メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.02.21

EUを離脱した英国の切り札「漁業カード」: 英国はブレグジットで影響力を落としても経済的には悪い話ばかりではない

論座に掲載(2020年2月4日付)

 1月31日、イギリスがEUから離脱した。

 とはいっても、2020年は移行期間とされており、欧州議会からイギリスの代表が撤退するなど、イギリスはEUの意思決定プロセスに関与しないこととなるだけで、経済的には2020年末までイギリスはEUの関税同盟と単一市場の中にとどまる。

 2月以降直ちに経済的な変化が生じるわけではない。これまで述べてきたことも踏まえ、今後のイギリスとEUの関係を検討しよう。


2021年以降、無協定状態になったら?

 今議論されているのは、2021年以降どうなるかである。

 ジョンソン首相は移行期間である2020年中に自由貿易協定を締結すると主張し、EUとの合意で認められている2022年までの移行期間延長は要求しないと主張している。これは昨年末の選挙公約であるとともに、離脱に関する国内法にも規定されている。

 このため、もし2020年中に自由貿易協定に合意できなければ、2021年から、イギリスとEUは相互に通常の関税を適用することになる。イギリスとEUとの関係が、自由貿易協定を結んでいないアメリカなどの国とEUとの関係と同じようになるということである。日本とEUの間には自由貿易協定があるので、貿易・投資の関係では、それより疎遠なものとなる。

 自動車について見ると、自由貿易協定を結べば関税はゼロになるが、結べなければ10%の関税が適用される。イギリスに立地している自動車工場が最終製品の50%に相当する(鉄や電子器具などの)部品をヨーロッパ本土から輸入して、ヨーロッパ本土に自動車を輸出している場合、部品にも自動車にも関税が10%かかるとすると、部品への関税で製造コストは5%上昇し、これに10%の自動車関税がかかるため、実質的な関税は15.5%に上昇する。

 これはイギリスの自動車工場にとって、大きな打撃となる。イギリスに工場を持つ日本企業は立地の再検討を迫られることになる。


2020年移行期間の交渉はどうなる?

 このため、これから行われるEUとの交渉に関心が集まっている。

 EUからは、EUと同等の労働や環境等の規制水準を採用することをイギリスが約束しなければ、関税ゼロでのアクセスは認めないという the level playing field の議論が出ている。日本とEUの交渉は4年もかかったことを踏まえ、1年以内で交渉をまとめることは困難だという発言が相次いでいる。

 イギリスを競争相手とみて、その力を削ぎたいという意図もうかがえる。

 すでにメルケル独首相も、イギリスは競争相手となると主張している。また、EU加盟国の首脳からは、経済規模の大きいEUはイギリスを交渉で圧倒できるという発言も出ている。

 金融サービスについては、EUを含むヨーロッパ経済領域内のどこか1か国で認可されれば、領域内のどの国でも自由に金融業を営むことができる「シングルパスポート」という制度がある。このため、金融機関の多くがシティのあるロンドンにヨーロッパでの事業拠点を置いている。しかし、離脱後EUがイギリスにこの制度を認めるかが問題である。

 EUが結んでいる自由貿易協定の中の金融サービスでは、EUと同等の規制を行っている国に限りEUへのアクセスを認めるという同等性評価(equivalence assessment)を要求している。イギリスの金融制度にEUとの同等性を認めるかが争点となる。


イギリスの強み

 しかし、イギリスはそんなに弱い立場なのだろうか?

 モノの貿易では、EUはイギリスに対して940億ポンドの貿易黒字(2018年)となっている。関税が高くなると、イギリスはアメリカなどEU以外の国からの輸入を増やそうとする。イギリスとの自由貿易をより強く望むのはEUの方である。

 the level playing field の議論については、将来ともEUのルールを採用し続けるよう主権国家に要求することはできない。

 メイ前首相がEUと合意した "バックストップ" にイギリスが反発したのも、バックストップが北アイルランドにはEUと同じ規制や基準を、イギリス本土にはEUと同等のものを、それぞれ適用するよう要求したからだった。

 そのような厳しい縛りをかけられると、英国としては何のためにブレグジットをしたのかわからない。ブリュッセルから主権を回復して自由に法規制を定められるようにしようというのがブレグジットだからである。

 逆に、相互主義の観点からは、EUがイギリスよりも規制を緩和することも認められないことになるが、それでもよいのか?

