11月3日にアメリカ大統領選挙が行われる。主な候補者は、共和党のトランプ大統領と民主党のバイデン元副大統領である。
アメリカの大統領選挙は、それぞれの州の選挙民が大統領選挙人を選び、大統領選挙人が大統領候補に投票するという間接選挙の形をとる。大統領選挙人の数は、一定の総数(538人)のなかで、まず各州に2人が割り当てられ、残りが人口に応じて各州に割り当てられる。一番人口が多いカリフォルニア州は55人、逆に人口が少ないモンタナ州は3人である。
殆どの州では、選挙で勝った候補がその州に割り当てられた大統領選挙人を総取りする。例えば、カリフォルニア州である候補者が51%対49%というわずかの差で勝利したとしても、その候補者は55人すべての大統領選挙人を獲得する。逆に、大勝しても55人である。
前回のトランプ勝利の要因
前回の選挙で、民主党のクリントン候補が総得票数では300万票近くも上回ったにもかかわらず、トランプ候補のほうが多くの大統領選挙人を獲得して勝利したのは、この選挙の仕組みが原因である。わずかな差でもいいので、多くの州で相手候補の得票を上回れば大統領選挙で当選できる。勝つことが当然視される州で多くの票を獲得しても意味がない。アメリカ全州の世論調査で大きくリードしている候補者が大統領選挙で勝つとは限らないのだ。
リベラルなカリフォルニアやニューヨークでは民主党、保守的な南部のテネシーやアラバマでは共和党というように、大統領選挙でどちらの候補が勝つかは、ほとんどの州では選挙する前からおおむねわかっている。
選挙をしてみないとどちらに揺れる(スイングする)かわからないという意味で、スイングステイトと言われる州(日本のマスコミは重要州とか激戦州とか呼んでいる)の勝敗が大統領選挙を左右する。ミシガン、オハイオ、アイオワ、ウィスコンシン、ペンシルベニア、フロリダ、コロラドなど、全米50州のうち10ほどの州である。
中西部に、ミシガン、オハイオ、ペンシルベニアなどこれらの半分が集中している。デトロイトやクリーブランドなどの都市に代表されるように、ここは、かつて自動車や鉄鋼業で栄えた地域である。今はこれらの産業が衰退したために、さびた地域、ラストベルトと呼ばれている。
TPP(環太平洋経済連携協定)からの撤退やカナダとメキシコとの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)の見直しといった保護貿易主義的な考え方は、2016年民主党の大統領予備選挙を戦ったバーニー・サンダース上院議員が主張したものである。これで彼はミシガン州などで勝利し、クリントン候補を追いつめた。
これを見たトランプが、本選となる大統領選挙で同様の主張を繰り返して、本来民主党の地盤だったラストベルトでクリントン候補を破り、当選した。本来自由貿易を主張してきた共和党の候補者であるトランプが、民主党の保護主義を取り込む形となった。共和党の候補者が反自由貿易を唱えるのは、1936年以来だった。
トランプ就任後の通商政策
大統領就任後トランプは、TPPから脱退するとともに、安全保障を理由に自動車や鉄鋼・アルミの関税を引き上げると主張した。鉄鋼・アルミについては関税を引き上げ、一時ラストベルトに活気が戻った。
しかし、自動車に使われる高機能の鋼材については、アメリカ企業では対応できず、日本企業からの供給に頼っている。アメリカの鉄鋼大手は2019年から減産となり、期待された効果は得られなかった。
NAFTAについては、メキシコに進出した自動車企業が関税なしでアメリカに輸出するときには、アメリカで作られた部品を多く使うように要求した。今では、協定自体が改訂され、USMCAと呼ばれている。
