メディア掲載  外交・安全保障  2020.10.01

菅内閣の「セダン型」外交政策

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2020年10月1日)に掲載

国際政治・外交

菅義偉(すが・よしひで)内閣発足から早くも2週間がたった。国民の期待は一にも二にも、閉塞(へいそく)感の元凶であるコロナ禍の一日も早い収束と国民経済の再活性化だろう。ところが新内閣に対する国内メディアの関心や批判は内政にとどまらず、当然外交政策にも及んでいる。

就任早々の豪、米、独、欧州連合(EU)、英、韓、印、中との電話首脳会談は「手堅い外交デビュー」だったが、「外交経験不足がアキレス腱(けん)」で、「発信力不足が課題」だから、「菅首相の独自色をどこまで打ち出すか」が注目される、といった陳腐な論評が典型例だ。政権が代わるごとに繰り返されるこの手の論調、もう少しマシなものにしたらどうか。今回は筆者がこう考える理由を書こう。

外交の目的は国益の最大化であり、政権が代われば国益も変わるというわけではない。「知名度がない」とも言われるが、では戦後日本で首相になる前から国際的知名度が高かった政治家が何人いただろうか。

首脳外交で重要なことは言行一致、約束を実行して初めて信頼が得られる。昔「トラストミー」と言って結果を出せなかった日本の元首相が、いかに日本の国益を害したことか、思い出してほしい。

安倍晋三前首相は国際的戦略思考のできる数少ない政治家の一人だ。車に例えればスーパーカーだったが、どんな高級車でも渋滞にはまれば目的地には予定通り着けないものだ。

その点、菅外交は普通のセダンかもしれないが、道さえ選べば目的地には到達する。外交は華々しさがなくても、結果を出せれば成功なのだ。

政権交代ごとに陳腐な論評が繰り返される最大の理由は、この種の記事の書き手が「外交」の実態を理解していないからだ。米語に「オール・ポリティックス・イズ・ローカル(全ての政治はローカルだ)」という言葉があるが、筆者の経験則では「全ての外交こそローカル」である。外交努力の8割は実は内政だからだ。

対外約束を交渉・実行するエネルギーの8割は、主な反対者である国内既得権者の説得に費やされる。対外約束を国内的に担保できたからこそ安倍外交は花開いた。どんな立派な外交も、内政的努力が伴わなければ、「スピーチの一節」にすぎない。

安倍外交ではスピーチライターが活躍した。しかし、この種のプロは外務省でも昔から使っていた。少なくとも筆者が首相中東訪問時の政策演説担当事務官だった頃、内容を外部のスピーチライターと相談した覚えがある。

確かに、安倍政権は大統領府的な官邸を目指して成功した。しかし、外交はスピーチだけで成り立つような知的活動ではないのだ。

菅外交関連の論評が陳腐な原因の一つは、失礼ながら、政治部記者にある。彼らは外交を国内政局に絡めて論じることは得意だが、国際情勢には必ずしも明るくない。内政も外国語も得意という「両生類」は決して多くはない。

されば、外信部の記者が論評を書けばよいのだが、恐らく彼らは日本国内の政局に絡む記事などは書かせてもらえないだろう。「縦割り」の弊害は何も官僚組織だけではなさそうだ。

一方、菅内閣が外交のビジョンを語っていないという指摘は正しい。だが、現在世界の主要国は11月の米大統領選結果を固唾をのんで待っているはず。

今、菅政権は、大統領選後の日本外交再始動のための情報収集、水面下の働きかけや周到な頭の体操に全精力を傾けるときではなかろうか。