メディア掲載 財政・社会保障制度 2020.05.08
米経済学者のフランク・ナイトは、発生確率の分布が分からない事象を「真の不確実性」と呼んだ。確率をある程度見積もることが可能な「リスク」とは異なり、真の不確実性は事象がどこまで進展し、どこで食い止まるのか、見通すことが難しい。新型コロナウイルスが経済に与える打撃は、まさしく真の不確実性である。
急速な景気後退は、2008年の世界金融危機を想起させる。米国で3割とも予想される高い失業率は、1930年代の世界大恐慌と比較される。だがこの二つはどちらも、株価暴落から始まった金融危機だ。主に金融部門が打撃を受け、危機の連鎖の行方もある程度見えていた。
これに対し新型コロナでは、打撃を受ける産業や企業はかつてなく広範に分布する。感染がいつ終息するのか、現時点でどの程度の人が感染しているのかといった基本的な要素も不透明だ。この不確実性に対し、人類は歴史のどの局面から教訓を得るべきか。1918年のインフルエンザのパンデミック(世界的大流行)、つまりスペイン風邪から学ぶのが適切だ。
この観点で、米連邦準備制度理事会(FRB)のエコノミスト、セルジオ・コレイア氏らが3月26日に公開した論文「不況を招くのはパンデミックであり、公衆衛生の介入によってではない-1918年のインフルエンザからのエビデンス」(タイトル訳はダイヤモンド編集部による)は興味深い。
スペイン風邪が大流行した当時も、米国の主要都市では学校の閉鎖、事業所の営業時間短縮、感染者の隔離といった策が講じられた。論文ではこれらの策が都市ごとにどの程度の期間実施されたかを把握し、それに死亡率と雇用者数を掛け合わせて比較した。その結果、より厳しい(長期の)対策を講じた都市の方が、その後の一雇用の伸びが高いと結論付けている。
新型コロナのさなか、「人命か経済か」という二者択一的な議論が国内外にある。だが前述の論文がスペイン風邪から得た結論は、「厳密な感染防止策は、人命を救うだけでなく、経済復興に対しても有益である」というものだ。
日本政府は緊急事態宣言を発令した。他者との接触を8割削減する目標の下、企業や消費者の経済活動を制約する。改正新型インフルエンザ対策特別措置法(特措法)に基づく施策で罰則はないが、スペイン風邪の教訓を踏まえれば、制約はできる限り徹底することが望ましい。その上で経済学者として二つ提言したい。
一つは大規模なPCR検査や抗体検査の実施だ。感染症対策の基本は徹底的な「検査」と「隔離」だが、隔離がもたらす経済活動の厳しい制約には、ゴールの設定が不可欠である。そして到達点を設定するには、まず現時点のマスレベルの感染率を実際のデータを基に算出した上で、その感染率がどこまで下がれば企業や消費者の活動を平常に戻してよいのかあらかじめ定める必要がある。そのためにはクラスター管理のための小規模な検査ではなく、不特定多数をサンプルとするマスレベルの検査が不可欠だ。
もう一つは、景気後退で打撃を受ける家計への支援として、全国民に現金を一律給付することだ。安倍政権も現金給付を行うが、対象は「一定の水準まで所得が減少した世帯」。金額は1世帯当たり30万円だ(本原稿執筆時点)。広範な企業と雇用に甚大な被害が生じる中、この給付策は不十分となる恐れがある。
緊急事態宣言による影響は、ごく保守的な仮定の下、次のように試算できる。移動や外出を制限すれば「宿泊業・飲食サービス業」、「生活関連サービス業・娯楽業」、「卸売業・小売業」の3業種に直接的な影轡が及ぶ。経済産業省の「経済センサス・活動調査」の直近データでは、3業種の1日当たりの売上高は約1.6兆円(15年の実績値)となる。
一方、東京商工リサーチの調査(有効回答数1万7896杜)によると、昨年同月の売上高を100とした場合、今年3月の売上高がどの程度かという問いに対する回答は、全産業の中央値が85だった。3月の売上高が15%減少するという仮定を前述の3産業に当てはめれば、わずか1カ月で7.2兆円の売上高が"蒸発"したと推定できる。この金額は170万世帯分の年収が消滅した(18年の国民生活基礎調査にある、国内の世帯別所得の中央値423万円を基に算出)ことに匹敵する。
3月の3業種の減収幅は実際には15%を上回る公算だ。4月はさらに落ち込む。また製造業の減収はこの試算に織り込んでいない。相当保守的に見積もった試算でさえこの規模なのだ。
しかもこの打撃は急激に発生する。既存の行政の仕組みでは、どの世帯にどれだけ打撃が生じたか、タイムリーに把握できない。現行の給付策は国内の約5300万世帯のうち、約1000万世帯が対象となる見通しだ。2割弱の世帯に、家族の人数にかかわらず30万円を与える策は、起こり得る打撃の甚大さに対して十分だろうか。
非常時のコストを薄く分散するのは政府の役割だ
また現行策は「世帯主の月間収入」を平時の収入と比べて給付を判断する。共働きで家計を支える世帯が多い中、世帯主でない人の収入源を条件から外すことは、不平等ではないだろうか。万能な給付策はないが、困窮した人に確実に公費を届ける観点では、国民一人一人への一律給付の方が適切だ。
現行の給付案では4兆円の財政出動が必要になるが、これに2兆円を足せば、国民1人当たり5万円の一律給付が可能だ。10万円を一律給付した場合でも、総額は約13兆円である。巨額に思えるかもしれないが、国債発行で賄い、経済が回復した後に10~20年間という長期かつ薄い課税で償還すればよい。この際、所得の高低に応じて追加課税額を決めれば、所得再配分的な効果も見込める。
私は本来、財政再建派である。安易な赤字国債の発行には、平時であれば否定的だ。しかし今は平時ではない。歴史を振り返っても、戦争や災害で財政支出が急増する場合、赤字国債の発行で原資を賄うことは一般的だ。例えば23年の関東大震災では5.8億円(同年の国内総生産の約4%に相当)の復興債を発行している。
これがなぜ財政の視点で正しいのか。パンデミックや災害に際して突発的・集中的に発生した費用を、長期に薄く分散させられるのは、国債を発行し課税を行う政府だけだからだ。いわゆる「国債発行に伴う課税の平準化」の機能をしっかり発揮することが国民にとって負担感が小さく、結果としてマクロ経済にもプラスである。