また、オバマ政権がTPPで日本に認めた自動車関税の撤廃も、日米二国間の貿易協定では、認めていない。ただし、日本やEUに対して、鉄鋼と同じように自動車についても関税を引き上げると主張していたが、多くの消費者に影響することなどから、これまで実現していない。
中西部は、ラストベルトであると同時に、アメリカで最も農業の盛んなコーンベルトと呼ばれる地域である。農家は伝統的に共和党支持なので、農家の票を失うと当選できない。
トランプが日米貿易交渉を行ったのは、TPP11の発効で日本市場においてオーストラリアなどに対して劣ることとなった農産物の競争条件(牛肉についてはオーストラリア9%、アメリカ38.5%)を回復させるためだった。
また米中貿易戦争をしかけたものの、中国の大豆関税の引き上げにあって、中国への大豆輸出が激減し、トウモロコシと大豆の輪作を中心とする中西部の農業に大きな打撃を与えた。再選に与える影響を心配したトランプ政権は巨額の財政支援を農家に行うとともに、中国と交渉し、昨年末の米中合意で中国に農産物の輸入拡大などを約束させた。
コロナ対策と再選戦略
トランプの再選戦略の基本は経済の好調をアピールすることだった。このため3月上旬までトランプ米大統領は、新型コロナウイルスをうまくコントロールしており大変な事態だというのはメディアのフェイクニュースだと主張していた。経済に与える影響を無視しようとしたのだ。
感染拡大でやむなく国家非常事態を宣言した後も、早急に経済活動を再開すべきだと主張して、ニューヨーク州知事たちと対立した。しかし、これに共和党の知事が応じて経済を再開したフロリダやテキサスなどでは、感染者が大幅に増加し、再び経済活動を規制せざるを得なくなっている。逆に、感染者が増大して厳しいロックダウンを行ってきたニューヨーク州では、感染拡大が抑えられている。失業率は最近若干改善がみられるものの、7月の失業率は10%という高い水準にあり、トランプは経済の良さを選挙民にアピールすることはできなくなっている。
通商政策については、劣勢挽回に向けての努力が見られる。カナダからのアルミニウムの輸入に対して、7月のUSMCAの発効時に一旦下げた関税を1か月後にまた上げている。
しかし、米中関係が悪化している中で、中国はアメリカからの輸入を拡大するという合意を実行していない。2020年1~7月期では約束した額の5割程度しか輸入していない。大豆に至っては、今年3月以降中国は事実上アメリカからの輸入を停止しているに等しい状況である。
バイデン候補が勝利した場合の通商政策
コロナウイルス対応の失敗という敵失にも支えられて、バイデンが有利という状況にある。通常なら有利と言われる現職に対して、支持率が10%近く上回って選挙に臨む候補者はまれである。
また、各州においても、バイデンに強さがある。2016年の予備選挙とは異なり、今回のミシガンの民主党予備選挙では、バイデンがサンダースを圧倒した。もともとラストベルトでバイデンの人気は高いうえ、ラストベルトの労働者にはトランプへの失望もある。
もう一つバイデンにとって有利なことは大票田テキサスが、ヒスパニック系住民の増加によって、共和党が必ず勝つ赤(レッド)の州からどちらともいえない紫(パープル)の州に変わりつつあることである。
2018年の中間選挙では、トランプと共和党の大統領候補の指名争いを激しく闘ったテッド・クルーズ上院議員が、彗星のように現れた民主党のベト・オローク下院議員に大苦戦を強いられた。指名争いでは激しく攻撃したトランプの支持を得て、かろうじて勝利した。テキサスに割り当てられている大統領選挙人数38はカリフォルニアの55に次ぎ、ニューヨークやフロリダの29よりも多い。ここでバイデンが勝利すると決定的になりかねない。
バイデン政権の通商政策
バイデン政権が誕生した場合、その通商政策はどうなるのだろうか?
