コラム  グローバルエコノミー  2020.04.16

新型コロナウイルスで食料危機が起きるのか?

 3月31日、FAOの屈事務局長、WHOのテドロス事務局長、WTOのアゼベド事務局長は連名で共同声明を出し、「食料品の入手可能性への懸念から輸出制限が起きて国際市場で食料品不足が起きかねない」と警告した。この共同声明を受けて、食料自給率40%を切る輸入国・日本への影響を心配する人たちがいる。


(参考)

"Uncertainty about food availability can spark a wave of export restrictions, creating a shortage on the global market. Such reactions can alter the balance between food supply and demand, resulting in price spikes and increased price volatility. We learned from previous crises that such measures are particularly damaging for low-income, food-deficit countries and to the efforts of humanitarian organizations to procure food for those in desperate need."

http://www.fao.org/news/story/en/item/1268719/icode/



輸出制限に対する国際的な批判と規律

 この共同声明のように、輸出制限に対しては、国際的な批判がある。食料が不足すれば価格が高騰する。途上国の貧しい人たちが食料を買えなくなっている価格高騰時に、さらに食料の輸出を制限して、供給量を減らせば、価格はさらに高騰すると考えられるからだ。

 1993年ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉の最終局面で、食料輸入国である日本は輸出制限を禁止すべきだという提案を行った。私はジュネーブでこの提案を実現すべく交渉した一人だった。しかし、この提案はインドの大使などからずいぶん抵抗された。自国が困ったときに輸出制限をするのは当然ではないかと言うのだ。日本の提案は、輸出制限を行おうとする国はWTO農業委員会に通報して、輸入国と協議するという規定(WTO農業協定第12条)となって実現したが、インドの反対によって純食料輸入途上国には適用しないこととされた。


(参考)

the Agreement on Agriculture
Part VI: Article 12
Disciplines on Export Prohibitions and Restrictions

1. Where any Member institutes any new export prohibition or restriction on foodstuffs in accordance with paragraph 2(a) of Article XI of GATT 1994, the Member shall observe the following provisions:

(b) before any Member institutes an export prohibition or restriction, it shall give notice in writing, as far in advance as practicable, to the Committee on Agriculture comprising such information as the nature and the duration of such measure, and shall consult, upon request, with any other Member having a substantial interest as an importer with respect to any matter related to the measure in question. The Member instituting such export prohibition or restriction shall provide, upon request, such a Member with necessary information.



2008年の穀物危機

 2008年に穀物価格が3倍に上昇した。このとき穀物生産が被害を受けたわけではなかった。価格高騰の最大の要因は、トウモロコシを食用やエサ用ではなく、ガソリンの代わりとなるエタノールの原料として使用することが増えたからだった。農業以外の要素により引き起こされた食料危機という点で、今回のコロナウイルスと似ている。

 アメリカ政府は、地球温暖化に優しい燃料だ(植物が固定した温暖化ガスを放出するだけで、温暖化ガスを増やさない)という理由で、工場建設への補助など様々なエタノール生産の振興措置を講じた。実際には、農産物を生産・流通させる過程で大量の化石燃料を使用するので、この主張には根拠はない。本音としては、農家保護の狙いがあった。同時に原油価格が上昇したので、エタノール生産が価格面でもますます有利となり、多くのトウモロコシがエタノール生産に仕向けられた。

 アメリカでは、トウモロコシと大豆の作付地域はほぼ重なっている。中西部のコーンベルト地域である。需要が増えたトウモロコシの価格が上昇したので、アメリカの農家は、大豆に代えてトウモロコシの生産を増やした。このため、供給が減少した大豆の価格も上昇した。

 また、家畜のエサとして、小麦はトウモロコシと代替関係にある。トウモロコシの価格が上昇すると、畜産農家は、小麦の使用を増やすようになるので、小麦の需要が増え、その価格も上昇した。小麦価格が上昇すると、消費者は代替品であるコメの消費を増やそうとするので、コメの需要が増え、価格も上昇した。 こうしてトウモロコシだけではなく、玉突き現象によって、大豆、小麦、コメの価格も上昇した。アメリカの農業界は好景気に沸いた。


インド等の輸出制限

 国際価格が高騰すると、輸出を制限する国が現れる。では、どのような国が輸出制限をするのだろうか?

