メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.07.01

米中をめぐる通商協定の動き

NHKラジオ第1 三宅民夫のマイあさ!「経済展望」 のコーナー(2020年6月26日放送)

先月、WTOのアゼベド事務局長が、来年までの任期を1年残してことし8月末で退任すると表明しました。

Q1:WTOはいま、いったいどのような状況にあるのでしょうか?

 (事務局長が退任する)背景には、WTOの機能不全があります。

 WTOには、二つの柱がありました。一つは加盟国で交渉を行うことで、時代の変化に対応した新しい「貿易のルール」を作ることです。これは立法的な機能だと言えます。

 しかし、先進国と途上国の対立によって進んでいません。

 もう一つは、各国がWTOのルールにあっているかどうかを判断し、違反している国に対して是正を求める、いわば「裁判や司法的な機能」です。

 こちらも、アメリカの反対で事実上機能を停止している状態です。



WTOは保護主義的な貿易政策が第2次世界大戦につながったという反省から、自由貿易を推進しようと戦後発足したガット体制の流れを引き継ぎ、1995年に設立されました。

Q2:WTOは、なぜそのような状況になっているのでしょうか?

 ガットはモノの貿易について規律していました。1986年に始まり1993年に妥結したガット・ウルグアイ・ラウンド交渉は、ルールが不十分だった農業や繊維について規律を強化する一方、それまでガットがカバーしてこなかったサービスや知的財産権についても新しいルールを作りました。

 こうしてできたのがWTOでした。私は、ウルグアイ・ラウンド交渉の終結が宣言されたジュネーブの会場に居ました。

 WTOのもとで、2001年さらなる自由化を目指したドーハ・ラウンド交渉が立ち上がりました。しかし、先進国と途上国との対立によって、2011年、この交渉は事実上の停止状態となりました。27年前に作られたルールが今でも変更なく適用されているのです。

 ドーハ・ラウンド交渉については、この交渉の開始と同時に中国がWTOに加盟したことが大きかったと思われます。アメリカやEUも、中国が第二の経済大国に成長するなかで、中国が加わった途上国の意見に押されるようになったといえるでしょう。


Q3:WTOの裁判や司法的な機能はなぜ停止しているのでしょうか?

 ルールが古いままなので、解釈によって、ルールが作られないことを補おうとする動きが見られるようになりました。また、法律家による協定の文言に従った解釈と、交渉に当たった国の政治的、妥協的な文言の意図が、一致しないような場合も見られるようになりました。

 アメリカも、こうした判断によって思ったような結論が出されないことに、いらだつようになりました。アメリカは紛争解決機関の委員の任命を拒むようになり、現在少なくとも3名の委員が必要なのに委員は1名であり、事実上裁判的な機能も停止してしまっています。


Q4:WTOが機能不全に追い込まれる中で、これからどうしていけばいいのでしょうか?

 新しいルールはWTOではできないので、複数国間の自由貿易協定でルールを作るようになりました。

 オバマ政権のアメリカはTPP交渉を立ち上げました。TPPは中国を排除する仕組みだったと世間では受け止められていますが、オバマ政権の意図は逆でした。中国のいないTPPという場でレベルの高いアジア太平洋地域の通商や投資のルールを作ります。大きな自由貿易協定には参加しないと不利益を受けるので、どんどん参加国が増えます。こうなると、いずれ中国もTPPに参加せざるをえない、そのときに中国に新しいTPPのルールを適用しようとしたのです。TPPは中国の排除ではなく取り込みでした。

 これを理解しないトランプ大統領はTPPから脱退しました。しかし、偽造品の取引防止など知的財産権の保護、投資に際しての技術移転要求の禁止、国有企業と海外企業との間の同一の競争条件の確保という、トランプ政権が米中貿易戦争で中国に要求している項目は、すべてTPPに規定されているのです。


Q5:TPPに今後、米中が参加する可能性はあるのでしょうか?

 中国がTPPに関心を持つようになっています。中国としては、アメリカへの対抗意識もあります。日中韓やASEANなどによるRCEP交渉で、離脱を示唆しているインドを除いても、中国が妥結を急いでいるのは、このためです。

 しかし、今中国がTPPに参加する場合には、投資や国有企業などのルールについて大幅な適用除外が中国から要求されるかもしれません。その場合には、オバマ政権が考えたことと逆の事態になってしまうおそれがあります。

 ただし、TPPの主要なメンバーであるオーストラリアが新型コロナウイルスの発生源について独立調査を呼び掛けたことなどを受けて、中国はオーストラリア産の牛肉については輸入を制限、大麦については追加関税を課したりして、両国の関係が悪化しています。このため、ただちに、中国がTPPへの加入交渉を行うということにはならないと思います。

 その一方、今年の11月のアメリカ大統領選で、オバマ政権の副大統領だったバイデン民主党候補が勝利するようだと、こうした中国の動きに刺激されて、アメリカがTPPに復帰する可能性も高まると考えられます。イギリスもTPP参加を検討しています。TPPがWTOを補完するようになるかもしれません。