メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.08.11

堕ちる農政と国民の無関心

週刊農林 第2420号(7月15日)に掲載

農業・ゲノム 通商政策

国民の理解と支持?

今年策定された食料・農業・農村基本計画は、施策を講じるうえでの「国民の理解と支持」を強調した。しかし、そんなことを書いて大丈夫なのか。農政について国民の認知度が低く、国民の目を気にする必要がない隔離された農業村だからこそ、その批判に耐えられないような政策を行うことができたのだ。

基本計画はEBPM(Evidence-Based Policy Making)に言及し、「達成すべき政策目的を明らかにしたうえで、合理的根拠に基づく施策の立案を推進する。(中略)施策を科学的・客観的に分析し、その必要性や有効性を明らかにする」と述べている。残念ながら、これに照らすと、今の主要な施策は全て落第である。

この記述自体も適切ではない。経済学上の費用便益分析の観点からは、目的の水準も施策の内容も、実現できる便益と政策に掛かる費用の差である純便益を最大にする観点から、同時に決定される。例えば、交通事故をゼロにするため高速道路の時速制限を10キロとすることが考えるが、それでは自動車利用の便益を犠牲にするという費用が掛かってしまう。政策のコストを考慮しないで、ゼロにするなどの目標を最初から決めてしまうことは望ましくない。

ただし、実際に便益やコストを測定することは、容易ではないため、ある一定の政策目標を設定し、最も少ない費用でこれを達成する手段や事業量を見つけるという費用効果分析という方法がとられている。基本計画の記述は、この考え方に立つものだろう。しかし、これはある目標実現のための費用を最小化するというだけで、その目標自体が最適なものであるかどうかについて、何も示していない。


費用便益分析と費用効果分析からの政策評価

費用便益分析や費用効果分析の考え方を踏まえ、安倍官邸お勧めの輸出拡大策等について、便益はどの程度か、効果的に目的を達成できる最善の方策なのかについて、検討しよう。

輸出拡大策の目的は農業・農村の所得倍増である。戦前、農家は農家であるがゆえに貧しかった。したがって、小作人解放など農業独自の政策が必要だった。しかし、1965年以降農家所得は勤労者世帯の所得を上回っている。農家の中に貧しい人がいたとしても、生活保護など一般の社会保障政策で対処すればよい。今日農家の所得向上を農政の目的とすべきではない。政策目的の便益はゼロなので、費用便益分析をするまでもなく、輸出拡大策は失格である。

これだけで輸出拡大策は否定されるのだが、費用効果分析の考えに立って、今推進されている政策は効果的なのかどうか、他により効果的な政策はないのか、検討しよう。

2018年の農林水産物・食品の輸出額約9千億円のうち、国産農産物と言えるもののうち大きなものでも、牛肉247億円、緑茶153億円、リンゴ140億円、米38億円に過ぎない。9兆円の農業生産額のごく一部だ。これらを増加させても農家の所得向上にはほとんど寄与しない。

海外へのマーケティングなど輸出拡大策には、600億円近い資金や人的資源が投下されている。米については減反(転作)補助金の一環としてWTOで禁じられている輸出補助金まで交付している。費用が効果を上回るのかさえ怪しい。しかし、さらに安上がりで効果的に輸出を増大させる政策がある。生産調整(減反)の廃止による米の生産・輸出の増加である。

2018年のカリフォルニア米の価格1万1464円(日本の輸入価格)からすれば、品質面で優位な日本米は1万3000円程度で輸出できる。減反を止めれば、米価は一時7千円程度(生産量は800万トン程度)に低下するが、商社が7千円で買い付けて1万3000円で売ると必ず儲るので、国内市場から米の供給が減少し、国内米価もすぐに1万3000円に上昇する。これで、翌年の米生産は大きく増加する。さらに、これまで抑制されてきた収量の高い米が作付けされるようになると、米生産は1500万トン以上に拡大する。このとき、輸出は量で700万トン、金額では1.5兆円となる。米だけで現在の1兆円の政府目標を超える。

価格低下で影響を受ける主業農家に、現行1万4000円と1万3000円との差1000円を補塡すれば、所要額500億円となる。現在減反に納税者(財政)が負担している4000億円を大幅に縮減できる。消費者も価格低下の利益を得る。さらに、減反による農地資源の減少、多面的機能の阻害を防止できる。減反廃止こそが、経済学から見て輸出増加の最も効率的な方法だ。

