コラム  グローバルエコノミー  2020.05.28

日本農政の根本問題

国民の理解と支持?

 今年策定された「食料・農業・農村基本計画」は、この計画に基づく施策を講じるうえで欠かせないのは「国民の理解と支持である」と記述している。

 私の経験から、この記述が挿入されたいきさつを想像してみよう。自民党の農林幹部から、「基本計画について農業関係者の間ではいろいろ議論されているが、一般紙ではほとんど報道されないし、国民の関心も低い。これでは我々の努力も徒労に終わる。農水省はもっと施策を国民にアピールすべきだ。」と言われて、「国民の理解と支持」とか「幅広い国民の参画を推進する」という文言を書き込んだのだろう。選挙民に伝わらないのでは、努力の甲斐がないからである。

 しかし、私は、そんなことを書いて大丈夫なのかと思った。農業界にとって、農政について国民の認知度が低いのは都合が悪いことなのだろうか?主な農業政策の中で、さまざまな批判や分析に耐えられるものがどれだけあるのだろうか?

 安倍官邸は、農林水産物等の輸出目標を5兆円に拡大するという政権浮揚を狙ったアドバルーンには関心があるが、その他の農政には興味がなく、自民党の農林部会や農水省に丸投げしてきた。さらに、本来なら与党の政策を批判する役割を期待されている野党も、農業保護を拡大するという点では、与党と変わりない。それどころか、まだ保護の程度が足りないといった主張を行う。衆参の農林水産委員会は、農業保護に関してはオール与党である。批判することが使命のマスコミも、十分に役割を果たしていない。農水省の記者クラブ詰めの担当者は、農業や政策について批判できるまでの知識を持たないうちに2年くらいでくるくる代わる。間違いを恐れて、農水省から説明を受けた通りの記事しか書けない。

 国民や消費者の目を気にする必要がない隔離された農業村で、農業政策は批判を受けることなく実施されてきた。だからこそ、国民や消費者の批判に耐えられないような政策を行うことができたのではないか?


基本計画のEBPMに関する記述

 基本計画は今はやりのEBPM(Evidence-Based Policy Making)に言及し、「達成すべき政策目的を明らかにしたうえで、合理的根拠に基づく施策の立案を推進する。(中略)施策を科学的・客観的に分析し、その必要性や有効性を明らかにする」と述べている。残念ながら、後述するように、この基準に照らすと、今の主要な施策は全て落第である。ことさらEBPMについて述べていることは、これまでEBPMに従った施策を講じていないことを示しているかのようだ。

 しかし、この記述も必ずしも適切だとは言えない。経済学上の費用便益分析の観点からは、目的の水準も施策の内容も、それを実現する便益と政策に掛かる費用の差である純便益を最大にする観点から、同時に決定される。例えば、交通事故をゼロにするため自動車の利用をゼロにする(あるいは高速道路の時速制限を10キロとする)ことが考えるが、それでは自動車の利用による便益を犠牲にするという費用が掛かってしまう。人命の保護と自動車の便益を考慮して、最適な交通事故の発生率と政策内容(高速道路の速度制限を時速何キロとするかなど)は決まるのであり、政策のコストを考慮しないで、ゼロにするという目標だけを最初から決めてしまうことは望ましくない。

 同じように、食料安全保障上農地を確保することが重要だとしても、今工場用に使用されている敷地全てを農地に再転用することが適切とは言えない。工業生産による利益がなくなってしまうからである。他の便益やコストを考慮しないで、政策目的を一方的に設定することは、適切ではない。

 もちろん理論的はそのとおりだが、実際には、事業の実施による便益やコスト、その事業を実施することによって失われる他の便益を、事業実施の量や程度に応じて測定し、最大の純便益を生み出す事業実施の量や程度を決定することは、容易ではない。このため、ある一定の政策目標を設定し、最も少ない費用でこれを達成する手段や事業量を見つけるという費用効果分析という方法がとられている。基本計画のEBPMに関する記述は、この考え方に立つものだろう。しかし、これはある目標実現のための費用を最小化するというだけで、その目標自体が最適なものであるかどうかについて、何も示していないという問題がある。ゼロリスクが望ましくない政策目標だとしても、費用効果分析は行える。