 途上国にとって、食料を買う経済力があるかどうかということは、決定的に重要だ。2008年にインドは米の輸出を禁止した。このときインドが不作になったわけではない。アメリカのエタノール政策によって穀物の国際価格が高騰しただけである。

 しかし、自由な貿易に任せると、穀物は価格が低いインド国内から高い価格の国際市場に輸出される。そうなれば、国内の供給が減って、国内の価格も国際価格と同じ水準まで上昇してしまう。これを経済学では価格裁定行為と言う。

 収入のほとんどを食費に支出している貧しい人は、食料価格が2倍、3倍になると、食料を買えなくなり、飢餓が発生する。インドはこれを防ごうとしたのだ。ベトナムもインドに追随した。ただし、米の輸出国でも、タイは所得水準が高いので、同調しなかった。

 たしかに、このようなインドやベトナムの行為は、国際価格をある程度押し上げ、フィリピンなどの輸入国の貧しい人に影響を与えたかもしれない。しかし、国際社会として、国内で飢餓が発生するかもしれないインドなどに、輸出しろとは言えない。しかも国際価格の高騰にインドは何らの責任もない。インドは、舞い落ちる火の粉を払い落しただけである。


穀物の大輸出国が輸出制限をするか?

 では、穀物の大輸出国であるアメリカ、カナダ、オーストラリアなどが、輸出制限をするだろうか。これら主要輸出国では、生産量の相当部分が輸出に向けられている。小麦の場合、輸出が生産に占める割合は、アメリカ5割、オーストラリア6割、カナダ7割となっている(2019年)。価格が上がっても、先進国なので豊かな消費者は食料を買うことができる。輸出を規制する必要はない。価格上昇時は、主要輸出国の生産者にとって稼ぎ時である。輸出制限をすれば、輸出に向けられた膨大な量が国内市場にあふれ、国内価格は大暴落し、農家経営は破綻する。経済的にも、輸出制限は割に合わない。


主要小麦輸出国の生産と輸出の関係(2018/19)

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 過去、世界最大の農産物輸出国アメリカが輸出制限をした例が二回ある。 1973年アメリカは飼料として利用していたアンチョビーが不漁になったので、それに代わり、国内の畜産農家へ大豆を優先的に供給するため、大豆の輸出を禁止した。味噌、豆腐、醤油など大豆製品を食料として多く消費する日本はパニックに陥った。将来の供給不安を覚えた日本は、ブラジルのセラードと呼ばれる広大なサバンナ地域における大規模な農地開発を援助した。以来ブラジルの大豆生産が急激に増加し、瞬く間に大豆輸出を独占してきたアメリカを超えるほどの大輸出国になってしまった。

 最近の米中貿易戦争でも、世界最大の大豆輸入国である中国は、アメリカからの大豆輸入を制限し、代わりにブラジルから輸入した。禁輸さえしなければ、アメリカは世界最大の大豆輸出国としての独占的な地位を維持できていたのだ。中国はアメリカに対し大豆の関税を上げることはできなかったはずだ。


大豆の輸出量上位6カ国の輸出量推移

20200414yamashita02.png ※クリックでオリジナル画像表示


 1979年アフガンに侵攻したソ連を制裁するため、アメリカはソ連への穀物輸出を禁止した。しかし、ソ連はアルゼンチンなど他の国から穀物を調達し、アメリカ農業はソ連市場を失った。あわてたアメリカは、翌年禁輸を解除したが、深刻な農業不況に陥り、農家の倒産・離農が相次いだ。独占的な輸出国でない限り、輸出制限を外交・政治的観点から戦略的に利用することはできない。二度の失敗に懲りたアメリカは再び輸出制限を行おうとはしない。

 アメリカのような国際価格を左右する大輸出国が輸出制限をすることはないし、インドのような途上国が輸出制限をしても、なかなかやめろとは言えない。輸出制限についての国際規律は、このような限界を持っている。WTO農業協定第12条は、WTO加盟国に、ほとんど活用されていない。それどころか無視されていると言ってよい。これによるWTOへの通報は行われていない。世界の食料安全保障の解決のためには、途上国における貧困の解決、食料生産の拡大がより重要なのだ。


日本に食料危機は起きるのか?

