メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.10.11

日米貿易交渉合意と農業

NHKラジオ第1 三宅民夫のマイあさ!「経済展望」 のコーナー(2019年10月10日放送)

1.先月(9月)末、自動車や農産物など「モノ」の貿易に関する日米の交渉が大筋で合意しました。その背景を説明してください。

 まず、日米の二国間交渉を要求したアメリカ側の事情について、説明します。

 トランプ大統領がTPPから離脱しました。その一方で、アメリカ抜きのTPP11や日本とEUの自由貿易協定が発効したため、オーストラリア、カナダ、デンマークなどの牛肉や豚肉に対する日本の関税が、アメリカ産よりも低くなりました。これでアメリカ産の牛肉や豚肉が日本の市場に輸出できなくなれば、牛や豚のエサとなる大豆やトウモロコシを生産している中西部といわれる地域の農家が打撃を受けます。


2.中西部というのは、どの地域でしょうか?

 ニューヨークやボストンなどがある北東部の西側にある地域です。一番大きい都市はシカゴで、そのほかに自動車産業で栄えたデトロイト、鉄鋼業で栄えたクリーブランドなどがあります。今は、これらの産業が振るわないので、ラストベルト、錆びた地域と呼ばれています。他方、農業は盛んで、コーンベルトと呼ばれています。コーンはトウモロコシです。

 実は、この中西部の農家がいま大変な危機に直面しているんです。


3.というと?

 米中貿易戦争で中国がアメリカ産大豆の関税を上げたために、輸出できなくなった大豆の価格が暴落しています。中西部には、大統領選挙を左右する重要な州がたくさんあります。このうえ牛肉や豚肉の日本市場を失ってしまうと、トランプ大統領の再選が難しくなります。

 もちろん、アメリカがTPPに復帰すれば問題は解決します。日本は、そのように主張しました。しかし、TPPはひどい合意だと主張したトランプ大統領は、日米の貿易交渉を要求しました。

 しかし、日本は新しい日米の合意がなくても今まで通りアメリカに自動車などを輸出できます。日本にとって日米交渉は必要ありませんでした。


4.それなのに、どうして日本は日米交渉に応じたのでしょうか?

 トランプ大統領が、中西部、ラストベルトの鉄や自動車の労働者に貿易のせいで雇用が失われたとアピールしたことが、前回の大統領選挙で勝った大きな要因でした。このため、大統領に就任してから、安全保障の観点から鉄や自動車の関税を引き上げると主張しました。鉄の関税はすぐに上げたのですが、自動車の関税はまだ上げていません。これはWTO違反だというのが日本の主張でした。しかし、アメリカ市場にたくさん自動車を輸出している日本は、その関税を上げられると困るので、二国間交渉に応じ、それを避けようとしました。


5.一方、農業について日本政府は、「TPPで約束した以上の譲歩はしない」という方針で臨み、それを実現しました。

 アメリカの農業界は、焦っていました。牛肉と豚肉について、早く日本とTPP並みの合意をしなければ、日本市場でオーストラリアなどに負けてしまいます。 

 他方、日本政府は、日米の二国間交渉になると、アメリカからTPP以上のことを農業について求められるのではないかと恐れました。このため、日本は農業について譲歩するのはTPPが限界だと主張しました。しかし、これは逆に、交渉の入り口からTPP並みの譲歩を認めることになりました。

 農産物について、日本の譲歩を勝ち取ったアメリカは、乗用車やトラックなど自動車の関税については、TPPで撤廃を約束したのに、今回は先送りすることにしました。これも中西部対策です。


6.日本はコメについて低関税の輸入枠を設定することを回避しましたね。

 これは、自動車の関税を撤廃しないことの見返りとして、アメリカが差し出したものだと思います。

 日本はTPP交渉でアメリカに7万トン、コメの輸入枠を設定しました。しかし、今でも、主にアメリカに活用されている10万トンの輸入枠があるのですが、近年日本産のコメとアメリカ産のコメの価格差が縮まってきているので、この輸入枠でさえ十分に活用されていません。このような状況で7万トンの輸入枠を追加されても、アメリカは利用できません。アメリカにとっては、痛くもない譲歩だったと思います。

 また、日本にコメを輸出しているのはカリフォルニアですが、ここは共和党のトランプ大統領がどんなに頑張っても勝てない民主党の牙城です。トランプ大統領が再選するために、中西部は重要ですが、カリフォルニアはそうではありません。


7.日本政府は、農産物について国内対策を充実させるという方針ですが。

 TPP合意の後、政府は毎年3000億円以上の国内対策を実施しています。TPPはアメリカを含めた合意でした。今回TPPから抜けたアメリカにTPP以下の約束をするということなのに、TPP対策を拡充させるというのは、私にはよくわかりません。

 消費者にとっては、牛肉や豚肉だけではなく、ワインなどの関税も下がるというメリットがあります。消費税の逆進性を緩和するため、問題の多い軽減税率を導入するよりも、高い関税を撤廃することの方が、効果的です。


8.将来どのような影響があると思いますか?

 ワシントンの有識者の一致した見方は、今回はトランプ大統領の一方的な勝利だそうです。日本は物品だけの交渉をするとしていたのですが、サービス貿易や投資についても含む交渉を行うことを約束しました。この将来の交渉では農産物の関税を下げないぞというカードはもう使えなくなりました。

 TPPは、技術の強制的移転要求の禁止、知的財産権の保護など今アメリカが中国に要求している問題点をカバーしています。アメリカがTPPに復帰すれば、中国をTPPに加わらせるよう圧力を加えることができました。

 しかし、今回の合意でアメリカは農産物の日本市場を確保できたうえ、それ以外の項目についても日米で協定を結ぼうとしています。もうアメリカは、TPPに復帰しようとはしないでしょう。トランプ大統領にとって勝利でも、日本だけでなくアメリカにとっても良くなかったのではないかと思います。