メディア掲載  外交・安全保障  2020.02.20

日本と旧ハワイ王国の関係

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2020年2月13日)に掲載

 先週ワシントンでは弾劾裁判でトランプ大統領が無罪評決を受け、下院議長が一般教書演説を破り捨てた。日本では新型コロナウイルス感染でクルーズ船約3,700人の検査が始まった。ところが筆者、昨夜はハワイのワイキキでフラダンスショーを堪能した。今週は世界の出来事をしばし忘れよう。この数年間ゆっくり休んだ記憶のない筆者には、こんな休暇もたまには良いだろう。

 ハワイの観光客といえば、多くは東アジアからと信じていた。実際、ホノルルのショッピング街を歩けば、聞こえてくるのは日本語、中国語、韓国語ばかり。だが、ハワイ訪問者の多くはアメリカ本土からの観光客だという。

 州政府の公式発表によると、2018年のハワイ州訪問者数は約1千万人、その64%は米国人だ。驚いたことに日本人は150万人程度で、韓国人は僅か23万人、中国人も12万人ちょっと。

 彼らは国籍こそ異なるが、恐らく一つの共通点がある。それは18世紀末、このハワイに独立王国があり、約100年後その王国が米国の工作員や市民により崩壊させられたことなど知る由もないということだ。ショーの後、ハワイの歴史を必死で勉強し直した。

 以下は太平洋におけるハワイの地政学的重要性と戦略的価値に関する筆者の見立てである。


● 幻に終わった合邦提案

 18世紀末建国したハワイ王国は西洋諸国からの干渉に悩まされていた。1881年、カラカウア国王は訪日し、明治天皇に拝謁、後に日本と移民条約を締結した。国王はカイウラニ王女と山階(やましな)宮定麿王(後の東伏見宮依仁(よりひと)親王)の縁組や日本・ハワイの連邦樹立などの大胆な提案を行う。しかし、日本が米国からの反発を恐れたため、国王の合邦提案は幻に終わった。


● 王国転覆を実行した米

 1893年、ハワイ王国在住の米国人を中心とする集団がクーデターを敢行、海兵隊員も投入され王国は崩壊、翌年にはハワイ共和国が成立する。だが、反乱集団の最終目的は米国によるハワイ併合であり、多くの流血事件を経て、98年、ついに米国はハワイを併合する。昨夜のショーではフラダンスは国王と女王を偲ぶものと説明されたが、米国によるハワイ併合への言及はなかった。


● 「ハワイ先住民」の悲劇

 当地の州議会は現在、州知事に対し、ハワイ先住民、ハワイ州、アメリカ合衆国の和解を審議する委員会の設置を求める決議案を審議中だ。

 「ハワイ主権運動」は先住民の主権と自治を尊重し、ハワイ王国の米国への主権移譲は違法だとも主張するが、米国の名誉のために言えば、米連邦議会は1993年、ハワイ王国の崩壊には「米国の工作員と市民の能動的関与」があり、ハワイ先住民は「自らの主権を直接放棄していない」ことを確認する共同決議を採択している。ハワイ先住民問題はアメリカ先住民(インディアン)問題と同様、未解決の機微な問題なのだ。


● もし日ハワイ連邦が...

 歴史に「もし」は禁物だといわれるが、仮に連邦化が実現したら、太平洋をめぐる日米間の戦争はもっと早く始まっていただろう。当時、米国は米西戦争でフィリピンを獲得する直前だった。その意味でも、当時の日本政府の判断は正しかったといえるだろう。

 今ハワイは平和だが、ここに買い物に来るアジアの若者の大半は1941年の真珠湾攻撃を知らないだろう。それどころか、ワイキキは今や日本の街となった。ペンは剣よりも強しというが、マネーはペンよりもさらに強そうだ。