費用便益分析と費用効果分析からの政策評価 ~ (1)輸出拡大策

 本来なら、(望むらくは)費用便益分析や(最低でも)費用効果分析から政策を企画・立案すべきなのだが、ここでは、これらの分析の考え方を踏まえ、まずは安倍官邸お勧めの輸出拡大策について、便益はどの程度あるのか、効果的に目的を達成できる最善の方策なのかについて、検討しよう。

 政策目的は農業・農村の所得倍増である。しかし、この政策目的自体適切なのだろうか?これが適切でないなら、この政策は入り口の段階で失格である。

 この政策目的を設定するには農家が貧しいという前提があるはずである。しかし、最近TPP対策等で大幅に施策を拡充した畜産農家について見ると、肉牛8百万円超、酪農1千7百万円、養豚2千万円である。農業の中で最も低い米作農家でさえ、国民の平均所得程度である。このような高額所得者に平均所得が4百万円程度の国民が、その支払う税金から補助金を支払ったりして、さらに所得を増加させなければならないのだろうか?新型コロナウイルスの影響で失業している人がいる中で、養豚農家の所得を倍にして4千万円にすることが農業政策の目標なのだろうか?

 柳田國男が「何ゆえに農民は貧なりや」と問うた戦前、農家は貧しかった。しかも農民であるがゆえに貧しかった。したがって、小作人解放など農業独自の政策が必要だった。しかし、1965年以降農家所得は勤労者世帯の所得を上回って推移している。今小農はいても貧農はいない。農家の中に貧しい人がいたとしても、生活保護など一般の社会保障政策で対処すればよい。今日農家の所得向上を農政の目的とすべきではない。別の言い方をすれば、農家所得向上という政策目的の便益はゼロである。それなら費用便益分析をするまでもなく、輸出拡大策は失格である。

 これだけで輸出拡大策は否定されるのだが、費用効果分析の考えに立って、農家の所得向上に今推進されている輸出拡大政策は効果的なのかどうか、他により効果的・効率的な政策はないのか、検討しよう。

 2018年の農林水産物・食品の輸出額約9千億円のうち、明らかに国産農産物と言えるもののうち大きなものでも、牛肉247億円、緑茶153億円、リンゴ140億円、米38億円に過ぎない。農林水産物・食品の輸出額の中で占める割合は、それぞれ2.7%、1.7%、1.5%、0.4%である。仮に国産農産物の輸出総額を1千億円と大きく見積もったとしても、9兆円の農業生産額の1%程度である。農林水産物・食品の総輸出額を5兆円に増加させ、国産農産物の輸出を5倍にしても、農家の所得向上への寄与は微々たるものである。

 海外へのマーケティングなど輸出拡大策には、人的財政的な資源が投下されている。米については減反(転作)補助金の一環としてWTOで禁じられている輸出補助金まで交付している。そんなことをしないで、さらに安上がりで(効果的に)輸出を大幅に増大させる政策がある。生産調整(減反)の廃止による米の生産・輸出の増加である。つまり、今の輸出拡大策は費用効果分析からも正当化できない。


費用便益分析と費用効果分析からの政策評価 ~ (2)米の生産調整(減反)

 減反政策とは、農家に補助金を払って米の生産・供給を減少させ、自由な市場で決める価格を上回る米価を実現しようとするものである。

 2018年のカリフォルニア米の価格1万1464円(日本の輸入価格)からすれば、品質面で優位な日本米は1万3000円程度で輸出できる。減反を止めれば、米価は一時7千円程度(生産量は800万トン程度)に低下するが、商社が7千円で買い付けて1万3000円で売ると必ず儲るので、国内市場から米の供給が減少し、国内米価もすぐに1万3000円に上昇する(価格裁定行為である)。これで、翌年の米生産は大きく増加する。さらに、減反廃止でこれまで抑制されてきた収量の高い米が作付けされるようになると、米生産は1500万トン以上に拡大する。このとき、輸出は量で750万トン、金額では1.5兆円となる。米だけで現在の1兆円の政府目標は十分以上に達成できる。

