メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.12.28

イギリスとEUの「交渉決裂」で何が起きるのか?

論座に掲載(2020年12月13日付)

通商政策 英国

欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長とイギリスのジョンソン首相が、膠着しているブレグジット交渉を妥結するために、交渉期限を13日まで延長してトップ会談で事態の打開を図ろうとしている。しかし、合意が得られる見通しは立っていない。

大きな争点は、レベルプレイングフィールド“level playing field”とイギリス漁業水域へのEU漁船のアクセスの二つである。この問題については、『英国の対EU交渉力は実はこんなに強い』(論座2020311日)などで、度々説明してきた。簡単に要約しよう。



レベルプレイングフィールドとは?

レベルプレイングフィールド(共通の土俵論)とは、イギリスがEUの市場に関税や割当て(quota)なしで輸出しようとしたいなら、労働や環境に関する規制や政府の補助(企業への課税)などの点で、将来ともEUの規制や政策から逸脱しないように(EUと同じような規制や政策を採用)すべきだという主張である。

関税なしでEU市場に輸出するイギリス企業がEU企業よりも緩やかな規制等の適用を受けると、イギリス企業の方がEU企業よりもEU市場で有利になる。従来通り関税ゼロなどの条件でEUに輸出したいのであれば、イギリスはEUと同等の規制等を採用すべきだというのである。

もっともらしい主張に聞こえるが、これではイギリスにとっては何のためにブレグジットしたのか分からない。ブリュッセルのEU本部から主権を取り戻して、自由に法律や規制を行えるようにしたいというのが、ブレグジットの核心にある思想だからである。

ジョンソン首相はイギリス議会で、将来EUが規制を変更したらイギリスも同じようにしなければならないのかと主張している。また、EUは日本やカナダなどの国との間で自由貿易協定を締結しているが、日本などにはこのようなことを要求したことはない。

しかも、自由貿易協定とは相互の関税等を削減・撤廃することなので、EUがイギリス市場にアクセスするのであれば、EUもイギリスと同等の規制等を採用すべきだということになるのだが、そのような側面は無視する。あくまで自らの規制等に従えと言うのである。これでは主権国家同士の交渉とはいえない。

さらに、EUはこれに違反したら制裁措置をイギリスに課すことを要求し、その判断をイギリスが離脱したEUの最高裁判所にあたる欧州司法裁判所に行わせるとしている。

ジョンソン首相にとっては、イギリスの主権を制約するような要求を飲むわけにはいかない。理はイギリスに、非はEUにあるように感じる。



こじれる漁業問題

イギリス漁業水域へのEU漁船のアクセスとは、イギリスがEUから離脱する前は、イギリス漁業水域もEUの漁業水域の一部なので、EUの共通漁業政策の下で、フランス、オランダ、デンマークなどのEU加盟国の漁業者にはイギリス漁業水域での漁獲割り当てが認められていたので、これを離脱後も認めろというものである。

イギリスの漁業水域は漁業資源が豊富で、ここでこれらの漁業者はEU全体の漁獲量の4割を採っている。国全体では漁業は極めて小さな産業だが、地域経済では政治的に重要な産業である。

イギリス漁業水域では、ブレグジット後はイギリスが主権的権利を持つので、イギリス政府が資源量等を勘案しながら毎年各国に割り当てることになる。2020年中にイギリスと合意できなければ、2021年からEU加盟国の漁獲割り当てはゼロになる可能性がある。ここで圧倒的に強い立場にあるのはイギリスで、EUはイギリスにお願いする弱い立場である。

EUはイギリス漁業水域で漁獲させないなら、自由貿易協定を拒否してイギリス産の魚に関税をかけると圧力をかけているが、WTO協定上せいぜい20%程度までの関税しか課すことはできない。少しばかり輸入が減るぐらいで、輸入を禁止するまでにはいかない。逆に、関税が高くなると、値段の上がったイギリス産魚を買うのは、EUの消費者である。

レベルプレイングフィールドでEUが立場を譲らないのであれば、イギリスは一切漁獲を認めないと主張できる。イギリスからすれば、EUがイギリス漁業水域内の権利を主張するのは、これまた主権の侵害だということになろう。



大変ではない今回のノーディール

イギリスは譲歩できないものを要求されている。公平に見れば、譲歩するのはEUの方だ。私から見ると、どうしてEUがこのような主張を行うのか理解できない。

しかし、フォンデアライエン欧州委員長はフランスのマクロン大統領やドイツのメルケル首相などの圧力によって譲歩できない。欧州委員長はEUの大統領のように思われているが、実際にも制度的にも、主人である加盟国の意向を無視して行動することはできない。結局双方が譲歩できない以上、イギリスとEUのトップ会談は不調に終わりそうである。

そうなると、ノーディール“no deal”となって大変だと言われているが、これは同じノーディールでも昨年末までの交渉で言われた「合意なき離脱」“No Deal Brexit”とは異なる。

当初ブレグジットについては、イギリスが離脱して北アイルランドとアイルランドとの間に国境が復活すると、再び紛争が勃発するのではないかと心配された。

しかし、昨年末、双方はイギリス本土と北アイルランドの間で国境を引くことで合意した。今年に入り、ジョンソン首相はこれを反故にするような法案をイギリス議会に提出したが、EUから猛反発を受けたばかりか、歴代のイギリス首相経験者や、アメリカ大統領選挙に出馬していたアイルランド系のバイデン民主党候補など民主党の反対を受け、これを撤回している。

今回何がノーディールとなるかというと、イギリスとEUとの間に自由貿易協定が結ばれない(WTO協定で認められている水準まで関税があがる)というだけである。通関手続きが必要になり、イギリスとEUの国境でトラックが長い列を作る恐れがあると言われているが、それは自由貿易協定が結ばれても結ばれなくても同じである。

イギリスがEUの関税同盟に留まれば、通関手続きは不要で、トラックは自由に国境を往来できる。しかし、ブレグジットによってEUの関税同盟の外に出る以上、自由貿易協定を結んでも通関手続きは必要になる。関税同盟と自由貿易協定の違い、これらと通関手続きの関係については、『ブレクジットを理解したいあなたへ』(論座20181128日)を参照されたい。

簡単に言うと、日本とある県との関係が日本とハワイの関係になるということである。日本の外にある以上、ハワイから輸入されるものには、通関手続きが必要となる。

むしろ、自由貿易協定があった方が、当事国以外の他国産の物資が自由貿易協定を利用して関税ゼロで流入しないよう、原産地証明を厳格に運用しなければならない分、通関手続きが厳しくなるかもしれない(原産地証明についても詳しくは上記の記事を参照されたい)。



漁夫の利を得る日本の自動車産業

今回ノーディールとなって自由貿易協定が結ばれなければ、イギリスとEUの間で通常の関税が復活することになる。双方に自動車を輸出するときは10%の関税がかかる。それが嫌なら、しかるべき時に自由貿易協定を結べばよいだけである。仮に来年10月にイギリスとEU間の自由貿易協定が発効すれば、それ以降自動車の関税はゼロになる。

幸運なことに、日本はイギリスともEUとも自由貿易協定を結んでいる。日本からイギリスへ、日本からEUへ、自動車を輸出する際は、10%の関税が段階を追って削減され、最終的にはゼロとなる。日本車は、イギリス市場ではEU車よりも、EU市場ではイギリス車よりも、それぞれ有利になる。

イギリスにとってもEUにとっても、自動車産業は重要である。しかも、イギリスとEUは相互に貿易しあっている。10%の関税が復活し、日本車との競争が厳しくなってから、自由貿易協定締結の機運は高まるかもしれない。