11月3日に行われた米大統領選は、いろいろな意味で近年に例を見ない選挙であった。何といっても、本稿執筆時点(12月初旬)で、投票結果が明確にジョー・バイデン氏の当選を示しているにも拘わらず、ドナルド・トランプ大統領は敗北宣言を出すことを拒み続けているのだ。それどころか、同大統領は、全米各地で「選挙不正」を訴え、票の再集計若しくは、各州の選挙委員会による投票結果の確定期限の延期を求める訴訟を起こしている。これまで、これらの訴訟は「証拠不十分」、「十分な根拠なし」としてすべて却下されているが、トランプ大統領は軌道修正する兆しを全く見せていない。それどころか、「12月14日に選挙人(electoral college)が投票してバイデン氏当選という結果が出れば、ここ(ホワイトハウス)から去る」と言ったものの、ウイリアム・バー司法長官が「広範にわたり選挙不正が行われたという証拠はこれまでのところ見つかっていない」という見解を示した12月2日には、自身の演説ビデオの中で46分間にわたり延々と自説を展開している。かつて2016年大統領選で勝利した直後に「ホワイトハウスに引っ越さないとだめなのか」、「ニューヨークの自宅からホワイトハウスに通勤できないのか」、「大統領になって収入が激減した」などと、大統領職には興味がないかのような発言を連発していたころとは裏腹に、大統領職に留まることに固執している。
トランプ大統領が敗北を認めようとしないことで、政権移行手続きにも大きな影響を与えている。まず、政権移行手続きを正式に始めるために必要な選挙結果の認定を米一般調達局(General Services Administration、GSA)が行うまで約3週間を要した。通常、選挙結果が判明した後にはGSAが速やかに選挙結果の認定を行い、政権移行手続き開始にゴーサインを出すことで、次期大統領の政権移行チームが現政権との間で連邦政府各省庁と引継ぎや申し送りを行うために各省庁に立ち入ることや、政権移行手続きにかかる支出を国庫から歳出することが認められるようになる。また、次期大統領・副大統領ともに、現職の大統領・副大統領が毎日受けている大統領情報ブリーフィング(Presidential Daily Briefing, PDB)が受けられるようになるなど、実質的な政権移行の手続きも開始される。しかし今回は、この認定の手続きが遅れたために、PDBをバイデン次期大統領がなかなか受けられないなどの障害が生じた。特に、PDBについては、現職の上院議員として上院特別情報委員会に所属するカマラ・ハリス次期副大統領はPDBを受けるために必要な保秘に関するクリアランスを有しているため、GSAが選挙結果を認定する以前からPDBを受けることができたにも拘わらず、バイデン次期大統領はPDBを受けることができないという「ねじれ」が生じ、このため、バイデン次期大統領は、別途、公開情報レベルでのブリーフィングを安全保障政策専門家から受けるなどの措置を講じる必要が生まれたのである。
しかし、11月23日に GSAが、「ジョー・バイデン前副大統領当選」という選挙結果を認定し、政権移行に向けた公式な手続きを始めることを認める決定を下したことで、遅まきながらようやく、政権移行に向けたプロセスが本格的に始動した。これまでのところ、バイデン次期政権はGSAによる選挙結果の認定が行われた数時間後には、外交・安全保障政策分野では、国務長官、国家情報官、国家安全保障大統領補佐官、国土安全保障長官、国連大使、国防長官などの閣僚人事を速やかに発表し、経済政策分野でも財務長官、経済諮問委員会委員長、予算管理局長などをはじめとする主要6ポストの人事を発表、急ピッチで政権移行体制を整えている。さらに、12月3日には、バイデン次期大統領とハリス次期副大統領が揃って、選挙後初めてCNNのインタビューに応じ、政権発足直後の優先政策課題について語り、いまだに敗北宣言を出そうとしないトランプ大統領とその周辺を除いて、アメリカ全体は着実に来年1月20日の政権交代に向けて進んでいる。
とはいえ、大統領選挙の結果を振り返ると、バイデン次期政権が直面する様々な課題が見えてくるのも確かである。何と言っても、今回の選挙は「バイデン勝利」というよりも「トランプ敗北」の色彩のほうが強い。今年の大統領選挙は、コロナウイルスの感染拡大や「黒人の命だって大切だ(Black Life Matters, BLM)」運動などへのトランプ政権の対応の不手際が、選挙の流れを「バイデン有利」に変えた大きな要因であった。