 アメリカやEUと同様、価格低下で影響を受ける主業農家に、現行1万4000円と1万3000円との差1000円を補塡(対象数量は現在の生産量の4割300万トン)すれば、所要額500億円となる。現在減反に納税者(財政)が負担している4000億円を大幅に縮減できる。しかも、零細農家が米価低下で米産業から退出すれば、主業農家の規模が拡大してコストが下がり、収益が増加するので、この補塡は一時的なものに過ぎず、いずれ廃止できる。さらに、消費者も価格低下の利益を得る。

 つまり輸出を増大させる最も効率的な方法は減反廃止と暫定的な直接支払いなのだ。新たに人的財政的な負担をするよりも、今の国民負担を大幅に減少しながら、今を上回る目標を達成できる。しかし、後述するように、国民経済的に最も望ましいこの政策が検討されることはない。

 減反の政策目的は何かと聞かれて、答えられる人はいないだろう。直接的には供給の減少による米価維持である。消費者の利益に反する米価維持は何のためかというと、農家所得の維持・向上というしかない。しかし、既に述べたように、この目的自体適切ではない。かりにその目的を達成するために最も費用を最小化する効率的な方法は、OECDや世界の経済学者が勧めているように、価格支持ではなく直接支払いである。

 米を作らないなら、水田も要らなくなる。食料安全保障に必要な農地資源である水田は、344万ヘクタールから239万ヘクタールへ100万ヘクタール以上、3割も減少した。主食である米の生産を減らすことが、農政の最大の目的となったのだ。今では、水田面積の4割が減反されている。面積当たりの収量(単収)を向上させること、つまり生産性を向上させるための米の品種改良も、タブーとなった。米の増産につながるからだ。

 しかも、農水省の政策間についても、整合性がとれなくなっている。農家個人所有の田畑の整備等のため、毎年1兆円規模の農業基盤整備事業が、公共事業として農家の負担わずか10%程度で実施されてきた。農家が投資してコストダウンを図っても、農産物価格が低下すると消費者はメリットを受けるが、農家は投資額を回収できなくなると考えて投資しなくなる、これが、農地整備という私的な投資を公共事業で行う根拠だった。その一方で、農産物価格を下げないことを目的とする減反に50年間で9兆円、過剰米処理に3兆円以上を投入した。減反を止めないなら、農業公共事業は廃止すべきだ。


費用便益分析と費用効果分析からの政策評価 ~ (3)畜産振興

 農政には目的自体がマイナスの便益(つまり国民的にはコスト)なのに、人的財政的な負担による対策が講じられているものもある。畜産振興である。畜産農家を保護したり、支援したりすることは、経済学的には全く意味を持たない。むしろ経済学的には税金を課して、生産を縮小させるべきなのだ。

 まず、食料安全保障の観点から畜産を保護する理由はほとんどない。一部の酪農と肉牛を除いて、日本の畜産はアメリカ等から輸入されたトウモロコシ、大豆、乾草などをエサとして生産している。シーレーンが破壊され、飼料の輸入が途切れると、日本の畜産は壊滅する。食料危機の際に、畜産は役に立たない。

 環境面でも、畜産は多くの糞尿を副産物として排出する。アメリカでは、家畜の糞尿はトウモロコシ栽培などに活用されるので、資源は循環して環境問題は悪化しない。しかし、エサを輸入に依存している日本の畜産は、国土に大量の窒素分を蓄積させる一方である。

 また、牛はゲップにより、二酸化炭素より温暖化効果があるとされているメタンを発生させるので、植物由来の肉や細胞培養の肉生産への技術開発など、世界は畜産自体を縮小させるべきだという方向に動いている。

 国産の食肉は国民の健康のためにも好ましくない。魚の脂やナッツなどに含まれるオメガ3は血液をサラサラにする機能を持っている。これに対し、牛肉、豚肉、バター、大豆油、コーン油などに含まれるオメガ6は、摂取しすぎると、動脈硬化を進行させ、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす。野生動物や牧草を食べさせて肥育した牛肉では、この比率は1:2である。ところが、トウモロコシなどの穀物で肥育した牛肉では、この比率が1:8から1:10に上昇する。健康のためには、牧草で肥育されたオーストラリア産牛肉を食べたほうが良い。


