メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.07.15

EUの強圧的な対イギリス交渉

NPO法人 国際環境経済研究所HPに掲載(2020年6月16日)

2021年以降のイギリスとEUの関係を決める交渉が行われている。中心はモノ・サービスの貿易や投資の保護などに関する自由貿易協定交渉だが、イギリスの経済水域でのEU諸国の漁獲などの交渉も含まれている。

イギリス政府は2020年中にこの交渉をまとめるとし、EUとの合意で認められている2022年までの延長は要求しないと主張している。EUサイドでは、弱い立場のイギリスが仕掛けた瀬戸際作戦だと受け止められているようだ。

EUは経済力で勝るのでイギリスを圧倒できると考えているようだ。これは、イギリスがEUの市場に関税や割当てなしで輸出しようとしたいなら、労働や環境に関する規制や政府の補助などの点で、将来ともEUの規制や政策から逸脱しないように要求するという共通の土俵"level playing field"の主張に表れている。

共通の土俵論は、アメリカが好んで口にした主張で、その裏には同じ条件で戦えばアメリカが負けるはずがないという、傲慢な思い込みがある。しかし、アメリカでも、労働や環境に関する国際規律から逸脱するような緩やかな規制を採用することによって、アメリカ産業よりも有利な競争条件を獲得してはならないと主張するのがせいぜいで、自国の規制やそれと同等の規制を交渉相手国に要求したことはなかった。

経済学的にも、EUの主張は妥当とは思われない。ある国にとって望ましい政策は、その政策を採用することによる総便益からその政策の総コストを引いた純便益を最大にするものである。労働政策や環境政策によって得られる便益は各国で同じではないし、政策を実施するコストも異なる。その結果、純便益を最大にする政策も異なる。労働政策で言えば、月あたりの最低賃金について、ある国は10万円とし、別の国は20万円とする、週の労働時間について、ある国は40時間とし、別の国は45時間とする、という具合である。

環境政策について述べれば、すでに所得が一定水準に達し、環境意識が高い国と、これから経済発展を行い一人当たりの所得を向上させることを経済政策の最優先事項にする国とでは、環境の改善(政策)から受ける便益は、明らかに異なる。似たような所得水準にある国でも、国民の環境への認識の違いによって便益の違いが生じる。具体的には、温暖化ガスを5%、10%、20%、30%、それぞれ削減するという政策を採用する場合でも、これによって各国の国民が受ける便益は同じではない。

同様に、一定の環境改善目標を達成するために必要なコストについても、環境改善によって経済発展を犠牲にするコスト、各国の産業構成や資源の賦存量、エネルギーの供給構造などによって、国ごとに違う。

便益もコストも異なる以上、純便益を最大にする政策も異なるので、イギリスが20%、EUが25%、という温暖化ガス削減目標をそれぞれ設定し、それを最も効率的に達成する政策手段を採用することは、当然経済学からは認められることになる。その政策手段も、原子力発電の拡大によるのか、天然ガスへのシフトか、バイオマスの振興によるのかなど、その国の資源・エネルギー事情によって異なる。

各国の削減・抑制目標は、各国の国情を織り込み、自主的に策定することが、パリ協定のエッセンスだったはずである。これは妥協の産物だったかもしれないが、以上の費用便益分析からすれば、ある程度合理的なものといえる。EUの共通の土俵論が、温暖化目標をイギリスはEUと同じにすべきだと主張するなら、EUが推進しようとするパリ協定の考え方に整合しない。

仮にイギリスとEUが同じ温暖化ガス削減目標を採用したとしても、それを達成するための政策手段は異なりうる。しかし、共通の土俵論がEUの産業競争力をイギリスと同じ水準にしようとするのであれば、自動車の排気ガス規制の水準といった具体的な政策手段も同一にすることを要求するのかもしれない。これは妥当ではない。

EUが将来炭素税を採用したり、その排出権取引制度を変更したりすれば、イギリスも同じような政策を採用しなければならないのだろうか?相互に同じ権利・義務を認め合うという国際間の相互主義の観点からは、逆にEUがイギリスよりも規制を緩和することも認められないことになるが、欧州委員会は、そのようなことは夢にも考えてもいないのだろう。

このような厳しい縛りをかけられると、ブリュッセルから主権を回復して自由に法規制を定められるようにしようというのがブレグジットなのに、イギリスとしては何のためにブレグジットをしたのかわからなくなる。

しかし、実はイギリスの交渉ポジションはEUよりも有利なのだ。

イギリスの漁業水域でEU加盟国の漁業者はEU全体の漁獲量の4割程度を採っている。2020年中にイギリスと合意できなければ、2021年からEU加盟国の漁獲割り当てはゼロになる可能性がある。

モノの貿易でも、EUはイギリスに対して935億ポンドの貿易黒字(2018年)となっている。EUからイギリスへの最大の輸出品目は自動車で465億ポンドである。これはイギリスからEUへの自動車輸出174億ポンドの2.6倍である。イギリスとEUの交渉が決裂しイギリスと日本の自由貿易協定を発効すれば、EUからイギリスへの自動車輸出は10%の関税が適用され一方、日本は関税ゼロで輸出できる。

EUは、今の交渉態度を改め、イギリスに譲歩しながら集中的に交渉し2020年中に合意するしかないのではないだろうか。