化石燃料を利用した技術(fossil-fuel technologies)は、地球温暖化を加速する悪者とされている。ところが、それをなくすことで農地の拡大が必要になり、人間活動による圧力が高まって生物の生息域が縮小し、その結果陸上生態系に影響を及ぼすという。
1. 化石燃料の環境便益
世界は今、化石燃料を利用した技術の使用を抑える低炭素化・脱炭素化に向かっている。確かに化石燃料フリーな技術の普及が進めば、地球温暖化の増長は抑えられるかもしれない。では、すぐさま化石燃料を停止するとどのような問題が起こりうるだろうか?このような疑問に対して、国際環境経済研究所ホームページでも地政学的リスクや電力コスト・安定供給・自家発電・地域経済への影響、原子力発電の活用の必要性等が論じられているが注1)、注2)、注3)、注4)、注5)、少なくとも環境上は悪影響(環境費用)をもたらすという見方が一般的である。
しかし、化石燃料には環境に対しても好影響(環境便益)がある。例えば、化石燃料技術は窒素肥料や農薬の製造に使われて農業の生産性を飛躍的に向上させ、それによって生物の生息域の減少を抑えてきた注6)。また、自然環境でのCO2施肥効果によって陸上植生の面積も増やしてきた注7)。本稿では、関係者にはあまり知られていないこれらの影響について、最近発表された学術論文注8)を紹介しながら解説する。
2. 化石燃料の使用を停止すると陸上生物の居場所が失われる
生態系の保全(具体的には、流域生態系の階層秩序に基づく多様な生態系・生息域・種などの保全)にとって最も重要なのは、多様な生物の生息域を確保することである注9)。このような生息域は、人間の食料確保のための農地開拓の圧力にしばしば脅かされる注10)。化石燃料を用いる技術は、このような圧力を抑制してきたと考えられている。世界の農地面積は、1950年ごろまでは人口増加に伴う食料需要により増加し続けてきたが(図1:黒点線・黒実線)、ここ数十年の間は上述した化石燃料技術の普及が作物の生産性を向上させ、直接的もしくは間接的に新たな農地の開拓を抑えてきたという注11)。1950年代以降の一人あたりの農地面積が大きく低下したことは(図1:黒色・灰色破線)、この効果によるものだという仮説である。
図1 HYDE3.1(History Database of the Global Environment)およびFAOのデータセットに基づく世界人口と世界の農地面積(牧草地+それ以外の農地)および一人あたりの農地面積の経年変化(Goklany (2020)注8)を著者が和訳)。2019年時点で、世界の陸上面積の37.4%(牧草地:25.2%、牧草地以外:12.2%)を農地が占めている注12)
Goklany (2020) 注8)は、上記の仮説を定量的に確かめるために、次の3つの化石燃料技術による農作物の生産性の向上率を推計した:
1)天然ガスもしくは石炭を利用した窒素肥料の合成技術(ハーバーボッシュ法)とその普及による効果。2008年時点での窒素施肥により増加した食料に依存する世界人口の推計値注13)の全体からそれを除いた世界人口に対する割合(92.3%)を窒素肥料による生産向上率と仮定;
2)石油を原料とした農薬の合成技術と普及による効果。農薬による害虫駆除によって向上しうる6つの主要な農作物(大豆、小麦、トウモロコシ、米、じゃがいも、綿)の生産量注14)をそれぞれの作物が占める農地面積で重み付けすることで全作物の生産向上率を算出し(104.3%)、その値に化石燃料を使用することで増加する作物防護効率の割合(25%)をかけた26.1%の生産向上率を仮定;
3)化石燃料の燃焼に伴う世界の大気中CO2濃度の増大による効果(CO2施肥効果注7)で解説)。277 ppm(1755年)から412 ppm(2019年)の間に15.8 %注15)もしくはそれ以上の作物生産量の増加が見込まれているが、保守的な値(10%)を仮定。
なお、上記の推計には様々な仮定を置いているが、そのほとんど全てが保守的な生産向上率の見積もりにつながる。したがって、実際の生産向上率はさらに高かった可能性がある。
さて、仮に化石燃料を使用しなかった場合、2019年現在の世界人口を維持するためにはどのくらいの農地面積が必要となっただろうか?上記3つの効果が作物生産に対してそれぞれ独立に作用するとすれば、現在の世界の食料生産量は化石燃料の恩恵によりそれを使用しなかった場合に比べて2.67倍(1.923 x 1.261 x 1.1)増加している。現在の食料需要が変わらないとすれば、化石燃料を使用しない場合には農地面積を167%増加させなければならない。これは世界の陸地面積の20%に相当し、化石燃料技術によってこの面積が農地への転用を免れてきたということを意味する(図2a)。Goklany (2020) 注8)は、化石燃料技術を使用しなかった場合には、世界の残された自然保護区(世界の陸地面積の15%;UNEP-WCMC and IUCN, 2019)が脅かされてしまう危険性を指摘している(図2b)。なお、急激に温暖化が進む場合には生態系への影響が懸念されており、その結果生じうる悪影響は上述した環境便益とはトレードオフの関係にある(図2a)。ただし、今のところ地球温暖化が原因となって絶滅したとされる種などは見つかっていない(IPCC第5次評価報告書)。
