メディア掲載  外交・安全保障  2020.02.06

驕る中国は久しからず

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2020年1月30日)に掲載

 スピニングホイールという筆者お気に入りの曲がある。直訳は「紡(つむ)ぎ車」、人生を「上に登れば必ず下に降りる」糸車に例えた含蓄の歌だ。1969年にBSTというブラスロックバンドが発表した。この名を覚えている人は相当のオタクだろう。しかし、今回取り上げるのは音楽ではなく、中国の新型肺炎騒動だ。

 新型コロナウイルスの肺炎の犠牲となった方々には心からのお見舞いとお悔やみを申し上げたいが、感染拡大の範囲と速度自体は驚かない。北京勤務時代のSARS騒動をよく覚えているからだ。中国はSARSの教訓を学んだのか。なぜ今回も事実の開示が遅れたのか。中国の対外関係はどうなるか。驕る平家は久しからず。まずは当時学んだ教訓をご披露する。


■公表数は十倍にする

 中国人口は14億人、ざっと日本の10倍だ。されば、新型ウイルスの犠牲者も同様。当初の中国側発表数が疑わしいと思ったら、迷わず10倍にすると実態に近づく。実際1月11日の武漢市発表は感染者41人、死者は2人だった。されば筆者推定は感染者410人、死者は20人となる。案の定、22日には感染者が470人で死者は9人。この「10倍」感覚は今も変わらない。


■官僚の責任回避か?

 数値の過小公表は官僚主義のなせる業だ。共産党中堅幹部は責任を回避したい。なぜなら上司が責任を取ることはないからだ。されば悪い数字はできるだけ目立たないようにするのが鉄則。実際、11日から18日まで武漢市発表の感染者数は41人のまま。当時日本やタイで感染者が出て、SNSでは「新型肺炎は愛国ウイルス」なる投稿が増えた。もちろん、「愛国」ウイルスなどあるはずがない。


■なぜ何でも食べるのか

 日本人がどうしても理解できないのは、海のない武漢の「海鮮市場」で中国以外では誰も食べない種類の野生動物が堂々と取引されていたことだ。18年前のSARSの時、中国政府は初動の遅れを謝罪し、野生動物市場も全て閉鎖されたはずだが、その後静かに営業を再開したらしい。

 いくら「何でも食べる」文化とはいえ、野生動物の違法取引はなぜ根絶できないのか。今日のように中国経済が発展し、陸の孤島だった武漢は今や経済活動のハブとなっている。ここで新型ウイルスが蔓延すれば、それが中国全土に広まるのは当然だろう。


■被害よりメンツが大事

 先週20日、事態を重視した習近平国家主席は漸く武漢市の封鎖など一連の重要決定を行った。こうした動きもSARS騒動の時と変わらない。現場の官僚主義で中央への情報伝達が遅れる。党中央は最悪の事態により最高指導者のメンツに関わる事態が予想されて初めて動き出す。その後は逆に強権を使い有無を言わせず国民生活に介入する。こうした極端な「ブレ」が何度も繰り返される。今も中国は何ら変わらないのだ。


 もうこのくらいにしよう。新型ウイルスを完全に封じ込めるのは難しい。しかし、中国はいつまでこんなことを繰り返すのか。世界第2の経済を誇り、米国に追いつき追い越そうとする中国だが驕ってはいけない。その発展は大歓迎だが、果たして大国としての条件は整っているのか。驕る平家は久しからず。最近日本ではブレークした有名人や政治家が炎上するケースが絶えないが、実は国家も人間と同じではないか。

 今回の新型ウイルス騒動を眺めると、21世紀の中国にはふさわしくない「旧態依然」の中国が見え隠れする。中国は曲がり角に差し掛かっているようだ。