メディア掲載 財政・社会保障制度 2019.07.25
「現代貨幣理論(MMT)」に対しては批判も巻き起こる。既存の理論との相違点はどこにあるのか。金融論を専門に物価と財政との関係を論じる岩村充・早稲田大学大学院経営管理研究科教授と、マクロ経済学が専門で財政の持続可能性を論じてきた小林慶一郎・東京財団政策研究所研究主幹が意見を交わした。(小林慶一郎氏はキヤノングローバル戦略研究所 研究主幹も務めています。)
―― 日本でMMTは「インフレが起きていなければ、財政赤字は問題ない」とする点が注目されている。国の借金が膨らんでも本当に問題ないのか。
小林 日本の場合、国と地方を合わせた公的債務残高の対国内総生産(GDP)比率は約240%だが、どの水準に達すると危機が起こるのか、その上限は理論的に分かっていない。
岩村 経験的には、インフレによらず収束できたのは、19世紀のイギリスにおける同比250%が最大値ではないか。100年かけて4分の1に減らした。ただし、途中でインドを併合したことで分母のGDPが増えている。財政再建の努力だけではなく、「銃口で生み出したのだ」とも言える。
小林 債務残高比率がどのように推移するのかは、名目金利と名目経済成長率との関係によって変わる。分子の債務残高は名目金利で増え、分母のGDPは名目成長率で増えるからだ。
理論的には、名目金利が名目経済成長率を上回る。定常状態で名目金利は、名目経済成長率と時間選好率、すなわち将来の消費より現在の消費を好む程度との和になるからだ。その結果、プライマリーバランス(借り入れ以外の歳入から債務返済以外の歳出を差し引いた収支)が均衡していても、債務残高がGDPよりも拡大するので、債務残高比率が高まっていく。
ただ、歴史的には名目成長率と名目金利の相対関係は時によって入れ替わっている。英米の過去200年を見ても、名目金利が名目成長率よりも低い状態が長く続いている時があった。金利が成長率より低く、プライマリーバランスが均衡していれば、債務残高比率は下がっていく。
金利が成長率よりも低い状態がなぜ続くのか、その影響はどうか、について国際通貨基金(IMF)でも研究を開始するという。日本も低金利国の一つに挙げられている。
―― 日本では日銀が国債を買い入れることで、金利を低く抑えているのではないか。MMTの提唱者であるニューヨーク州立大のケルトン教授は、日本は膨大な債務を抱えながら低金利でインフレが起きていないことから「MMTの有益な実例だ」と述べている。
小林 意図してやっているわけではないだろうが、結果としては低金利のもとで政府債務が膨らみ続けている。私は、何らかのバブルによって、謎の状態が起きているのだと思う。
日銀が国債を買い続けたとしても、それを上回って民間の投資家が売れば金利は上がる(債券価格は下がる)はずだ。日銀が全部買って市場から国債がなくなったとすれば、今度は貨幣の価値が下がる、つまり物価水準が上がるはずだが、そういうことも起きていない。
それは人々が国債の価値を高く思い込んでいるか、あるいは将来的に大幅な増税や歳出削減が行われると考えているか、いずれかでしか説明がつかない。
合理的ではないバブル的な予想が広く共有されることは起こりうる。国債のバブルか、財政行動についてのバブルか。いずれにしてもバブルだから、崩壊する可能性を抱え続けている。
岩村 経済が成長している以上、その果実は誰かのものにはなっているはずだ。成長率が多少ともプラスであるにもかかわらず、借入金利がゼロあるいはマイナスだとしたら、それは株式投資を有利なものにしているはずだ。
理論的に株価収益率は、金利に市場リスクを上乗せした水準になるが、日本で株主資本利益率(ROE)の目標に掲げられている8%は高すぎるのではないか。総資産利益率(ROA)が上がる以上にROEを上げようとすることは、負債への配当が均衡よりも低くなるという予想を作り出し、金利を押し下げることにつながる。
株式の高収益率の背後にある低金利が、一方で財政を維持可能なものにしているとしたら皮肉な話だ。今の政策は預金者や年金生活者から株主への富の移転を起こそうとしているという面があるわけだ。ちなみに、株主たちの半数近くは外国人である。どうやら安倍政権と黒田日銀は外国人に優しい政策がお好きなようだ。
―― MMTでは債務残高の問題の前に、財政破綻の可能性自体を否定している。
岩村 MMTは「自国通貨建てで資金調達している国は財政破綻しない」というが、これは当たり前のことだ。「自己資本比率100%の会社は絶対に倒産しない」ことと本質的に同じだ。
MMTが貨幣を「政府が納税の際に受け取ってくれるから貨幣である」と位置づけ、「政府と中央銀行の財務を区別することに意味はない」と言うのもその通りだ。
そこで、政府と中央銀行を連結した統合政府のバランスシート(貸借対照表)を見ると、自国通貨建て債務である貨幣や市中発行の国債は、会社の株式にあたる。非自国通貨建て債務は会社の外部借り入れと同等だ。