財政規律の弛緩

 安倍政権下の財政当局の地盤沈下によって、財政規律が低下している。

 費用便益分析からは、畜産対策を講じる必要性はない。しかし、仮に講じる必要があるとしても、費用効果分析からは問題のある政策が講じられている。

 牛肉自由化へは子牛への不足払い(肉用子牛生産者補給金制度)だけでは対処するはずだった。これは「枝肉価格が下がると、肉牛の肥育農家は子牛の価格を下げようとするだろう。存分に下げてよい。そうなると、子牛農家の経営が厳しくなるので、保証基準価格と市場価格との差を子牛農家に補てんしよう」という趣旨だった。肉牛の肥育農家に対しては制度上対策を打つべきではなかった。しかし、TPP対策の一環として、これまで農畜産振興機構の指定助成事業という裏口で行ってきた肥育農家への対策を、法制化したうえで拡充してしまった。子牛価格が保証基準価格以上に上昇して肥育農家の収益が悪化しても、肥育農家への経営補てんが行われるため、子牛農家に不当な利益が生じる。

 1965年に作られ、酪農対策の柱となっている加工原料乳生産者補給金等暫定措置法、いわゆる不足払い法は、北海道がバター、脱脂粉乳向けの加工原料乳地域から市乳(飲用乳)供給地域になるまでの暫定措置だった。加工原料乳が生乳生産の半分以上を占める地域を加工原料乳地域として、不足払い法は保護の対象としてきたが、生クリーム等向けが増加している今日、北海道はもはや加工原料乳地域ではない。つまり、"暫定措置法"としての不足払い法は、すでに目的を達成し、終了するはずだった。しかし、TPP対策として、加工原料乳の対象に生クリーム等向けも加え、不足払い制度の対象に追加して、制度を焼け太りさせたうえで、延命させている。

 現在北海道から関東に生乳等を100万トン近く移送しているのだから、九州から上海にも輸送できる。中国に生乳や飲用牛乳を輸出できるなら、安い乳価しか払えないバターや脱脂粉乳を日本で作る必要はない。不足払い制度は廃止でき、納税者負担は消滅する。バターや脱脂粉乳の関税は撤廃して、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなどから輸入すればよい。

 次に、私が制度の企画・立案・実施等にかかわった「中山間地域等直接支払い」である。これは傾斜等条件の悪い中山間の農地と平場の農地とのコスト差の一部を補てんするもので、5年を1期として2000年度から実施されている。制度の基本は、集落で一定の農地を守るという協定を作った場合に、直接支払いを行うというものである。制度の究極の目的である農地の多面的機能を維持するためには、耕作放棄を許してはならない。このため、一部でも耕作放棄すると、集落協定で直接支払いの受給対象としたすべての農地について、その期の初めにさかのぼって全額直接支払いの返還を求めることとした。

 局内では、局長以下このような条件は厳しすぎるという意見だったが、担当課長だった私は、「耕作放棄しないという約束を破った以上、国民の税金で賄う直接支払いをすべて返納するのは当然ではないか」と主張して、押し切った。ある野党の機関紙も厳しすぎるという意見を掲載して問題となったが、当時農相だった玉沢徳一郎氏は「君の言うとおりだ」と支持してくれた。見識ある大臣だった。

 厳しいと思われるかもしれないが、集落の誰かが耕作放棄しようとしても、別の人が借りて耕作すればよいので、順守することはそれほど難しいものではない。この条件のおかげで、直接支払い対象農地では耕作放棄が起きていないという評価を得た。

 しかし、農家としては、このような条件はない方がよい。選挙民である農家の陳情を受けた政治家の要求に屈したのだろう。2020年度からの対策では、耕作放棄した農地分だけ返還すればよいことにしてしまった。

 本来、この直接支払いの単価は条件の悪い農地とそうでない農地とのコスト差を基本としているので、その差が長期間固定することはありえない。農水省生産費調査の結果は毎年変わっている。しかし、直接支払いの単価は、私が20年前に設定したままで一切変更されていない。不思議なことに、中山間地域の農業は疲弊しているというのに、単価改定の要望すら上がってこない。単価が上昇し予算額が増えると、自分の予算が減らされるのではないかと恐れるグループが農水省の中にいるからだろう。


