メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.07.07

まやかしの食料自給率目標と農政の亀裂

週刊農林 第2417号(6月15日)に掲載

食料自給率目標の裏側

食料自給率とは、国内生産を輸入も含めた消費量で割ったものだから、飽食と言われる今の消費を前提とすると、自給率は低くなる。今の生産でも、過去の食生活を前提とすると自給率は上がる。飢餓が発生した終戦直後の自給率は、輸入がなく国内生産が消費量に等しいので100%だが、今よりこの時の方が望ましいという人はいないはずだ。消費量の変化によって上下する食料自給率という指標に意義はない。

しかし、2000年閣議決定された食料・農業・農村基本計画は、10年間で食料自給率(カロリーベース)40%(当時)を45%に引き上げることを目標とした。以降政府は20年もこの目標を掲げているが、逆に37%へ下がっている。

閣議決定された目標がこれほど長期間達成されなければ、普通の役所なら担当者の責任問題が生じるはずだが、農水省で責任を取った幹部も俯(うつむ)く職員もいない。自給率向上は、予算獲得や関税維持のための看板に過ぎないからだ。

食料自給率は、最も成功した農政プロパガンダである。小学校の教科書にも食料自給率が低いことが記述されており、国民のほとんどが、これを引き上げるべきだ、そのためには農業保護が必要だと考えるようになっている。このような中で食料自給率が上がれば、もう農業予算など要らないのではないかと言われてしまう。自給率は低いままの方がよいのだ。

自給率低下の政策を採ってきた農政

そればかりか農政は自給率を低下させてきた。真面目にカロリーベースの自給率を上げようとすれば、米の減産を行う減反政策を廃止すべきだった。全体の食料消費量は変わらないなかで、米価低下で米の代替品であるパン、うどんなどの外国産由来の麦製品の消費は減少する一方、国産の米の生産量が増えるので、食料自給率は向上する。輸出が行われるようになると、米の自給率は100%を超える。

ところが、農政はJA農協の圧力に屈し、1960年以降食管制度の下で米価を大幅に上げて国産の米の需要を減少させ、さらに麦価を据え置いて輸入麦主体の麦の需要を拡大させた。外国品優遇政策を採れば、自給率が低下するのは当たり前だ。高米価政策は95年の食管制度廃止以降も減反制度によって継続し、現在毎年10万トン以上の米が減産されている。

今では米を500万トン減産する一方、麦を800万トン輸入している。1960年当時米の消費量は小麦の3倍以上もあったのに、今では同じ量まで接近している。2011年家計調査では米の購入額はパンを下回った。もはや日本は安倍総理が主張するような"瑞穂の国"ではない。亡国農政の仕業である。

思い返せば、1993年ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉で米の関税化特例措置をアメリカ等に認めさせたとき、その根拠として食料安全保障などの非貿易的関心事項を掲げた。この当時米の生産量は1千万トンを超えていた。それが減反で今では750万トンもない。米の生産を4分の1以上も減少させて、何が食料安全保障だろうか?戦前農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。今に陸軍省はなく、代わって農協が懸命に米減産の旗を振る。

高米価政策は、JA農協の繁栄の基礎となった。農協は高い米価と高い肥料・農業機械などの資材価格の両方で販売手数料を稼いだ。それだけではない。高米価で零細な農家が大量に滞留した。これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。2003年当時で兼業所得は農業所得の4倍、年金収入は2倍である。JA農協は銀行業を兼務できる日本で唯一無二の法人である。これらの所得はJA農協の口座に預金され、JAバンクが預金量百兆円を超える日本第二位のメガバンクに発展することに貢献した。

米農家の所得を補償するなら、米価を低くしてもアメリカやEUのような直接支払いをすればよい。日本でも酪農には加工原料乳の不足払いがある。しかし、そのような政策は、多数の米農家に立脚するJA農協の利益に反するものだった。

アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済的な行為を行っていることだ。このため、JA農協が代弁する利益は農家と言うより自己の組織の利益である。米価を下げても直接支払いをすれば農家は保護されるが、農協は利益を受けない。規模拡大による構造改革をすれば農村は救済されるが、農家戸数が減少する農協は基盤を失う。