また、トランプ政権がコロナウイルス対策でつまずく中で、78歳という高齢、決してディベートが得意とは言えず、予備選序盤では支持が振るわなかったバイデン次期大統領の、「electability」、つまり本選でトランプ大統領と対峙したときに勝てる候補かどうか、という資質を一貫して強調し続けられたことが息を吹き返した最大要因とみられている 。大統領選挙が本格化してからも、専門家の意見に反してマスク着用を拒み、周囲の助言に耳を傾けずに対面での選挙集会を開催し続けた結果、トランプ大統領支持者の選挙集会が「ウイルス超拡散イベント(super spreader event)」と揶揄される中、「マスク着用は愛国心の現れ」と公言、公の場に出るときは常にマスクを着用、対面での集会も最低限に抑えたことも、バイデン次期大統領の支持率増加につながった。
さらに、コロナウイルスの感染拡大に終わりが見えない中、全米各州で大人数の集会が制限された結果、支持者との対面集会の開催そのものが制限され、通常であれば3回行われる大統領候補同士の討論会も、トランプ大統領自身がコロナウイルスに感染したことで結果として2度しか開催されないなど、大統領選挙の日程にも大きな影響を与えた。この結果、トランプ大統領は最も得意とする「大規模な選挙集会での有権者との交流」、「討論会における対立候補に対する攻撃」を最後まで充分に活用できないまま、選挙当日を迎えたのである。
その後、秋に入ってインフルエンザ流行の季節が始まると同時に、再び全米でコロナ感染が爆発、カリフォルニア州やニューヨーク州などで再び外出や飲食店経営に関する規制を強化が始まるなど、各州で再び規制強化が始まっているにも拘わらず、トランプ政権が対応策を軌道修正する様子が全く見えない中、バラク・オバマ前大統領、ジョージ・ブッシュ元大統領、ビル・クリントン元大統領がそれぞれ、「コロナウイルス・ワクチンが接種可能になったら、すぐに接種するつもりだ。また、ワクチンの安全性を国民に理解してもらうために、自分が接種を受けている様子をメディアに公開する」という発表を行い、ウイルスの危険性を軽視する言動を続ける現職大統領に代わって、政権移行期間中、コロナウイルス対策に何とか「指導者の空白」が生まれないようにしようとするという特異な現象も起こっている。12月3日行われたCNNのインタビューに応じたバイデン次期大統領も、「コロナウイルス対策」を次期政権発足直後の最優先課題に掲げ、「100日間でいいから、国民の皆さんにはマスクを着用してほしい」と呼びかけている。つまり、今回の選挙でトランプ大統領が負けたのはバイデン次期大統領ではなくコロナウイルス、という見方も十分に可能なのである。
一方で、バイデン次期大統領が81百万票というこれまでにない多数の票を獲得して当選したとはいえ、対するトランプ大統領も、結果として負けたとは言え、74百万票余りを獲得している 。つまり、バイデン次期大統領が全米規模で大きな支持を得て勝利した選挙、とは言い難いのが実情なのである。このことは、「国内の分断の終焉」を掲げて選挙戦を戦い、最終的にはトランプ大統領側の「オウンゴール」で勝利したバイデン次期大統領が、実際に、トランプ政権期間中の4年間で加速した米国内の保守・リベラル間の二極化を修復するための道のりが容易でないことを示している。
また、大統領選挙ではバイデン次期大統領が勝利したものの、同時に行われた連邦議会選挙では民主党が事前の予想に反して振るわなかったという点にも注目する必要がある。下院では多数党の座は維持したものの議席数を減らし、上院でも選挙前は多数党奪回への期待感が高まっていたものの、現時点では過半数をとることができていない 。このことは、「大統領選はバイデンに、議会選挙は共和党候補に」という投票行動に出た有権者が全米でかなりの数存在することを意味しており、上院では共和党が多数党の座を維持する可能性が十分にあるのだ。
このような現状は、バイデン次期政権が来年1月の政権発足後、政権を運営するにあたって、すでに様々な制約に直面していることを意味する。今後、政権閣僚・幹部指名人事や、連邦政府予算、コロナウイルス対策、景気対策など、バイデン次期政権が政策を実行するためには欠かせない案件で、上院と厳しい折衝を迫られる局面が出るだけではない。政権発足後比較的早い時期に、コロナウイルス対策で目に見えた効果を上げることができなければ、バイデン政権に対する期待感はあっという間になくなり、失望感が広がる。つまり、通常、新たに政権を発足させた大統領が一定期間享受する「蜜月期間(honeymoon period)」がほとんど与えられない状況でバイデン政権は政権運営を迫られることになるのである。
そんなバイデン次期政権を待ち受ける厳しい状況を見越したかのように、トランプ政権は、政権最後の2か月で、連邦政府職員の職種の再指定を行い、連邦政府職員数の激減を目指したり、選挙直後に、国防長官や、国土安全保障省のサイバーセキュリティ責任者などを次々と更迭するなど、支離滅裂な措置を次から次へとっている。また、トランプ大統領陣営は、選挙不正を主張する訴訟を最高裁判所まで持っていくことも、まだ検討中であると言われている。1月20日の大統領就任式以降も、選挙以来続いている混とんとした政治状況は当面、続きそうだ。