6月30日夜、中国北京で制定された国家安全維持法が即日、深夜の香港で施行された。翌日には特定活動家を狙い撃ちしたかのような情け容赦ない警察の取り締まりが現地映像で報じられた。筆者も状況の急変ぶりにはショックを受けた。昨年香港で大規模デモを実際に目撃したからだろうか、久しぶりに筆者の心は怒りで震えた。同法の制定は「一国二制度」の下で曲がりなりにも続いた香港自由民主主義の「終わりの始まり」を意味すると、一貫して述べてきた。ところが実際は「終わりの始まり」どころか、「一瞬で終わった」。さすがは中国だ。
一方、東京ではいつのまにか都知事選が即日開票され、投票終了直後の当選確実という圧勝で現職再選が決まった。さらに、CNNは新型コロナ騒ぎの最中に独立記念日花火の映像を垂れ流している。民主主義とは一体何か。今回はこの問題をまじめに考える。
まずは筆者らしくない話から。「雨傘革命」の活動家で日本語の達者な周庭(アグネス・チョウ)という香港人女性がいる。「日本の皆さんがどれくらい幸せなのか分かってほしい」という彼女の言葉が心に刺さった。彼女に同情する日本の「革新系」人士の一部は、これを現政権批判に転嫁する。だが、現実に自由と民主主義を失いつつある周庭さんの叫びの意味を彼らはどこまで理解しているのだろう。
筆者が自由や民主主義のことを真剣に考えるようになったのは外務省入省後のエジプト研修・イラク在勤時代のことだ。中東とは、イスラエルを除き、言論の自由なき社会で、政府批判は重罪、大統領選では支持率98%で現職が再選される異常な世界だった。
次に在勤したのは米ワシントン。ここでは逆に個人主義と自由主義が社会の隅々まで徹底し、変化を恐れない米国式民主主義が冷戦終了後の混迷を一層助長していた。出馬は自由だが、トンデモ候補はめったに出てこない。予備選挙で淘汰されるからだろうか。
2000年に赴任したのが北京だった。共産党が支配する政治の街に自由民主主義を理解する中国人は、リベラル派といわれる人々も含め、いなかった。彼らは自由も民主もなくて結構と、腹をくくっていた。大陸中国に自由民主主義は当分無理だろう。
最後の在外勤務はイラク戦争後のバグダッドだった。フセイン大統領独裁が崩壊し民主主義憲法が施行されたのはよいが、何回選挙をやっても民主政治は機能しない。一市民である前に、宗派・部族的意識が強すぎるのか。スンナ派、シーア派、クルド系の三つどもえで政権は常に不安定。制度を導入しても民主主義が機能しない典型例だ。
東京都知事選に戻ろう。今回の選挙公報は実に面白かった。「全都民に十万円」「ホリエモン新党」「風営法緩和」「動物虐待防止」「愛国左翼」「コロナはただの風邪」など本当に都知事になりたいのか疑問な候補者があまりに多かった。これが日本の自由民主主義なのか。
チャーチル元英首相は「民主主義は、これまでに試されたすべての形態を除けば、最悪の政治形態だ」と喝破した。筆者は「民主主義は短期的に最善の結果を保証しない。保証できるのは、中長期的に振り返って、致命的な大失敗だけは何とか避けられたといえるくらいだ」と考える。中国式共産党独裁などまっぴらごめんだが、無責任な反対派が言いたいことを言うだけの民主主義ほど非効率な政治形態もない。それでも筆者は民主主義を選択するのだが...。