 EUがこれまで自由貿易協定を結んできた日本やカナダには要求しないで、イギリスに要求するのは不当である。ユーロ金融のシングルパスポート制度については、すでにかなりの金融機関がロンドンからヨーロッパ大陸に事業拠点を移しており、事実上ブレグジットは行われている。


むしろ弱みはEUにある

 むしろEUの方に弱みがある。

 イギリスの漁業水域でフランス、オランダ、デンマークなどのEU加盟国の漁業者はEU全体の漁獲量の42%を採っている。地域経済で重要な漁業は政治的に重要である。

 これまではEUの共通漁業政策の下で、つまりブリュッセルによってEU加盟国には漁獲割り当てが認められていたが、今後はイギリス政府が資源量等を勘案しながら毎年各国に割り当てることになる。EUはイギリスにお願いする立場となる。2020年中にイギリスと合意できなければ、2021年からEU加盟国の漁獲割り当てはゼロになる可能性がある。

 昨年の合意文書では、金融と漁業の問題は2020年6月までに結論を出すとされている。2020年6月は移行期間を2022年まで延長するかどうかを判断するとされた時期であり、金融と漁業の問題が全体の交渉を規定するだろうと双方の交渉者は考えていたのではないだろうか。

 経済規模の大きい金融サービスと規模が小さい漁業は釣り合わないと思われるかもしれない。しかし、通商交渉における重要性は経済規模が大きいかどうかではなく政治的に重要かどうかで決まる。

 日本の通商交渉でもGDP比では1%程度の農業が常に中心的な役割を果たしてきた。フランスなどの国にとって、イギリス漁業水域へのアクセスは政治的に極めて重要である。すでにデンマークの首相は2020年移行期間中の交渉について漁業が重要なイシューだと声を上げている。

 金融についてEUが厳しい対応をするなら、イギリスは漁業について厳しい対応をすればよい。うまく交渉すれば、イギリスの方が上手をとれる。

 イギリスとEU双方がどうしても合意なき離脱を回避したいというのであれば、集中的に交渉し2020年中に合意するしかない。


無協定状態となる経済学上のメリット

 ただし、自由貿易協定を結ばないことは悪いことばかりではない。

 国際経済学からすれば、特定の国との関税だけをゼロにする関税同盟や自由貿易協定には、"貿易転換効果"というデメリットがある。

 例えば、小麦価格がアメリカ300円、フランス600円、イギリス1000円であるとする。イギリスの関税が400円のとき、イギリスの消費者は最も安いアメリカ産小麦を700円で買う。ここでEUとの関税同盟によりフランスとの間の関税をゼロにすると、イギリスの消費者はフランス産の小麦を600円で買うことになる。しかし、アメリカ産小麦のほうがフランス産小麦より安いことには変わりない。イギリスの消費者が払った400円の関税はイギリス政府の関税収入となったのであり、イギリス経済にとってコストではない。イギリスは小麦を輸入するために高い金を払わなくてはならなくなった。

 これまでは輸出国には一律に同じ関税が課されていたために、世界で最も安く供給できる国(アメリカ)から輸入してきたのに、関税が課されなくなった協定締結国(フランス)からの輸入に転換する。輸入国からすれば、高い輸入品を購入することになるのは問題である。

 国際経済学の最も重要な概念の一つは、輸出品と輸入品の交換比率である"交易条件"(the terms of trade)である。関税同盟や自由貿易協定の場合、この交易条件が悪化することで、経済の厚生水準が低下する。

 イギリスはEUから脱退することで、アメリカや豪州に比べて高いEU産の小麦を買わなくてもよくなる。逆に、これは価格が高くてもイギリスに輸出できたフランスなどのEU諸国にとっては打撃となる。EUと自由貿易協定を結べば、貿易転換効果は復活するが、そのときは米英自由貿易協定を締結したり、豪州が入るTPP11に加入したりすれば、世界で最も安く供給できるアメリカや豪州からの輸入が行われるようになるので、貿易転換効果は再び消滅する。

 なお、これまで貿易転換効果が議論されなかったのは、関税同盟などで国としては高い買い物をさせられることになるが、消費者は安く購入できるようになるし、関税収入がなくなることは国民には実感されにくいからだったのだろう。


協定アリでも無協定でも離脱は離脱

 他方で、自由貿易協定という合意ある離脱でも、合意なき離脱でも、国境管理、通関手続きが必要であることは変わらない。

 合意なき離脱になると通関手続きに時間がかかり、イギリスとヨーロッパ本土とのサプライチェーンが損なわれるという主張が行われたが、これは自由貿易協定を結んで、相互の関税をゼロにしても変わらない。離脱は離脱なのである。

 バックストップは、北アイルランドとアイルランドとの国境管理を避けるために、イギリスをEUの関税同盟に留めるものだった。自由貿易協定では国境管理が必要となるのに対し、これまで通りの関税同盟では必要でないからである。説明しよう。

 関税同盟、自由貿易協定のいずれも、WTOで約束した関税よりも低い関税を適用するという点では同じであるが、自由貿易協定が関税同盟と異なる重要な点は、協定参加国以外の国に対する関税は統一されず、各国でまちまちであるということである。