なぜ正しい政策がとられないのか? ~ (1)学問的基礎の欠如

 正しい政策がとられない理由の一つとして、農水省内に経済学の基本を理解している人が少ないことが挙げられる。経済学のわかる人が政策を企画しても、省内の人に支持してもらわなければならない。経済政策を推進するときに、全く経済学を理解しない人とコミュニケーションを図り、賛同してくれるよう説得することは容易ではない。

 省内の会議で、事務方のトップである事務次官が「米価を上げても米の消費は減らない」と発言したのを聞いたことがある。これが本当なら、いくら米価をあげても、減反する必要はないことになる。これを聞いても、私は驚かなかった。仕方ないなという気持ちだった。

 農林官僚で局長から事務次官を飛び越えて吉田内閣の農相となり、第二次農地改革を遂行した和田博雄は、シュンペーターの高弟である東畑精一東大教授を所長に迎え、1946年社会科学系の農業総合研究所を創設した(ちなみに、民間のシンクタンクで総合研究所と名乗るところが多いのは、この研究所に倣ったと聞く)。通商産業研究所(現経済産業研究所)の設立に先立つこと40年も前である。農林省の科学的行政を一層推進しようとしたのである。

 これについて、和田は次のように述べている。「私は行政と学問というものは別々であってはいかぬ、いつもこう思っておる一人なんで、日本の場合には行政方面には非常に優秀な人が入ってくるけれども、いつの間にか学問に対して情熱がなくなれば、学問したことを本当に実地に役立てていくというだけの努力もなくなる。(いつの間にか妙な政治家になってみたり、俗物になってしまう)これが通弊なんだね。これではどうも困る。ことに戦後の農業問題といえば非常に複雑な様相を呈してくるんだし、行政をやるにしても相当に学問的基礎を持ったものでないとやはりうまくいかないだろう。...やはり大きな目的のひとつは人材の養成だと思うのだ。役所で少し仕事をやって、また落ち着いて基本的な勉強もするような機会が与えられれば非常にいい...。僕はやはり日本の役所からも農業関係についてはその道の人から相当尊敬される学者―行政官であると同時に立派な学者が出るような世の中にならぬと、なかなかよくならぬと思っておるものだから...。」

 しかし、政治との関わりが強くなるにつれ、農水省は和田の理想から退行する。幹部もそのような人材の育成に興味を持たなくなった。政治家との関係の方が出世に役立つなら、職員もまじめに勉強しようとはしない。その結果が、先の事務次官の発言である。特に、TPP対応の中の畜産対策に見られるように、最近農水省職員と農林族議員との関係はますます近づいている。EBPMを基本計画に書いても、それを実行できる人材は少ないだろう。


なぜ正しい政策がとられないのか? ~ (2)手段を決めて目的を考える

 次に、EBPMは政策目的を設定してから、それを効果的に達成できる手段となる政策を検討するというものであるが、農水省の政策の多くが作られる順序は、これとは真逆である。手段となる政策がすでに政治的に決まっていて、それを正当化する目的とか理由付けが後で行われることが、ほとんどである。

 食料安全保障とか多面的機能とかは良い概念なのだが、これらから政策が導かれたことなど一度もなかった。これまで農政はこれらの概念を農業保護の方便として利用してきた。農業が大切なので保護すべきだという後付けの理由として、これらのキーワードが活用されただけだった。実際には、減反は食料安全保障に必要な農地を減少させてきた。また、水資源の涵養や洪水防止という多面的機能は水田で米を作ることの外部経済効果なのに、米を作らせない減反政策を推進してきた。

 農業の公共事業は、一見費用便益分析のようなものを採用しているように思われる。便益を積み上げ、費用を上回った場合に、ダム建設などの特定の事業が採択されるという形を採っている。

 しかし、便益については、思いつく限りの様々なものについて最大限の見積もりを行う一方、コストはできる限り低く見積もることで、便益・費用の比率が1を少しばかり上回るので採択するという結論を出している。事業採択時は、最小限のコストしか計上しないため、事業開始後必要経費がどんどん積みあがる。

 地元の負担は増加するが、仕事が落ちることを期待して事業の採択を要望した手前、受け入れるしかない。農水省の予算は巨額なので、国の負担額が増えても十分に吸収できる。事業額が拡大した方が、役人のゼネコンへの再就職に有利となる。