 では、2008年穀物価格上昇の日本への影響はどうだったのだろうか。このとき世界の穀物価格は3倍に高騰したが、食料品の消費者物価指数は2.6%上昇しただけである。日本の飲食料の最終消費額のうち輸入農水産物は2%程度にすぎない。国産農水産物でも13%、85%は加工、流通、外食などが占める。輸入農水産物の一部である穀物の価格が上がっても、最終消費には大きな影響を与えない。このような消費のパターンは先進国に共通する。我々は農産物ではなく、加工、流通、外食にお金を払っている。フィリピンのような食料危機は日本などの先進国では起きない。パンの価格が上がったので、国産で供給されるコメの消費が一時的に少し増加した程度の影響だった。


穀物国際価格指数と国内CPIの推移

20200414yamashita03.png ※クリックでオリジナル画像表示

出所)FAO"Food Outlook"、総務省統計局公表資料より作成
穀物国際価格指数は2001/2002を、国内CPIは2001年度をそれぞれ100とした数値



食料安全保障の二つの要素

食料安全保障には、二つの要素がある。①食料を買う資力があるかどうかと、②食料を現実に入手できるかどうか、である。経済的なアクセスと物理的なアクセスと言ってよい。貧しい途上国では二つとも欠けている。食料品価格が上がると、収入のほとんどを食費に支出している人は、買えなくなる。特に、生命維持に必要なカロリーを供給する穀物の価格高騰の影響は深刻である。コロナウイルスによって収入や所得が減少しても、同じことが起きる。このとき、先進国が港まで食料を援助しても、内陸部までの輸送インフラが整備されていないと、食料は困っている人に届かない。物理的なアクセスが問題となる場合である。今回の新型コロナウイルスでは、この両面から、途上国に食料危機が起きる可能性がある。


日本で起こりうる食料危機と対策

 所得の高い日本では、穀物価格が高騰しても、食料危機は生じない。日本が輸入している小麦、大豆、トウモロコシなどの輸出国はアメリカなどの先進国が主体である。輸出量が生産量の大きな割合を占めているこれらの国は、輸出を制限しない。穀物でも米については、輸出国はインド、ベトナムなどの途上国であり、生産量のうち輸出に回る量はわずかなので、輸出制限が行われやすい。しかし、米について日本は減反をしているくらいなので、国内供給に不安はない。

 日本で生じる可能性が高い食料危機とは、東日本大震災で起こったように、お金があっても、物流が途絶して食料が手に入らないという事態である。最も重大なケースは、日本周辺で軍事的な紛争が生じてシーレーンが破壊され、海外から食料を積んだ船が日本に寄港しようとしても近づけないという事態である。 今回の新型コロナウイルスによって、一部の国が輸出制限を行ったとしても、日本に食料危機は起きる可能性は少ない。今回シーレーンが破壊されるという事態が生じることは少ないだろう。しかし、本当にシーレーンが破壊されてしまうとどうなるか?日本の農業関係者は、農業保護を正当付けるために食料安全保障を利用してきただけである。その対策など検討もしてこなかった。

 シーレーン破壊に対処するためには、本気で具体的な食料安全保障対策を検討しなければならない。その際の基本政策は、短期的には食料備蓄での対応、中長期的には食料増産である。食料生産拡大のため、農地などの農業資源を平時から維持しておくことはいうまでもない。さらに、米の減反政策を廃止して、米価を下げ、米を大量に輸出することを検討すべきである。平時には、小麦や牛肉を海外から輸入し、米を輸出する。海外との物流が途絶え、輸入が困難となったときは、輸出していた米を消費するのである。平時の際の米の輸出は、お金のかからない食料備蓄の役割を果たす。また、輸出できるほど米の生産を行うことは、水田という農地資源の維持につながる。日本は食料安全保障のため、米の減反政策を廃止すべきなのだ。