メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.07.25

米中貿易戦争と日本への影響

NHKラジオ第1 三宅民夫のマイあさ!「経済展望」 のコーナー(2019年7月18日放送)

世界経済のなかで第一位と第二位のアメリカと中国が関税をかけ合う、いわゆる"米中貿易戦争"によって、世界経済に深刻な影響が生じるという見方があります。

 それが一般的な見方だと思います。特に、主要国が関税引上げ競争を行い、世界中が深刻なマイナス成長に陥った大恐慌後の状況に譬(たと)える人もいるようです。

 しかし、大恐慌のときは、アメリカのGDPの伸び率は29年5%のプラスから32年15%のマイナスとなっており、20%も下振れしました。日本も10%の下振れとなりました。

 これに対して、昨年10月にIMF、国際通貨基金が公表した試算では、今回の米中貿易戦争によって、長期的に世界のGDPは0.2%下振れするだけです。しかも、紛争の当事国である米中でも0.5%程度下振れするだけという分析結果になっています。日本やEUには短期的にはプラスの効果、長期的には影響は全くないとなっています。


それは、どうしてなのでしょうか?

 第一に、グローバル化が進展しているといわれますが、意外なことに、GDPに占める貿易の比重は、それほど大きくないのです。

 輸出とGDPの比率を2017年の数字でみると、香港やシンガポールなど経済規模の小さい国では輸出の比率が高いのですが、規模が大きいアメリカ、中国や日本などでは、輸出のGDPに対する比率は小さくなっています。中国18.9%、日本14.4%、アメリカ7.9%です。これらの国では、輸出、外需よりも、国内消費、内需の方が大きくなっているのです。輸出が多少おかしくなっても、経済全体への影響は限定されたものとなります。今年第二四半期の中国経済の減速は、外需というより内需の不振によるものです。


もうひとつ、米中貿易戦争で世界のサプライ・チェーンが寸断されるのでは、という懸念の声もあります。

 輸入国が関税を上げると、輸出国の企業は、関税を十分輸入国の消費者に転嫁できないことや、価格上昇によって販売量が減少するという不利益を被ります。

 ところが、いま世界貿易の6割から7割は部品の貿易です。一国が部品から最終製品まで作っていた時代と違って、今ではある国で輸入された部品が最終製品に組み立てられて、輸出されるようになっています。これを世界的なサプライ・チェーンと言います。例えば、中国は日本、台湾、タイなどから部品を輸入し、最終製品を作って、アメリカに輸出しています。

 

 実は、このサプライ・チェーンの存在こそ、当事国である米中の経済に大きな影響が生じない二つ目の理由なのです。先ほどの例で中国からアメリカへの輸出される最終製品の価格が1万ドルだとしても、輸入された部品の価格が9千ドルなら、中国は1万ドルから9千ドルを引いた自らの付加価値分1千ドルしか打撃を受けません。

 このとき日本などから部品を中国に輸出していた企業は影響を受けます。しかし、中国で作られる最終製品も輸出よりも中国の国内市場に仕向けられるほうが大きいので、この影響も限定的です。さらに今回の貿易戦争の形態は、大恐慌後の貿易戦争とは違うので、この影響もより緩和されたものとなります。


それは、どういうことでしょうか?

 大恐慌後の時は、自国の経済ブロックを守るために、全ての国からの輸入に対して高い関税をかけました。しかし、今回は、アメリカは中国に対してだけ、中国はアメリカに対してだけ、関税をかけています。中国とアメリカをつなぐ貿易ルートが関税で悪化しても、それ以外の国や地域から中国やアメリカに行くルートは今まで通り開かれているのです。

 つまり、現在のような貿易形態では、中国ではなく東南アジアに部品を集めて組み立て、アメリカへ輸出することが可能なのです。このとき部品を中国に輸出していた企業も、いっときは影響を受けますが、中国から東南アジアに生産拠点が移動した後は、輸出先が東南アジアに変るだけで影響はありません。

米中の消費者も、他に安い供給国がないような場合には、追加関税を払っても相手国から輸入するしかありませんが、そうでないときは多少価格が高くなったとしても、関税がかからない別のルートから供給を受けられます。つまり、米中貿易戦争に対して、世界のサプライ・チェーンは柔軟に対応できるようになっています。


では、日本などの米中以外の国は、どのような影響を受けるのでしょうか?

 自由貿易協定の場合は協定に参加する国の間で相互の関税を削減・撤廃します。当然、協定に参加しない国はその利益を受けられないので、協定参加国の市場で差別されます。TPPでは、TPPから脱退したアメリカの農産物は、安い関税で輸出できるオーストラリアなどのTPP参加国に比べて、日本市場で不利になっています。米中の貿易戦争は、自由貿易協定の場合とは逆に、米中相互の関税だけを引き上げるものなので、関税が低いままで米中両国に輸出できる他の国が、利益を受けます。差別を受けるのは、米中両国です。

 米中貿易戦争が起きた時、私はこれを"漁夫の利"と呼びました。最近では、こうした呼び方をする人が多くなったようです。

 中国がアメリカ産大豆に関税をかけたため、アメリカの農家は大きな被害を受ける一方、ブラジルは輸出を大幅に増やしました。

 アメリカの自動車産業は、トランプ大統領が導入した鉄鋼やアルミへの関税によって生産コストが上昇した上に、中国の40%という高い関税がかかるという二重の不利益を受けています。このため、アメリカの工場から中国に輸出していたBMWなどは、中国への輸出拠点をタイなどに移そうとしています。これに対して、15%へ関税が低下した日本企業は中国への輸出を増やしました。


具体的な分析はありますか?

 今年5月のジェトロ・アジア経済研究所による分析によれば、3年間、米中の関税が全ての品目について25%引き上げられる場合、GDPへの影響は、アメリカはマイナス0.4%、中国はマイナス0.5%、中国を除く東アジアがプラス0.1%、東アジアのうち、日本、タイ、ベトナムはそれぞれプラス0.2%、台湾プラス0.4%となっています。産業別では、米中両国の電子・電機産業は10%前後のマイナスとなる一方、東アジアの電子・電機産業は3%のプラスとなると分析しています。

 米中貿易戦争を巡っては、アメリカ政府の内部でも、貿易収支の赤字是正を一番に考えるトランプ大統領と、中国がアメリカの技術を盗んで覇権国家となることを防ぐべきだという対中強硬派の人達の考え方は違います。他方、中国としても、中国共産党の体制とかかわる問題については、譲歩は難しいと思われます。しかし米中貿易戦争が長期化しても、日本経済に大きな影響は生じません。逆に長期化すると中国から東南アジアへの生産シフトが一層進み、"漁夫の利"効果が高まります。一部で言われているように、米中貿易戦争で経済が悪化して消費税を引き上げられなくなるという心配は必要ありません。