 例えば、協定参加国以外の国に対して、自由貿易協定に参加しているA国の牛肉関税は100%、B国の牛肉関税は1%となる。協定参加国相互の関税は0%なので、域外のC国産の牛肉がB国経由でA国に輸入されると、関税1%でA国に輸入される。これではA国は国内の牛肉産業を保護できない。これを防ぐためには、A国に関税なしで輸入される牛肉はB国産であることが証明される必要がある。これが原産地証明である。

 牛肉のような一次産品であれば原産地証明は簡単であるが、B国が一次産品を輸入してこれを加工したり、部品を他の国から輸入して自動車やテレビなどを生産したりして、A国に輸出する場合には、それがB国産なのかどうかを決めなければならない。中身だけ外国で作って外側の車体だけB国で付け加えた自動車をB国産と言えないのは当然としても、どこまでB国で付加価値をつければ、B国産として認めてよいのかを巡って、いつも自由貿易協定の交渉はもめる。

 2018年のNAFTAの見直し交渉では、自動車の原産地規則が最大の争点となった。新しく合意されたUSMCAでは、関税ゼロで貿易されるためには、時給が16ドル以上の地域の付加価値が40%(乗用車・SUV)、もしくは45%(ピックアップ)以上などの条件が付けられた。トランプ政権は、メキシコの安い労働を使った自動車がアメリカに輸出されることを防ごうとしたのである。

 自動車で採用される原産地規則は、その国で付け加えられた付加価値率が一定以上の場合に自由貿易協定の低い税率の適用を受けられるというものである。付加価値率60%以上とすると、海外からの輸入部品は40%未満に抑えなければならなくなる。

 EUは一つの経済地域なので、フランス、ドイツ、イタリアなど域内の国で付け加えられた付加価値を合算することができる。しかし、今後イギリスは一国だけでこの比率を満たさなければならない。新たな自由貿易協定で、EUが高い付加価値率を要求すると、イギリスの自動車工場は閉鎖され、ヨーロッパ大陸に工場が移転されるようなことになるかもしれない。事実上無協定の場合と同様の影響が生じる。

 いずれにしても、自由貿易協定を利用して、ゼロまたは低関税で貿易されるためには、原産地規則の要件を満足しているかどうかの、国境管理が必要となる。

 さらに1992年に、EUはヒト、モノ、資本、サービスの自由な移動を中心とする市場統合、単一市場を完成させた。

 環境問題など各国政府が対応しなければならない領域が増えてくると、単一市場を完成させても、このような政策の違いが各国間で企業の競争条件をいびつなものにしてしまうのではないかという恐れや、経済活動を円滑にするためにはこのような違いをなくすべきだという主張が出てきた。このため、食品や工業製品の基準、環境、競争法などの分野でも、各国の法制度を調和したり、EUとして統一の政策や規制をとるべきだという要請が強くなってきた。

 今は、EUの単一市場の下で、食品や工業製品の基準は統一されているが、イギリスが離脱して独自の基準を作るようになると、イギリスからEUに食品等を流通させるときには、EUの基準に合ったものを作らなければならず、逆の場合にはイギリスの基準に合ったものを作らなければならない。また、食品等が基準に合ったものかどうかを審査するため国境管理と同様のチェックも必要となる。


無協定でも世の終わりではない

 しかし、2020年中にイギリス・EU間で合意できない場合でも、深刻に考えるべきではない。2021年にいったん関税は復活するが、例えば2022年に自由貿易協定交渉の合意ができれば、それ以降は合意ある離脱と同じことになる。

 日本とEUは自由貿易協定を結んでいるが、イギリスがEUの加盟国ではなくなるので、日本とEUの自由貿易協定は日英間の貿易には適用されなくなる。日本の自動車の関税は全世界に対してゼロなので、イギリスが日本に自動車を輸出するときは関税がかからないが、日本がイギリスに輸出するときには10%の関税がかかるようになる。逆にイギリスが日本へチーズなどの農産物を輸出しようとすると高い関税を払わなければならなくなる。日本がイギリスと自由貿易協定を結ぼうとしているのは、このためである。

 イギリスとEUの自由貿易協定が成立しなくても、イギリスがEUの関税同盟から完全に離脱する2021年からは、イギリスは日本との自由貿易協定を発効できる。アメリカと自由貿易協定も同じである。イギリスはEUが自由貿易協定を結んでいない国とも自由貿易協定を結ぶことが可能となる。イギリスは日本との自由貿易協定だけではなく、TPPへの参加にも関心を持っている。

 EU離脱によって、国際社会でのイギリスの影響力が低下するかもしれないが、経済的には悪い話ばかりではない。