メディア掲載  外交・安全保障  2020.08.05

専守防衛とは抑止防衛

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2020年7月23日)に掲載

安全保障

防衛相によるイージス・アショア計画断念発表以降、自民党を中心に防衛政策論議が再び始まった。敵基地攻撃能力も結構だが、虚心坦懐(たんかい)に考えれば、議論は結局「専守防衛」に行き着く。外務省時代に何度も説明させられたこの不思議な概念、実は筆者にもよく理解できない部分がある。防衛省ホームページ(HP)では専守防衛を「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢」と説明する。これを一読して理解できる人は恐らく天才だろう。

辞典類の定義も多種多様。例えば、大辞泉には「他国へ攻撃をしかけることなく」、大辞林には「領域周辺において自己を守るためにのみ」、知恵蔵ではご丁寧にも「自国領土外軍事活動を行わず」とあり、ブリタニカに至っては「日本の政治状況から生み出された独特の防衛構想であり、軍事的な合理性よりも、憲法問題など内政上の要請をより強く反映」すると説明している。

こうした混乱の原因は恐らく世界に例のない日本の国会答弁制度にある。冒頭の防衛省公式見解は昭和56年の防衛庁長官(当時)答弁だが、専守防衛なる語自体は29年自衛隊発足直後から歴代首相、外相、防衛庁長官が「専ら防衛が目的」と強調すべく使ってきたようだ。その例外が47年10月の田中角栄首相(同)による「相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土およびその周辺において防衛を行う」という勇み足答弁。前月訪中し、日中共同声明に署名したことと無関係ではなかろう。辞書類の定義の混乱はこうした国会答弁の混乱も一因だが、問題の本質はより根深いところにある。

第1は方法論。国会答弁により防衛政策の基本概念が決まってしまう恐ろしさだ。憲法解釈が絡む答弁に内閣法制局との協議は不可欠だが、あの組織には軍事・安全保障の専門家がいない。専門的知見ゼロの素人が作る答弁に軍事的合理性などある筈(はず)がない。件の公式見解も、恐らくは審議中断のドタバタの中で急遽(きゅうきょ)作られたものに違いない。

第2は実質論。そもそも「専守防衛」は英語にならない。苦し紛れの英訳は「専ら防衛的防衛政策」、典型的なトートロジー(同語反復)だから、英語に訳せないのだ。経験則上、英語に翻訳できない日本語に実質的中身はない。されば、今議論すべきは敵基地攻撃など枝葉末節ではなく、専守防衛の意味の明確化であろう。

最後に、筆者の考える専守防衛の実質的意味について書こう。ポイントは抑止力だ。

・防衛とは抑止と攻撃
普通の国の防衛政策は「抑止」と「攻撃」から成る。敵に攻撃を断念させるべく抑止力を強化するのだが、万一抑止に失敗した場合に備え攻撃力も保持する。当然、攻撃力は強いに越したことはない。

・専守防衛の本質は抑止
ところが、日本は憲法上「攻撃力」が限定され得るので、日本の防衛政策は当然、専ら抑止に頼らざるを得ない。されば、「専守防衛」の実質的意味とは攻撃よりも「抑止を専ら重視する」ことに尽きる。

・抑止防衛のススメ
だが、専ら抑止を重視する防衛政策にも憲法の枠内で認められた最小限度の攻撃力は必要だ。敵に攻撃を断念させるには、日本にも一定の攻撃能力があることを認識させなければならない。これこそが現行憲法の許容する防衛政策の本質である。