農政には目的自体がマイナスの便益(つまり国民的にはコスト)なのに、人的財政的な負担による対策が講じられているものもある。畜産については、飼料の輸入が途切れる食料危機の際に、役に立たない。エサを輸入している畜産は、糞尿をトウモロコシ栽培などに還元することなく、国土に大量の窒素分を蓄積させる。牛はゲップにより温暖化ガスであるメタンを発生させる。健康面でも、牛肉、豚肉、バターなどに含まれるオメガ6は、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす。牧草肥育に比べ穀物肥育の牛肉はオメガ6の比率が高い。

畜産を振興することは、経済学的には全く意味がない。むしろ税金を課して、生産を縮小させるべきなのだ。


財政規律の弛緩

安倍政権下の財政当局の地盤沈下によって、財政規律が低下している。

仮に畜産対策を講じる必要があるとしても、費用効果分析からは問題のある政策が講じられている。牛肉自由化へは子牛への不足払いだけでは対処するはずだったが、TPP対策として、これまで裏口で行ってきた肥育農家への対策を、法制化したうえで拡充してしまった。

加工原料乳の不足払い法は、北海道がバター、脱脂粉乳向けの加工原料乳地域から市乳(飲用乳)供給地域になるまでの暫定措置だった。北海道はもはや加工原料乳地域ではなくなっているのに、加工原料乳の対象に生クリーム等向けも加え、同法を延命させた。北海道から関東に生乳等を100万トン近く移送しているのだから、中国に生乳や飲用牛乳を輸出すれば、安い乳価しか払えないバターや脱脂粉乳を日本で作る必要はない。

「中山間地域等直接支払い」制度の基本は、集落で一定の農地を守るという協定を作った場合に、直接支払いを行うというものである。農地の多面的機能を維持するため、一部でも耕作放棄すると、集落協定の対象農地すべてについて、5年の期初にさかのぼって全額直接支払いの返還を求めることとした。

集落の誰かが耕作放棄しようとしても、別の人が借りて耕作すればよい。このおかげで、直接支払い対象農地では耕作放棄が起きていないという評価を得た。しかし、安易につきたい農家の要望を受け、2020年度からの対策では、耕作放棄した農地分だけ返還すればよいことにしてしまった。

この直接支払いの単価は条件の悪い農地とそうでない農地とのコスト差を基本としているので、その差が長期間固定することはありえない。しかし、単価は、私が20年前に設定したまま変更されていない。中山間地域の農業は疲弊しているというのに、単価改定の要望はない。


なぜ正しい政策がとられないのか?

正しい政策がとられない理由の一つとして、農水省内に経済学の基本を理解している人が少ないことが挙げられる。政治家との関係の方が出世に役立つなら、職員もまじめに勉強しようとはしない。

次に、EBPMは政策目的を設定してから、それを効果的に達成できる手段となる政策を検討するというものだが、農業政策が作られる順序は、これとは逆である。手段となる政策がすでに政治的に決まっていて、それを正当化する目的とか理由付けが後で行われる。

公共事業も、採択するという結論が出るよう、便益については思いつく限り最大限の見積もりを行う一方、コストはできる限り低く見積もることで、実施している。事業採択時は、最小限のコストしか計上しないため、事業開始後必要経費がどんどん積みあがる。

食料安全保障とか多面的機能という目的から政策が導かれることはない。減反は食料安全保障に必要な農地を減少させてきた。水資源の涵養や洪水防止という多面的機能は水田で米を作ることの外部経済効果なのに、米を作らせない減反政策を推進してきた。減反・高米価政策はどう考えても正当化できない。

高米価で滞留した零細な農家は兼業収入と年金収入をJA農協の口座に預金し、JAバンクは日本第二位のメガバンクに発展した。経済活動も行っているJA農協が代弁するのは、農家と言うより自己の組織の経済利益である。本来手段に過ぎない米価維持が、農協の政治運動、ひいては農政の最大の目的となった。国民から隔離された世界で農政を推進してきたからこそ、国民の経済厚生を損なう減反政策が半世紀以上も続けられてきたのではないか。国民の理解を求めるというなら、減反政策が食料安全保障に役に立つという理由を、JA全中の人から聞いてみたいものだ。

柳田國男は主張する。「国益国是が国民を離れて存するものに非ざることは勿論なれども一部一階級の利害は国の利害とは全く拠を異にするものなり、此点は農業政策に付ては特に注意を必要とす。」どれだけの農政担当者の心にこの言葉が響くだろうか?