メディア掲載  外交・安全保障  2020.01.20

バルカン情勢は複雑怪奇

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2019年12月26日)に掲載

 今年最後となる今回は、バルカン半島を取り上げる。実は先週、駆け足で「プリシュティナ」と「スコピエ」を回ってきた。これが、コソボと北マケドニアの首都だと分かる人はかなりの国際通だ。両国が旧ユーゴスラビアを構成した共和国と知る人も少ない。恥ずかしながら、筆者も詳しくなかった。百聞は一見に如かず、今回は南欧情勢について書こう。


◆「先の大戦」とは

 京都で「先の大戦」といえば応仁の乱だが、コソボで「前の戦争」は1998年のコソボ紛争だ。バルカン半島中部のコソボ共和国は人口約180万人、面積約1万1千平方キロで、ほぼ岐阜県と同じサイズ。独立を宣言したコソボを、隣の地域大国セルビアは今も自国の自治州だと主張し、国家承認していない。

 その南方にあるのが北マケドニア。91年の独立当初はマケドニアと称していたが、ギリシャがこれに強く反対してきた。「マケドニア」はアレクサンドロス大王の出身地、現在その半分がギリシャ領だから自国の文化遺産を国名にすることは許し難いのだ。日本から見ればどちらでも良いのだが、当事国にとっては死活的重要事項である。


◆「ゼロサム」ゲーム

 この種の争いは枚挙にいとまがない。陸続きで接する国の多いバルカン半島は、古代ローマ時代からオスマン帝国支配を経て現代に至るまで、争いは常に誰かが「ババ」を引くことで収束してきた。こうした「ゼロサム」ゲームしか成立しない地域では、数百年前の歴史的事件ですら現代の紛争の種になり得る。約500年間オスマン帝国の支配下にあった複雑なバルカン半島の民族問題、宗教問題、歴史問題のややこしさに比べれば、東アジアの歴史問題などかわいいものだ。


◆新「グレートゲーム」

 現地に来て痛感したのは、今もこうした「ゼロサム」ゲームが形を変えて戦われていることだ。例えば、米国。コソボの米大使館は南欧最大の巨大な要塞。北マケドニアの米大使館も大きな建物だった。両国の首都では多くの経済協力専門家や情報筋としか思えない米国人を多数目にした。この地での米国のプレゼンスは半端ではない。

 一方、ロシアも負けてはいない。1990年代のEU(欧州連合)・NATO(北大西洋条約機構)の急速な拡大に対抗すべく、ロシアはセルビアなどを支援し、米国の影響力拡大を牽制している。さらに、最近ではこれに中国も参戦した。東南欧17カ国と首脳会議を毎年開催し、地域での影響力の拡大を図っている。最後に忘れてはならないのがトルコの存在だ。オスマン時代約500年間の帝国支配の偉大さは、今もコソボやアルバニアでトルコ語を話す人々がいることからも明らかだろう。


◆欧州の「草刈り場」

 振り返ってみれば、南欧バルカン地域には近代以降だけでも3度の歴史的実験があった。第1は20世紀前半のユーゴスラビア王国、第2が20世紀後半のユーゴスラビア連邦、そして最後がコソボ紛争後の21世紀の複数民族国家並立の試みだ。

 前2回は失敗したが、今回こそは「3度目の正直」とする必要がある。歴史的に見れば、バルカン地域が不安定化すれば、欧州全体が不安定化し、世界全体にも悪影響が波及しかねないからだ。

 正直なところ、筆者がバルカン諸国に出張しても、日本では誰も質問してくれない。だが、中国や朝鮮半島ばかりが国際情勢ではない。世界の全ての動きは密接に相互関連し、影響を及ぼし合っているからだ。