図2(a)現状と(b)化石燃料を使用しなかった場合の生育地の損失(生態系の変化)をめぐる要因の関係性。実線矢印・点線矢印はそれぞれ促進・抑制効果を表し、線の太さはGoklany (2020) 注8)に基づくこれらの効果の大きさを表す。赤矢印は、化石燃料技術の使用の有無による影響。
ところで、図2aを見ると、そもそも化石燃料が登場しなければ食料需要と人口の増加速度は緩やかとなり、農地の転用は進まなかったのではないかという疑問があるかもしれない。しかし、仮に食料難で人口が減少したとしても、医療技術の進展によって死亡率は低下するために寿命が延び、飢餓対策や健康維持のための食料需要が生まれると考えられる。この場合、化石燃料技術を使用しないことで人口増加は抑えられつつも、図2bに示した農地の転用はそれとは無関係で進行したであろうと報告されている注8)。
3. 化石燃料技術の価値を見直そう
2017年、49人の科学者は生態系の保全のために世界の陸地面積の少なくとも50%を保護区に指定することが必要だとする声明を科学的な知見とともに発表した(Global Deal for Nature)注17)。しかしながら、上述の通り陸地面積の37.4%が既に農地として利用されてしまっている。このような状況で地球温暖化の抑制のみに注目して化石燃料技術の利用を停止すると、食料生産効率が低下して農地面積のさらなる拡張が必要となり、生息域はますます縮小してしまう(図2b)。生態系保全と地球温暖化抑制を両立する方法としては化石燃料フリーの有機肥料やバイオ農薬(いわゆる有機農法)の普及が考えられるが、これもコストや労力などの面で課題があり、未だ世界の農地面積の1%にしか使用されていない注18)。したがって、短期的には化石燃料の使用を継続し、食料安全保障や人間の福祉を維持しながらさらなる農地への転用とそれに伴う生態系への影響を最小限に抑える選択を残した方が良いと思われる注8)。
地球温暖化問題は、人間が直面している唯一の課題ではない。10万人を対象とした国連の世論調査でも、教育・健康・栄養など様々な課題が浮き彫りになっている注19)。化石燃料技術が飢餓の改善や健康維持に役に立っているとすれば、このことは地球温暖化による影響に対する人々のレジリエンス(強靭性)を高めていることと同義である。持続可能な社会の構築には、このように多面的・学際的な視点で化石燃料の利用価値を検討する必要がある。
図3 代替技術が進展するまで化石燃料の使用を継続することで、さらなる自然保護区域の農地への転用とそれに伴う生態系の変化は抑制できるかもしれない
https://www.foodnavigator.com/Article/2020/08/04/Biodiversity-loss-and-food-production-An-existential-threat-on-the-same-level-as-the-climate-crisis
注1)有馬(2020)非効率石炭火力のフェーズアウトについて(その2)
注4)竹内(2020) 石炭火力発電所の廃止問題に関して検討すべきこと
注5)山本(2020) 抑制すべきは石炭火力か電気料金か~石炭火力削減で電気料金はいくら上がるのか~
注7)堅田(2020)農業におけるCO2の有効利用(CCU)の推進,エレクトロヒート,234,1-5
注8)Goklany, I.M. (2020) Reduction in global habitat loss from fossil‐fuel‐dependent increases in cropland productivity, Conservation Biology, Accepted Author Manuscript.
注10)Costello, M.J. (2015) Biodiversity: The Known, Unknown, and Rates of Extinction, Current biology, 25, 9, 368-37.
注12)FAO(Food and Agriculture Organization)(2019) FAOSTAT database. Food and Agriculture Organization of the United Nations, Rome, Italy.
注14)Oerke, E. (2006) Crop losses to pests, Journal of Agricultural Science, 144, 1, 31-43.