアップとなる。これは愛知県の工場が部品を中国やベトナムなどから輸入して、岡山県で販売するのと変わらない。

自由貿易協定では、関税なしでの貿易の恩典を受けようとすると、その産品が実質的に加盟国の原産品であると認められるものでなければならない。加盟国以外の第三国が漁夫の利を得るのを避けようとするためである。

ところが、グローバル化が進んだ今日、原材料や部品の生産から完成品ができるまで、全て同じ国内で行われることは少ない。かなりの財がいろいろな国から原材料や部品を輸入して生産されている。

この場合、どのような財が加盟国の原産品であるかどうかを規定するのが原産地規則である。これも自由貿易協定の交渉で決定される。原産地規則で加盟国の原産品であると認められるものには、第三国から輸入した大麦から加盟国がビールを作るなど実質的に別の財と見なされる場合や、部品を第三国から輸入しても加盟国が加える付加価値が大きい場合などがある。この基準は、産品の種類ごとに、また付加価値率をどのような水準とするかも、交渉で決められる。

例えば、イギリス・EUの自由貿易協定では、双方から輸出される自動車については、それぞれの付加価値率が55%を超えるものだけが、関税なしの適用を受ける原産品と認められる。日本からイギリスに自動車部品を輸出し、現地の日系企業がこれを組み立てて関税なしでEUに輸出しようとすると、日本からイギリスに輸出される自動車部品は最大でも完成車の45%を超えないということである(他の国からも輸入されるときは、この比率はさらに下がる)。

先の例では、部品の比率が45%を上回る70%なので、完成車のEUへの輸出は10%の関税がかかることになる。部品によるコストアップが7%なので、トータルで17.7%(1.07×1.10)のコストアップとなる。

このように、原産品と認められるかどうかは、大きな違いをもたらす。別の観点からは、関税同盟よりも自由貿易協定の方が貿易阻害的に働く。

このとき、イギリスがEUから自動車部品を輸入して完成車をEUに輸出する場合であれば、EUからの輸入部品もイギリス産と見なすことができる。例えば、EUからの輸入部品の完成車に占める割合が60%でそのうちEUの付加価値率が50%だと、完成車に占めるEUの付加価値率は30%となる。イギリスの付加価値率が30%であれば、イギリスとEUを合わせたトータルの付加価値率は60%となり、付加価値率55%をクリアーするので、イギリスは関税なしで完成車をEUに輸出できることになる。これを付加価値率の累積と言う。

さらに進んで、日本がEUと結んだ自由貿易協定では、日本とEUの双方が自由貿易協定を結んだ国との間でも付加価値率の累積を認めることとした。イギリスやカナダが該当する。イギリスから部品を輸入して日本で製品を作ってEUに輸出する場合、日本の付加価値率だけではなくイギリスの付加価値率も合算できることになる。これを拡張累積と言う。

しかし、イギリスとEUの自由貿易協定では、EUは拡張累積を認めなかった。イギリスが日本から部品を輸入して製品をEUに輸出する場合、日本の付加価値率は合算されない。これは日系企業にとっては不利になるので、生産拠点をイギリスからEU域内に移動する可能性が生じる。最終的には、イギリスの不利益となる。

関税なしでも貿易は損なわれる(2)通関や動植物検疫等手続きの復活

もう一つは、イギリスとEU間の貿易における通関や動植物検疫などの手続きの復活である。

原則的に関税がゼロとなっても、イギリス、EUが原産国であるという証明を通関時にチェックしなければならない。これがなければ、いくら原産地規則を作っても効果はない。また、別の国になったので、輸入される食品や動植物が輸入国の安全性や衛生上の基準を満たしているかどうか、工業製品でも輸入国の規制や基準に合致しているかどうかも、国境でチェックしなければならない。

このため、通関等の手続に多くの時間がかかったり、鮮度が落ちてしまう食品が輸入されなくなるなどの問題が既に生じている。しかし、これも自由貿易協定の発効前から予想されていたことである。

ブレグジット交渉では、この国境での管理が別の意味で最大の問題となった。関税同盟にも単一市場にも参加しないという完全なブレグジットでは、アイルランドと北アイルランドの間で厳格な国境管理が行われることになる。そうなると人やモノの行き来が制限され、いったん終息した北アイルランド紛争が再発するのではないかと恐れられた。

このため、メイ前首相の合意案では、北アイルランドも含めイギリス全土が関税同盟に留まることになった。単一市場については、北アイルランドは従前通りEUの規制が適用され、イギリス本土はこれに準じた規制を適用する。これはブレグジット派からの大きな反発を受けた。これでは主権の回復は実現できないからである。

メイ前首相の後を継いだジョンソン首相が最終的にEUと合意した解決策は、アイルランドと北アイルランドの間ではなく、北アイルランドとイギリス本土との間で事実上の国境を引くというものだった。これによってイギリスは関税同盟から離脱するとともに北アイルランド紛争の再発を防ぐことができる。

しかし、北アイルランドは事実上EUに留まり、国内が分断されることになる。イギリスから北アイルランドへモノを送るとそれは北アイルランド(EU域内)への輸出になり、EUの規制や基準に従ったものでなければならなくなる。


他の自由貿易協定にはない不利益

EUは、イギリスがEUの市場に関税や割当てなしで輸出しようとしたいなら、労働や環境に関する規制や政府の補助(企業への課税)などの点で、将来ともEUの規制や政策から逸脱しないように要求するというlevel playing field(共通の土俵論)の主張を行った。

本来なら、将来ともEUのルールや政策を採用し続けるよう主権国家に要求することはできない。EUがこれまで自由貿易協定を結んできた日本やカナダには要求しないで、イギリスに要求するのは不当である。そのような要求は、イギリスをEUの属国扱いしているようなものである。

しかし、ジョンソン首相は、イギリスの規制や補助金等によって、イギリス企業の競争条件が有利になるようだと、EUはイギリスに報復関税を課すことができることに譲歩した。イギリスがこれを恐れるとEUから独立した法律や規則は制定できなくなる。ブレグジットによる主権の回復は十分なものではなくなってしまう。なお、イギリスがこれを受け入れる代わり、EUは欧州裁判所が判断を下すという要求を取り下げた。


政治的な代償

北アイルランドは、経済的にはイギリスから独立することになってしまった。これは親イギリス派のプロテスタント系住民を失望させた。

また、スコットランド住民の多数はブレグジットに反対していた。ブレグジットによって経済的に損失が生じるようだと、スコットランド独立運動に力を与えることになろう。

総じてみると、算盤上は、ブレグジットはイギリスにとって利益になるものではなかった。EUとの貿易がイギリスの貿易の半分を占めている以上、TPP参加によっても、失った利益はなかなか取り戻せないだろう。