1993年の秋、GATTウルグアイ・ラウンド交渉は最終局面にあった。当時、農水官僚としてその任にあった山下一仁氏は、ジュネーブにて2カ月もの間、朝から晩まで土日も休まず英語で交渉を続けた。そしてようやく12月15日、交渉妥結に至った。その際、協定をつくり上げていく過程で役に立ったのが、大学時代に学んだ法律の原理・知識であった。若い頃に身に付けたものは、いざという時、思いもよらず力となるのだということを痛感したという。さまざまな経験と知識から、山下氏はこれまで多くの提案を行ってきた。2000年に農業の構造改革を提案した際は、何人かの先輩や農業経済学者などに励まされた。それがなければ、自信を持って20年間も同じ主張はできなかった、と山下氏は言う。しかし、国や国民のことを考えた山下氏のそれらの主張は、それぞれの利害によって働く大きな力に阻まれ続けている。それでも山下氏は主張し続ける。〝日本再生〟を考える上で、山下氏の提言と生き方は大いなる指針となろう...