農政トライアングルに起きた亀裂

農政は、農協、農林族議員、農水省の三者による"農政トライアングル"で実施されてきた。ところが、今回の一部の農林族議員から、自給率目標を掲げるべきではないという否定的な意見が出された。目標未達成に責任を取ろうとはしない農水省とは違い、20年かけても目標が達成されないことに選挙民から彼らへの批判が出ているからだ。

もちろん農協や農水省は、国民から農業保護への支持を取り付けるために、自給率目標を降ろしたくない。そこで、農水省は、食料自給率を高く見せかける方便を考えた。畜産物について、ほとんどを海外からの輸入飼料に依存していること(国内の飼料自給率は25%)を無視した新しい自給率の提案である。

これまでの食料自給率は、輸入飼料から生産された畜産物を国産とは扱ってこなかった。輸入飼料が途絶えると畜産の生産もなくなってしまう。輸入飼料の加工業のような畜産には、食料安全保障上何らの意義もないからである。

今回農水省は、完全輸入飼料依存の畜産物でも国産とカウントする食料自給率も提示した。食料全体の自給率は従来の37%が46%に上昇する。ごまかしだが、農水省としては自給率が低位にとどまることについての責任逃れをしようとしたのだろう。

ところが、JA農協は、飼料自給の向上がおろそかになるという正論を主張して反対した。減反の基本は、他の作物に転作すれば補助金を交付することで、主食用米の生産を減少させることである。その転作作物として重要なものが飼料米である。つまりJA農協は、飼料自給向上という政策目標が失われれば、飼料米生産への転作補助金がカットされ、米価を維持できなくなるのではないかと恐れたのだ。

蛻(もぬけ)の食料安全保障政策

農業村の人たちが無意味な食料自給率向上を議論している一方で、食料安全保障政策は何も進んでいない。

新型コロナウイルスの影響によるロシアやインドなどの輸出制限をきっかけに、評論家たちが日本で食料危機が起きると主張する。TPP交渉の際には、食料が戦略物資として使われると主張する農業経済学者もいた。彼らは世界の穀物供給政策について、まったくの素人である。

食料として最も重要な農産物は、カロリー供給源となる穀物と大豆である。小麦、大豆、トウモロコシなどの輸出国はアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの先進国が主体だ。小麦について見ると、この三カ国では輸出量が生産量の6~7割もの割合を占めている。これらの国が輸出を制限すると、国内に穀物があふれ、価格が暴落し、深刻な農業不況が生じる。結果的には、米中貿易戦争による大豆輸出減少と同じ現象が起きる。消費面では、穀物価格が上昇しても所得水準が高いので、インドのような輸出規制をする必要はない。大豆の禁輸と対ソ穀物禁輸という70年代の輸出制限で大きな痛手を被ったアメリカは、二度と輸出制限を行わない。

ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の最終局面で、私も含めた日本交渉団は輸出制限を禁止すべきだという提案を行った。私はアメリカが反対するのではないかと思ったが、杞憂だった。反対したのは、作況で輸出国になったり輸入国になったりするマイナーな輸出国インドだった。

2008年のように穀物価格が3倍になっても、経済力のある日本では食料危機は起きない。日本で食料危機が起きる唯一のケースは、軍事的な紛争などでシーレーンが破壊され、輸出国の小麦や牛肉などを積んだ船が日本に接近できないときである。これに対処する最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止による米の輸出である。危機時には輸出に回していた米を食べるのだ。輸出は財政負担の要らない備蓄の役割を果たす。同時に米の増産による農民、農地など農業資源の確保もできる。

それでも十分ではないかもしれない。この時石油などの輸入も途絶するので、農業機械は使用できないし、化学肥料や農薬の生産・供給も困難となる。現在のような単収が期待できない以上、より多くの農地資源を確保するため、ゴルフ場などを農地に転換しなければならない。また、機械、化学肥料、農薬を労働で代替せざるを得ないため、国民皆農も視野に入れた教育も考えなければならない。食料有事法制が必要なのだ。流通面では、戦時戦後におけるような配給制度を復活しなければならない。しかし、購入通帳の用意はない。

農政は食料危機をあおるばかりで、必要な対策については十分に検討してこなかった。そもそも減反という亡国農政の廃止に農協が反対する以上、食料安全保障政策などできそうにない。  (つづく)