会社が「借金さえしなければつぶれない」と言ってどんどん株券を刷れば、その分、お金が入ってきてモノが買える。だが、会社の事業活動の中身が変わらなければ、株価は下がり、刷った株券で買えるモノの量は減っていく。
最初は増資した分、お金が入ってくるのでうまくいくような気がするが、それは既存の株主から分け与えられた富を無償で得たかのように錯覚しているだけだ。最後に株価がゼロになってしまえば、会社は倒産しないが、何も活動できなくなる。
統合政府でも同じことだ。株券ならぬ貨幣をどんどん発行しても、世の人々が長期的な問題に気付かなければ、貨幣と実物財との交換比率である物価はしばらく動くまい。だが、いつかは気付かれ物価も動き出すだろう。株価が下落するのと同様に、貨幣価値が下がっていくことになる。貨幣価値がゼロになっても、MMTが言う通り政府は確かに破綻しないが、何も仕事をできなくなり、その存在自体が無意味になるだろう。
小林 関連した論点を挙げると、政府が持つ資産と比較して、債務は「問題ない」とも言われる。つまり、政府は借金もあるが、道路やダムといった実物資産を多く持っているから、差し引きの債務は実は小さいという議論だ。
IMFが昨年、財政報告書で各国の債務と資産を示している。これによると、確かに日本は国と地方が持つ資産と債務がほぼ一致している。ただし、政府の持つ実物資産の価値とは、将来にわたって生み出す行政サービスの現在価値であって、借金を返すために資産を売ろうとすれば、この価格では売れない。債務の返済可能性を考えるうえでは不適切な評価額だ。IMFもそう注記している。
岩村 行政サービスに必要な資産を売ってしまったら、政府が政府でなくなってしまう。
債務が過大かどうかは、将来にわたって生み出すと予想されるキャッシュフロー(収入と支出の差)とのバランスを実質的に見て判断されるものだ。政府と中央銀行を連結した統合政府において、将来にかけてのキャッシュフローに対する予想と債務が均衡するように、現在から将来にかけての物価水準が決まる。これが「物価水準の財政理論(FTPL)」の考え方だ(図)。
重要なのは、貨幣量で示された名目値ではなく、実質的な価値でバランスを見ることだ。実質価値で見れば、成長経済と非成長経済では、何%の債務が許容されるのかという数字は当然異なる。
実質的な経済成長を左右するのは人口動態と技術革新が主だが、たとえば今、政府がお金を借りて保育園を作り、経済規模が半分になった時点で返そうとすれば、経済に占める相対的な価値は2倍になってしまう。そこまで増税するというのは無理な話だろう。成長率を大きく引き上げることになるような政府の活動分野をMMT論者たちが「発見」したというのなら話は別だが、そんな分野があるのなら通常の財政政策で対応した方がよい。
―― MMTではインフレが一定水準を超えたら、政府は支出を減らしたり、増税したりして貨幣を減らせばいいという。
小林 懸念されるのは、急激な予想の変化だ。今の物価水準は国債あるいは財政行動へのバブル的予想によって保たれているのだから、予想が急激に変われば、皆が早く貨幣を手放そうとする。景気の過熱がなくても、物価や金利が急に上がることは当然起こりうる。その時になって財政緊縮を行っても手遅れだ。消費税を50%にするなど、よほど極端な対策を打たなければ、国民や市場の予想の変化を止めることはできなくなってしまうだろう。
急に予想が変化した時に、物価をソフトランディングさせる方法は分かっていない。MMT論者はインフレを抑えることができると言うだけであって、どうすればコントロールできるのか具体的な方法は示していない。
岩村 インフレはコントロールはできないし、予想も外れるものだから、行きすぎた時には戻ることのできるような仕組みを考えた上で政策を行った方がいい。
MMT論者は、貨幣を政府の債務だと認識しているのに、インフレの可能性について聞かれると、「貨幣を吸収すれば物価は調整できる」と言い逃れる。合理的期待論に論破された素朴派ケインジアン財政政策論と、貨幣量の操作だけで物価を動かすことができないことを証明してくれたリフレ論との、無原則なゴッタ煮というほかはない。
小林 MMTで「需要不足の時にインフレの心配はいらない」と主張している点は、日本は拡張的な金融財政政策をすべきだと主張するケインジアンの経済学者らとも共通する。ただ、彼らは財政再建は需要不足が解消された後で行えばいいとして、長期的に財政を均衡させること自体の必要性は認めている。
岩村 MMTは財政を「打ち出の小づち」のように言うが、結局のところ、インフレによって債務は軽減されるというインフレ税論なのだと思う。
彼らは、すぐにインフレが起こるわけではないと言っているようだが、それはインフレ税の負担を後世代に転嫁したいと言うのと同じだ。
小林 インフレ税は、債権者から政府など債務者への大規模な所得移転だ。債権者とは、主に金融資産を取り崩して生活する高齢者で、彼らの生活を破綻させる。社会の厚生と公平さの観点から大きな問題だ。
インフレ税に苦しむ将来の高齢者とは我々自身のことかもしれないし、目の前にいる私の子供かもしれない。そういう想像力と覚悟を持った議論になっているのか、ということが問題なのだ。