中国に対しては共和党も民主党も同じ強硬意見である。民主党政権に代わったとしても、アメリカの中国に対する基本姿勢に変化はない。
ただし、そのやり方は、異なる可能性がある。トランプは自らをタリフマンと称し、関税を引き上げることで中国に圧力をかけてきた。他方、バイデン候補はオバマ政権の副大統領だった。そのオバマ政権がそのレガシー(遺産)として最も力を入れたのがTPPだった。知的財産権の保護、投資に際しての技術移転要求の禁止など今アメリカが中国に要求しているものの多くはTPPに書かれている。TPPを拡大すると、将来中国もTPPに入らざるを得なくなる。その時に中国にこれらの規律を課そうとしたのだ。間接的な戦略アプローチである。バイデンが政権を取れば、TPPへの復帰が検討されるだろう。
対日政策でも同じである。トランプのやり方は二国間交渉でアメリカの力を示しながら譲歩を迫るというものだった。彼が再選すると農業も含めて日米交渉の第二弾を要求するだろう。これに対して、バイデンは、日本などの同盟国や多国間の枠組みを重視するというスタンスである。WHOからの撤退にも反対している。日本に通商面で要求することがあるとしてもTPPなどの枠組みの中での要求に変わると考えられる。
ただし、アメリカの場合、憲法上通商交渉の権限は本来議会にある。行政府が交渉した結果を議会が承認するというプロセスは日本と異なるわけではないが、交渉権限を行政府に授権する過程で、議会は様々な注文をつける。
また、日本と異なり、議会の採決の際に、各党が党議拘束をかけないため、通商協定を承認してもらうためには、地域や業界団体を代表する個々の議員の意向を無視できない。アメリカの通商代表部は有力な議員の意向を確かめながら交渉している。日本よりも議会や議員の影響力は高いと考えてよい。TPPから脱退したのはトランプだったが、トランプが大統領選挙に勝利する前に、上院の有力な共和党議員の反対によって、TPPの議会承認は不可能になっていた。
大統領選挙にあわせて連邦議会の選挙が行われる。上院のおおむね3分の1、下院の全議席が対象となる。現在下院は民主党、上院は共和党が多数を占めている。コロナウイルスへのトランプ政権の対応のまずさ、ミネソタ州で警察官が起こした黒人の窒息死に端を発した人種差別反対運動の盛り上がりから、議会選挙でも共和党に逆風が吹くだろう。
トランプの支持者はアメリカ全体では30~40%程度と多数ではないが、共和党の9割程度を占める。共和党は事実上トランプに乗っ取られた状況にある。特に共和党の候補者の中でも、共和党の予備選挙において、この岩盤のような支持層に対しトランプ支持を鮮明にして同党の候補者になった人たちは、逆に本選挙では、20~30%程度いると言われる浮動票が反トランプ陣営の民主党候補に流れることを、覚悟しなければならないだろう。
下院は民主党が多数を維持することは間違いないとして、問題は上院である。現在共和党が100議席のうち51議席と辛うじて多数を保っている。改選を迎える議席は、共和党の地盤の強い地域が多いとはいえ、共和党24、民主党12なので、失うだろうと思われる議席数は共和党の方が多い。2018年の中間選挙では、民主党の24勝11敗(勝率69%)であり、2016年トランプが勝利した州では民主党の6勝3敗となっている。上院も民主党が多数を占める可能性がある。また、同数となった場合には、上院議長を務める副大統領が決定する。民主党のバイデン政権では、副大統領になるカマラ・ハリスが上院議長となる。
伝統的に民主党は、貿易の自由化が環境規制や労働基準の緩和につながることに反対してきた。環境や労働の規制や基準を緩めることで、競争力を強化しようとする動きを規制しようというものである。トランプ政権が行ったNAFTAの見直しには、このような要素が含まれていた。TPP脱退やNAFTA見直しというトランプの通商政策は、民主党のサンダース上院議員の主張を借用したものだった。通商政策に関する限り、トランプ政権は自由貿易を主張してきた共和党よりも民主党に近かった。
アメリカ連邦議会についても、最初の立法は関税法だったように、保護主義には議会の支持がある。特に民主党は保護主義的な主張をする人たちが多かったことを考えると、政権が交替しても、アメリカが自由貿易に戻るとは考えられない。