 この事業評価方法では、決まった規模の事業を実施するかしないかの選択しかない。例えば、ダムを造るかどうか、造るとしてもどの程度の規模のダムとすべきかという選択ではない。これは費用便益分析ではない。まず特定の事業採択が決まっており、後付けで費用便益分析もどきのことを行っているだけだろう。


なぜ正しい政策がとられないのか? ~ (3)欧米にない既得権益

 政治的に手段である政策が決定されてしまう理由はなにだろうか。特に、減反による高米価政策は、どう考えても正当化できない。その政策がなぜ半世紀以上も続いているのだろうか。

 それは、日本には高米価で発展してきたJA農協という組織が存在するからだ。

 高米価政策は、JA農協の繁栄の基礎となっている。米価が上がると農家は高い肥料・農業機械などの資材を払うことができる。農協は高い米価と高い資材価格の両方で、価格に比例して高くなる販売手数料収入を稼いだ。

 それだけではない。高米価でコストの高い零細な農家が大量に滞留した。これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。2003年当時で兼業所得は農業所得の4倍、年金収入は2倍である。

 JA農協は銀行業を兼務できる日本で唯一無二の法人である。これらの所得はJA農協の口座に預金され、JAバンクが預金量百兆円を超える日本第二位のメガバンクに発展することに貢献した。高米価政策から直接支払いへの転換は、JA農協の利益に反するので、採用されない。本来手段に過ぎない米価維持が、農協の政治運動、ひいては農政の最大の目的となる。半世紀以上も続いているので、農水省のだれも疑問に思わなくなっている。

 アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。政治活動を行う点では、JA農協と同じである。しかし、これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が政治活動とともに経済活動も行っていることだ。このため、JA農協が代弁する利益は、農家と言うより自己の組織の経済利益である。米価を下げても直接支払いをすれば農家は保護されるが、直接支払いが交付されない農協は利益を受けない。販売手数料収入は減少するし、零細兼業農家が農業を止めて組合員でなくなれば、農協預金も減少する。規模拡大による構造改革をすれば農村は救済されるが、農家戸数が減少する農協は政治的にも基盤を失う。

 こうして国民の経済厚生を最大化するという観点ではなく、JA農協の利益を最大化することが大きな政策目的になってしまう。これが、正しい政策が採用されない理由である。

 JA農協の政治団体であるJA全中は、食料安全保障とか多面的機能とかの標語を掲げてTPP反対などの政治運動をしてきた。一度でよいから、減反政策が食料安全保障に役に立つ、食料安全保障のために減反政策が必要だという理由を、JA全中の人から聞いてみたい。


柳田國男がいたら?

 最後に、農政の先輩にあたる柳田國男の主張を述べて、まとめとしたい。

 「一国の経済政策は此等階級の利益争闘よりは常に超然独立して、別に自ら決するの根拠を有せざるべからず、何とならば国民の過半数若しくは国民中の雄略なる階級の希望の集合は決して国家夫自身の希望すべきものなりという能はざればなり、語を代えて言はば、私益の総計は即ち公益には非ざればなり、極端なる場合を想像すれば、仮令一時代の国民が全数を挙りて希望する事柄なりとも、必ずしも之を以て直に国の政策とは為すべからず、何とならば、国家が其存立に因りて代表し、且つ利益を防衛すべき人民は、現時に生存するものゝみには非ず、後世万々年の間に出産すべき国民も亦之と共に集合して国家を構成するものなればなり。現在国民の利益は或は未来の住民の為に損害とならざること保せず、所謂国益国是が国民を離れて存するものに非ざることは勿論なれども一部一階級の利害は国の利害とは全く拠を異にするものなり、此点は農業政策に付ては特に注意を必要とす。」(定本第28巻一九五~一九六頁)


(参考文献)

小倉武一(1995年)『ある門外漢の新農政試論』食料・農業政策研究センター

農業総合研究所(1956年)『総研十年』

山下一仁(2018年)『いま蘇る柳田國男の農政改革』新潮選書

山下一仁(2015年)『日本農業は世界に勝てる』日本経済新聞出版社

山下一仁(2010年)『農業ビッグバンの経済学』日本経済新聞出版社

柳田國男(1902年)『農政学』定本柳田國男集第28巻(1970)筑摩書房所収